(海苔の仕事)
「昔から、ここいらは冬の間は百姓出来ないから。出稼ぎちゅうかそういうことに出かける衆が多かっただよね。海苔っちゅうのは、今は11月頃から採り始めるんだけど、昔は12月ころからかなぁ。そんで、3月には終わるんだよ。春から秋の間は育てるもんで、そんなに仕事があるわけじゃねえ。そんで、ここらの仕事の具合とちょうど合うもんで、若い女衆は干し子っていって生産するところへ稼ぎに行って、男衆は買ったり売ったりの仕事、そうだなぁ問屋みたいなところへ、結構大勢行ってただよ。九州から、千葉から、瀬戸内やら四国やらあちこちだよね。そけえ行ってた人が、お前も来るか、みたいに手引きでね、引っ張ってくれて、そんで、そけえ行くような感じだった。」
(海苔の検査)
「そのうちにさ、九州の方では、海苔の入札と検査制度ちゅうのが出来てきたから、検査員が必要になったさ。そんで、行くようになったね。28歳くらいだったかな、九州の大牟田ちゅうところ、そうそう有明海のな。諏訪から来てる人は多かったぞ。なんかの大会で集まった時にゃ100人はいたぞ。そこでさ、海苔ちゅうのは10枚で束になって1帖、それを10束結束して10帖単位で、取引するだよ。それで、1ヶ月に2回入札があってさ。入札の前になると、生産者が漁協に検査にもって来るさ。それを一束一束、色と艶と、穴があいてないかどうか、四角に出来てるかどうかなんかを検査したってわけさ。途中から金属探知機なんかも使ったよ。だいたい入札の1週間前くらいから、持ち込んでくるんだけど、やっぱ間際が多くてさ。たいがい入札の前日は、検査してるうちに新聞配達がめぐってくるような、そんな感じだったさ。でもさ、自分が検査したものが、入札で予想外のいい値段がついたりすると、うれしかったよなぁ。まあその逆もあるんだけどな。あんなもんは、海苔が好きでないと出来ん仕事だよ。」
(休みと楽しみ)
「今でこそ、九州なんか近いけど、あの頃は名古屋まで列車で行ってから、寝台に乗り換えて、途中で一泊しなけりゃだめだった。途中から新幹線が博多までいっつら。あれでずいぶんと楽になったなぁ。まあ、行ったらさ、正月も帰ってくることもあったけど、たいがいずっとだな。入札が終わると4~5日くらいは暇になるさ。そんなときは、近くにあった立願寺温泉(玉名温泉)に2泊くらいで泊まって来いなんていわれて行ったりしたな。休みが短い時にゃ、海苔の養殖の指導に使ってる漁協の船で沖に出て、ボラ釣りをしたりしたなぁ。疑似餌を使ってな、よく釣れるだよ。宿舎はさ、漁協の中にあってさ、1部屋に4人で住んでたな。まあ飯場より少し待遇のいい感じだな。食事は、海のものが多かった。『くつぞこ』ちゅう魚があっただよ。ちょっとヒラメに似たようなもんでさ。あの煮つけはうまかったよ。あとは、ムツゴロウとかタチウオとか食べたな。」
と話してくださったのは、30年検査員をされていた神戸の小林賢三さん(76)。富士見と海苔にこんな結びつきがあるとは思いませんでした。取材の中で「最初の頃はいい品物が出てただ。後のほうになったら、だんだん品質が悪くなってきてたよ。ありゃ~水が汚れてきたちゅうこんだと思うよ」という言葉が印象に残りました。
「昔から、ここいらは冬の間は百姓出来ないから。出稼ぎちゅうかそういうことに出かける衆が多かっただよね。海苔っちゅうのは、今は11月頃から採り始めるんだけど、昔は12月ころからかなぁ。そんで、3月には終わるんだよ。春から秋の間は育てるもんで、そんなに仕事があるわけじゃねえ。そんで、ここらの仕事の具合とちょうど合うもんで、若い女衆は干し子っていって生産するところへ稼ぎに行って、男衆は買ったり売ったりの仕事、そうだなぁ問屋みたいなところへ、結構大勢行ってただよ。九州から、千葉から、瀬戸内やら四国やらあちこちだよね。そけえ行ってた人が、お前も来るか、みたいに手引きでね、引っ張ってくれて、そんで、そけえ行くような感じだった。」
(海苔の検査)
「そのうちにさ、九州の方では、海苔の入札と検査制度ちゅうのが出来てきたから、検査員が必要になったさ。そんで、行くようになったね。28歳くらいだったかな、九州の大牟田ちゅうところ、そうそう有明海のな。諏訪から来てる人は多かったぞ。なんかの大会で集まった時にゃ100人はいたぞ。そこでさ、海苔ちゅうのは10枚で束になって1帖、それを10束結束して10帖単位で、取引するだよ。それで、1ヶ月に2回入札があってさ。入札の前になると、生産者が漁協に検査にもって来るさ。それを一束一束、色と艶と、穴があいてないかどうか、四角に出来てるかどうかなんかを検査したってわけさ。途中から金属探知機なんかも使ったよ。だいたい入札の1週間前くらいから、持ち込んでくるんだけど、やっぱ間際が多くてさ。たいがい入札の前日は、検査してるうちに新聞配達がめぐってくるような、そんな感じだったさ。でもさ、自分が検査したものが、入札で予想外のいい値段がついたりすると、うれしかったよなぁ。まあその逆もあるんだけどな。あんなもんは、海苔が好きでないと出来ん仕事だよ。」
(休みと楽しみ)
「今でこそ、九州なんか近いけど、あの頃は名古屋まで列車で行ってから、寝台に乗り換えて、途中で一泊しなけりゃだめだった。途中から新幹線が博多までいっつら。あれでずいぶんと楽になったなぁ。まあ、行ったらさ、正月も帰ってくることもあったけど、たいがいずっとだな。入札が終わると4~5日くらいは暇になるさ。そんなときは、近くにあった立願寺温泉(玉名温泉)に2泊くらいで泊まって来いなんていわれて行ったりしたな。休みが短い時にゃ、海苔の養殖の指導に使ってる漁協の船で沖に出て、ボラ釣りをしたりしたなぁ。疑似餌を使ってな、よく釣れるだよ。宿舎はさ、漁協の中にあってさ、1部屋に4人で住んでたな。まあ飯場より少し待遇のいい感じだな。食事は、海のものが多かった。『くつぞこ』ちゅう魚があっただよ。ちょっとヒラメに似たようなもんでさ。あの煮つけはうまかったよ。あとは、ムツゴロウとかタチウオとか食べたな。」
と話してくださったのは、30年検査員をされていた神戸の小林賢三さん(76)。富士見と海苔にこんな結びつきがあるとは思いませんでした。取材の中で「最初の頃はいい品物が出てただ。後のほうになったら、だんだん品質が悪くなってきてたよ。ありゃ~水が汚れてきたちゅうこんだと思うよ」という言葉が印象に残りました。