”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2016年10月27日 18時35分24秒 | Weblog

10月27日(木) 晴

何事もない日のひとりごと(その2)

先週までは予定満載で動き過ぎたためか今週は何もない日が3日続いています。そんな時は大概本を読んだり、過去のメモノ―トの整理をしたり、友人達にメールを送ったりでまぁ独楽鼠のごとく何かやっている。そんな中でふと思ったこと。

自分のメモノートには過去に読んだ本などの気に入ったフレーズなどを書き出している。その中で特に多いのが中国古典からの言葉である。四書五経、老子、荘子、韓非子、荀子、孫子・・・などなど自分が持っている本だけでもたくさんある。日本語に翻訳されたたくさんの中国古典を考えると中国三千年の歴史的遺産はひょっとすると現在の中国人より我々日本人の方がたくさん引き継いでいるような気がしてならない。
我が国では遣隋使、遣唐使の時代に数々の文化的遺産を受け入れ、独自に発展させてきたのですが、本場の中国ではその後の歴史の中でも焚書など政権が変わる度に行われてきたような気がします。(焚書坑儒は秦の始皇帝が行った蛮行ですが、過去の文化的書籍を焼き捨てる焚書は行われていたと思っています。)それに対し我が国では古代中国から持ち帰った写本やそれを更に深く探求した学者たちによって多くの東洋哲学の原点が引き継がれてきたように思います。

唐の時代には「蒙求物語」と言った修身書によって子供達に生き方のモデルを示されました。それらは四字熟語で記され日本における熟語の元にもなっています。また戦前の日本の修身書においては蒙求物語と同様な生き方のモデルが記されました。戦後GHQにより廃されましたが戦前にはヨーロッパでも称賛された道徳書だったようです。
現代の中国においては古典的な漢字はすべて簡略化された表音文字でしかなくなってしまい、過去の文化的遺産を引き継ぐことより、ウィグルやチベットなど領土拡大に主眼をおいてしまったように思います。中国からの観光客を見るにつけ、孔子の教えを受け継いでいる国とは思えません。もっともわが国でも人間としての生き方のモデルを失い、多様な価値観を謳歌する中で最低限のモラルも失われつつあるような気がします。
多様な価値観をお互いが認め合う世の中は大切なルールですが、その中には共通して守らなければならないモラルが存在することを我々は今一度教育し直さなければならないと思います。誰もが自由に本音で行動したら社会は成り立ちません。道徳と言う建前の潤滑油をもっと必要としているのが現代なのだと思います。

またつまらないことを書いてしまいました。あまり暇すぎるのも体によくありませんね。

コメント
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