じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
聞き書きした記録です
ほぼ一ヶ月に一回の更新です

子どもの遊び

2009-04-01 17:09:01 | Weblog
(学校と道草)
 「学校の休み時間には、『なわとび』を廊下でよくやったよ。着物の帯をほどいて、帯の上を飛ぶですよ。その帯をだんだん高くして。 今の高飛びみたいなもんですねぇ。 帯をほどいた子はどんなにしてたかねぇ・・・まあおてんばってこんだね。 学校の帰りには道草して、桑の、木の実を『ずみ』って言うだけど、それを取って食べたり、それぞれの家にある『すもも』や『すぐり』や『柿』なんかを取って食べたりしたね。おやつなんかもあるにはあったが、『米炒り』『豆炒り』『おやき』なんかを食べましたね。今のお菓子みたいなもんは、ほとんど食べたことはなくて、1年に2~3度、村のお祭りに買ったくらいだねぇ。親戚にお使いに行ったときにもらったお駄賃をためといて買ったもんでした。」

(家の手伝い)
 「そいで、家に帰ってくると、ほとんどが農家でしたから、うちの手伝いはしましたよ。小学校も5~6年になると、夏休みなんかは今の子供と違って、お蚕の桑つみとか、妹や弟の子守り、畑の草取りなんかをやりましたよ。 『馬ねぐり』って言って、馬に荷物をつけて、畑と家を行ったりきたりするんですが、そんなことも手伝いました。 秋は秋で取り入れ休みがあって、稲刈りの手伝いもしましたよ。それ以外の農繁期にも、学校を休んで家の手伝いをしてる子もありましたよ。 手伝いの合間にね、宿題なんかはやるんです。」

(子供の遊び)
 「家のお手伝いが終わると、今のようにおもちゃなんてのがない時代だから、余りぎれをもらって、お手玉を作ってもらったり、自分で作ったりして、遊びましたね。お手玉の中身は小豆だったり、いい音がするなんていって、じゅず玉なんかを使ったね。 それとよく『きしゃご』って言うんだけど、ガラスでできたおはじきだね。それを貝殻で拾って、数を数えて、たくさん拾った人が勝ちなんてのもよくやった。おはじきはどっかでか買ってきたんでねぇ。 それと、藤の花が咲いて、実ができるでしょ。あれをおはじきの代わりに使ったりもしてね。冬になると、よ~く原山様に取りに行ったよ。雪の上に藤の実が落ちてて、それを拾っておはじきの代わりにしてたねぇ。」

(お祭りのにぎわい)
 「原山様って言えば、お祭りなんかには出店がいっぱい出てねぇ。その頃はビニールの袋なんてないから、お店で新聞紙の袋を作って、そけぇ、飴玉なんかぁ入れてくれたねぇ。アイスクリームは、1杯3銭、2杯で5銭。三角のこびとの帽子みたいなのに入れて売ってたね。もうちょっとお小遣いのある人は、ガラスのコップに入ったイチゴ水とか、そういうのを飲んでましたね。」
 「確か、15銭くれぇだったかな。そんなときは、見世物小屋も出てね。私ら子供にはあんまり縁がなかって、中に入ったことはないけどね。ちょっと今で言うと、体が不自由っていうか、そんな人がねぇ芸をやったなんて聞いてるけど、見たこたぁない。それで、あそこの原山の原で、草競馬ってのが、やっぱ盛大にあって、人気があったね。ここらで趣味のある人が、出ててねぇ。そりゃぁお弁当もって持っていっちゃぁ見物してたね。 帰りに優勝旗なんか担いでいたのを見たことあるよ。その後、学校を出て青年団の頃に原山様に行ったら、競馬したとこが畑になってたねぇ。」

 ほんとに懐かしそうに話されていた立沢のおばあさん。今のような便利な物がなんにもなかった時代に、何でも工夫してすごしていたことを、少しでも今の子供たちに伝えたいという言葉が印象に残りました。


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