スイングマンの外言

一日の終わりに、お酒を飲みタバコを吸うと、頭の中にいろんな事が浮かんで来ます。でも次の朝には忘れているので・・・・

小惑星(昭和臭せい)

2017-02-05 00:43:01 | 日記

セカンド達から、昭和だねえ古臭いねえと言われたので、(生前退位で平成もすぐに終わるよ、と言ってやりましたが)せめてタイトルだけでも近未来的にしてみました。先日テレビで、かつてのオーディオメーカーの技術者達が修理専門の工房を運営している番組を見ました、年齢は七十代と八十代、しかし腕はまったく落ちていませんねえ、全国から修理の依頼が続々と、修理を依頼するのは、私達年代の人たちが多かったですねえ、ポンコツから部品を取ったり、無ければ作ったり、何とかするんですねえ、思わず見ていてにやけてしまいました。 

そんな訳で、何十年ぶりでレコードを聴きました、きちんと動作するでしょうか? 何と、操作の仕方も忘れてましたわ、

 

何と言うか、忘れかけていた昭和ですねえ

 

 

 

 

針は流石、消耗したので確かリサイクルショップで見つけた物だと思います。

 

はらはらしながらも何とか動作してくれました、針の降りる瞬間思わず息をとめましたわ

 

純正のスピーカー、ウーハーコーンがボロボロになったので、後から買い足したスピーカーです。

若い頃、ローンまで組んでようやく買ったので、どうも捨てられません、カセットデッキもあったんですが、それは捨ててしまいました、当時の新製品ダブルデッキだったんですが、勿体ない事をしました、今、静かなカセットブームになっているんですよねえ、東京ビックサイトでイベントが開催されている記事を見ました、やはり悔やまれます。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

  

 

 

 

ところで、何のレコードを聴いたんでしょうか、三十枚ほど重なってありました、一番上にあったこのレコードをかけてみることに、

 

小椋桂さんのNHKホール、コンサートライブでした、ジャケットを見たら1977年、昭和52年の物でした、ジワーと記憶が、確か中村雅俊さん主演の〝俺たちの旅〟の挿入歌でしたね、この頃、小椋桂さんまだ銀行員とシンガーソングライターの二束のわらじで話題になってました。ちなみに現在のNHKホールが出来たばかりで、オーケストラの演奏以外では、初めてのコンサートだったとか、

 

 

彼が日本勧業銀行の銀行員になって最初の仕事はアメリカに派遣されて金融見識をたかめることだった、現地では三日遅れの日経新聞で日本の情報を得ていた、ある日新聞の一面トップに〝日本勧業銀行と第一銀行が合併、新銀行、第一勧業銀行が誕生〟の見出しが飛び込んで来た三日も遅れてである、彼は、おい、聞いてないよ、その瞬間、一つのフレーズが思いついたと言う。〝一度も咲かないで散って行くようなバラが鏡に映っているわ〟、銀行のトレードマークはバラの花(女子行員の制服にはバラの花の刺繍がなされていた)だったそして出来た歌が〝少しは私に愛を下さい〟だと言う、どうやらこの歌は、愛の歌ではなく、銀行上層部に対する恨みつらみの歌のようだ、この出来事がきっかけで彼は、歌の世界で生きて行こうと決めたと言う。その後の活躍は、推して知るべしですね、

あ~、久しぶりにレコードを聞きながら酒を呑んでいたらもうこんな時間になってしまいました、くどくなるのでさっさと寝ます、明日は、なにをしましょうか、2メーターFMでもワッチして見ます、            ではまた・・・・VA・・・・E・・・E・・・・・END