くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「鳥肌が」穂村弘

2016-09-09 20:10:07 | エッセイ・ルポルタージュ
 穂村さんのエッセイはやっぱりおもしろい。
 「鳥肌が」(PHP研究所)。あー、この気持ちわかるなあ、と思ってしまいます。
 友人夫婦から赤ちゃんを抱いてみないかと手渡されそうになるとき、慣れていないから不安だという穂村さんに、自分が何をするかわからないと思う人がいるようだと友人は語ります。
「何をするかって、例えば……」
「窓からぽいって捨てちゃうとか」
 自分がある局面で、それまでとは違う予想もつかないことをしてしまう可能性の恐怖。
 小さい赤ちゃんだからこそ、何の抵抗もなくなすがままにされてしまうことになるのです。わたしも息子が小さかったとき、自分の腕の中に「命」があるのだなあと思ったことがあります。
 また、「現実の素顔」という項では、子ヤギに「可愛い」と近づいたタレントがミルクを飲ませる場面からの考察があります。
 彼女は子ヤギが夢中で飲む様子が怖くなる。動物の本能が剥き出しになる恐怖を感じるのです。
 ヤギの目が「完全にイッてしまっている」から怖い、と穂村さんはいいますが、いやー、ヤギは他の動物と違って瞳が三日月みたいだからじゃないですか。わたしはヤギを飼っていたので、乱暴なことは身にしみております。でも、観光牧場のヤギはおとなしいよねぇ。
 普段触れない存在だと、ぬいぐるみやアニメーションの「可愛さ」のイメージに傾いてしまっているのではないか、と。
 同じように、映画のラブシーンしか知らない人はロマンチックなイメージを抱いているだろうし、千人針に虱がわくことへの驚きも考察されています。
 なるほどなあ。
 穂村さんの文章って、「怖い」とは思わないのです。どちらかというとふっと気が抜けるようなおかしみがある。
 ただ、それは結構皮膚感覚として分かる感じがするんです。
 装丁は祖父江さん。スピンがピンクの紐三本、挿絵の裏は空白(本文に紙が挟まったイメージなのかしら)、紙質ちょっと薄め、の雰囲気も、なんか訴えてくるものがあります。