じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
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蔦木宿のにぎわい

2010-08-31 20:13:33 | Weblog
(蔦木の往来)
「物心ついた頃だから、昭和の初めの頃だな。車なんてほとんど走らない。まあ、走らないっていっても、バスとかトラックとか少しは走ってたがな。なんてったって馬車が多かったさ。『うんそう』って言ってさ。共有林で切り出した木なんぞを、駅まで運ぶのに馬で引っ張ってたってわけさ。最初の頃は、中が木でぐるりが鉄の車輪がついたやつだったな。そのうち今のタイヤみたいなのが出てきたがな。戦時中は木炭車なんてのもあったぞ。近所の三浦屋のおじさんは、川の向こうでな、テンヤをやってたさ。その人が伊豆まで海草を買いに行ってたんだが、やっぱその頃木炭車でさ。出かけるときにゃ、朝早くから薪突っ込んで、クランクやらまわして、そりゃあ大騒ぎだったさ。それでも掛からんときは、子供らみんなで後ろから押したりしたもんさ。今で言う押しがけだぁ。」
(梅と柿の並木)
 「梅は軒並み植わってたさ。柿やカイドウもあったな。一軒の家でも間口の広い家なら2本、狭い家は1本。全部で120~130本はあったじゃないか。梅は豊後梅がほとんど、柿は甲州丸ってやつさ。山梨の柿だけど、つるし柿なんかに品質がいいっちゅうこんでここにもってきて植えたらしいな。柿の木は、枝が折れるから危ねぇなんて言ったが、それこそ登って登って、今の様に身しみた梯子なんてもんはねえだから、下からどんどこ木登りさ。木登りは子供らはみんな大好きだったで、そりゃあ楽しかったさよ。見事な並木だったんだが、昭和34、5年ごろの出水の跡で、堤防やら道路やらを改修したときに切っちまっただよ。まあ、あの並木のおかげで、蔦木は家を動かさずに改修できたんだけどな。」
(昔のおやつ)
「柿はつるし柿にしたさ。そりゃあ、冬の間の保存食だで大事にとっとくんだが、剥いた皮のほうがまたおやつになったさ。皮を剥いたら日に干してカリカリにする。これがボリボリボリボリかじくると甘くてうまいだよ。うまいなんちゅうもんじゃねえ。最高のおやつさよぉ。梅はさ、梅干が多かったんじゃねえか。中には焼酎なんぞに漬け込むハイカラなうちもあったけどな。真っ白いご飯の真ん中に梅干だけが入った日の丸弁当なんか良く食べたさよぉ。そうそう、木の上になったまま黄色く熟した梅も、おやつに食べただよ。あれもまたうまかったなぁ。」

 そう話してくれたのは上蔦木の名取さん。最後に、「おらとうから下の衆には、ほんとに遠い話だと思うよ・・・昔の話さ」とつぶやかれていました。

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