心の光で照らしながら

日々の気付きや色々

見えない力の影響

2021-10-29 17:17:00 | 日記
数年前に四柱推命の勉強をしていた時がありました

四柱推命はカテゴリ的には占いの部類に入るのでしょうが、その内を覗いてみると立派な統計学です
その人の生まれた日から導き出す命式からその人の人生の流れを見ていきます
その的中率はなかなかなものです(私が師事していた先生は独自の読み方をしていたのでより的中率が高かった)
私自身もその魅力にハマり、人様を鑑定出来る所まで勉強したものです

しかし心の何処かで小さな引っ掛かりがありました

統計学という膨大な情報量の中から運気の流れを導き出す事によって、人生のターニングポイントをより良い流れで乗っていくというのは何も知らずに手放しで進むよりもずっと良い事だと思います

でも本当に世の中はそれだけで動いているのか?

何かもっと違う影響もあるのではないか?

その小さな引っ掛かりは私の中で大きくなり、結果私は四柱推命の道からは離れたのです

四柱推命の方が目に見えたデータがあるので、より納得しやすい部分があります
他人にも現実的にアドバイスが出来ます

でも私には合わなかった、ただそれだけです

今の私を見ていると、あの時の感覚こそ私の中の真理だったのだとしみじみ思います

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居た堪れない気持ち

2021-10-27 12:22:00 | 日記
居た堪れない
平静でいられず、その場に留まることができないような気持ちのこと。 人に同情する気持ちや、自分が恥ずかしさを感じている時など、ニュアンスは状況により変わる。 「いたたまれない気持ちになる」といった使い方をする。 より悲痛な意味合いが強い類義語としては「やるせない」が挙げられる

昨日、そんな気持ちですと伝える場面があった
でも実際上記の様な気持ちとはやっぱりニュアンスが違うなと振り返ってみて思う
なかなかそんな事を言う機会もないものだし、私もにわかで使ってた部分もある

ただ昨日のメッセージは本当に何とも表し難い気持ちになりました
普段は向けられたものを割と素直に(敏感故にそれ以上にも)受け取ってしまうのだけれど、まるで私の知らない私の部分に向けて発せられた様で、その事によって私の知らない私の部分を知ってしまったみたいな感じです
だからこんな気持ちなのかもしれないです

しかしこの出来事によって、私のこれからの道のりがシフトしたのは間違いないし、今まで行ったり来たり付かず離れずのなんとも曖昧なものだったものが(そう言いつつもちゃんと前進しているのも見えない世界での妙理でもある)もうハッキリとこの道に進む!という意志のもとに立っているのが分かります

そうは言ってもやっぱり違う道!という事も今までの私では全然あり得たのだけれど、それも無さそうです
なんだかヴァージンを失った気分(笑)

しかし私の知らない私の部分はまだまだ沢山ありそうで、その事に関しては怖いとかそういうネガティブな感情は無くもっともっと知りたいという気持ちなのです

全ては流れに任せてこの道を進むのみ
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子供の頃の話

2021-10-24 00:44:07 | 日記
子供の頃から何かと敏感な私でした

私が覚えてる古い記憶で、当時持っていたファミコンゲームのパッケージが急に怖くなって母と一緒にお風呂に入ろうとした時に号泣した事があります
しかもそのゲームは、ホラーでもなくアクションゲームだったんです
しかもプレイ中ならまだしも何故かお風呂に入る直前にフラッシュバックして泣き出すという
母はとてもどこか具合が悪くなったのでは思って驚いていました
私の母は10歳の時に亡くなっていますので、それ以前の古い記憶ですが未だにあの出来事は覚えてます
何故あの時あんなに急に怖くなったのかは未だに分かりませんが(笑)

他にはテレビの番組提供でシオノギ製薬のフォントが怖いというのもありました
白地に黒でシオノギ製薬と出てくるのですが、それが子供ながら妙に不気味で怖いとずっと思っていたものです
多分今も見たら怖いかも(笑)

当時行方不明を探す番組なんかもやっていてよく見ていたのですが、決まってその後に入るお風呂ではその行方不明者の顔が脳裏に浮かんで怖い思いをしていました(なら見るなよという話なんですが、ついつい見ちゃう)

覚えてないだけで結構変な体験をきてきた子供だったかもしれません

怖いものは苦手でした、母が亡くなるまでは

母が亡くなってからは見えない世界に興味を持つようになりました

そこから数多の経験を経て、今の私が居ます

今もやっぱり敏感だけど、経験を元に対処する方法があります

そういう意味でも経験は魂の宝物ですね



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世界線

2021-10-15 22:22:00 | 日記
実は先月交通事故に遭いました

自転車で横断歩道を渡ろうとした所、信号無視の自動車と接触
幸い転倒する事もなく、怪我もありませんでした(それでも交通事故なので念の為病院に行きました)

実は私過去にも自転車で交通事故に遭ってまして、今回が3回目なんです
2回目の事故の時、父から「3回目は無いぞ」と言われて、私も3回目は死ぬかもしれないな…なんて思っていました
今の家に引っ越したのを機に自転車から離れていたのですが、新しい仕事には自転車は必須なので再び乗り始めた先の出来事でした(半年後位)
怪我も無く、相手側も誠実に対応してくれていたので本当に不幸中の幸いだったのですが、やっぱり3回目というのが私には大きくて3日間程落ち込んでいたのです

しかし事故後から仕事復帰して、いつものルーティンに戻った時に「死ぬ世界線もあったかもしれないよ」という言葉が出てきました

その言葉がその時の私には凄く納得がいくものでした

私は事故後から何でこのタイミングで遭ってしまったのだろう…という事ばかり考えていて、とてもモヤモヤしていたのですが、その言葉をキッカケに自分の置かれている環境がどんなに恵まれているのか、そして2回目の事故後に思ったあの世界線ではない世界線に居るという事に気付いたのです

マルコニクスの先生もタイムラインという言葉で記事を書かれていましたが、私達は常にあらゆる世界線で生きているという事を身を以て感じた出来事でした

その時々の選択で自分の世界は創造されていき、その線の上を辿るのです
そしてその選択は必ずしも直近に影響せず、遙か先で響く事もあるでしょう

あの2回目の事故後から数多の選択をしてきた後にこの世界線に居るというのも何だか感慨深いです
何故ならあの時の私の直感は当たる確率が高かったからです
子供の頃から何かと敏感で、父は見えない世界というのは懐疑的な人でしたが私の直感は信じてくれたものです(この辺の話はまた別の機会に)

何はともあれ大した事無くて良かったです!
あれからはより安全運転を心掛けて乗っていますので、ご安心を!

これからも自分の進みたい道を創造し、その世界線を辿っていきたいですね
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