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博士課程の学生が発見! ピラミッドより1万年も古い集落がカナダにあった

2017-09-10 | 先住民族関連
BUSINESS INSIDER JAPAN 2017年9月9日

カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州に住む先住民族「ヘイルツク族(Heiltsuk)」は代々、数百年あるいは数千年にわたって、彼らの先祖がどこからやってきたのかを語り継いできた。先祖は生き残りをかけ、氷河期でも凍らない沿岸地域に逃れてきたのだと彼らは主張している。
そして、この主張の正しさを、同州セントラル・コースト地域にあるトリケット島(Triquet Island)で行われた新たな発掘調査が裏付けたとカナダの公共放送CBCが報じた。
この発掘調査は、ビクトリア大学の博士課程に在籍中の、Hakai Instituteの奨学生でもある考古学者Alisha Gauvreau氏が2016年後半に行ったもの。調査チームは、木彫りの道具や木炭の破片といった複数の人工物を、古代の集落と思われる場所から発見した。これらは「パレオソル」と呼ばれる薄い古土壌層で見つかった。
その後、チームは発掘した木炭の破片を放射性炭素年代測定にかけ、これらの破片が1万3613年から1万4086年前のものだということを突き止めた。これはエジプトでピラミッドが建てられる数千年前にあたる。
今回発見された人工物は、これまでに北米で発掘された中でも、最も古い部類に入る。
1977年、ワシントン州立大学の考古学者らは、同州西部のオリンピック半島近くで、槍の先端とマストドン(絶滅したゾウの一種)の肋骨を発掘。その後、2011年に行われたCT検査の結果、西海岸で人間が定住し始めたのは今から約1万3800万年前と、それまで考えられてきた時期から800年遡ることとなった。
今回の発見は、考古学者にとって、ヘイルツク族のような北米の文明がどのように始まったのか、その詳細を理解する助けとなるだろう。これまで一般的に、最初のネイティブ・アメリカンは、氷河期にアジアから不凍のアラスカの地(現在のカナダ東部もしくは中部)へ移ったと考えられて来た。
もしくは、ビクトリア大学の研究が支持するように、海洋哺乳類を追って、船でやって来たとする説もある。
発掘調査を率いたGauvreau氏は、2016年に発表した論文の中で、考古学者による発掘調査が進むことで、これまでに語り継がれてきたより多くのオーラル・ヒストリーの正しさが証明されるかもしれないと述べている。
ヘイルツク族のWilliam Housty氏は、CBCの取材に次のように答えている。「今回の発見は非常に重要だ。なぜなら我々が数千年にわたって語り継いできた多くの歴史を再確認するものだから」
[原文:A student found an ancient Canadian village that’s 10,000 years older than the Pyramids]
(翻訳:Eiko Ofuji Mizuta )
https://www.businessinsider.jp/post-104397

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ブラジル先住民10人以上を違法採金業者が殺害か 検察が捜査

2017-09-10 | 先住民族関連
AFPBB News 2017年9月9日 12:22 発信地:サンパウロ/ブラジル
【9月9日 AFP】南米アマゾン(Amazon)の熱帯雨林で外界から孤立して暮らす先住民10人以上が違法採金業者に殺害された恐れがあるとして、ブラジル検察当局が捜査を進めていることが分かった。現地NGOが8日、明らかにした。
 先住民族の権利保障を訴える国際組織「サバイバル・インターナショナル(Survival International)」によると事件が起きたのは8月で、現場はブラジル西部のジャンディアチューバ川(Jandiatuba River)沿い。採金業者らが先住民を殺害したことを自慢げに語っていたことから明らかになったという。これまでに2人の採金業者が逮捕されている。
 ペルー国境に面した先住民の土地バーレドジャバリ(Vale do Javari)に居住するワリカマ・ジャパル族の長、アデルソン・コラ・カナマリ(Adelson Kora Kanamari)氏はニュースサイト「アマゾニア・リアル(Amazonia Real)」の取材に対し、18~21人が「襲撃され殺害された」と述べた。また現地は「非常に危機的な状況」にあると訴え、「地主や猟師、採掘業者らが侵入して来る。多く(の先住民)が孤立した状態で殺されており、殺害された正確な日付や人数は把握していない」と話した。
 サバイバル・インターナショナルは「話が事実であることが立証された場合、この虐殺に対する大きな責任はミシェル・テメル(Michel Temer)政権にある」と主張し「すべての先住民に対してずっと前の段階で、彼らの土地をきちんと認め保護すべきだった。先住民の土地の開拓を求める人々を政府が大っぴらに支援するのは極めて恥ずべきことで、ブラジル先住民の権利を何十年分も後退させている」と非難した。
 バーレドジャバリの先住民居住区は北部アマゾナス(Amazonas)州の州都マナウス(Manaus)から約1200キロに位置し、面積は約8万5000平方キロ。
 テメル大統領は、アマゾンの熱帯雨林の広大な土地を切り開いて大規模な採鉱を行うことを認める法令に署名したが、ブラジルの裁判所は先週、差し止めを命じている。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3142288?cx_part=latest&cx_position=16

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コロンビア訪問:教皇、ビリャビセンシオで列福ミサ、和解を呼びかけ

2017-09-10 | 先住民族関連
バチカン放送局08/09/2017 19:18
教皇フランシスコは、コロンビアのビリャビセンシオで列福ミサを捧げられた。
コロンビア司牧訪問3日目の9月8日午前、教皇は首都ボゴタから86 km 南東のビリャビセンシオに向かわれた。
「聖マリアの誕生」を祝ったこの日、教皇は郊外のカタマ地区でミサを司式された。
約40万人が詰め掛けたこのミサには、112の先住民族による巡礼団も参加、会場は伝統の舞踊や歌で活気付いた。
教皇はミサの中で、2人の殉教者、神のしもべ、ヘスス・エミリオ・ハラミジョ・モンサルヴェ司教と、ペドロ・マリア・ラミレス・ラモス神父の列福式をとり行なわれた。
アラウカ教区の司教であった福者ヘスス・エミリオ・ハラミジョ・モンサルヴェ師(1916-1989)は、反政府武力組織、民族解放軍によって拉致され、信仰に対する憎悪のために殺害された。
小教区の主任司祭として奉仕した福者ペドロ・マリア・ラミレス・ラモス神父(1899-1948)は、自由党派と保守党派が衝突したボゴタ暴動の中で、迫害と暴力によって殉教した。
この日のミサは「和解」を意向とし、「コロンビア国民同士の、また被造物との、神における和解」をテーマにとり行われた。
説教で教皇は、コロンビア国民が体験した半世紀以上に及ぶ悲劇的な現実を見つめると共に、すべての人に開かれた和解の扉を示された。
「和解」とは抽象的な言葉ではないと教皇は述べ、和解が抽象的なものならば、それは不毛で遠いものになるだろうと指摘。
内戦の犠牲者たちが復讐の誘惑に打ち勝つ時、これらの人々は平和構築への歩みの最も信頼できる主役になるだろうと話された。
そのためには、誰かが、他の人を待つことをせずに、勇気をもって最初の一歩をしるさなければならないと教皇は説かれた。
誰か一人良い意志をもった人がいれば、それは希望につながる、その人とはわたしたち一人ひとりのことかもしれないと、呼びかけられた。
また、熱帯平原への玄関口といわれるビリャビセンシオで、教皇はコロンビアの自然の素晴らしさに言及。
人間が自然を利己的に搾取し、環境を破壊していることを憂慮される教皇は、人間と自然との和解を促された。
そして、教皇は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28,20)というイエスの言葉を反映し、暴力と怨恨の泥沼から抜け出したい人々の思いを表す存在として、この日列福された2人の殉教者を見つめるよう招かれた。
http://ja.radiovaticana.va/news/2017/09/08/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2%E8%A8%AA%E5%95%8F%EF%BC%9A%E6%95%99%E7%9A%87%E3%80%81%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%93%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%81%A7%E5%88%97%E7%A6%8F%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%80%81%E5%92%8C%E8%A7%A3%E3%82%92%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91/1335620

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森の恵みと職人技が紡ぎ出す、アイヌの伝統織物「アットゥㇱ」

2017-09-10 | アイヌ民族関連
MYLOHAS (登録) 2017.9.8

アットゥㇱの伝承者・貝澤雪子さん。北海道アイヌ協会から優秀工芸士として認定され、アットゥㇱの次世代への伝承や育成などにも取り組んでいる。
アイヌに伝承される織物「アットゥㇱ」。私がアイヌ文化に関心を抱き、北海道を巡って出会った伝統工芸品のひとつです。アットゥㇱの手触りの良さと自然素材の優しい風合いに一目惚れ。この織物がどのようにして作られているのか、強い興味に駆られました。
樹皮から作られる反物、アットゥㇱ
アットゥㇱは、オヒョウ(ニレ科の樹木)等の内皮を糸にして織られた反物です。その昔、アイヌの各家庭では、この反物から民族伝統の着物や日用雑貨を日常的に手作りしたのだとか。しかし現在では、家庭でアットゥシを織る風習は途絶えつつあり、アットゥシの伝承者も数少ないそうです。
アットゥㇱの伝統を支える女性の匠
希少な織物となったアットゥㇱですが、その伝統を絶やさんと、半世紀以上にわたってアットゥㇱを織り続ける女性がいます。アットゥㇱの伝承者・貝澤雪子さんです。雪子さんはアイヌ文化が色濃く残る平取町二風谷地区(北海道沙流郡)で、日夜アットゥㇱと向き合っています。
雪子さんのお話を伺ってまず驚いたことは、雪子さんは機織りだけでなく、アットゥㇱの糸づくりも担っていること。そしてすべてが手作業で行われているということです。
アットゥㇱの糸ができるまでには、いくつもの工程が存在します。最初にオヒョウの木の樹皮・荒皮を剥ぎ、内皮を取り出します。次に、取り出した内皮をやわらかくするために釜で煮てから、沢で洗って内皮のぬめりを落とします。ぬめりを落とした内皮は乾燥させ、何層にも重なった内皮を一枚ずつ丁寧に剥がした後、さらに完全に水気を飛ばします。完全に内皮が乾燥したら、内皮を細く裂き、捻じりを加え、それらを結んで繋ぎ合わせていくことで、糸ができあがります。
ときに、内皮を剥がしてから、草木などで染色をほどこすこともあるそうで、なんと手間暇のかかること! 1年間の仕事のうち、8割近くもの時間がこの糸作りに費やされるそうです。
「自然の恵みを材料としているから、その樹木の個性によって加工にかかる手間暇が違ってくるの。長年やっていれば、仕事の勘が養われて、良い糸や織物ができる塩梅が分かってくる。手引き(マニュアル)はないからね、自分の経験と知識が頼りよ。いつも、一生勉強って思っているの」(貝澤雪子さん)
最近では、和装用の帯の依頼なども増えており、帯のデザインを自分で考え、織っていくことが多くなったと言う雪子さん。「アットゥㇱの仕事はね、長年やっていても全然飽きないの。やればやるほど面白いの」と話しを続けながら、複数の糸を巧みに使い、ひと織りひと織り丁寧にアットゥㇱを織っていきます。
匠の言葉に学ぶ、仕事との上手な付き合い方
そんな雪子さんに、半世紀以上もアットゥㇱを織るなかで仕事に限界を感じたり、仕事を辞めたいと思ったりしたことはないのか? と質問をぶつけてみました。
「この織物を長い間待っていてくれる人が幾人もいるからね。そのためにも、早く仕上げなくちゃって思っているの。だから、辛いとか辞めたいと思ったことはないですね。本当にありがたいことですよ。
でも、作業に行き詰まったり、疲れたりすることはありますよ。機織りは、複雑で難しい仕事だから。そんな時は、工房の外の畑を世話したり、ご飯を作ったりするの。仕事から一旦離れて、まったく別のことをして、気持ちを切り替えるのよ。根詰めすぎると良いものができないから(笑)。肩の力が適度に抜けている時のほうが、案外、とても良いものができたりするの」(貝澤雪子さん)
力み過ぎない、やり過ぎない。どうやらこれが、雪子さん流・仕事との上手な付き合い方。楽しみながら仕事をするのが長く続ける秘訣のようです。
雪子さんのアットゥㇱは、どれも丁寧な織り目に、美しい色合い。作品からは優しさを感じます。仕事を楽しんでいるからこそ、生み出せる逸品なのかもしれません。
雪子さんの作品は、「平取アイヌ文化情報センター」(平取町立二風谷アイヌ博物館 敷地内)で購入することができます。http://www.town.biratori.hokkaido.jp/biratori/nibutani/culture/traditional/
北海道に訪れるチャンスがあれば、二風谷の緑豊かな自然を感じ、アイヌ伝統のアットゥㇱの品々をぜひ手とって眺めてほしいと思います。二風谷では、アットゥㇱをはじめとする、アイヌの伝統工芸品の数々にも出会うことができますよ。
写真撮影/yonevanlife
取材協力/平取町立二風谷アイヌ博物館
https://www.mylohas.net/2017/09/064474attus.html

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馳星周 ノワールの旗手が辿り着いた新境地 自然と差別と”ゆるす”がテーマの”泣けるサスペンス”が話題

2017-09-10 | アイヌ民族関連
Yahoo!ニュース 9/9(土) 15:31 田中久勝  | 音楽&エンタメアナリスト
お気に入りのブログがある。それは軽井沢在住の作家・馳星周が、愛犬である2匹のバーニーズ・マウンテン・ドッグとの日常を、自らが撮影した美しい写真と文章で綴っている『ワルテルと天使たちと小説家』だ。表情豊かな愛犬と、軽井沢の四季折々の自然を捉えた写真に、目を奪われてしまう。
”ノワール小説の旗手”から、あらゆるジャンルで話題作を発表するオールラウンドプレイヤーに。「年を重ねたことと、本が売れない時代だからこそ、好きなものを好きなように書きたい」
馳星周といえばこれまで『不夜城』をはじめ、『漂流街』『夜光虫』『ダーク・ムーン』他、数々の名作を生み出した、当代一のノワール小説の書き手として、確固たる地位を築いている。しかし最近は歴史小説や犬をテーマにした小説、そして原発問題に切り込んだものなど、そのジャンルの幅は広がっている。11年前に愛犬のために軽井沢に住まいを移したことが、少なからず影響している。自然に囲まれた中で、愛犬と穏やかな日々を送り、山登りを趣味にし、自然に抱かれた生活を送る中で、現代社会の異常さ、もっというと日本全体の異常さがより鮮明に見えてきた。その問題点を炙り出し、多くの人に知らしめる作業が、ジャンルを超えた作品作りにつながっているのかもしれない。
8月22日に上梓し、好調な最新刊『神(カムイ)の涙』(実業之日本社)は、まさにそんな一冊だ。馳の故郷・北海道を舞台にした、自然を敬い生きる、頑固なアイヌの木彫り作家・平野敬蔵と、その孫娘で、アイヌであることを消し去りたいと、都会の学校への進学を夢見る・悠、そして誰にも明かせない過去を抱え、自らのルーツを辿る雅比古の3人が出会ったことで始まるストーリー――。今なぜこの小説なのか、この小説を書くことがいかに必要だったのかを、馳に聞いた。
「単純に歳を重ねたことが大きい。もうひとつは、今文芸不況と言われていて、なかなか本が売れない時代なので、好きなものを好きなように書こうかなと」。ジャンルの幅を広げている理由を、まずは単純明快に説明してくれた。去年作家デビュー20周年を迎えたことも大きい。「やっぱり20年もドンパチものを書いていたら、違うこともやってみたくなります。軽井沢に移住して11年になりますが、この地で登山を始めたり、興味の幅がどんどん広がっています」。歳を重ね、住む環境が大きく変わり、色々なことに興味が湧いてくるのは至極当然のことだ。自然の中に身を置くと、逆に刺激されることが多くなってくるのかもしれない。
『神(カムイ)の涙』は故郷・北海道が舞台。「18歳で東京に出てきて、ほとんど顧みることができなかった故郷に対する想いが、年々強くなっている」
馳の生まれ故郷・北海道を舞台にした作品は『神の涙』の他にも、『淡雪記』『約束の地で』『雪炎』などいくつかがあるが、やはり故郷への想いというのが、年々大きくなってきているのだろうか。「40歳を過ぎた頃から北海道を舞台にした作品が増えてきました。それは18歳で東京に出てきてから、ほとんど顧みることがなかった故郷に対する想いというのが、歳を重ねるにつれて出てきたことがあります。また、今の経済至上主義の日本人の在り方が嫌いで、長いスパンでみれば、縄文時代に帰ることができたらいいのになと思っています。自給自足で、その日食べるものだけを森や畑からとってきて、生活するスタイルです。でも、縄文時代を舞台にした小説を書くわけにはいかないので、いろいろ考えていると、アイヌの人たちの文化というのは縄文時代から連綿と続いているものなのかなと思い、書いてみようと思いました。僕は小さい頃、周りにアイヌの人がたくさんいる環境の中で育ち、差別というものを目の当たりにしてきたし、もしかしたら自分もアイヌの人たちから見ると、差別的な発言をしていたのかもしれません。そういうことへの贖罪も込めてということを最初に思いました」。
『神(カムイ)の涙』では、今も差別に苦しんでいる家族を主役にし、そして自然を敬い、神と共に生きる、まさに縄文時代に生きた人と同じ気持ちを持っているアイヌを描くことで、現代社会、日本人へ警鐘を鳴らしている。自然との共存という考え方は、やはり軽井沢に移住してから、より強くなってきたのだろうか。「確かにそうですね。都会にいるとわからないこと、軽井沢に住んでいるからこそ見えてくることがたくさんあります。里山の問題もそうです。里山には高齢者が多く、山の手入れができなくなってきています。人里と山の境目があいまいになっていて、そこにクマをはじめとする山の獣が出現し始め、なんとかしなければいけないということは、田舎に住んでいる人たちはわかっています。でも都会にいる役人は、そこに予算を落としてなんとかしようという切実感がない。でも本当に切実な問題だと思うのに」。
「『神の涙』の大きなテーマ、”ゆるす”という概念は、軽井沢で犬と暮らしている中でどんどん大きくなってきた」
原発の問題もそうだ。日本全体の問題として、多くの日本人が感じていることがこの小説の中には存在する。差別と自然と、そして優しさが作品の大きな柱になっているが、やはり北海道が舞台だからこそ、北海道が書かせた小説なのだろうか。「一番重要だったのがアイヌの文化と自然に対する考え方だったので、北海道でなければ成立しないし、ヒグマの存在が必要でした。やっぱり日本で一番大きくて強い生き物であるヒグマを自然の象徴として、登場させたかった。それとこの小説の大きなテーマになっている“ゆるす”という概念は、軽井沢で犬と暮らしている中でどんどん大きくなってきた思いかもしれません。僕ら人間のことを彼らはいつもゆるしてくれているんです」。
“ゆるす”という考え方は、北の大地に育まれた大らかさと、助け合いながら生きるという、北海道民の中にある、真の人間性から生まれる無償の愛のことだ。そんな大きなテーマに抱かれたこの作品の中で敬蔵、悠、雅比古がそれぞれをゆるし、また多くのことゆるす。しかし原発問題に関しては、馳の許せない思いが、雅比古という男に反映されているようだ。雅比古は、東日本大震災で親を亡くしている設定だ。「原発というのは、縄文文化を継承しているアイヌ文化とは対極に位置するものだし、やっぱり3.11は終わっていないんだぞということを言いたい部分もありました。それと、過去を持つ人でも“浄化”されるということを書きたかった」。ゆるしたことで、過去が浄化されるという、清々しい空気を感じるラストシーンも印象的だ。「雅比古と悠の世代で、敬蔵がやってきたことを受け継いでいかなければいけない。引き継ぐ、伝承する大切さも描きたかった」。
「軽井沢に来てから肩肘張らなくなった。今小説を書くことが本当に楽しい。あぶらが乗っていると自分で言っています(笑)」
この作品で、馳星周の作品に初めて触れるという人は、ノワールの第一人者と呼ばれている作家の作品とは思わないだろう。この極端な作風の違いこそが、馳の凄さであり、強さでもある。「自分の中では何の違和感もなく、色々なタイプの小説を書いています。そういう意味では今一番あぶらが乗っていると、自分で言っています(笑)。40歳を過ぎてから、小説を書くのが本当に楽しくて。それまでは、ベストセラー作家だからとか、変なしがらみがあって、余計なことを考えて、あまり仕事が楽しくなかったです。もちろんプロだから、それなりの作品は書かなければいけないのですが、でも軽井沢に来てから肩肘張らなくなったというのが大きいと思う」。
「人は人の中にいると色々な顔を作る、でも自然の中では作れない」
今回の『神の涙』もそうだが、これからも自然をテーマに、舞台にした作品は増えていくのだろうか。「増えていくと思います。人は人の中にいるといろいろな顔を作れると思いますが、自然の中にいると作れないんです。自然の中では素の自分が出てきます。それと、この作品でも描いていますが、勇気を与えてくれるのは、やはり家族と友人だと思っています。一方で、僕は20代の頃は「人は一人で生きていく生きものだ」と思っていたタイプだったのですが(笑)。この変化はやっぱり大きいと思います」。
馳というと、どうしても酒、ゲーム、プロレス、サッカー、葉巻というイメージが強いが、今は自然の中でゆっくり犬たちと暮らすことが、一番の安らぎであり、一番興味があることのようだ。そして7年前に登山に初めてチャレンジし、その虜になり、忙しい合間を縫って度々山に出かけているという。「軽井沢に移住してきて、いつも犬の散歩をしながら写真を撮っている時、冬の浅間山がものすごくきれいだなと思ったのですが、ある日、モルゲンロートという、雪の斜面が太陽の光を受けて真っ赤に染まる現象を見たんです。そのあまりの美しさに感激して、下から見てこんなにきれいなんだから、上から見るとどうなんだろうと思ってしまったのが運の尽きです(笑)」。
作品に大きな影響を与えている登山の魅力は「達成感と自分の限界を更新できるところ」
人の“裏側”を描く名手が、「人は人の中では色々な顔が作れるが、自然の中では作れない。素の自分が出てくる」ということを再認識したのも、登山なのかもしれない。なにがそこまで馳を夢中にさせるのだろうか。「達成感です。登った者だけが目にすることができる風景の美しさも、達成感の中に入っています。あの森林限界を超えて、尾根に出た時の最初の達成感はたまらないです。そこから山頂までの尾根歩きの気持ち良さは他にはない。登山を始めて7年目ですが、だんだん体力もついてきて、そうするとどんどん難しい山に登れるようになって、自分の限界を更新できることが楽しいです。去年は奥穂高岳(標高3190m)という山に登ることができました。岩場の連続で遭難者も出るくらい難しい山です。実は僕は高所恐怖症なのですが、師匠に教わったこと、自分が知っていることを間違いなくやっていけば、絶対に登れると言い聞かせて挑戦しました。足元を見ると怖くて体が動かなくなるけど、難しい箇所をクリアする度に経験値が上乗せされていく感じが、面白いです。18歳で北海道から東京に出てきて以来、今が一番体力があると思います(笑)」。
酸いも甘いも経験済みであろう人気作家の口から、“達成感”“教わったことをきちんとやれば克服できると言い聞かせる”“難所をクリアし経験値が上乗せされていくのが面白い”という、ポジティブな言葉がポンポン出てくるのは意外だった。登山を人生に例える人も多い。苦しいが、その美しい風景や、途中に咲いている美しい草花や、意外な動物との出会い、そして同行者との会話、決して豪華ではないが格別に美味しい食事と、人を惹きつける色々な楽しみもあるのが登山だ。まさに人生の縮図かもしれない。
そんな登山に出会い、その人生がさらに豊かなものになった馳が、作家生活20周年を迎えて辿り着いた新境地が、シンプルかつ深い自然と人間の物語、『神(カムイ)の涙』だ。
<Profile>
はせ・せいしゅう 1965年北海道生まれ。横浜市立大学卒業。編集者、フリーライターを経て、96年『不夜城』で小説家デビュー。97年、同作品で第18回吉川英治文学新人賞を受賞。98年『鎮魂歌―不夜城II』で第51回日本推理作家協会賞、99年には『漂流街』で第1回大藪春彦賞をそれぞれ受賞し、ノワール小説の第一人者として多くのファンを持つ。しかし近年はノワール小説だけに留まらず、さまざまなジャンルの作品を発表し、高い評価を得ている。近著に『雪炎』『アンタッチャブル』『陽だまりの天使たち ソウルメイトII』『神奈備』『暗手』などがある。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakahisakatsu/20170909-00075510/

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訪日外国人モニターツアー、マレーシアから11人 白老の魅力を満喫

2017-09-10 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2017/9/9配信
 訪日外国人の受け入れ体制づくりに向け、白老町や観光協会などでつくる町観光誘客推進会議は6、7の両日、外国人旅行者のモニターツアーを行った。マレーシアから来日した11人は、町内でべこ餅や巨大パッチワーク作りに挑戦。講師を務めた地域住民との交流を通し、観光客らは白老の魅力を満喫した。
 2020年の民族共生象徴空間の開設に伴い、訪日外国人がこれまで以上に多く白老を訪れることを想定し、同会議が中心となって受け入れ体制づくりに向けた観光資源の再構築や商品化に取り組んでいる。
 今回、新たに企画した体験メニューは、北海道宝島旅行社が企画したツアーに組み込まれ、町民の日常生活の中にあるものをメニュー化した。
 6日に虎杖浜温泉ぬくもりの湯で行われた体験では、虎杖浜婦人会と虎杖浜越後盆踊り保存会がモニターツアー参加者を受け入れ、ピンクや黄色に着色した米粉の生地を木型に入れて成形するべこ餅を作ったり、輪になって越後踊りを体験した。
 7日は白老創造空間「蔵」で巨大パッチワークとバターナイフ作りを行った。みんなの心つなげる巨大パッチワークの会のメンバーを講師に、アイヌ文様刺しゅうに挑戦。チェーンステッチでアイヌ文様のほか、イニシャルと日付を刺しゅうした。今回作った刺しゅうは巨大パッチワークの作品に組み込まれ、象徴空間開設時に展示される予定だ。
 初めて北海道を訪れたチャオ・ギョク・チュウさん(68)は「刺しゅうは楽しいですね。べこ餅作りも楽しかったです。白老での体験は貴重な経験になりました」と話していた。
 同会議は「地元の人が主役になった体験メニューを今後も拡充していき、まち全体で外国人の受け入れ体制づくり、機運を高めていけたら」と話している。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/12129/


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