くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育」有元秀文

2013-01-08 19:42:13 | 社会科学・教育
 八重洲ブックセンターで購入した一冊。ラクレに入っていた福島先生の新書とどちらを買うか迷った結果、こちらにしました。有元秀文「まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育」(合同出版)。なんか長いタイトルですけどね。
 わたし自身、国語教育についていろいろ考えることが多く、ちょっと啓蒙されたいと思いまして。学校図書館東北大会でブッククラブによる実践を発表された先生が有元先生のことを話していたり、昨年の地元研究会でプリントが配られたりしていたんですよ。
 なんというか、国語の授業について考えていたことが具現化されているようで、参考になります。
 例えば「批判的に読む」ことについて。以前、古典の検討会をしたときに、講評の方が「中三なんだから感想だけでなく批判的に読ませる必要があるのでは。出てくる意見に共感しかないのは残念」と言っていて、ちょっと引っかかるものがあったのです。批判的に読むというのは、イコール反対意見を出すではないはず。
 「よくわからないところや納得のいかないところを質問して明らかにし、こう考えたらよいという提案をしたり、ほかの考え方を示したり、修正案を提案し合ったりすること」と明文化してあり、なるほどと膝を打ちました。
 また、有元先生は国語教育から「なぜ」が消えていることを危惧しています。PISAの問題に近づけるつもりで始まったはずの全国学力状況検査も、回を重ねるごとに問題が変わっており、その結果に振り回されてしまう。授業は登場人物の心情のみを尋ね、答えが意図する方向にいかないと教師の機嫌が悪くなる。
 国語の学習には何段階かあって、有元先生は「正確な理解」「解釈」「クリティカルリーディング」「パーソナルリーディング」「クリエイティブリーディング」と名づけています。現在の国語教育は、この段階のごくごく初期で終わっているように感じる。クリティカルに読む力をつけさせたい。良し悪しを自分で判断できるようにさせたい。
 確かにわたしがこのところ考えていたのも、そういうことなんです。読めば分かるようなことをわざわざ何時間もかけて板状する必要はないし、生徒活動がない授業はお互いにつまらない。集団でなければできないことを、授業でやっていきたいのです。
 活動というのは、表にまとめたりワークシートを書いたりすることではないのです。作品をどう読むのか、自分の考えをまとめて、お互いに伝える。それを全体に発表する。そのためには、それなりの発問をしたり文章構成を示したりしなければなりません。根底に作品のテーマがなくてはならないのです。
 わたしが中学生だったとき、授業は要約と主題と漢字でできていました。国語という教科は好きだけど授業はつまらなかった。主題はひとつではない、と聞いてホッとしとような気持ちです。でも、それを無視しての我流になってはいけないのですよね。
 有元先生の主張、たいへんおもしろく読みました。でも、やっぱり引っかかる部分はあります。まず、部活を撤廃すべしということですが……わたしも部活は苦手なのでそうなると嬉しいことは嬉しいのですが。でも、難しいですよね。違う本には部活の効用も結構書かれ手いるのでは。加えて、自分が教えていた高校生と比べて中学生は素直だから、顧問の自尊心も満たされるのではないかと考察されていますが……それは、生徒と授業者の距離によると思います。外部から来た偉い講師の先生に文句は言わないでしょう。(同じ立場だったら高校生も素直に聞くと思うのですが、違いますかね)
 
 長くなりそうなので続きます。



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