優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

重い腰が、少し上がったようです

2008年07月17日 | Weblog
 <正義が、必ずしも人を幸せにしないことは、大抵の人は身に染みて実感している。だから正義であろうと思われることを為そうとする場合でも、それが正義であることを誰もが理解していたとしても、そこに向かって真っ向から進めないようなことが多々ある。
 さて、我々は、ではどうする? 「シルバー、おめぇなら、どうする?」・・である。>

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 関東の名高い大学院で苦労してるヤツが立ち寄って中々面白い話をしてったので、今日はその話をしようとも思ったけど、話には常に優先順位がある。学問上の論議に終始してる「分野に細分化することが好きな高学歴な方々」の四方山話よりも、もっと大事なのはリアリティのある事実である。
 なので、「野外炊飯でパンを焼くのに夢中になってた段階で、切られたと思ってました」という君の話は、また次回に。大丈夫、お前はあの「グラウンドでキャッチボールしてる空気」を体感して、今もなお考え続けているんだろ。分野括りなんて、クソ食らえだよな(笑)
 いつも言ってる通りです、「見切っても、見捨てない」し、「追放しても、戻ってくれば、いつでも受け入れる」って♪

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 ということで午後、優秀な大学院生(教育と心理を学ぶ人たちは、永遠に私から嫌味を言われるのを受け入れてください☆)と別れた後、連絡が舞い込んで来た。福祉サービス運営適正化委員会から、であった。
 どうも、ずっと追っている施設を辞めた利用者のことで、とある養護学校の進路指導担当の先生より、「施設長から虐待を受けた」旨の相談が来たので、そろそろ見逃してもいられなくなった、ようである。
 とりあえず、電話だと伝わらない可能性があるので、直接乗り込んで話をしに行く。積み上げて行く以外に、前に進む術はないのだ。
 「うちの方でも、議題に挙げてみようと思いますので・・」との言葉に重ねて、「でも調査とかが入ると、どっちに転ぶか分からないところもあるんですよね、良い方へ転べばいいんですけど・・」とかっても言われる。うーん・・・・・まぁ、ちょっとだけ進展があったかなと思いつつ、職場に戻る。


 夕方、すっげーやかましいボランティア学生が印刷機を使いこなせずに、いつまでも騒いでるのを一喝し、ちょっとした決意を持って、某市の職員名簿から市役所本庁の福祉課へ電話をする。時間外、既に19時近い。名前は言えないのですが、某区で虐待に近い問題処遇を受けている利用者から相談を受けてまして・・・
 「『○○の○』って施設ですか? 先日、A養護学校の卒業生が虐待を受けているという相談があったので、福祉サービス運営適正化委員会を紹介しましたが。」
 いや、その子ではなく、うちはB養護学校の卒業生で、1名は辞めて、1名はまだ在籍してます。問題処遇の例としては・・・と、こちらで押さえている状況、これまでの施設側の処遇、そして打つことができない理由について一通り説明する。
 で、福祉サービス運営適正化委員会からも同じことを言われたのだが、市福祉課の施設担当も「3名という数は多いので、これは何かしらの手を打たねばならない」、と。いろんな方面から、この施設での処遇が口上に上がっている。でも、明確な対応は、結局無かったというわけだ、やはり。
 「行政サイドとしては、やる以上、根拠と事実を持って当たらねばならないので、できれば名前を出してもらわなければ何をするのも難しいので、まずはどのような状況なのか、書面で提出してください。」
 名前を出して説明すれば、きちんと調査なり対応をしてくれますか? 確かに名前を挙げるリスクはあるのだけど、真っ当なことがなされていないことを見逃すのは、もっと問題なわけですよね。こちらでも、傷んでる家族の立場とか方針とかもあるので、自分のところで話をして、その上で家族にとってどうするのが一番いいのかを考えてもらって、その意思に基づいて、対応しますので。

 どの相談もそうだけど、本人であることが分からないように調べてほしい・当たってほしい・・・という声が聞かれる。でも、ある一定の線を越えたら、きちんと打たねばならない。
 ようやく、行政が腰を上げた。これから、もう一勝負である。受話器を取り、家庭へ、「楽しさを取り戻そう×野外炊飯活動」の際の待ち合わせを確認した後、今日各所でなされた話を伝える。
 「今、返事をすぐにしなくて構いません。大事なことなので、ゆっくり家族で話をして、一番いいと思う方法を教えてくれたら、それを採りますので。」

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  電話が繋がる。
  今日、ひとつ突破したんだけど、
  あれだよな、
  安全と安心を確保するのが「福祉の仕事」なのに、
  「あっちはダメだったけど、こっちは大丈夫だよ」とかって
  口にしなければいけないのって、なんだかなー・・・・

    でも、「安全と安心を確保するのが『福祉の仕事』」って言葉、
    ちょっとつらいです、聞くの。

  そりゃ、お前が体張って、それを守ってるからだろ。
  お前らが守ってるからこそ、
  俺らも「真っ当な」もののために、
  しっかり戦わなくっちゃ・・って思うんだからさ。

ダメ話があると、楽しい話は取り置きになる

2008年07月17日 | Weblog
 そうそう、今日は「サロン的なスペースを提供してくれる」という申し出を頂戴しました。理解者は、いつの世にも現れるのだ☆

 その日、前日受けた血液検査の結果を聞きに行ったところ、体内状況は予想以上に良く、決して褒められたものではないのだが、最近のハードワークの甲斐もあってか、やはり身体自体は改善されているんだと実感する。
 ・・・では、何が原因でこのような状況に陥っているんだ? 医者は、赤く腫れてる患部を不思議そうに見ながら、腫れが引かなかったら切開しましょう、と言う。うーん、早めに病院には来てるものの、いつもよりは痛みもないし、そもそもこれが血液的なものでないとすれば・・・単純に原因は、まさにハードワークそのもの。つまりは、「走り過ぎ」ってことに尽きる。走ったこともないロードを走ったり、夜中に山を無茶走りをして、足が驚いたってことだろう。うーん、こんなひ弱な話で良いのだろうか(悲)

 ・・・と、検査前に、久し振りに訪問したところで、「うちのスペースを提供するから、使って何かやれないかな。」という話を振られた。彼と自分、ビジョンにそんなに差は無い。



 本当は、今日こそはこの話をしようと思ったけど・・・・意識の低い仕事をしてる人たちの「丸投げ業務」の所為で、本当は大きな仕事であるはずのものが、共催サイドからは「接待事業」として、「お客さんが満足してくれるように、こちらではあちら様の希望を受けてあげましょう」的に為されていることを、改めて向こう側の担当者から、直接聞くことになり、確かに「納得できない仕事だから、自分はやらない」として同行することを断ったものの、このザマであったのかと。
 まぁ、「何でも話は聞きます引き受けます」みたいなことを言う主催者と、そこと親しくしているNPOの講師がやることだから、どうせ面白いものにはならない。いや、案を練ってる方は面白いと思ってるのかもしれないけど、「花火は、派手だからといって、そこに意味があるわけじゃない」と教えられてる常識ある人たちからすれば、目新しいもので景気良くやったとしても・・・その人たちの手に何が残るのだろうかを考えていなければ、あまり意味は無い。ほら、発展途上国に技術移行をしないで労働力だけを摘み取ろうとしても、決して成長には繋がらないのと同じで、何も手元に残らないような事業展開をしてるようでは、話にならない。その上、様々な意図とか思惑が互いにあるとしても、自分は空中戦だけやってるだけでは、連帯感など生まれない。
 尤も、そこまで分かってて空中戦を野放しにしておくのも問題なのは分かるが、他人の空中戦に手を突っ込んでたら、自分のやってる地上戦の白兵戦までダメになる。

 向こうの担当者は言う、
 「見切るけど、見捨てない」と私が言う言葉が、とても耳に痛いけど・・・でも、こんな仕事を目の前でされて、上の立場で指導してるみたいな思いをしてるのだとしたら、見切った瞬間に見捨てるけど、「これは接待事業だから」でみんな付き合ってあげてるんだからさ、と。
 この、おそらく平和なままだと思ってる無神経な人には気付かない殺伐とした「現場」に行かなかった自分は、行かないが故に「虎子に入らずんば虎子を得ず」だったのだけど、どうにもならないと思われるところを見捨てることとなった。誰も意味があると思っていないような事業に駆り出されるにはお断りだ、それが一番の理由だった。相違が厳然とあったにも関わらず、なおも共催で事業をやると決めたのであれば、もう少し手の打ちようがあったのに・・と思わざるを得ない。反対をした、こんなに相違があって、一緒にやるべきじゃない。でも、楽なところに流れて行ったこと、これが全ての敗因である。
 向こうで実施されていた「接待事業」の裏側で、自分は「意味のある作業」を続けている。地上戦は、それが泣くくらいみっともない過程を描き出したとしても、必ず次に繋がるべき汚れ痕を有している。でもそれは、裏側で苦虫を噛んでいる人たちの気持ちを踏み躙って為しえた成果でしかない。笑えないし、笑っちゃいけない。
 どうしてこんなに実の無い仕事をするのだろう。金が動いて、仕事が来るからって、こんな書類上だけが小ざっぱりと形を整えた仕事をして、「はい一段落」みたいな仕事をするようになって、そこにはどれくらい魂が動くのだろう。たった2年で・・・自分が担当してたときに「意味」と「意義」について、延々と激突しながら共有してた目的やら目標は、こうもあっさりと、お互いの手を擦り抜けて行くのだろうかと思うと、言っちゃいけないけど、「仕事は人に付いて来る」という意味を、改めて痛感するのだった。

 あー、だから地上戦を本気でやれない人は、最前線に立っちゃいけないんだよ。この失態は、取り戻せない。失態を、そうだと気付かないうちは。そして気付かせることもできない自分もまた・・・・