カエルが楽しく笑う庭

両生類を主体として彼等を取り巻く都会の自然環境と、投稿者のつれづれなる思い

<big>今日の我が家の猫ども</big>

2011-12-30 21:21:08 | 前は野良、今は内猫
☆今日も日向ぼっこ! 羨ましい!

Imgp0009_16Imgp0012_2Imgp00161412_3南向きの腰窓から入る午前中の陽を背中に受けながら微睡(まどろ)むチャ子です。

行李に入って寝ているコッコの隣でも眠たそう。

ブシお気に入りの西向きの掃き出し窓近く、古桐たんすと古本棚の上に斜めに渡した板上の羊毛敷物の上でスヤスヤ。ここは西向きで、午後に陽が当たります。

数少ない部屋のうち最上の部屋をネコちゃん達に提供した私。

彼等は幽閉の身の上ですから、この位の待遇は当然と云えば当然。冬は暖かく夏は風通し良い部屋はネコ部屋なのです。

ネコちゃん達と付き合い始めて4年になります。年長の武士兵衛♂は来春には5歳、黒兵衛♂と茶子兵衛は4歳。

子供時代には小鳥だけで犬もネコも飼って貰えなかったのに、状況が変わって斯くの如し。

吊り上がった愛くるしい目と白い髭と猫毛に覆われた全身を見る度に「お前はネコなのね!」と気づかされて話しかけます。

三匹が年末の挨拶を私に申し述べましたので、読者の皆様に伝えます。

『僕は年長のブシベエ。蛙オバサンが毎日よく面倒を見てくれる。此処の家に棲むことになって、もう4年。行動範囲は自由自在と云う訳にいかないけれど、衣・食・住は保証されているので安心。オバサンは絶対に怒らないのが嬉しい。来年も弟のクロベエや妹のチャ子ベエと仲好く生きるぞ! 又ちょくちょくブログを覗いて下さいね。宜しく御願い致します。皆様よい御年をどうぞ! カエルおばさん家のネコを代表して、武士兵衛 拝』




<big>池袋西口側のX'mas Tree あれこれ</big>

2011-12-27 21:11:38 | 東京都豊島区池袋
☆王様は矢っぱり立教でした


Imgp0001_2Imgp0039_3Imgp0061_24Imgp0062_4Imgp0064v_4最初のは近隣のX'mas Tree です。普通の杉の木に飾られています。

これでも美しくて楽しくて、我が家のネコ「ブシ」のお気に入り。毎晩、ネコ部屋の窓から熱心に見ています。

一方、立教のは高さが25メートルで、木の先端に大きな電球が付いているのが決まり! 後ろの窓の形がいいですね。

大学近くの結婚式場。昔は「白雲閣」といいました。名を変えて、色々な集会に使われています。

バス通りに在る名刺さんと花屋さん。夜の花屋さんって、キレイ!

名刺屋の店長さんとは私と顔馴染です。年末で多忙を極めてますが、頼みもしないのに、Vサインをしてくれました。


<big>お茶目な豪州人の友だち=Nigel(本物の目は青色) </big>

2011-12-25 19:05:22 | Season's Greetings
☆今年の彼の挨拶は短く、写真が面白いので私のブログで紹介したくなりました


MERRY CHRISTMAS & HAPPY NEW YEAR 2012

Dear friends,

Despite the mad rush that year's end inevitably brings, it is the one chance in the year that we get to communicate with many of our friends, and it is always a great pleasure hearing back from those who find the time to write. We are all well here. I trust this E-mail finds you well.

Wishing you all the very best in
Love, Peace, Health and Happiness
Nigel, Yoko & Sean

Photo 1: Another year, another milestone - I turned 60 in January. In Japan sixty is a very auspicious age, as one has completed a full cycle, traversing the 12 animal years of the Chinese zodiac through each of the five elements. It’s called Kanreki (還暦) in Japanese and one has to wear something red - hence the strange attire Yoko has draped me in.
Photo 2: I deliberated on how best to celebrate my sixtieth. Eventually I opted to jump out of a plane at 4.3km (14,000 feet).

P1040530Nigall1_069私のブログ読者達は教養ある方々なので、敢えて英文のまま提示いたします。

Nigel は私の古くからの友人です。

humour とwit に富み知識豊かな教養人であり、好奇心旺盛なathlete でもあります。

彼を友人に持っていることは、私の誇りです。

空気圧は頬の筋肉をも押し上げるのですね。空中で屈託なく笑いながら両手でV sign するNigel は、いかにも彼らしい。

(このSeason's Greetings は100 人を超える彼の友人達に送られている筈です)




<big>池袋にあるヒマラヤ杉の CHRISTMAS TREE -後編-</big>

2011-12-24 21:23:45 | 東京都豊島区池袋
☆私が登ったのはヒマラヤ杉の後ろの銀杏の木でした


Imgp0009_1Imgp0036_2Imgp0024_3今夕5時過ぎにカメラ持参で立教大学へ行きました。夜、暗くなってから行くのは初めて。写真機を持参で行くのも初めて。電球で飾られたヒマラヤ杉の夜景を観るのは二度目です。

私は今まで、飛んでもない記憶違いをしていたことを発見。私が半世紀近く前に登ったのは、銀杏の木だったのです。

地上に一番近い枝振りを正確に覚えています。忘れられない其の枝振りを持つ木は正門の左杉の後ろの木でした。

地上から一番近い枝に手が届くには、地上の友人の助けが必要でした。坂上がりのような姿勢で枝に辿りつきました。

銀杏の木は登り易く、葉は、そう茂っていませんでしたから早春時だったのでしょう。

兎に角、木のテッペンまで登ったのは私一人。友人は怖れをなして途中で棄権しました。

登ったのは一回きり。木の高さは優に10メートルを超えていました。今では15メートル位です。

私は当時チビで軽量。背が高くなりたくて柔軟体操に励んでいました。前屈と開脚が得意でした。

木登りには打ってつけの条件を備えていました。

学舎規模・在校生徒数が更に増大している名門校の入り口に今も聳える大木のテッペンまで登ったことがある、という経験を私は秘かに誇りとしています。

高層建築が見当たらなかった頃の眺めは、それはそれは雄大でした。下を見ずに遠くだけを見ていたので、ひとつも怖くありませんでした。

木登りは米国人の少女から教わったことが切っ掛けで、其のころ熱中していました。

下から見上げて登り易そうか登りにくそうか見定めるのが習慣でした。立教境内に植わっていた木で登りやすそうな木は殆ど制覇しました。

中学生の時の昼休み時間は女子達が部屋に居るのを尻目に、男子生徒と活発だった唯一の女子級友と一緒に校庭の木登りを楽しんでいました。

私が銀杏の大木を登りつめた快挙を知っているのは牛乳屋の娘さんだった友人だけです。年頃になって彼女はドイツ系米国人と結婚して渡米し、そのご行方が知れません。

私たち少女が遊んだ境内は当時は殆ど整備されていませんでした。塀のそばには落ち葉や枯れ枝が山積していました。それを掻き集めて中に潜って隠れたりして野生児感を味うことに没頭しました。

梅雨時の紫陽花は赤い煉瓦色に映えて、この世とは思えないほどの美しさでした。

西洋館に住んでいた外国の子供達と毎日のように遊んでいた日本人の子供達の行動は、学校側から全く咎められることはありませんでした。

都心に居ながら自然に恵まれた少女時代を過ごせたことを、いま天地神明に感謝しています。



















<big>池袋にあるヒマラヤ杉の CHRISTMAS TREE -中編-</big>

2011-12-23 02:51:37 | 東京都豊島区池袋
☆立教大学構内は私が西洋文化と遭遇した場所でした

Imgp0010_8Imgp0024_chapell_2Imgp0020私が小学校6年生の時、我が家は東京都中野区から池袋へ引っ越して来ました。
牛乳屋さんの娘さんだった同級生と仲好くなり、西洋文化に憧れていた彼女と毎日のように立教大学構内で遊びました。大学構内に五棟あった白塗りの正葺き壁の西洋館に住む米国人家族の子供達が遊び仲間でした。

Imgp0012_2Imgp0025_19Imgp0018_61今も残っている重厚な西洋館を前と横から写しました。暖炉が二つもあり屋根裏部屋もある大邸宅 =mansion =館(やかた)です。

似ても似つかない安普請の建物をマンションと呼ぶ事が、私は今も出来ません。子供時代に本物を見ていたからです。
この家に住んでいた全員が赤毛だった外国人家族の出入りは、西洋の絵巻物を見るような眺めでした。

立教通りに面した館の入り口角に見事な桜の木が一本ありました。青空でも花曇り空でも映える此の櫻木に、私は子供心に強烈な美意識を植え付けられました。けれども残念なことに、いつの間にか根こそぎ無くなり、今はもう私の心の中にしか残っていません。

懐かしい想い出のチャペル!私は此の美しいチャペルの日曜学校に通っていました。考えましたら私は何と贅沢な環境に恵まれていたのでしょうか!

暫く振りに、遠い昔に勝手知ったる我が家の庭のようだった境内を、ぐるりと一回りして、規模が大きくなり、学生数が増大したことを知りました。

新学舎の壁をrock climbing 用に設えた見事な構想! 西日が当たって暖かい中を若者が練習中でした。ついつい見とれていたのは私一人。

若者は高い所が好き。高所に辿り着く行程に挑戦することが好き。

立教大学正門に聳え、現在では自然の枝振りを剪定されて年末には光源玉を付けられている高さ25メートルのヒマラヤ杉。私は小学校6年生の或る日、向かって左側の大木のテッペンまで登ることに成功したのです。何と言うオテンバ少女だったのでしょうか!









<big>池袋にあるヒマラヤ杉の CHRISTMAS TREE -前編-</big>

2011-12-22 04:40:19 | 東京都豊島区池袋
☆杉は二本も在るのです


Imgp0003_3Imgp0007_3Imgp0009_9建学の精神 [編集]:(立教大学は自らを「自由の学府」と呼び、建学の精神を端的に表す言葉として各所で使用している。モットーは“Pro Deo et Patria”(ラテン語で、「神と世界のために」)

交通便利なJR池袋駅から徒歩で10分足らずの場所にある立教大学を、久し振りに訪ねました。

立教大学境内は、小学校6年から中学校前半時代の私の遊び場でした。家は此処から歩いて約6分。

物心ついてから初めて見る瀟洒な西洋風建築と異風な西洋館に取り囲まれた、私にとっては夢のような一隅でした。

戦争前に建てられた美しい建物と園庭で、多感な時代を過ごせたことを感慨深く想い出しています。

二枚目の写真はチャペルです。私が初めてキリスト教に出会った場所です。

荘厳なパイプオルガンの賛美歌を聴きながらステンドグラスの窓を見上げて、「あそこにイエス様がいる!」と少女は感じました。










<big>地元近場の寺院</big>

2011-12-20 02:47:06 | 東京都豊島区池袋
☆禅宗の黄檗宗(おうばくしゅう)寺院です

Imgp0011_2Imgp0009_2Imgp0008_2私が好きな日本伝統式石畳。石畳の行く着く先は御本堂です。

まるで、娑婆を過ぎたら誰でも彼岸に行って終うことを暗示しているかのよう。

時は秋。石畳の上に黄葉したモミジの葉が壱・弐枚。

行列が出来るラーメン屋さんから歩いて一分足らずの場所です。

外界から隠れるように、ひっそりと存在しています。

寛文年中(1661-1673)平石道樹老和尚を中興開基として関口(現在の東京都文京区内)に創立。大正3年(1914)小石川区関口町より巣鴨村大字池袋字丸山1605へ移転。(豊島の寺院より)

今を遡ること約百年の此処辺りは武蔵野の面影宿る林野だったことでしょう。当世の俗化した都市からは想像しがたいことです。

落ち着いた日本建築の佇まいに触れたいときは、この寺院を訪れるのが私の贅沢な唯一の愉しみ。

御住職は物識り・訳知りで解脱していて面白い方。寺院内に棲息するカエル達に辟易しているけど保護もして居られます。

大賀博士の古代蓮と赤い和金魚を丹精込めて育てて居られる風流人。私と話が合う笑談は楽しい。

黄檗宗のことを調べていましたら、以下のような法話が目に止まりました。

*秋田県 ・開得寺住職 新野建臣(御住職法話の一部です。無断借用を陳謝いたします)

ある日、知り合いがやってきて、幸せの「はひふへほ」を教えてくれました。ごくやさしいことばなので、すぐ覚えられました。

?幸せの「はひふへほ」は 


は 半分でいい?

ひ 人並みでいい

?ふ 普通でいい?

へ 平凡でいい?

ほ 程々でいい


何か生き方の心掛けを教えられる念いが致します。欲に際限がない現世での格好な処世術にもなりそう。




<big>行列ができる地元のラーメン屋さん</big>

2011-12-19 05:58:31 | 食べ物
☆営業時間は毎回毎日行列が



Imgp0003_2Imgp0004_212Imgp0006_2快晴で温かった12月15日の昼過ぎ、私宅近所お馴染みの行列です。

私は店内に入ったことがありません。普通のラーメンを20数年前から食べていないのです。

胃を患ったとき、大田区の隠れ名針灸師S氏の施術を月に一回定期的に受けました。氏の助言は次の通りでした。

1)ラーメン 2)ケーキ 3)ほうれん草 4)獣肉 5)過度に身体を冷やす嗜好品 など、を食べない事。

私の胃炎は未だ残っていて、未だに五箇条を最低限に守っています。

ラーメンは美味しい油と極上のウマミを兼ね備えた魅力的な食品ですね。特に、黄色いカンスイ入り麺は病み付きになりそうな味わい。

でも私は「人工添加物であるカンスイは胃の弱い人には良くない」、と行列を横目にして通り過ぎる習わしです。

(カンスイには天然のものがありますが、どうやって確かめられるのでしょうか? 難しいので確かめていません。)

たわわに実ったピラカンサス(ときわさんざし)の赤い実が美しく輝く屋根の上の白いものは、日向ぼっこをしている白ネコでした。

その向こうに聳え建つのは、数ヶ月前に完成した私には目障りな38階建ての高層住宅です。




<big>今年の紅葉は......</big>

2011-12-14 02:06:50 | 「カエル笑む庭」
☆例年に無く小規模です


Imgp0001_2_2Imgp0002_2冬・春・夏の気候状況に秋の紅葉振りが左右される落葉樹たち。

今年の「カエル笑む庭」女王株アオシダレ紅葉の残り葉は七分と云ったところ。今年は何故か葉数が少なく、葉の大きさも小さい。

それでも、太陽光線に映える残り葉は紛れもなく紅葉しています。

毎年毎年、春に芽を出し、夏には陽射しを遮り、秋には色を変えて、欲張りな人間共を一気一憂させる営みは、大仕事に違いありません。

アオシダレさん、今年も一年よくぞ頑張ってくれました。特に肥やしを上げていませんが。

やっぱり、お礼肥やしは必要なのですね。これから調べて適正な肥やしを探します。

せせこましい都心に居ながら、いつも大活躍してくれて、私の目を楽しませてくれて有り難う!


<big>Design Festa Gallery at Harajuku</big>

2011-12-12 22:07:22 | 写真家
☆写真を撮ることが好きな人々は「1210展」へ行った


Imgp0012_3_21Imgp0009_3_4Imgp0011_3_7江戸時代に穏田と呼ばれた界隈です。葛飾北斎の富岳三十六景に「穏田の水車」として、遠景富士を入れて描かれています。

現在名は原宿。JR原宿駅の竹下口を出て、賑わいのある商店街からは想像もできない一角が残っています。

地形に凹凸があって坂道が多く、今でも隠れるように存在する民家が多い場所です。江戸治安のために伊賀衆の組屋敷が置かれ伊賀者が住んでいた、という記録が頷ける一帯です。

Imgp0006_3_2Imgp0018_3_3512月10日に「1210展」が古くて新しい場所で催されました。

面白い写真展でした。好奇心をソソラレて、私はいつの間にか参加していました。年一回の催。主催者は将来性のある三十代男性。ここから新しい日本文化が芽生えて行く予感がします。

原宿へ出るのは実に28年振り。若者の銀座のような賑わいは結構なことですが、昔の風情が消えて行くことには一抹の哀しみを覚えます。



<big>12月7日に父の追善法要が営まれました</big>

2011-12-08 15:32:40 | 親の恩
☆昨日は温かな晴の日でした


Imgp0006威光山 法明寺(いこうさん ほうみょうじ)は東京都豊島区にある寺院。飛地境内に鬼子母神堂があることで有名。通師雑司が谷法縁の縁頭寺。
? 810年(弘仁元年)に威光寺という真言宗寺院として創建される。
? 1312年(正和元年)に日源上人が日蓮宗に改宗し、現在名に改称した。

鬼子母神堂
本尊:鬼子母神
中心となる堂宇。現在の社殿は1664年(寛文4年)の建立で、東京都指定有形文化財に指定されている。豪華な彫刻が施されている。現在は拝殿が入母屋造で、本殿が流造となっている変型の権現造となっているが、建てられた当初は相の間はなく、1700年(元禄13年)に付け加えられたものである。
               
           *         *         *

法明寺の歴代の過去帳は明治期以来の新しい物を除いて戦災で失われました。米国の空襲爆弾が、皮肉なことに法明寺の防空壕を直撃したとか。

我が家の家系図・過去帳も、関東大震災時に下町を焼き尽くした大火事の類焼で焼失しました。東京府本所区林町に在った家は、ひとたまりなく敷石だけを残して丸焼けになったそうです。

菩提寺の墓所だけが残って代々引き継がれて来ました。縁あって中野区から豊島区へ引っ越してきたとき私の父は、『だんだん冥土に近くなった!』と苦笑。

40歳以上も歳が離れた子供達が父の言う事を聞かないときには、『お父さんは、そのうち雑司ヶ谷だぞ!』と脅しました。

数十年経って、怖れていたことが現実のものとなった時の私の悲しみは途轍もなく大きくて、心労のため病気になりました。生前に『ワシが死んだら、お前が一番悲しむだろう』と言っていた通り、私は母と父を思い出しては涙に暮れていました。

父を思い出す度に落涙しなくなったのは、やっと最近のことです。

昨日は暫く振りに身内にも会い、親から頂いた恩の深さを改めて骨身に感じた一日でした。

写真は、菩提寺裏庭一角の冬枯れ風景です。




<big>「池袋の森」の「トンボ池」の「池さらい」?後編?</big>

2011-12-06 08:08:06 | 池袋の森
☆一日掛けて水を排出

Imgp0031_6Imgp0032_3Imgp0034Imgp0035_8昼食を済ませて再開した2時過ぎの後半作業です。

防水用の繋服なしで池に入れるようになりました。用事は未だ未だあります。

ザリガニ残党の捕獲とメダカの救出を助っ人達が、場所を移し変えて行っています。

Imgp0036_7Imgp0040_4Imgp0041_6Imgp0044_6池底が見えています。

ザリガニは逞しくシブトクて、捕獲数は159匹。躯の一部だけのは数に入れていません。

見馴れない魚が一匹。若しかしたら「おいかわ」。?はえ、はえじゃこ、じゃこ、ヤマベの類かも。

終尾の写真は、「池さらい」が一応完了した終園時間午後4時近くの「トンボ池」の全容です。直接作業に係わったのは総勢6名でした。他に撮影男性2名。

以上、順を追って纏めてみました動画風写真と説明です。

「トンボ池」の「池さらい」なのに肝腎のヤゴは一匹も発見されませんでした。十二の眼の懸命な捜査にも係わらず。

これでは、そう呼びたくありませんが「ザリガニ池」になってしまいます。

この時期のヤゴ達は強敵に補食されて仕舞ったのでしょうか? 専門家の御意見を伺いたいところです。



<big>「池袋の森」の「トンボ池」の「池さらい」-前編-</big>

2011-12-05 06:00:44 | 池袋の森
☆快適な池攫い日でした


Imgp0029_6Imgp0007Imgp0008_2_14Imgp0010_121994月29日、池袋駅北口から徒歩6分の場所に小さな公園が生まれました。

敷地約千五百平方メートル。所有者だった林学者・島田錦蔵夫人から約二千平方メートルあった所有地の三分の二を豊島区が買いました。錦蔵氏の祖父の代には、池袋の地名の通りに良い水に恵まれた此の場所で牧場を経営していたとか。Imgp0023_8Imgp0024Imgp0014「トンボ池」(此の名が付いた池は日本全国に五万とあります)は人造池です。底は厚手ゴムシートで出来ています。池の水は、注水時間を設定されたポンプで汲み上げる井戸水です。
池の中に完全装備した壮健男性二人が入って池の水を特殊なポンプで汲み出し、下水口へと誘導し始めました。
Imgp0025Imgp0018_3Imgp0019_2Imgp0027_4水深は日本人男性の膝ぐらいです。周囲の木々からの落ち葉の堆積は悪臭がします。自然池なら朽ちた葉は池底に還元されるのでしょうが、人工池の悲しさ。

おまけに誰が放ったのか? 外来種アメリカザリガニの被害は甚大です。雑食性・天敵なし・繁殖力旺盛・面白がって飼われ・飽きられて・邪魔になって、あちこちに捨てられて、分布圏を拡張する。

売れると言うだけで店頭販売する業者の良識の無さに呆れます。「池さらい」「底さらい」「かい堀」とは池の水を抜いて池底を天日にさらし?表面を乾燥させる作業のことだそうです。ザリガニ駆除のために行うのは、2007年(?)に始まって今回で三回目です。ザリガニは池に大切なトンボのヤゴ・カエルのオタマジャクシを食べるだけでなく、トンボの羽化に必要な植物(アサザほか)を挟みで切って駄目にしたり、悪さのし放題なのです。

ポンプで汲み上げられた泥水は池からの疎水に流され最後には下水溝に行きます。下水溝のステンレス製の細かい網の周りを、ポンプを持参して水に入って大活躍した「池袋の森を考える会」の同志会員であるMSさんが、重いシャベルを使ってキレイに掃除してくれました。あんな重いシャベルは、とてもとても並の日本人女性には使い切れません。

池底から引き上げられた落ち葉のヘドロは、大学生の助っ人二人と会員二人とでザリガニの残党発見とメダカ救助のため目を凝らして点検されました。

黄葉した銀杏の樹の向こうに豊島区ゴミ焼却炉の煙突が聳える公園に、池さらいを見学に来た小学生を交えた家族やら二人連れやら男性達の見学者が訪れました。陽が当たって気温が上がり、冬にしては暖かくて賑やかな池袋公園の一日でした。







<big>新しいもの好きネコちゃん達</big>

2011-12-03 19:36:02 | 都会に棲む猫
☆清潔な木綿カバーに入った毛布は気持ちいい!


Imgp2848Imgp285228_6Imgp2859Imgp2870二艘の古総桐箪笥上に渡してある古木梯子の上に設えた寝床で休んでいる茶子と黒子です。

チャ子は気の毒に片目さん。両目が揃っていたら、さぞかし別嬪さんだったでしょうに。

コッコはカメラの照明に弱くて的もに目が写りません。祖父の遺影と顔を突き合わせしています。

今日、或るバザーに行って清潔な純毛の古毛布を購入しました。友人の忠告に従って洗いざらしのガーゼ・カバーに入れて、竹の行李に敷いて、私手製の毛糸編物を掛けてやりました。

武士は大層気に入った様子でブーブーとかブツブツ言って喜んでくれました。この寛いだ姿を御覧ください。

ブシが、やっと此処から出たのを見計らって茶子が侵入しました。

可哀想に生涯開く事のない左目が、満足そうに見えます。