ちょっと報告です。先日、某授産施設を辞めることになった青年ですが、ちょっと進展があったので、ご報告します。
私も知らなかったのですが、今は養護学校を卒業した後の3年間は、学校が追跡をやってくれており、今回のケースも、辞めた直後に養護学校から新しい施設を紹介されたそうです。尤も「3年間の追跡をすることが決められている」ということは、3年施設に定着することが、ある意味難しいが故に・・という意味でもあろうと思われます。
彼の場合、養護学校からの紹介とは別に、元々施設間移動という形で申し込んでいた授産施設で、ちょうど定員に空きが出て1名募集があり、数日の実習を経て、今週末から施設に通うこととなりました。
きっと、施設に通うようになっても、多少の混乱はあるものと思います。でも、彼を支える多くの人々が、きっと彼の人生を守ってくれることと思います。今回、私のバタバタした動きに付き合ってくれた方、混乱する彼に叩かれたりしながらも笑いながら一緒に野球を観てくれた方、どうにか打つ手はないものかと相談に乗ってくださった方々、本当にありがとうございました。
でも、実際は何も解決していないんですよ。昨日もボランティア学生と共にランチタイムを覗きに行ってきました(全く、問題施設でランチを食べて売り上げに貢献してるってのも不本意な話ですが・・・)。本来は、レストランでホール担当やっている車椅子の青年・・・数日前には一緒にカレーを作って大笑いしてたのですが・・・レストランへ行って、働いてる姿を見て声を掛けようと思ったのですが、この日も午前中に早退して不在とのことでした。
ランチを食べるとかでもしないと施設に入ることもできないので、これまで6名も連れてランチを食べに行ってます(売り上げに貢献してるなー)。広い、新しい施設で、白米と玄米を選べる彩り良いランチが出されます。そんなテーブルに座って、あちこち眺めながら、いつも笑えない気分で「ここに居る」わけです、自分は。見当たらない彼らの名前を挙げて、「今日はAくん、居ますか?」とか尋ね、様子をみる程度のことしか、ここではできない。飯も美味いとも感じないし、一緒に現地下見に来た笑い話をしようと思っても何となく乾いた話しかできない。他のお客さんを眺めて、「ねぇ、ここでひどい思いをしてる人がいるのを、みんな分かってるのかな?」とかって尋ねたくなるが、当然そんなこともできない。
そりゃ、仕事だから毎日が楽しく笑ってるだけじゃぁ、済まないでしょう。障がいがあろうが無かろうが、仕事である以上、きっといろいろある。仕事が終わってから、夜の21時頃にわざわざ相談に来るような人たちと、大なり小なり差はあったとしても、みーんな「いろいろ」ある。
でもなー、社会のセーフティーネットとして存在すべき福祉の現場で、あまりにも情けない話を見聞きしてると、何だか次に注ぐ言葉が見当たらなくなるわけです。
ほら、辞めてしまって縁が切れたら、辞めた人は一件落着だけど、残ってる人にとっては、何の解決もしていない。そして自分は、残っている車椅子を利用する彼が、どのような気持ちでいるのか、ほんの少しだけ、知っている。
どこの誰に聞いても、問題処遇があれば、それを黙っておくこと自体が間違っている・・・となる。でも現実には、あちこち走り回って問い合わせをしても、並ぶのは憔悴している家族の顔ばかりで、次が「手の打ちようがない」という相談先の顔ばかりでした。
最近、TVで観たと思いますが、宇都宮の虐待を疑われている保育所を、議会が採り上げてニュースで連呼されてるヤツ。あのニュースを観る度、打つ方法はまだまだあるのになーと思ってしまう。でも、きっとその方法は・・議員とかマスコミとか人権団体とか、そーいうのを使って騒ぐのって、功罪の判断ができないし、本人たちの意図しないところへ向かってしまう可能性があるから、安易には「じゃぁ、やってみればいいさ」とかっては、ならない。あの保育所だって、潰れてしまったら他に頼めるところがないので困る・・という声が地元では挙がってることを考えると、やはり選択肢の少なさが、大いなるネックになってるわけですわ。
本当に、手の打ちようがないのか・・・・??
まぁ、とりあえず、「『楽しさ』を取り戻そう」ってことで進んでるので、大がかりなことはできなくとも、地道に彼らの生活を支えるようなアクションを起こしつつ、でも、ここで起こっていることに対して、粗雑な処遇を受けた彼ら彼女らが蔑ろにされないよう、ちゃんと見ていることを、施設側にはうっすらとでも伝える努力だけでも続けていくしかないわけです(2度目の訪問時は、フロアの職員が少し警戒してた感じでしたので)。
もう少し時間を掛けて、今度はフォローする相手を換えてですが、地道に見続けて、当たっていかねばなりません。力が足りないのならば、足りないなりの勝負の仕方をやってかなくっちゃ、ならない。大事なのは、しっかり地べたを這い蹲って、地上戦をやり続けることです。
いつでも組んでくれる方、待ってますので。
私も知らなかったのですが、今は養護学校を卒業した後の3年間は、学校が追跡をやってくれており、今回のケースも、辞めた直後に養護学校から新しい施設を紹介されたそうです。尤も「3年間の追跡をすることが決められている」ということは、3年施設に定着することが、ある意味難しいが故に・・という意味でもあろうと思われます。
彼の場合、養護学校からの紹介とは別に、元々施設間移動という形で申し込んでいた授産施設で、ちょうど定員に空きが出て1名募集があり、数日の実習を経て、今週末から施設に通うこととなりました。
きっと、施設に通うようになっても、多少の混乱はあるものと思います。でも、彼を支える多くの人々が、きっと彼の人生を守ってくれることと思います。今回、私のバタバタした動きに付き合ってくれた方、混乱する彼に叩かれたりしながらも笑いながら一緒に野球を観てくれた方、どうにか打つ手はないものかと相談に乗ってくださった方々、本当にありがとうございました。
でも、実際は何も解決していないんですよ。昨日もボランティア学生と共にランチタイムを覗きに行ってきました(全く、問題施設でランチを食べて売り上げに貢献してるってのも不本意な話ですが・・・)。本来は、レストランでホール担当やっている車椅子の青年・・・数日前には一緒にカレーを作って大笑いしてたのですが・・・レストランへ行って、働いてる姿を見て声を掛けようと思ったのですが、この日も午前中に早退して不在とのことでした。
ランチを食べるとかでもしないと施設に入ることもできないので、これまで6名も連れてランチを食べに行ってます(売り上げに貢献してるなー)。広い、新しい施設で、白米と玄米を選べる彩り良いランチが出されます。そんなテーブルに座って、あちこち眺めながら、いつも笑えない気分で「ここに居る」わけです、自分は。見当たらない彼らの名前を挙げて、「今日はAくん、居ますか?」とか尋ね、様子をみる程度のことしか、ここではできない。飯も美味いとも感じないし、一緒に現地下見に来た笑い話をしようと思っても何となく乾いた話しかできない。他のお客さんを眺めて、「ねぇ、ここでひどい思いをしてる人がいるのを、みんな分かってるのかな?」とかって尋ねたくなるが、当然そんなこともできない。
そりゃ、仕事だから毎日が楽しく笑ってるだけじゃぁ、済まないでしょう。障がいがあろうが無かろうが、仕事である以上、きっといろいろある。仕事が終わってから、夜の21時頃にわざわざ相談に来るような人たちと、大なり小なり差はあったとしても、みーんな「いろいろ」ある。
でもなー、社会のセーフティーネットとして存在すべき福祉の現場で、あまりにも情けない話を見聞きしてると、何だか次に注ぐ言葉が見当たらなくなるわけです。
ほら、辞めてしまって縁が切れたら、辞めた人は一件落着だけど、残ってる人にとっては、何の解決もしていない。そして自分は、残っている車椅子を利用する彼が、どのような気持ちでいるのか、ほんの少しだけ、知っている。
どこの誰に聞いても、問題処遇があれば、それを黙っておくこと自体が間違っている・・・となる。でも現実には、あちこち走り回って問い合わせをしても、並ぶのは憔悴している家族の顔ばかりで、次が「手の打ちようがない」という相談先の顔ばかりでした。
最近、TVで観たと思いますが、宇都宮の虐待を疑われている保育所を、議会が採り上げてニュースで連呼されてるヤツ。あのニュースを観る度、打つ方法はまだまだあるのになーと思ってしまう。でも、きっとその方法は・・議員とかマスコミとか人権団体とか、そーいうのを使って騒ぐのって、功罪の判断ができないし、本人たちの意図しないところへ向かってしまう可能性があるから、安易には「じゃぁ、やってみればいいさ」とかっては、ならない。あの保育所だって、潰れてしまったら他に頼めるところがないので困る・・という声が地元では挙がってることを考えると、やはり選択肢の少なさが、大いなるネックになってるわけですわ。
本当に、手の打ちようがないのか・・・・??
まぁ、とりあえず、「『楽しさ』を取り戻そう」ってことで進んでるので、大がかりなことはできなくとも、地道に彼らの生活を支えるようなアクションを起こしつつ、でも、ここで起こっていることに対して、粗雑な処遇を受けた彼ら彼女らが蔑ろにされないよう、ちゃんと見ていることを、施設側にはうっすらとでも伝える努力だけでも続けていくしかないわけです(2度目の訪問時は、フロアの職員が少し警戒してた感じでしたので)。
もう少し時間を掛けて、今度はフォローする相手を換えてですが、地道に見続けて、当たっていかねばなりません。力が足りないのならば、足りないなりの勝負の仕方をやってかなくっちゃ、ならない。大事なのは、しっかり地べたを這い蹲って、地上戦をやり続けることです。
いつでも組んでくれる方、待ってますので。