八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

一笑千金

2017年02月02日 20時45分23秒 | Weblog

新年の挨拶に使った図柄。知人が、コピーして、飾ると言ったその一枚を頂戴してきたもの。笑門来福。今年もそうありたいものだ。

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節分

2017年02月02日 20時17分59秒 | Weblog

今年は、風か吹き荒れるようだ。去年の今頃は、雪が積もった。明日は、節分。冬から春への折り返しという。「鬼は外、福は内」と豆で、鬼を追い払う。イワシのの頭と、ヒイラギを、さして、戸毎にはりつける。昔あーしの子どものころは、庭木のヒイラギの枝をとり、その枝に、イワシの頭をさしたように、覚えている。枝豆の枝は、豆を炒るのに燃やしたと思う。大晦日の、除夜の鐘の、煩悩を打ち払う行事と、鬼を追い払う、豆まきの行事も、一年の終わりの、大切な行事のようだ。豆まきのあと、83粒の豆を食べるのは、ちょっと、ご免こうむりたい。

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書家の般若心經

2017年02月02日 19時50分15秒 | Weblog

画像は、平成元年ころ、NHKのテレビで、「書道に親しむ」が放送された。そのテキストから、転載した。書家は、「榊 莫山」。その解説より。「般若心經をかいているときは、羽織はかまの、かしこまった気分の持続が必要」とある。「筆は、書体にもよっても、書風によっても、吟味して使うがよい」と。「書風は、人々のキャラクターであれば、同じ楷書でも、良寛のように、細い瀟洒[しょうしゃ]なものをかくには、表現によって、筆をえらばならぬものである」とある。「筆は、書体によっても、書風によっても、吟味して使うのがよい、と思う」とある。ちょっと思い出して読んでみた。なにはともあれ、まずは、心。「心經」と、肝に銘じること。写経会は、三月からになる。

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