すみません、古い本で。
浅田義邦「北国に育つホタル 私の観察日記」(誠文堂新光社)。1974年刊!
ゲンジボタルの里といわれる金成沢辺の環境保全のために、ホタルの人工飼育に取り組んだ校長先生の記録です。
近くに住んでいるというのに、わたしはゲンジボタルの飛ぶ様子を見たことがありません。
友人が一昨年見に行って「びっくりするくらい飛んでた!」といってました。
浅田さんは、町内の学校に転勤したことをきっかけに、天然記念物「沢辺の源氏蛍」として指定された板倉堰の環境を整えることと、タマゴを採取して人工飼育をすることを計画し、ホタルを増やしたいと行動します。
餌になるカワニナをとったり、水槽の温度管理をしたり。手探りでの観察の日々。
病気で入院した友人に、やっと誕生したヘイケボタルを見せに行くエピソードや、飼育を通して各地の人々と交流する姿も。
でも、これほど苦労されたホタルの人工飼育は、その後当地で継承されているのかというと、わたしにはわからないのです。栗原の観光マップにはかかれていないし、金成出身の同僚も学校でホタルの話は出なかったと言っていました。
ただ、ネットで検索すると、浅田さんからタマゴを譲り受けた方が、今もホタルを育てていることがわかります。
つながり続けるというのは、たいへんなことですよね。
浅田義邦「北国に育つホタル 私の観察日記」(誠文堂新光社)。1974年刊!
ゲンジボタルの里といわれる金成沢辺の環境保全のために、ホタルの人工飼育に取り組んだ校長先生の記録です。
近くに住んでいるというのに、わたしはゲンジボタルの飛ぶ様子を見たことがありません。
友人が一昨年見に行って「びっくりするくらい飛んでた!」といってました。
浅田さんは、町内の学校に転勤したことをきっかけに、天然記念物「沢辺の源氏蛍」として指定された板倉堰の環境を整えることと、タマゴを採取して人工飼育をすることを計画し、ホタルを増やしたいと行動します。
餌になるカワニナをとったり、水槽の温度管理をしたり。手探りでの観察の日々。
病気で入院した友人に、やっと誕生したヘイケボタルを見せに行くエピソードや、飼育を通して各地の人々と交流する姿も。
でも、これほど苦労されたホタルの人工飼育は、その後当地で継承されているのかというと、わたしにはわからないのです。栗原の観光マップにはかかれていないし、金成出身の同僚も学校でホタルの話は出なかったと言っていました。
ただ、ネットで検索すると、浅田さんからタマゴを譲り受けた方が、今もホタルを育てていることがわかります。
つながり続けるというのは、たいへんなことですよね。