八十路徒然なるままに

山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思い捨てがたきこと多し。徒然草より

またまた所在なし

2023年07月04日 12時03分42秒 | Weblog

所在無しは、聞えがいいが、退屈をしていた。今回も、道具調べをしていた。画像の左にある紙箱の墨は、全く使えない。ずうーっと前に、海外旅行の土産だとで、頂戴をした。試しに、摺ってみたが、かんちかんちでダメ。ある時、文具店で、筆を選んでいたとき、知らない人が、墨のことで、海外で買ってきたが、摺れないと、話しかけてきた。飾っておくのにはいい。その時の立ち話で、筆も買ってきたが、穂先が硬くふぐしてみたら、ぽろっと落ちて、使い物にはなせないとか、話してた。海外のお土産品なので、土産の品なのだろう。画像の中ほどに、摺り減ったのがある。習字の塾の時に、硯で摺っていた。所属していた会の展、公募の展は、用紙が大きいので、墨液を使っていた。画像の桐箱で小さいのは、墨の大きさは小指くらい。これは、コロナ禍のまえまでの七年間、写経会に行った際に、心落ち着かせるときに、マウス大の硯で摺っていた。画像の箱入れは、未使用のもの。表題から外れことを書いてしまった。退屈とは、することが無く苦しむ。この歳になれば、体に聞きながらの生活。付き合いもなくなる。仏頂面をして、食事くらいの時に顔を合わすだけ。ラジオの音声を流し、冷風になでられてのごろ寝、うたた寝。これがいい。たまあーに行くスーパーも、ざわつく音。棚からは、小っちな画面から怒鳴り声にも聞こえる「いらっしゃいませ」。終われば、セルフレジへどうぞ。またまた、年寄の愚痴です。


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