じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
聞き書きした記録です
ほぼ一ヶ月に一回の更新です

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身近だった神様仏様

2010-07-05 08:39:30 | Weblog
(薬師堂のおめえだま拾い)
「ここの部落には昔、今の常会みたいな『町内』って言うのがあっただよ。当番があって、お米をねえ、一軒で一合ずつぐらい出しあったかな。どこの『町内』でやったか、大人のやったことだからよくわからないけど、お米を集めて、石臼で引いて米の粉を作ったさ。それをお団子にして、お薬師様へあげたんだよね。そいだから、結構たくさんあっただよ。昔は、こういう箱があってね。その箱に山盛りになるくらいつん出したんだよね。集落で何町内ずつ集まったか、二町内ずつ位でやったのかもしれないねえ。それをさ、『おめえだま』って言うんだけど、お彼岸のね、入りの日と中の日と明けに三回投げた。まずお供えしてさ、年寄りたちがお念仏あげてそれを子どもらに投げたんだよね。まあ楽しみだったんじゃなかっただかねえ、昔はなにもそういう寄り集まることが無かったから。お団子の味かい?味なんかないせやー、今みたいにお砂糖だ入れるじゃないしさー。ただ、お米のそのお粉の味しかねえ。何も無い時代だったで、そんなことが楽しみだった、子ども達は喜んでいって、それを拾ったんだよね。」
(原山様の傘づくり)
「原山様の傘のことは知ってるかい。それも『町内』で順番があって毎年、八月の十四日お
盆の日に、『町内』ごとに集まってその花を作る。花作りってもう十四日って決まってたんだよねえ。ほいで花を染めるのも障子紙を切って作ってね。いつごろまでやってたかなあ?私達が満州から帰ってきてからやったんだから一九四六年ごろまでやったんじゃないかな。それはね、それこそ今のようじゃなく色紙もなにも無い時代だったでさあ、みんな手作りでねえ。」
(原山様の思い出)
「そいで、それを傘へさしてさ、表通り国道沿いは一斉に、祭りの前日、それこそみんなおんなじお飾りが出てきれいだっただよねえ。今はそれができないで、面倒だとかでそれでビニールの花に変わったじゃん。それだからあの『町内』この『町内』だんだんみんなそういう風になっちゃっただけんどね。私のは竹だったで、いくらかしなってね。だけど、あの手作りのほうがきれいなんだけれどもねえ、そういう時代になっちゃった。場所もねえ、昔は車が無かったし、どこのうちでも木戸にね、みんな夜になるとロウソクに明かりをつけて、ホントきれいだった。なんか私もさあ、昔からこういうところに育ったから光景が今でも目に映るけんど。」

と、目を細めて遠くを見るようにお話してくれた御射山神戸のおばさん。「昔は、そういう風に神様や仏様が身近に居たような気がするねぇ。」と一言。まぶたの裏にはその光景がいつまでも残るんだろうなぁ・・・。

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