〒の研究所で、複数の研究グループを統合した研究室に配属されました(昭和30年、1955)。通信理論、デジタル移動通信、テレビ、音声通信の研究を、新しい視点で行う研究室です。新人なので、今までの研究を学びました。
商用ではない、ブラウン管むき出しのテレビがありました。“これは何かわかるか“と言われ、「テレビでしょう」。それに対して、”これは雑音波形観測装置だ“とのことです。理由は、テレビ放送が始まったが、”官庁がテレビを買うのはけしからん“と国会で発言があったそうです。
それを受けて、研究用のテレビも購入できないため、苦肉の策でした。研究所としての認識はなく、官庁の1部門でした。要するに、会計担当者に、肝のある人が居なかったようです。
学生時代、オーディオにのめり込んでいたので、音声の研究を希望しました。しかし、実験で人手が足りないときは、テレビ・移動通信の研究を手伝いました。
商用ではない、ブラウン管むき出しのテレビがありました。“これは何かわかるか“と言われ、「テレビでしょう」。それに対して、”これは雑音波形観測装置だ“とのことです。理由は、テレビ放送が始まったが、”官庁がテレビを買うのはけしからん“と国会で発言があったそうです。
それを受けて、研究用のテレビも購入できないため、苦肉の策でした。研究所としての認識はなく、官庁の1部門でした。要するに、会計担当者に、肝のある人が居なかったようです。
学生時代、オーディオにのめり込んでいたので、音声の研究を希望しました。しかし、実験で人手が足りないときは、テレビ・移動通信の研究を手伝いました。