因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝公演『無欲の人 熊谷守一物語』

2013-06-20 | 舞台

*相良敦子作 兒玉庸策演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアター 7月2日まで (1,2,3,4,5,6) 豊島区立熊谷守一美術館では28周年展が行われている。こちらは今月30日まで。
 『ウェルかめ』や『シングルマザーズ』など、テレビドラマ界で活躍する脚本家の相良敦子がはじめて舞台の戯曲を執筆した。サブタイトルにあるように、洋画家・熊谷守一とその家族、友人たちの物語だ。実在の人であり、いまなお多くの信奉者をもつ画家を題材にする。しかもなにかと勝手のちがう演劇の世界である。クローズアップやカット割りなど、映像ならではの手法が使えないことが、大きな障害になったのではないかと想像した。
 しかし初日を開けた今夜の舞台は、このような懸念を吹き飛ばすものであった。

 物語は明治の終わりごろ、画家のモリカズ(千葉茂則)の下宿で、生涯の友となる作曲家の信時潔(西川明)が出会う場面にはじまる。千駄木の車引きの二階は、つぎつぎに訪れる画家仲間たちでたちまちいっぱいになり、芸術談義や恋愛論を闘わせる。貧しくとも志と希望に満ちた青春の輝きがまぶしいほどに・・・演じているのは民藝のベテラン俳優さんがたで、役柄と実年齢とのギャップはそれはもうたいへんなものだ。
 演技力やメイクアップなどで青年にみせるというのはどだい無理な話であり、みるほうもそれを特別にあれこれ言おうとは思わないのである。これも芝居の味わいであると自然に受けとめられたのは実に不思議であり、ここから大正時代をすぎ、太平洋戦争が終わり、主人公が文字通り仙人のような老人になるまでつづく数十年の物語を違和感なく気持ちよく楽しむことができた。
 考えてみると、その要因はベテランのかたがたが役柄を演じる姿勢にあるのではないだろうか。二十代の若者の役だから、ほんとうにそう見えるように演技するのではなく、物語ぜんたいをゆったりととらえ、役の二十年三十年先までを視野にいれて、そのなかに自分の身をおく。無理な若づくりはみるほうも辛い。若者が若者の役をするのでは到底生まれない奥ゆきが、みるものを物語のなかに自然に引き入れるのである。

 
 熊谷守一は人と争わず、競わない、まさに「無欲の人」なのだが、舞台のモリカズは決してもの静かではない。売るための絵は描かない。展覧会への出品も拒否する。とうぜん生活は窮し、病気の子どもの治療費にも事欠く。彼の絵を売ろうと申し出る友人を拒否し、忠告にも耳を傾けず、画商を追いかえす。つねづね「絵なんて人生の滓だ」と言い捨てながら、わずか3歳で病死した次男の亡き骸を抱いて悲嘆にくれながら、突然キャンバスに食らいつくようにして子の死に顔を描こうとする。「こんなときに、おれはどうして絵を」と絶句するすがたにはさすがに胸がつまる。

 芸術と生活、志と現実が相容れないのは常であり、モリカズ自身のなかにも激しい葛藤があったのではなかろうか。

 登場人物は「濃い」が、戯曲の筆致はすっきりしている。モリカズは人妻であった秀子に恋をした。ふたりが結ばれるまでにどんな修羅場がと思わせたが、場面が変わって関東大震災の大火事から逃げてゆくモリカズは赤子を抱いている。ご近所さんに「奥さんは」と聞かれて、「母ちゃんを忘れていた」。「モリー」と呼びながら追いかけてくるのはモリカズの女房になった秀子(白石珠江)であり、「いっしょになるのに手間がかかった相手なんだから、忘れていかないで」という。客席はどっと笑いながら、「いろいろあったみたいだが、こうして家族になったんだな」と納得するのである。わずかの台詞でそれまでのあれこれをさらりと表現し、聴く者にやわらかな余韻を与える。ここだけでなく、子どもたちが成長した戦中戦後の場面においてもどうようの印象があり、これが劇作家デヴューとなった相良敦子の手腕とともに、劇の人々に寄り添うまなざしの温かさが伝わる。

 ただ途中から信時さんが語り部風になるところと、終幕に熊谷守一の絵が何枚も(多くてびっくりした)映写されたところにはあともうひと工夫必要なのではないだろうか。登場人物のひとりが進行役をするつくりは珍しくなく、このように数十年間を描く評伝劇ではむしろ定番であろう。ならばもう少し早い場面において導入的な見せ方があったほうがよいのではないかと思われ、何より凡庸なつくりにみえたのが残念であった。後者も長々とした映写には演出上の理由があることもじゅうぶんわかるのだが、そこを何とか!と欲が出る。

 欲が出るのは、やはり舞台のモリカズと家族、友人たちが魅力的であるからだ。ドラマや映画、ドキュメンタリーではない演劇の魅力。堅実で地味なつくりであるが、新鮮でさわやかな評伝劇に出会えた。
 熊谷守一は晴天よりも雨が好きだったという。今日のように降ったりやんだりを繰り返す梅雨の日に、自分が主人公で、大切な家族や友だちもおおぜい登場するお芝居が初日を迎えたことをきっと喜ぶのではなかろうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 劇団青年座第208回公演『崩れ... | トップ | 林光・歌の本Ⅰ~Ⅳ全曲を歌う... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事