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切り絵や昆虫標本つくって学ぼう! 釧路市立博物館で講座

2024-05-05 | アイヌ民族関連

三島七海 会員限定記事

北海道新聞2024年5月4日 20:55

釧路市立博物館の体験講座で、親子連れが北方民族の文様をモチーフにした切り絵に挑戦した

 釧路市立博物館でゴールデンウイーク期間中に体験講座を行うイベント「博物館で遊ぼう」が3日、始まった。初日は親子連れが、北方民族の文様をモチーフにした切り絵や、昆虫の標本作りに取り組んだ。イベントは6日まで。

 釧路の自然や歴史を楽しく学んでもらおうと、各分野の学芸員が体験講座を開く。切り紙コーナーでは、参加者がアイヌ民族や樺太の先住民族ニブフ、ウイルタなどに伝わる文様を折り紙に転写し、曲線に沿ってうずまき模様を切り出していた。

 ・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1007963


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野生のリスを捕まえて食べてよいの? 人気漫画『ゴールデンカムイ』の影響か、「チタタプしたい」との声

2024-05-05 | アイヌ民族関連

弁護士ドットコム 2024年05月04日 09時57分

アニメ化、実写映画化もされて、男女問わず人気を博している『ゴールデンカムイ』(野田サトル/集英社)。明治時代の北海道を舞台にした冒険マンガで、先住民族「アイヌ」の文化や歴史も詰まった傑作だ。

そのエピソードの1つに、主人公たちが「野生のリス」をワナで捕まえて食べるシーンがある。皮を剥いだリスを骨ごと「チタタプ」(アイヌ語で「刃物で叩く」)して、肉団子の汁にしておいしくいただく。

野生の鳥獣の肉を食べる「ジビエ」がブームになって久しいが、SNS上では「リスのチタタプ、食べてみたい」という声もある。はたして、現代日本において、野生のリスを捕まえて「チタタプ」してよいのだろうか。

●野生の鳥獣を許可なく捕獲することは禁止されている

日本列島には、主にニホンリス、エゾリス(キタリス)、エゾシマリス(シマリス)が生息しているとされる。時間帯にもよるが、ゴールデンウイーク中にキャンプや登山をしたり、公園で遊んでいれば、リスを見つけるチャンスはあるはずだ。

環境省・鳥獣保護管理室は、弁護士ドットコムニュースの取材に「鳥獣保護法では、ネズミなど衛生動物を除いて、野生の鳥獣を許可なく捕獲することは禁止されています」と回答した。つまり、野生のリスも鳥獣保護法の規制対象となる。

一方、区域や期間、猟法に制限はあるが、狩猟免許を取得している人は「狩猟鳥獣」を捕獲することができる。

環境省の資料によると、シマリスは「狩猟獣」とされているが、ニホンリスとキタリスは「狩猟獣」から外されている。また、シマリスの亜種エゾシマリスも北海道で捕獲できない。

これらのルールに違反した場合、1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科されるおそれがある。

一口にリスと言っても、すぐにどれがシマリスで、どれがニホンリスと答えられる人はそう多くないだろう。

環境省も「誤認捕獲は違法です。狩猟鳥獣ではない鳥獣の捕獲は、鳥獣の生息状況に悪影響を与える恐れがあります」と注意を呼びかけている。

●リス肉って食っていいものなのか

では、なんとかうまく「狩猟獣」として、合法的にリス(タイワンリスなど)を捕獲できたとしよう。その場合は衛生的に食っていいものなのか。環境省からは、捕まえたあとのことは「農水省と厚労省に聞いてほしい」と案内された。

たしかに農水省のウェブサイトでは、ジビエの利用拡大を促すような言葉がおどっている。また、厚労省のウェブサイトでは「ジビエは中心部まで火が通るようしっかり加熱して食べましょう!」と呼びかけている。

そこで農水省と厚労省に問い合わせたところ、いずれも「こちらではお答えできかねる」と回答された。また、弁護士ドットコム本社のある東京都港区の保健所にも聞いたが、「わかりかねる」と言われてしまった。

どうしてもリスのチタタプを食べたい、という人もいるかもしれないが、そのような場合は、無理して捕獲せず、合法の流通ルートで仕入れたジビエを提供する料理店もあるようだから、そちらに連絡してみるほうが無難といえるだろう。

https://www.bengo4.com/c_18/n_17494/


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『ゴールデンカムイ』杉元佐一を徹底考察!真っ直ぐな生き様 そのルーツに迫る

2024-05-05 | アイヌ民族関連

武将ジャパン2024/05/04

漫画『ゴールデンカムイ』の連載が始まり、主人公である杉元佐一が最初にこの言葉を発したとき、皆さんはどう感じました?

ちょっと中二病的なセリフだな……とは言いすぎかもしれませんが、「不死身」というキーワードに、若干大げさだな、という印象を抱いた方もいたのではないでしょうか。

そしてその印象は、物語が進むにつれ、消えていったはずです。

自身を奮い立たたせながら、前へ前へと突き進んでいく杉元。

それでいて平時は繊細な感覚を持ち、何事に対してもフラットで、一言でいえばカッコいい。ただし、本人の心中には拭えぬ苦しみもあり、物語を見る者には、憧れだけではない複雑な感情も抱かせるような……。

そうしたキャラクターは、一体どんな土台から醸成されていったのか。

当時の歴史的背景を踏まえながら、杉元佐一という人物を考察してみましょう。

杉元は神奈川県出身

杉元佐一は神奈川県の出身。

彼のキャラクターを考える上でこれはなかなか重要な点かもしれません。

『ゴールデンカムイ』では、出身地による要素には濃淡があり、例えば士族ルーツであるとその傾向が強くなります。

薩摩隼人であることを誇りとする鯉登音之進

機関銃を操り河井継之助を彷彿とさせる鶴見中尉がその代表格でしょう。

※以下は鯉登と鶴見の関連記事となります

鯉登音之進って一体何なんだ?ゴールデンカムイ人気キャラ深掘り考察

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ゴールデンカムイ鶴見中尉を徹底考察!長岡の誇りと妻子への愛情と

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では杉元はどうか?

神奈川県というエリアは、明治の藩閥政治の色合いは薄いと言える。

たしかに鎌倉時代に幕府はありましたが、以降、政治の中心からは遠かったのが相模国。

江戸時代の徳川幕府は、江戸に近いことを考慮して大藩を置かず、小田原藩を例外に、残りは旗本の直轄地が多い土地となりました。

ただし、江戸に近いからこそ、最先端の流行は追える。

例えば神奈川県内には浮世絵を展示する施設があります。

江戸に近いだけに、同地域に住む人々は浮世絵を集めることができ、かつ保管していたことも多かった。ゆえに神奈川の古民家から浮世絵コレクションが見つかることはしばしばある。

この土地の人々は、海沿いの温暖な気候と、江戸にほど近い垢抜けた感性が特徴となってゆくのです。

そんな神奈川も、幕末以降は一気に騒がしくなります。

ご存知、黒船の来航です。

小さな漁村に過ぎなかった横浜が、瞬く間に都市として発展して外国人居住地もできる。それに伴って西洋食材を販売する店など、新たな文化が根付いてゆく。

もともと江戸に近く、洗練されていたこの地の人々は、日本の近代化最先端の目撃者となります。

横須賀には幕府による製鉄所が作られ、日本海軍の基礎もここから始まりました。

変わりゆく時代の流れを肌で感じながら生きてゆく。他の地域よりもそのスピードは早いであろう、それが神奈川県の明治時代でした。

ただし、それはあくまで都市部での話。

杉元佐一が育った場所は、小さな村でした。

エビフライやカレーライスの知識はあっても、ティーカップを正しく持つ鯉登とは異なり、洋式テーブルマナーは知りません。

まさに神奈川の庶民出身者らしい洗練度といえます。

そんな藩閥の色がつかない土地から、何にも縛られず、北海道へ来たのが杉元佐一という男でした。

結核に一家が取り憑かれてしまい…

やれ明治維新だ、文明開化だ――とは言っても、庶民がその恩恵に預かるには時間がかかります。

当時、限界のあった医療のため、本人や家族が不幸な目に遭っている人物は『ゴールデンカムイ』には度々登場します。

谷垣の妹・フミは疱瘡にかかり、感染を広げないために自ら死を選びました。

チカパシのコタンは、伝染病で壊滅。和人の持ち込んだ感染症への抵抗力が低いアイヌにとって、伝染病は恐ろしいものでした。

山口県に縁がある囚人・海賊房太郎も、一家を病で失っています。

杉元は神奈川の村に生まれています。少し大きな隣町にいけば医院があるような環境でしょうか。

しかし、よりにもよって杉元家を襲った病は、国民的な死病とされる結核でした。

当時は治療法も確立しておらず、庶民は療養所に入院する金銭的余裕もありません。

自宅療養の結果、杉元の家族は次から次へと斃れてゆきました。そして、父の死後、杉元佐一は家に火を放ち、故郷から旅立つことになります。

この結核との関係は、歴史上のある人物を彷彿とさせます。

一体だれなのか?

そのヒントは黒猫にあるのではないでしょうか。

劇中で杉元は、黒猫に「お前が家にあまりいつかないから結核になるのか」と話しかけていました。

実はアジアの伝統で、黒猫は魔除けの効果があります。

そして、黒猫と結核は、新選組の沖田総司の話が有名です。

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結核療養中の沖田が黒猫を斬ろうとしたものの叶わず、己の衰弱を思い知ったというものです。

この話は史実ではなく後世の創作と思われますが、それでもあえて黒猫と結核を組み合わせて出すことで、杉元と沖田という組み合わせを感じさせる。

命が尽きることを悟った土方歳三が、己の後継者であるかのように杉元を見つめる場面がありました。

土方が杉本の中に、沖田総司につながるものを見出したのだとすれば、ありえる設定ではないでしょうか。

杉元は反射的な攻撃を得意とする戦闘スタイルですが、これも沖田と一致しています。沖田は電光石火の突き技が得意であったと伝わります。

梅子の目を治すために

フラットで何にも縛られない杉元佐一には、金塊を探す動機づけとして梅子がいます。

故郷では、寅次と梅子という幼馴染三人組で日々を過ごしていた杉元。

梅子とは淡い相思相愛でした。杉元と駆け落ちすら願うものの、彼は応じません。

杉元が村を捨てたあと、彼女は寅次に嫁ぎます。寅次は、梅子が杉元に恋しているとわかっており、それが心の棘となっていたようです。

日露戦争】に出征した杉元は、寅次と戦います。その寅次は【奉天会戦】の激闘で杉元をかばい戦死しました。

梅子の眼病を治療するために、渡米することを考えていた寅次。そのことができなかったのが、彼の心残りです。

杉元は寅次の指の骨を持ち、故郷に戻ります。

視力が衰えていた梅子は杉元だとはっきりとは判別できません。

彼の臭いからそうだろうか……?とは思ったものの、恐ろしい戦場で身につけた血生臭さを察し、怯えてしまいました。

このとき、杉元はもう戻れないほど己が変貌したと悟ったのです。

せめて梅子の目を治したい――親友の願いを受け継いだ杉元は、砂金採掘のため北海道へやってきました。

そんな彼が、網走監獄にいる「のっぺら坊」という囚人が隠した金塊の話を聞く。そのありかを示す刺青人皮の話を知り、金塊探しに身を投じる……。

梅子は古典的な女性といえます。

個性があまり感じられず、杉元の動機付けとして出てきた都合のいい存在にも思えてしまう。

存在感も薄く、杉元自身もそこまで思い出しているわけではありません。

梅子は杉元にとって故郷を擬人化したような存在かもしれません。杉元の好物は干し柿です。柿の木は本州ではどこにでもあり、それを干したものは庶民にとって気軽な軽食でした。

ところが北海道には柿の木がない。いわば杉元にとっては故郷の象徴のように思えます。

この好物には、のちに「塩をかけた脳みそ」も追加されます。本州の和人ならば思いつかない好物が加わったのです。

杉元は金塊探しに奔走するうちに、北海道そのものに惹かれてゆき、馴染んでゆく様がわかってきます。

そもそも杉元が金塊探しに興味を失ってしまったら、物語は終わってしまいます。そうならず、アシㇼパのために戦うようになり、樺太まで彼女を奪還するために向かう。

金塊探しが終わったあとで、杉元の動機とは結局何だったのか?が明らかになります。

梅子は眼病が回復し、再婚し、妊娠していました。嫁ぎ先では幸せに暮らしているようで、花屋の店先に立っています。

杉元が無謀なことをして金を用意せずとも、彼女は目を治すことができ、新しい人生を歩んでいました。

寅次があまり正しくない治療法の情報を得ていたか。はたまた名医が見つかったのか。

詳細はわからないものの、ともかく杉元の知らぬところで、金塊探しの動機づけそのものが消えていたのでした。

では杉本の奮闘は無駄だったのでしょうか。それとも、そもそもの病状把握がおかしかったのか、純粋な医学の進歩か。

ともあれ、梅子は故郷を擬人化したような存在でした。

アシㇼパさんと「契約」を結ぶ

梅子の治療という動機は、ヒグマに襲われた杉元をアシㇼパが救うことで上書きされたようにも思えます。

杉元はカネ。

アシㇼパは金塊争奪の過程で死んだ父の仇討ち。

杉元は殺人を厭わない。

アシㇼパは殺人は嫌だ。

大まかな枠組みを決めて、このコンビは動き出します。

二人の旅は、金塊争奪戦で争うことになる土方陣営、第七師団の紹介とともに、ゆるやかに始まります。

刺青人皮入手という目的はあるものの、実はこの過程は曖昧です。

アニメや実写版ではカットされることも多く、実は刺青人皮の暗号は全て揃えなくても解けるのではないか?という疑念はつきまとうものでした。

アシㇼパの父・ウイルクと友人であったというキロランケが登場します。

キロランケは、網走監獄にいる「のっぺら坊」がウイルクであると言い出します。

一方、アシㇼパを知る謎めいた女・インカㇻマッは、ウイルクはキロランケにより殺され、「のっぺら坊」がその共犯者であると言います。

かくして網走監獄にたどりつき、「のっぺら坊」の正体を知るという目標が設定されます。

そして杉元たちが確認した「のっぺら坊」の正体は、ウイルクでした。

結果的に「のっぺら坊」はウイルクだったのです。

杉元はウイルクの口から金塊争奪戦にアシㇼパを巻き込んだ意図を聞かされました。

その直後、キロランケと尾形により、杉元とウイルクは撃たれてしまう。

ウイルクは死に、杉元は生き延びました。

そしてアシㇼパは、キロランケに連れ去られてしまう。

この折り返し地点である網走監獄で、杉元は目的が再設定されています。

・アシㇼパを取り戻す

・奪還したアシㇼパは、これ以上闘争に巻き込まない

・金塊を得たら、二百円を分け前として獲得する

かくして杉元は、いったん鶴見率いる第七師団と共闘し、樺太に向かうことになります。

キロランケと尾形を倒し、アシㇼパを奪還することでこの旅はいったん終わり、北海道へ戻るまでが「樺太編」になります。

この樺太編で、キロランケはアイヌの独立のために戦う意図をアシㇼパに教え込もうとします。

キロランケとウイルク、そしてロシア人のソフィアを紹介し、戦う意義を教えようとするのです。

杉元はこのキロランケが教えようとした意義からアシㇼパを引き離しつつ、金塊争奪戦を続行することになります。

ただし、この金塊争奪戦の終焉はあまりスッキリしないという疑問は原作終結時点で見られました。

これは鶴見たちにも言えることではあるのですが、杉元の目的において金塊争奪戦はそこまで重要でないとも思えます。

干し柿を食べても元には戻らないけれど

最終回で、梅子に金塊を渡しに来た杉元。

北海道にはない干し柿を頬張り、アシㇼパに感想を聞かれます。

かつて杉元は、アシㇼパの前で干し柿の話をしました。

日露戦争で殺し合い、傷をつけられ、傷をつけてしまった杉元に、干し柿を食べれば戻れるのか?

そうアシㇼパは問いかけ、杉元は静かに涙を流しました。杉元は梅子が自分のから死の臭いを嗅ぎ取ったことが心に刺さっていたのです。

最終回の杉元は、昔に戻らなくてよいとアシㇼパに告げます。

全部忘れず、背負ってゆくと。それに東京で食べるエビフライのような旨いものは、金がかかると。

でも、アシㇼパさんと一緒にいれば、金をかけずともうまいものが食べられる。

そんな照れ隠しのような伝え方で、杉元はアシㇼパに「故郷」へ帰ろうと言います。

家はなく、何にも縛られず、偏見もない――そんな杉元だからこその道といえました。

理想的な和人とアイヌの関係性

杉元はこの最終回へと向かうために、かなり細やかな配慮がなされていることがわかります。

杉元はアシㇼパを契約と結ぶ。そして樺太のあとは再契約しています。

かつて和人とアイヌの契約関係は、しばしば破棄されるものとして悪名高いものでした。

アイヌは文字を持たず、数もわからないという偏見が和人にはあります。

10個何かを買っても、8個分しか払わない――そうした搾取的な契約を当然のようにしてきたのです。

杉元が、アイヌであるアシㇼパとの契約を履行する姿は、誠実であることがわかります。

ゴールデンカムイ』名物である食事の場面も、杉元の偏見のなさがわかります。

杉元はアシㇼパの差し出す料理を、変顔をしながらでも食べる。レストランでは同じテーブルに座ることも厭いません。

なにより杉元はアシㇼパの知恵に感謝の気持ちを忘れません。アシㇼパさんから習った教えのおかげで生き延びたとさんざん言います。

これは北海道の歴史を知る上で重要でしょう。

ろくに事前の知識もなく、屯田兵や開拓者として北海道にたどりついた和人たち。

彼らが苦しんでいたとき、アイヌの人々は彼らを迎え、さまざまな知恵を伝えました。

それに対して和人が感謝を十分にしてきたかどうか――そこは冷静に考えねばならないでしょう。

例えば八甲田山雪中行軍遭難事件のあと、アイヌ兵士が寒冷対策に提言をしていますが、陸軍は真摯に聞き入れたとは言い難い状況です。

『ゴールデンカムイ』戦場に立ったアイヌたち 知られざる活躍 日露~太平洋戦争にて

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アシㇼパは杉元を思うとき、恋をしていると思える表情になります。

一方、杉元はあくまで大事な仲間であり、恋愛対象としては見ていない。

梅子への思いも割と淡白であり、かつ白石のいやらしさと比べると際立ちます。

杉元は真面目なのでしょう。

これはアイヌ女性と和人男性の関係性を考える上でも重要です。

アシㇼパは遊郭の女衒に目をつけられたことがあります。

アイヌ女性の性的搾取は、松前藩のころから悪名高いものでした。松浦武四郎は怒りを込めて、そのことを書き記しています。

蝦夷地を北海道と名付けた松浦武四郎~アイヌ搾取の暴虐に抵抗する

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杉元がアシㇼパを性的搾取をふまえた目線で見ると、この悪しき歴史をさらに更新しかねません。

なによりアシㇼパはまだ幼い。

明治時代でも、女性として成熟する区切りとしてはおおよそのところで16前後とされます。

いくら当時でも、アシㇼパの年齢を性的に見ることは恥とされました。

伊藤博文が13の妾を持った時は、世間が呆れ返ったものです。

杉元がアシㇼパを性的にみないことは、明治の和人としてごく良識的な感覚ともいえます

女好きがもはや異常レベルの伊藤博文~女を掃いて捨てる箒と呼ばれ

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こうして色々と考えてみると、杉元佐一とは、アイヌと和人の関係性における一つの理想のようにも思えてきます。

ただし、理想的に描かれるせいか「暗い部分が欠けている」という批判もあるかもsりえません。

杉元のように、アイヌのコタンで暮らしていくことは、この後できなくなります。

確かに杉元たちはアイヌの伝統や自然を守るために、力を尽くしました。

しかし、アイヌの伝統は博物館のガラスケースの奥に展示されればよいものかどうか。どうしたって、杉元とアシㇼパの暮らしは今後変わらざるを得ません。

作品の限界は踏まえつつ、自分たちにできることは何か考えてゆけたらよいとことです。

どんなに好きで推している作品でも、批評や批判は重要です。

さらに磨きをかけて、ものごとをよくするためには、ヤスリのような意見も時には必要なものです。

さまざまな議論があってこそ、健全なファンダムとなるはずでしょう。

戦争で砕けた兵士の心を癒すこと

杉元の目標は、アシㇼパのために尽くすことが大きいものでした。

そのために頑張り抜きました。

それだけでなく、干し柿の描写からは戦後PTSDからの回復も見て取れます。

戦場で人の心が壊れてしまう――アシㇼパはアイヌの考え方に基づき、そのことを語ります。

では和人はどうだったのか。

古来より、戦争が人の心を傷つけるという詩や文学作品は残されています。

平敦盛を手にかけたことを悔やみ、出家した鎌倉武士熊谷直実も、現代であればPTSDと認定されるでしょう。

熊谷直実は典型的な坂東武者だからこそ鎌倉殿の13人には登場できず

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しかし、だからこそ、そんな心の傷を埋め合わせるための思想も作られてゆきます。

日本ならばまず仏教に救いを求め、さらに儒教道徳を身につけ、江戸時代には武士道が確立されてゆきました。

明治以降、武士だけでなく、広く日本国民がそうあるよう、教えられてきました。

ただし、いくら救いの道を用意しても、結局、心は壊れてしまうのではないか――世界的にはそう認識されるようになってゆきます。

【フランス革命】、それに続く【ナポレオン戦争】で、徴兵制が導入され、【第一次世界大戦後】を迎えて世界は恐ろしいことに気づきました。

従軍兵の精神が壊れてしまったのです。

折しも20世紀初頭は、心理学が確立されつつある時代。

鶴見中尉はこの心理学を悪用し、第七師団兵士の部下たちを縛っていると窺える描写があります。

そして【第二次世界大戦】を経て、さらに時代が下り、【ベトナム戦争】のあと、PTSDに苦しむ兵士を描いたアメリカ映画が作られるようになります。

戦場であれほど苦しんだのに、使い捨てにされた。その苦しみが故郷に戻っても癒されない。

それは描くべき、知るべきテーマでした。

一方で、日本では【アジア太平洋戦争】のあと、アメリカのように帰還兵が社会復帰を目指すことはなくなりました。

復員兵が抱える心の傷とは、アメリカ映画を通して知るものとなっていた。

日本の作品で戦争のPTSDを描いたといえるものがないわけではない。しかし、数としては多くはない。

水木しげるはじめ、戦争を描いた力作はあっても、あくまで個人の体験や感じ方に収束されている感はありました。

もちろん、そうとは気づかれなかっただけで、実際、兵士にはPTSDがあったのではないか?ということの調査がようやく始まった。

◆(戦争トラウマ:上)「心の傷」を知る 元兵士の実態、国が調査へ(→link

「怠け者になりなさい」心が少し軽くなる水木しげる&武良布枝の生涯

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日露戦争で傷を負った杉元のような兵士の苦しみは、さして顧みられることもないまま、歴史のなかに埋もれてしまったように思えます。

しかし、『ゴールデンカムイ』のヒットにより、状況は変わりつつある。

作品の力で彼らの存在に思いが至ったことには意義があったのではないでしょうか。

杉元の場合、彼が語る通り、役目を果たすために頑張ったこと、その自分を好きになること、美味しいものを食べること、そうして善行を素直に重ねていった結果、癒しを得たと思えます。

何かのために努力し、頑張って、その結果、自分自身をも救うこと、自分が生まれてきた役目を果たすこと――そうシンプルに突きつけてくる杉元は、作品のテーマからは外れていない、魅力的な主人公と言えるでしょう。

人として生きる上で十分大事で、シンプルな善良さがある。

杉元には魅力がたくさんあり、その中でも、根底にあるこのことがとても大事だと思える。

まっすぐな男です。

杉元みたいに生きてみたいな。読者が素直にそう思える、なかなか素晴らしい男だと改めて実感します。

https://bushoojapan.com/historybook/goldenkamuy/2024/05/04/181566


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大自然と先住民の文化を体験できる! オーストラリアが「家族旅行」に人気の理由

2024-05-05 | 先住民族関連

アエラ2024.5.4

 新型コロナウイルスの感染症法の位置づけが「5類」に移行してから、1年が経とうとしています。大手旅行会社JTBが実施したアンケート調査などによると、今年のGWに海外旅行に出かける日本人の数は、コロナ禍前の8~9割程度まで回復する見通し。今年の夏休みには海外旅行を検討しているご家庭も多いのではないでしょうか。その目的地として、オーストラリアが注目を集めています。その理由や、小学生のうちに海外に出かけることの意義をオーストラリア政府観光局 日本・韓国地区局長のデレック・ベインズ氏に聞きました。

大自然と先住民の文化を家族で体験しよう!

――現在、オーストラリアの観光事情はどのような状況でしょうか。

 オーストラリアも日本同様、観光で訪れる人たちが世界中から戻ってきています。オーストラリア政府統計局(ABS)によると、コロナ禍前の2019年の日本人渡豪者数は49万8千人で、6年連続プラスでした。コロナの影響を受けたものの、2023年は当時の60%が渡豪し、順調に回復しています。今年はさらにたくさんの人が訪れてくれると、楽しみにしています。

 日本からの旅行者は、小さなお子さんを連れたファミリーから年配の方まで、実に幅広い年齢層であることが特徴です。小学生くらいの年齢のお子さんもたくさん訪れて、オーストラリアならではの文化や自然を楽しんでいます。

――オーストラリアが人気の理由は、どんなところでしょうか。

 オーストラリアは、大陸全体から成る世界唯一の国として知られています。それぞれの地域によって異なる表情を楽しめるのは、大きな魅力だと思います。

 たとえば、自然です。オーストラリアでは、日本とは違う雰囲気の自然に触れることができるでしょう。たとえば、熱帯雨林や世界自然遺産のウルル(エアーズロック)があることで知られるアウトバックの砂漠、夏でもスキーができる地域やグレートバリアリーフのように冬でも泳げる海など、幅広い自然があります。

 また、先住民アボリジナル・ピープルの文化に触れることもできます。アボリジナル・ピープルは、今から6万年以上前からオーストラリア大陸に居住していたといわれる先住民。その時代から続く彼らの文化はとても興味深く、そのスタイルを教わり体験できるツーリズムを目的に訪れる人も多いのです。

伝統的なブッシュフード(食)とブッシュ メディシン(薬)について学び、さまざまな体験ができる。●Wanmara、Petermann/Tourism Australia

 季節が日本と逆であることも、とくにお子さんたちには楽しく、新鮮に感じられるようです。日本からなら時差が1~2時間。たとえば、夜便に乗って、現地に朝到着したら、時差ボケもなくすぐに行動できる「行きやすさ」も選ばれる理由のひとつでしょう。時間を有効に使えます。

小学生時代の海外旅行は「家族」の素晴らしい体験に

――デレックさんは、はじめての海外旅行が日本だったそうですね。

 はい。17歳の時に、はじめて訪れた海外が日本でした。本当はもっと早く行きたかったのですが、なかなかチャンスがありませんでした。当時お世話になったご家族とは、今も仲よくしています。

――なぜ、もっと早く海外旅行をしたかったのですか? 

 海外で、自分の国とは異なる言語や文化に触れることは、それこそ人生において大きな出来事です。小学生くらいならもうちゃんと覚えているし、理解もできるころ。それくらいの年令で、世界の広さを感じたりさまざまな人々と関わったりすることは、とても有意義だと私自身の体験も含めて感じます。

 また、日本の小学生、つまり6~12歳くらいのお子さんなら、おそらく「はじめての海外旅行」という人が多いのではないでしょうか。日本では小学校3年生から英語の勉強が始まりますよね。そこで実際に英語が母語の国に行って外国語を耳にすることで、英語が一気に身近なものになるでしょう。

 また、オーストラリアは移民が多いことでも有名です。街中を歩いていると、さまざまな言語が聞こえてきますよ。そんな体験も刺激的ではないでしょうか。まさに多様性です。

――日本人は、パスポート保有率が約17%(2023年12月現在※)で、G7最下位です。

 たとえば、オーストラリア人は約53%です。アメリカ人は約50%、イギリス人は70%を上回っています。こうしてみると、日本人のパスポート保有率は少ない印象ですよね。

 小学生のお子さんなら、海外旅行に出かける場合、その多くは「家族といっしょ」であることが想像されます。もう少し成長すると一人で留学というケースもあるでしょうが、この年代は家族との行動が基本ですよね。そう考えると、海外旅行のタイミングとして小学生時代はベストかなと思います。お子さんだけでなく「家族」にとってかけがえのない体験となるでしょう。

 日本はとても治安のいい国です。オーストラリアもその点はファミリーも安心して楽しめます。ぜひ、ご家族で訪れてみてほしいですね。

――最後に、オーストラリアの最新情報を教えてください。

 オーストラリアは、移民が多いということもあり、複数の国の食文化のよいところを融合させたフュージョン料理がたくさんあり、食べ物もおいしいものが多いのです。親御さんにはワインもおすすめですよ。

 意外と知られていないのですが、コーヒーも有名。今、ワーキングホリデー制度を利用してバリスタの勉強のために日本から訪れる人が増えているのです。街中にはこだわりのコーヒー専門店がたくさんあって、みんなお気に入りのバリスタがいるお店で、仕事前にコーヒーを購入してから出勤します。

 旅行でいらした際は、ぜひオーストラリアのコーヒーも楽しんでみてください。お子さんには、エスプレッソマシンでミルクを淹れた「ベビー・チーノ」が大人気。カプチーノのカップに入って、かわいくておいしいですよ!

※出典:外務省 令和5年1月~12月旅券統計

(取材・文/三宅智佳)

https://dot.asahi.com/aerakids/articles/-/221291


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台湾地震1か月、花蓮の観光客激減・夜市は閑散と…「惨たんたる状況だ」

2024-05-05 | 先住民族関連

読売新聞2024年5月4日

手持ちぶさたな店員の姿が目立つ東大門夜市(2日、台湾・花蓮で)=大原一郎撮影

© 読売新聞

 【台北=園田将嗣】18人が死亡、2人が行方不明となっている台湾東部・花蓮沖を震源とする地震の発生から、3日で1か月が過ぎた。震度6強を観測した花蓮は観光客が減り、宿泊施設や夜市などが打撃を受けている。

 花蓮は面積の大半を標高3000メートルの山々が占め、風光明媚(めいび)な景色で知られる。昨年、有名観光地・太魯閣(タロコ)渓谷の公園には340万人以上が訪れた。

 同渓谷にある宿泊施設「太魯閣山月村」は地震で周囲の山からいくつも落石があり、共用のシャワー施設、客室が損壊した。外国人ら85人が泊まっていたが、朝食時で部屋におらず、従業員とともに無事だった。経営者の鄭明岡さん(67)は「祖先の霊が守ってくれた」と振り返る。

 山月村は、9割の従業員が先住民・太魯閣族で、伝統的な歌や踊り、食事で客をもてなし、息をのむほどの星空も魅力の一つだった。だが、施設は断水と停電が続き、通信も途絶えたままだ。

 被災して閉園中の公園は、年内の復旧・開園を目指すものの、専門家は余震や台風で山が崩落する可能性を指摘する。山月村も修繕が必要で、鄭さんは1~2年間、施設を閉鎖することにした。20年間働く林鳳嬌さん(44)は次の仕事が見つかっておらず、「ずっとここにいたい」と肩を落とす。

 地震がなければ、鄭さんは20年間の契約が満了する9月以降、経営権を再取得して運営を従業員に任せる予定だった。「また入札に参加し、太魯閣族の従業員に(運営を)引き継ぎたい」としている。

 震度6強を観測した花蓮では、その後も余震が続いた。台北市につながる主要道路が被災して大型バスが通れず、観光客は激減している。「花蓮県観光協会」によると、4月の宿泊施設の宿泊率は3~4%で、5~7月も8%以下を見込む。陳義豊理事長は「観光客が来ない以上、飲食店や旅行会社、タクシーも商売が成り立たない」と打ち明ける。

 台湾の風物詩の夜市も影響を受けている。約400軒の店舗が集まる花蓮中心部の「東大門夜市」は、観光客が7~8割を占める。先住民料理や射的などの屋台が並び、地震前は深夜までにぎわっていた。現在は約半分が店を閉め、残りも閉店時間を早めており、閑散としている。

 この夜市で10年間、ゲーム店2店舗を営む江淑燕さん(58)は、「本当に客がいない。惨たんたる状況だ」とため息をつく。以前は家族連れなどが立ち寄り、1日1000~2000台湾ドル(約4800~9600円)を売り上げていた。地震後は売り上げが半分になっている。

 江さんは「観光客が頼り。夏までには売り上げが戻ってほしい」と願っている。

■能登観光「一歩ずつ復旧」

 元日の地震で大きな被害を受けた石川県でも、朝市で知られる輪島市の朝市通りや七尾市の和倉温泉など、能登半島の主要な観光地が深刻なダメージを受けた。

 国が観光支援策として宿泊費を補助する「北陸応援割」や北陸新幹線延伸の影響で、被害が比較的少なかった金沢市や加賀市の観光業は持ち直している。一方、能登半島の観光施設はまだ復旧途上にあり、大型連休中も観光客の姿はほとんど見られず、復旧作業員やボランティアの姿が目立つ。

 和倉温泉では、一部の旅館や日帰り温泉施設が再開したが、大半は休業が続いている。同温泉旅館協同組合の担当者は「一歩ずつ復旧を進めているので、受け入れ可能になったらぜひ来てほしい」と話している。

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/台湾地震1か月-花蓮の観光客激減-夜市は閑散と-惨たんたる状況だ/ar-AA1o7Wce#


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白老、登別に観光客 GW後半にぎわう

2024-05-05 | アイヌ民族関連

苫小牧民報2024/5/4配信

 ゴールデンウイーク(GW)後半の3日、白老町若草町のアイヌ文化発信拠点・民族共生象徴空間(ウポポイ)は、国内外からの多くの観光客でにぎわった。6日までのGWイベントとしてアイヌ語の世界を体感できる学習プログラム「イタク トマリ(言葉の港)…

この続き:840文字

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https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/137588/


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