アフリカ、中近東で水や食料を求める人々の姿が放映されます。戦後、餓えを経験しましたが、日本は砂漠状態はありませんし、水では苦労しませんでした。
ただ、戦後は配給には欠配が多く、食料を求める苦労がありました。
昭和21年のことです。父が、蘇鉄の実と、蘇鉄の幹の髄を大量に貰ってきました。鹿児島では、蘇鉄の自生地はあちこちにあります。食用になるが、有毒です。すり下ろして、かすを除き、水にさらして上澄みの水を捨てます。これを何度も何度も繰り返し、沈殿したデンプンが“すいとん”になりました。大仕事でした。
かつて、辞書を調べたら、「蘇鉄の実や幹の髄は、飢饉のとき食用にした」とありました。まさにその通りです。今の辞書にどう載っているかを見たら、「・・は食用になるが、発ガン物質を含む」とありました。今の時代、食べる人があるかは知りません。発ガン性が記事になるのは、時代の差でしょう。
しかし、飢饉でしか食べないような蘇鉄の実や髄が、流通したのだから、やはり大変な食糧難の時代でした。これらを食べた経験のある人は、今どのくらい残っているでしょうか。
22年から、借りた畑でさつまいも(現地でカライモ)が作れたので、餓えだけはなくなりました。
写真は我が家にあった観賞用の蘇鉄です。これを見て、食べるものとは思えません。
http://seiwagarden.jugem.jp/
ただ、戦後は配給には欠配が多く、食料を求める苦労がありました。
昭和21年のことです。父が、蘇鉄の実と、蘇鉄の幹の髄を大量に貰ってきました。鹿児島では、蘇鉄の自生地はあちこちにあります。食用になるが、有毒です。すり下ろして、かすを除き、水にさらして上澄みの水を捨てます。これを何度も何度も繰り返し、沈殿したデンプンが“すいとん”になりました。大仕事でした。
かつて、辞書を調べたら、「蘇鉄の実や幹の髄は、飢饉のとき食用にした」とありました。まさにその通りです。今の辞書にどう載っているかを見たら、「・・は食用になるが、発ガン物質を含む」とありました。今の時代、食べる人があるかは知りません。発ガン性が記事になるのは、時代の差でしょう。
しかし、飢饉でしか食べないような蘇鉄の実や髄が、流通したのだから、やはり大変な食糧難の時代でした。これらを食べた経験のある人は、今どのくらい残っているでしょうか。
22年から、借りた畑でさつまいも(現地でカライモ)が作れたので、餓えだけはなくなりました。
写真は我が家にあった観賞用の蘇鉄です。これを見て、食べるものとは思えません。
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