優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

関東に向かう方々への陣中見舞です

2008年07月05日 | Weblog
 おはようさま、教員採用試験、関東の陣・・・今日が試験でしたっけ、明日でしたっけ? ともあれ今日くらいには試験地に向かってるんですよね。関東も暑いと思いますが、しっかり試験を受けて来てください。3年計画が前倒しになれば、それは絶対に素敵なことですから☆


 さて、「いろいろ」ありますが、ちょっとだけ報告です。あの後、某授産施設を辞めた青年は、元々本命で希望していた授産施設へ実習に行ってます(実際は募集枠1に対して、実習体験で何名も呼ばれてるようなので、が採用は難しい・・と思われてます)。
 実習初日は、「楽しい」を連呼して帰って来ましたが、実習2日目を迎える朝4時、以前の施設で起こったことがフラッシュバックしたかのように、階段に座り込んで、彼が言われていたであろう文句やら言葉を大声を吐き出していたそうです。家族は、改めて思い直しました、この子の傷は、自分らが思ってるよりも遙かに大きいのだと。
 でもその日の施設の実習自体は順調に進んだらしく、終わった後に行った野球観戦でも楽しそうにしてました(楽天・片山が初完封した試合ですね)。なるほど、実習が終わったから駆けつけた際も、大騒ぎで節を付けて歌ったり、笑ってたりしてました。あらあら調子が良過ぎるねーとか思ってたんだけど、別室に母親に呼ばれて話を聞いてみれば、今朝はパニックでした・・・です。でも、今日は終わったら野球に行けば、みんながいるんだ、と言ってたそうです。まぁ、毎日暇だれしてる我々が一緒に行くってことの大きさを、少しだけ実感できる話でした。
 「お前なんか、どこにも行くところなんて、ねぇよ」、そんなふうに前施設から言われてきた彼が、「僕も、行けるところがあるんだ、良かった」とかって言ってるのを聞くと、とても言いようのない気分になる。その上、彼だけじゃないのだけど、「ここは大丈夫だからな」とかって言わなきゃならないのって、とてもとても不本意なことである。だって幾ら治安が悪くなった日本国とはいえ、「ここは大丈夫じゃないけど、こっちは大丈夫」とかって言わねばならないのは、やはり異常なことである。百歩譲って、一般社会の限定された場であれば万事臨戦態勢だったりするので(そうであっても、そりゃ疑問があるけど)、そーいう環境もあるだろう。だが、腐っても福祉の現場である。「ここは大丈夫だから安心していいよ」と言わねばならない状況は、本当に気持ちが悪い。
 で、その施設を辞めずに通ってるもう1人の青年が言う、「僕は日曜日に誘われたから、今週は頑張って仕事に行きます」、と。

 そりゃ、方向転換をせにゃ、ならんだろう。「真っ当なあり方」を掲げて戦い方を模索して腕を組んで考え事をしてるより、まずは「楽しさを取り戻すこと」の目指して跳ねてみる方が、きっと現実的に大事なんだから。「真っ当なあり方」には、きっといろいろあって、自分に・・・自分たちにできることを、まずは一歩、やってみればいい。「安心・安全を担保できない楽しさなど、『真の楽しさ』ではない」、である。

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 ボランティアの全ては、社会的な活動に繋がっている。そうじゃない活動は、所詮娯楽に過ぎない。入り口は一つでも、そこから何処へ向かうかは、各人の自由である。「私の戦い方」と「あなたの戦い方」が違くても構わないけど、目指すものは同じであれば、いいなーと思う。尤も、一緒に戦うかどうかなんて、分からないけどね(笑)
 


 あ、折角なので追伸です・・「だから教え子を自認するヤツは、腹を括ろう」(「ほぼ」なんて、認めないのさ♪)