カエルが楽しく笑う庭

両生類を主体として彼等を取り巻く都会の自然環境と、投稿者のつれづれなる思い

<big>「かえる友の会」秋祭り</big>

2013-10-31 14:01:06 | 日本のカエル
☆去る10月20日(日)浅草橋で行われました


Dsc_2057_1Dsc_2059_2Dsc_2061_3「かえるアートの会」の仕掛人である田村風來門氏は「かえる友の会」より依頼を受けて講演をしました。

「かえるアート」について異色で素晴らしい講演でした。

ご自身と「かえるアートの会」参加者作品を掲示説明しながらの分りやすくて興味深い説明でした。

土砂降りの日でしたが、多くの会員参加で盛況でした。




Dsc_2065_4Dsc_2066_5_3Dsc_2083_6_4会員さんの手になる蛙を主体にした色々な作品が販売されていました。

あっと驚く作品が盛り沢山ありました。

「かえる友の会」は幕末に活躍した浮世絵師「河鍋曉齋」の作品と博物館が元になっています。

曉齋画伯は幼少の頃から蛙を愛し、多くのカエル絵を描きました。

かえる絵を描いて彼の右に出る浮世絵師は、世界中を探しても一人も居ません。

彼(=かわなべ/きょうさい)は、日本が生んだ天才的なカエル繪師です。

田村風來門(たむら/かぜらいもん)挿し絵師は、小学生二人を交えた希望者にカエルの描き方を丁寧に指導して講演を終わりました。


<big>東京浅草橋、神田川沿い風景</big>

2013-10-20 19:47:25 | インポート
☆折からの土砂降りに濡れた下町風情を堪能しました


Dsc_2092Dsc_2091Dsc_2095神田川沿いに数軒の船宿があります。

川面に、数隻の屋形船が留められてありました。

私は東京に生まれ育ちながら此処を見るのは初めてです。

どの宿も昔の江戸の下町情緒を残しています。

この辺り周辺は、私とは切っても切れない縁のある界隈です。





Dsc_2099_2Dsc_2100_7Dsc_2101もう一軒の船宿さんです。仕出し屋さんも兼ねているのでしょうか?

詳しいことは分りません。

浅草橋の橋の上に立つと、真っ直ぐ先に「柳橋」が見えました。

私の曾曾祖父の後妻が、かっては「柳橋の芸者」だったという話を父親から聞かされたことがあります。

96歳で亡くなった父の妹が子供の頃、同居していた芸伎「みち」さんにせがむと、上手に三味線を弾いてくれたと私に言ったことがあります。

旗本で常火消しだった寡夫の曾曾祖父に、どんな縁で嫁いだのか私には知る由もありません。

が、故あって祖父と「みちさん」に育てられた私の祖父の、漢学者・書道家としての雅号は「柳堂」でした。

そして、祖父が生まれたのは江戸尾張藩の牛込柳町の近くでした。

父方の祖父の兄弟は妹一人だけで、長じて結婚し名古屋に行きました。

二人は幼くして母を亡くし、御維新のとき父親は将軍に従いて駿府ヘ行っていたあいだ、幕府から下賜された下屋敷を官軍に乗っ取られて全てを失ったとか。

曾曾祖父は柳橋の芸妓上がりの妻「みち」さんと孫二人を連れて、浅草田圃に移り住みました。

祖父の雅号の由来を父にも叔母にも聞きそびれましたが、今日やっと謎が解けました。

二・三百坪あった、という敷地と屋敷を「ここが、お父さんの生まれた所だ」と、当時の本所林町の住まいから長男である私の父を連れて案内して見せたといいます。父は「庭に築山が在る立派な武家屋敷だった」と昭和44年12月はじめ今はの際(きわ)に私に言い残しました。

世が世であれば、私の祖父=幼名、兼太郎=は広大な下屋敷が在った牛込柳町で育ったのです。

祖父の追憶にある柳町と育てて呉れた義母に縁(ゆかり)が深い柳橋の一字から、「柳堂」と名乗ったに違いありません。

他に事由は考えられません、から。

東京オリンピックで一変したという神田川辺りに飛び飛びに植えられいる柳を見て、厭でも父と祖父のことが思い出された驟雨の中の浅草橋紀行でした。



<big>第二回かえるアート文化祭・最終篇</big>

2013-10-17 20:18:14 | 東京風物
☆個性的な生産者に個性的な顧客さん達


Dsc_2031_2Dsc_2024Dsc_2022Dsc_2034Dsc_2035*     *     *
他では見られない風景がありました。

黒板に紙の花を使ってカエルさんの絵が作られてありました。

小学生の豆画伯が二人参加していたのですが、母親を交ぜて御互いに親しく交流していたようです。

いいですねぇ。とても微笑ましい光景でした。

会場の裏口風景です。

最後は、夕闇近い旧小学校の入り口です。



<big>第二回かえるアート文化祭・其の二</big>

2013-10-16 13:14:03 | インポート
☆「かえるアート人(びと)=出来立ての私造語です)は今迄に無い民芸品を創る


Dsc_2015_3Dsc_2014Dsc_2023Dsc_2016Dsc_2018_4*     *     *
将棋の駒両面に蛙の姿を彫った根付けを売る駒オジサンです。堅牢な作品同様、優しくて真面目そうな方です。固い素材に、様々な蛙の繪が彫られています。

机の上の商品が品薄なのは、今回も売れ筋一番のガマグチ屋さんです。センスの良い袋物に、夢のある絵を描く若いお母さんでもあります。

緑色のハンチングは帽子屋さんの手になる本格派です。被り心地が良いのか、お喋りに余念がありません。

脚がきれいで背が高い女性に目を奪われました。実は女装した若い男の子で、横に並んだ男性より上背でした。




<big>東京中野での「第二回かえるアート文化祭」・其の一</big>

2013-10-15 04:13:18 | 美しい生きもの達
☆カエルづくしの品々がドッサリありました


Dsc_2033Dsc_2029Dsc_2012Dsc_2013_3Dsc_2007_2*     *      *東京都中野区の旧桃が丘小学校が会場でした。

「かえるアート」の造語と会の発案者である田村風來門さんは、「かえるアート」という雑誌を発行しています。

彼は挿し絵画家で、この時は別室で挿し絵を指導中でした。

自分が創った商品を販売中の美女が出迎えてくれました。

別の美女は、何やら瞑想中のようでした。

笑顔が憎めない男性は、ほのぼのとした挿し絵を描く小振りの巨漢です。

小学生二人を含めて20数人になる参加者達は......。そうです、そうです。

みんな才能のある個性的な人間集団「かえるアート族(私の造語)」です。









<big>私のペット</big>

2013-10-12 19:32:17 | 野性生物
☆庭にカエルさん、お地蔵さまの御堂にヤモリ君、朝昼夕に来るスズメちゃん、他


Dsc_1995_4Dsc_19971011_6_2部屋飼いネコ三匹です。

少し涼しくなったので、三匹は身を寄せ合っています。

茶色はチャ子♀、黒色はコッコ♂、奥にいて足が見える鼠色はブシ♂です。

チャ子には左目がありません。生後半年で摘出手術を受け、瞼を縫い合わされています。

野良ネコとして生きて行くのは難儀でしょう、と友人との相談結果で私が引き取ることになりました。

私に全然なついていません。人間に心を閉ざしています。我が家の一室に来てから五年にもなるのに。

今年うまれのカエルの妖ちゃんが古いレンガの上に居ます。

中ぐらいの大きさの蛤から、少しだけ大きな寸法です。





<big>ペット</big>

2013-10-11 07:13:18 | 東京都豊島区池袋
☆目に入れても痛くない飼い犬


Dsc_1983_2Dsc_1990_2Dsc_1986毎朝6時半すぎ、我が家の脇を愛犬家たちが集団で通ります。

飼い主さん達が予め決めた場所に落ち合ってから、町内を一周するのです。

昨朝はチワワのシナモン君5歳が集合前に私に顔を見せました。

飼い主さんと初めて立ち話をして、シナモン君との愉しい日々のアレコレを伺いました。

飼い始めて5年。性格が飛び切りに善いシナモン君なしの生活は、最早もう考えられないそうです。

ペットの人間に対する貢献度って、途方もなく甚大ですね。






<big>お早う、スズメさん</big>

2013-10-08 20:38:05 | インポート
☆かわいい訪問客


Dsc_19545_3Dsc_1679_2スズメさん達は群れで行動しています。

いつもは7・8羽でやって来ますが、昨日は11羽を越えた大群でした。

隣家の屋根に並んで、私が玄関から出るのを待っています。

チチチチと愛らしい声で餌をねだります。

私宅は角家なので、道を隔てた隣家二軒から挟み撃ちに見張られています。

少しぐらいの雨風を物ともせず、餌を貰いにやって来ます。



<big>キンモクセイが香る</big>

2013-10-07 20:01:13 | 自然風景
☆京都洛北には「キンモクセイ道」があります


Dsc_1956_2Dsc_1961いま東京都豊島区の彼方此方で、自然のキンモクセイの芳香が鼻に届きます。

香りが先に来て、見回しますと近くに花木がある、という順序です。

写真は自然を建前にしている某公園のキンモクセイの大木です。

1993年から4年間住んだ京都洛北で、自転車で走ると香りが繋がる道がありました。

歩行ですと途切れるのでしょうが、自転車で通ると香りが連続します。

忘れられない「キンモクセイ道」でした。

キンモクセイは江戸時代に中国から渡来したとか。中国大陸に近かった京都に逸早く広まったのでしょう。

今日、夕暮れ時の西の空にキンモクセイの花のような雲が広がっていました。

地上にも天空にも、キンモクセイが真っ盛りの秋たけなわです。



<big>子守地蔵尊と蛾</big>

2013-10-06 19:25:26 | 自然風景
☆夕べ居た蛾は今朝も同じ所に


Dsc_1947Dsc_1948_8三日前に近所の家から頂いた、百合が咲き誇っています。

お地蔵様と百合の取り合わせは悪かろうと良かろうと、百合は美しく私の好きな花です。

通り掛かりの人々から「きれいですね」とか「好い匂い」などと声を掛けられます。

昨夜のこと、お地蔵様の御袈裟の裾に蛾がとまっているのを見掛けました。

今朝もとまっていました。じっと動かないまま。

カタツムリも、べったりしたオカシな姿勢でいます。

二匹とも、お地蔵様の膝元で夜を明かしたみたいです。眠っているような様子でした。

お地蔵様の御堂の中なので、さぞかし熟睡できたことでしょう。





<big>御神輿が町内を行く</big>

2013-10-04 03:02:08 | 東京都豊島区池袋
☆御神輿を追っかけ

Dsc_1879Dsc_1880Dsc_1890_9Dsc_1893_2氏神様に大切に保管されている我が町の御神輿が、町内を回って下さる時間帯になりました。

御神輿は町会模様柄の法被を羽織った男衆に担がれて、我が家の植込みと木塀の前を通って行かれました。

担ぎ手が先の右角を曲がるとき、御神輿の鳳凰が夕刻の西日を受けて金色(こんじき)色に輝きました。

私は、「御神輿って、いいなあ~」とシミジミ感じました。

それで、角の左側に立つビルの階段を急いで登りました。撮った写真に、御神輿が小さく写っています。

担ぎ手の予備軍たちが御神輿の後に従って行きます。薄青色の法被を羽織った男衆達です。

地上に降りたとき、御神輿が行って仕舞った方向に急いで駆けて行く近隣の親子さんがありました。

私は、御神輿が、氏神様の御祭りが、大好きになりました。

「来年は町会の法被を借りて、鉢巻きをして、足袋を履いて、カメラ持参で朝から日暮れまで、御神輿に密着しよう!」と心に決めました。

私は、御祭り好きな人々の気持ちが、よ~く分るようになったのでしょうか。







<big>わが町の秋祭りを愛す</big>

2013-10-02 05:08:24 | 東京風物
☆御祭りに参加しない、御祭りを観ない、のは勿体ない!


Dsc_1812Dsc_1813_5Dsc_1814_3Dsc_1815Dsc_1816
Dsc_1817_3Dsc_1851_2Dsc_1822Dsc_1824Dsc_1831*     *     *     *     *
老いも、若きも、幼きも、金色に輝く御神輿を担いだり、触ったり、崇めたりした一日でした。

御祭り好き、御神輿好き、の人々にとっては絶好の秋晴れ日でした。

地元の御祭りを軽蔑していた私の若い頃とは打って変わって、御神輿を追っかけしたい現在心境の私がいます。

町会によって異なる印半纏(しるしばんてん)を、腰につけた巾着を、肩から下げた巾着袋を、普段は見られない男性達の脚を、幼い子供達の装いと動作を、じっくりと誰に憚ることなく見放題なのは実に愉しい。

日本人には法被(はっぴ)と鉢巻きがよく似合うものだ、と感心しっぱなしの一日でした。