じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
聞き書きした記録です
ほぼ一ヶ月に一回の更新です

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子どもの頃かい 戦争さぁ

2010-06-03 19:23:53 | Weblog
(軍隊の疎開)
「あの今はマレットになってるあたりに、戦争中陸軍か何かの通信部隊が疎開しててな。結構何人も来てたぞ。うちの畑があっちのほうにないんで、兵舎は見たことないけんどな。終戦になってからもしばらくいたようだな。神戸の盆踊りの時に何人か降りてきてたのを覚えとる。あの衆は、飛行機の油だかをあちこちの山の中に隠してたっちゅうこんだ。油っていっても、松の根からとった松根油(しょうこんゆ)ってやつだ。それを終戦後しばらくたってから、取りにちゅうか、まあ、盗むちゅうこんだと思うが、山の中を探した人もいたちゅうこんだ。そうそう、富士見小の講堂にも通信部隊が疎開しててな。こっちは銅線巻いてあるコイルを置いてったんで、それを頂きにいった人もおる。」
(学校の授業)
「戦争中の学校は授業なんかしなかったなあ。一番上級生だったんで、まずは、沢入山へいって炭焼きさ。そんで南原山の学友林へいって、『木まわし』でこれくらいの木を引っ張ってきて、薪つくりだな。炭や薪は学校で使ったり、下級生の家にやったりいろいろさ。いけんとう(池の十)に町の畑があってさ、そこで町中のじゃがいもの種芋を作っててさ。その世話なんぞもしてたぞ。そこへ行く時にゃ弁当持って、『よつっぱ』(鍬)かついで、ハイキングみたいなもんさ。そうそう小黒川の方まで『あかそ』(赤麻)を取りにいったこともあった。先生が服をこしらえるとか何とか言ってな。これなんざぁ、行くだけで3時間も4時間もかかった。そんなことやってりゃ、勉強なんぞしてられんわな。」
(戦争のこと)
「まあ、こんなとこだから空襲なんかは無かったが、東京大空襲の時は、B29のゴーッちゅう音が、遠くで聞こえててな、子供心におっかねぇなと思ったな。国道から駅に行く途中に監視所があってさ。多分敵機を見張ってたんだと思うがな。そこに学校上がりの若い衆が勤めてて、どこで空襲があったなんて話は、そっから流れてたようだ。甲府であって長野であって、そのうちこけえらもやられるんじゃねえかと思ってたがな。そんなこともあって、富士見小の庭にも防空壕を堀っただぞ。今のプールの方がちっと段下になってるら。あそっから通路を掘って、室よりちっとばっか広いようなのを掘らされたぞ。何をやるつったって、上級生だで、やらされたちゅうこんだ。まあ戦争だからしょうがねえがな。なんちゅうても、ひでえ時代だったぞ。」
戦争の影響とはいえ、何でも自分たちでなんとかした時代。お話を伺った神戸のおじさん、「昔は、上級生が雪かきして道をこせえて、下級生を連れてった。親の手なんぞいっそう借りねえでな。」と一言。今の時代ほんとにこれでいいんだろうか、と考えさせられたお話でした。

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