普段私は映画館に行く事はめったに無いのだけれど、この映画だけは観たいと思い行って来ました。
教誨師と死刑囚の対話が殆どのこの映画、限り無くシンプルな構造だけに観る側に沢山の問いが与えられます。
結局の所、生きるも死ぬも在るがままに在る事象と何も変わらないのだなと感じられました。
何の為に生きて、そして死に向かっているのか、それは『今』を生かされているから生きているだけなのかもしれない。
そこから派生されるものに色付けられて、私達はその『色』を見ているにすぎないと。
でも『今』に存在しているからこそ、その『色』の素晴らしさも知る事が出来るのだから、やはりそこにはちゃんと『意味』もあるのだろうなと思います。
大杉漣さんが最初で最後になったプロデュース作品が、これというのもまた『意味』あったの事なのでしょう。
『個』は『個』に介入する事は出来ないけれど、寄り添う事は出来る。
それは『色』的な行為かもしれないけれど、なんて稀有な素晴らしい行為とも思えるのです。
それは私達が『今』を『生きてる』からこそ出来る行為。
ただ『生きて』、『死ぬ』だけでは無いという事を教えてくれます。
思い返しては色々気付かせてくれる映画です。
琴線が触れた方は是非観て欲しいと思います。
教誨師と死刑囚の対話が殆どのこの映画、限り無くシンプルな構造だけに観る側に沢山の問いが与えられます。
結局の所、生きるも死ぬも在るがままに在る事象と何も変わらないのだなと感じられました。
何の為に生きて、そして死に向かっているのか、それは『今』を生かされているから生きているだけなのかもしれない。
そこから派生されるものに色付けられて、私達はその『色』を見ているにすぎないと。
でも『今』に存在しているからこそ、その『色』の素晴らしさも知る事が出来るのだから、やはりそこにはちゃんと『意味』もあるのだろうなと思います。
大杉漣さんが最初で最後になったプロデュース作品が、これというのもまた『意味』あったの事なのでしょう。
『個』は『個』に介入する事は出来ないけれど、寄り添う事は出来る。
それは『色』的な行為かもしれないけれど、なんて稀有な素晴らしい行為とも思えるのです。
それは私達が『今』を『生きてる』からこそ出来る行為。
ただ『生きて』、『死ぬ』だけでは無いという事を教えてくれます。
思い返しては色々気付かせてくれる映画です。
琴線が触れた方は是非観て欲しいと思います。