因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座+青年団自主企画交流シリーズ『パイドラの愛』

2008-02-11 | 舞台
*サラ・ケイン作 添田園子翻訳(文学座) 松井周演出(サンプル)公式サイトはこちら サイスタジオコモネA 14日まで
 難解な作品をみたときは、「これを書いた人の頭の中はどうなっているのだろう」とか、「これを上演したいというのはどういう心境なのか」とか「実際、楽しいのだろうか」などと、自分の不勉強を棚に上げて失礼なことを思う。台詞ひとつでもいい、何か今の自分の心と繋がるものがあれば、それを手がかりにできるのだが、まったくどこにも引っかからないときには、記事の書きようがなくて途方に暮れる。今回の『パイドラの愛』もそうなるのではないか。ある程度覚悟して舞台に臨んだ。

《ここから少し詳しい記述になります。未見の方はご注意ください。》

 いつものサイスタジオとは作りが大きく違い、これは「二方向客席」というのだろうか。高い天井いっぱいを使い、張り出し通路のようなものもある。壁は白く、正面には大きな鏡があり、無機的なスタジオといった印象である。シーシアス王(神野崇)の妃パイドラ(上田桃子)は、義理の息子ヒッポリュトス(反田孝幸)に恋をしている。彼は自室に引きこもり、ジャンクフードで醜く肥え太り、無為な性行為にふける。パイドラの実の娘ストロフィー(添田園子)は母にもヒッポリュトスにも冷徹な距離をとる。登場人物は王家の一族であるが、服装も言葉も現代風である。彼らの言動は虚無的でつかみどころがない。戯曲を読んでいないので、どこまでが原作でどのあたりが演出なのかわからないこともあり、ぼんやりとした悪夢のような、しかし心地よい100分の体験。

 無為な疲れは残らなかった。当日チラシ掲載の演出の松井周、翻訳の添田園子の文章を何度も読み返す。戯曲を、登場人物の心を理解しよう、近づこう、好きになろう…そのすべてでもあり、同時にどれでもないような、しかし強く確かな意志が伝わってくる。作り手側の気合いが強すぎると、みる方は引いたりしらけたりしがちである。だが二人が(もちろん二人だけでなく、この舞台に関わった多くの人も)サラ・ケインに惹かれる心にほんの少しだが、触れたように感じるのだ。受付には『パイドラの愛』のロゴが入った可愛らしいランプが置かれ、前述のチラシも透かし模様の入った素敵なデザインだ。この作品を心から大切に思っているのだと思う。もうこの世では会うことのできないサラ・ケインという劇作家に、自分もこうして出会うことができた。その幸福が時間が経つごとに少しずつ感じられてくる。
 

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