ウクライナは3方から、ロシア軍が侵攻し、間もなくキエフも落ちるだろうとの報である。似たようなニュースは、何度もあった。
1971年夏、学会で当時は鉄のカーテンの向こう側、ハンガリーに行った。ブダペストでホテル職員と知り合った。彼・コバッチ氏は安部公房の小説を読んでいて、声をかけたとのことである。英語は私よりプアだったが、いろいろ話をし、市内を半日案内してくれた。
対岸のゲレルトの丘の上に、自由の像がある(写真、絵はがきより)。ところが、彼は“これはソ連が立てたので、写真に撮る必要はない。下の像はハンガリーの勇士の像だから、これを撮ってくれ”との事だった。写真はコバッチ氏とその像である。
1954年、やや民主化に動いていたハンガリーに、ロシア軍が侵攻して潰した。ハンガリー動乱である。
ソ連圏だが、ソ連の好きな人は居ないとの彼の話だった。当時、英語を話す人はまれだった。店に入ると、ドイツ語、フランス語を話すかと聞かれる。次がロシア語だが、英語は対象外だった。2000年にブダペストへ行った。中心街の店では、どこでも英語が通じた。