じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
聞き書きした記録です
ほぼ一ヶ月に一回の更新です

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

池袋の瀬戸講

2006-01-15 11:57:24 | Weblog
(瀬戸講)
「瀬戸講というのはこないだやった。あのね、前はたぶん年があけて最初の午の日にやったと思うだよな。ここの場合はね、昔の人はたぶんわかってたと思うけんど、瀬戸講をなんのためにやってたか知らなんだだよ。瀬戸講ってどういうもんでぇって言いながら、毎年ずーっとやってただよ。区には、やめちゃいけねえっていう行事がいくつかあって、瀬戸講はそのひとつで、まあ起きた頃は違ったんだが、区で行事をやってたちゅうわけだ。今は老人クラブに委託してやってるだがな。今はなぁ、集まって般若心経を3回唱えて、そしてまあ、あと、みんなでな、おごっそう作って、飲んだり食ったりするだ。区長さまはくるが、参加するんは、老人会の衆ばっかりだ。」

(瀬戸講と山梨)
「そいで、まあ、そういうじゃいけねえってことで、だんだんいろいろ調べたわけだ。葛窪でねぇ、ちょいとこうやっている部分があって、そいで聞いたら、今はやってねえけんど、どこの家とどこの家でやってるちゅうことがわかっただよ。みんなで金を出し合って、講を作ってそこへ行ったと思うだよ。そいで、その瀬戸なるものが、どこかがわからんで葛窪へ行ってみたら、山梨だっちゅうわけだ。北杜市の高根の蔵原にあるということで、訪ねて行ったっちゅうわけだ。そこにお寺があって、行事は昔は馬の安全だったと。そのうち、だんだん馬が無くなってきて、牛になって、そいで、今は交通安全でやってるって。今は2月に祭りをやるとかで、坊さんはさ、食ってけねえから役場に勤めてるとか言ってたぞ。まあ、葛窪の衆はそこに行ってたわけだ。
そうこうするうちにな、高森にも、瀬戸講をやってたというとこがあってな、小柳橋のたもとにこれっくれいの碑があるだよ。そこにはね、“甲斐瀬戸観世音”って彫ってあるだよ。そんで、葛窪の加々美さんって言う人が、山梨の下部にあるって言うだよ。早速行ってみた。山梨の身延町の下部に、瀬戸って言う山の中の小せえ部落があって、そこのお寺が瀬戸観音ちゅうだ。昔はね、講を作って行くぐれいだから、結構盛んだったようだ。最初は本栖湖だかあそこらへんにあって、そこじゃだめで、下部に移ったそうだ。ここらの衆は、そこへ移ってからの話ちゅうこんだ。」

(富蔵山と瀬戸観音)
「馬のお祭りは、明治の初めのころに、瀬戸講から富蔵講に移っちゃっただよ。筑北村に(昔の本城村、坂北村)富蔵山ちゅうのがあって、本城側にひとつ、坂北側にひとつそれぞれ天台宗と曹洞宗の富蔵さまがあってな、こないだ見に行ってきただが・・・。新たに作った富蔵講は、お墓のところに富蔵さまを祀って、そこでお祭りをやっただ。これは、おらとも覚えてる。富蔵さまは、いつだかはっきりわからんが、そのうち自然消滅的に無くなっただな。瀬戸講だけはどういうわけか、残っただ。瀬戸講の碑はねえじゃねえかと思ってたんだが、墓地の中に寛政年間に立てられた観音様があってな。頭に馬が描いてあるのに最近気がついただ。あれが、瀬戸講の観音様じゃねえかと思ってるだ。」
お話は、池袋の武藤さんからうかがった。“講”もいろいろ流行り廃りがあるようだが、ここでも、身延(旧下部町)とつながった。前号で取り上げた馬の話でもある。この下部の瀬戸観音にも行ってみたいような気分になった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加