優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

図書寄贈支援活動を行うにあたって、「図書」について、もっとベーシックな知識が必要だったのでは・・と

2011年10月29日 | 震災支援活動
 今日、某地区の避難所仮設住宅に、児童を主な対象とする図書閲覧スペースを作りたいとの相談を受けていたのですが、現段階で集まった図書を、代表の方に手渡して来ました。
 今回は、協力してくれている方々の寄附から傷んでいない中古の絵本や児童書を45冊。そんな大した量ではないけど、避難所にもそれほど大きなスペースがないからと言われてるので、まずは子ども用を中心に少しでも、と。
 現段階で、回転資金も尽きてしまい、手元に残金はほとんど無いのですが、また知恵を使って、何かしらの寄贈活動を続けていく予定です。


 いろいろ気付いたこと・・児童書・絵本を贈ることが、「活動」としてはそれなりの成果を出しているのだけれど、「活動体」としてはイマイチ回転しなかった大きな理由に、実は「本をしっかり読んでる人」が少なかったこと、あるいは作者や図書作品に対する基礎的な知識や時流、傾向を知らな過ぎるために、どういった図書を提供することが望ましいのか等の判断を各人ができなかったことが要因のひとつにあるように思えます。
 私も当然、寄贈した本を全部分かるわけはないのですが、作者の作品傾向や、児童対象に書かれた書名、そして寄贈するに相応しい本、あるいは著名な絵本についてのベーシックな知識くらいは学習していたため(←そう、こういったものは「学習」が時に必要だったりする!)、そこに苦労は無かったのですが、逆にそうした「図書を学ぶ機会」として活用するほどの余裕が無かったこともあり、運動体として貧困な精神であったのか、そうした指向性が共有されていなかったこと、そして運動体としてはイマイチ不足感が残ってしまったのかなと、改めて思ったりしてるところです。反省、そして次の手をまた考えねばなと。
 でもまぁ、まだ活動には「先」があるし、そこは必ずしも思想的皆無ではないんで、また地道に諸々のことをやって行こうと思います。
 ともあれ、精神も必要だが、活動するには「資金」もまた必要です。愛は地球を救わないが、金にしか救えない地球状況もあります(笑) 明日からも重ねて頑張りましょう。

「どうよ? 『世の中を変えよう』と思って、お前は活動してるか?」

2011年10月24日 | Weblog
 時々、何かあったような場面で、問いかける。
 「どうよ? 『世の中を変えよう』と思って、お前は活動してるか?」、と。
 まぁ、答えは概ね、分かっている。ある意味、そういうのを掲げない人ばかりが、何故か集まって来る。
 もうひとつ踏み込んで言うと、たとえば「ボランティア活動は、『社会的な活動』である」という思いを共有しているかといえば、ちょっと怪しい。みんな、ここにいれば、居場所があること、役割を持てること、それなりに満足感がある・・・んじゃないかなと。
 でも、おそらく「踏み込みが足りない」ので、仮に「痛い思い」をすることがあったとしても、そんなに致命的な痛さは体感しない。
 何もしないよりは、全然悪くない。
 でも、それが再生産以上の行為かどうか、つまり拡大再生産をしているのかどうか・・・を問われると、甚だ怪しくなる。

 特に今年は、これだけの大震災に揺さぶられ、それでもそれ以前と同じように過ごせるのは難しいはずだった。
 うまくやれる人は、たくさんいる。
 能力のある人も、たくさんいる。
 でも、何かを作り出すだけの力を生み出すんじゃないか、という感じが、中々しない。

 さぁ、どうなんだろう。
 別にどれだけのことがやれるわけでも、どのくらいまで行けると果たしてできるようになるのか、
なんて分からないんだが、例えば若者が、大人の言うとおりに活動してるだけだとしたら、それって勿体ないと思う、正直。
 今は、昔・・・といっても20年前の若者であった自分の頃と比べれば、いろんな見方があるかと思うけど、若者が力を発揮できる機会が多いと思う。
 にも関らず、そんなに力を発揮してない人が多いのは、やはり勿体ないんだろうなと。
 もちろん若者が、ということじゃない。「志」を特に持たず、とりあえず「言われたままに取り組んでる大人」の多さは、枚挙を厭わないし、きっと自分だって、怪しいもんだ。
 とはいえ、まだ「世の中を変えられる」と、きっと自分は信じている。嫌な奴だが、悪い奴じゃない、かもしれない(笑)

 少なくとも、どっかのマスメディアの人みたいに、大臣や官僚の名を挙げて、自分が呼び出せば目の前に現れて、自分の言うとおりに対処してくれる的な、バカなことを言ったりしない。まぁ、その大きなイベントが終わるまでは、どこのメディア様かは言いませんが(東北地方の局じゃないよ、ちなみに) 
 とりあえず、ちっぽけな存在でも、他人の権力を嵩にするようなクソ野郎にはならずにやってきましょうや。

宮城県内を回って、思う

2011年10月24日 | Weblog
 半年前は通行止めになっていた山下駅の近くにある知人の家にも辿り着けた。確かに回復するとは思えないほどの状況ながら、幾つかの家のベランダや軒先には布団が干されたりしており、この地で住む人の生活感が感じられる箇所も見られた。
 しかし、破壊された校舎の前には、片付けられなかったのか、泥を被ったランドセルが置かれている。
半年前に来た時よりは、すっきり片付けが進んでいるのは一目瞭然だ。小中学校のグラウンドにたくさんあった避難者のスペースはほとんど無くなり、体育の授業や休み時間に遊ぶジャージ姿の児童が、どこでも見られた。
 でも、津波が来た日から一切まだ手を加えられていない、全然片付けられていない住宅も目に入るのもまた、現実だった。


 訪ねた被災高校の先生は言う、
 「そうですね、震災直後は学校が『町』でしたから、その時と比べれば、だいぶ元に戻ってますかね。
  まだ、制服が手に入らない生徒が何名か、いますけど。」
 校舎の目の前には仮設住宅が、まるで太陽光パネルのような感じで一面に広がっている。被災した地域の方々から、何か力になれることがあれば声を掛けてくださいと言われる。みんな、すごいとしか言いようがない。

       

 自治体役場の入り口に、計測された放射線量が掲示されていた。ここで載せなきゃならないのか・・・そう思ってたら、確かに原発とは距離があるものの、ここも福島県と県境を構えていた。
 住民の安全を確保し、不安を解消する役割を担う役場の人たちも、直接的な被災は少なかったとしても、自分たちに発生要因が無い、対処方法の見つからない事態に、これだけ次から次へと課題難題が寄せられれば、心労も溜まることだろうと思ってしまう。
 
       

 震災被害自体は少なかったものの、水道の復旧が遅かった地域の中学校の校長と話した時は、あまりにも水道の復旧が進まなかったので、プールの水を汲んでトイレの水に使ってたそうな。そうした経験があったことを踏まえ、学校の事業費をうまく使って(震災のために実施できなくなった行事が幾つもあったそうなので、その経費を転用しながら、だそうです)、被災地の手伝いに生徒を連れて行ってる、とも言っていた。

              


 どこもここも、まだまだ何も収まっていない。

岩手にて、思う

2011年10月17日 | Weblog
 週末、図書寄贈支援を協働している図書館を訪問し、2回目の寄贈図書を届けてきました。今回は埼玉の方々から大きな協力をいただき、本を集めることができました。ちなみに、届けた本は185冊です。図書館に寄せられた整理中の6,000冊超の図書を見せてもらいましたが、来月には仮設校舎が完成した大槌町の小中学校へ届けられるとのことです。
 おそらく、もっと大規模な図書寄贈支援を行っている団体もあるのですが、自分では為し得ないマッチングを託せたこと、あるいは被災地の受け入れのタイミング等を踏まえると、とりあえず可能な範囲で、できるだけのことがやれたのではないかと思っています。ちなみに我々が届けた本の総数は、計563冊です。古過ぎる図書、傷みのある図書は寄贈分から外したため、先方へ届けた冊数は、皆さんから協力いただいた冊数よりも少ない数となってますが、段ボールで11箱もの図書が寄せられました。

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 図書を届けた後、大槌町へ向かう前に、盛岡で精神科病院に勤務する方と会い、海鮮丼を食べながら情報交換をしました(・・・盛岡の海鮮丼屋のメニュー表にも、「メカブが入荷できない」「ワカメが入荷できない」などの貼り紙が付けられています)。今年の4月から精神科病院に働き始める傍ら、休日に職場の同僚ワーカーと共に遠野市にある仮設住宅に住む避難住民を訪ねて回るボランティアに参加しているそうです。関西など県外からのボランティアも多い中、同じ岩手県ながら被災が少ない盛岡市からのボランティアは、継続して参加してもらえるとボランティアセンターからの喜ばれていると話していました。やはり、「継続して関わることのできるボランティアの重要性」が、ここでも示されています。
 「震災の記憶」が、被災のど真ん中にいないと、どんどん薄れて行く・・・最近復興が進んでいる地に住む人たちが顔を合わせる度に口にしてしまう中、可能な支援を心掛け続けるよう、話題に乗せて現状を伝えること、経済的な支援を意識して購買を行うこと、そうした些細なことでも継続していくことが大事だと、改めて感じるのだった。

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  盛岡を離れ、南下東行して大槌町に足を延ばす・・・もう暗くなってから大槌町に着いたこともあり、図書が届けられる小中学校の仮設校舎を目にすることはできなかったものの、闇の中で、まさに津波によって崩壊した大槌町立図書館を目にしました。まったく、図書があるとか無いとか以前の問題です。津波で被災した建物を見るたびに感じるのですが、ここでも黙ってしまいました。
 岩手沿岸部への図書支援が一旦終了したこともあり、これから、相談を受けている県南地域の仮設住宅への図書支援について、しっかりプローチを続けて行く予定です。それこそ自分たちの可能な範囲で、地道にやって行こうと思ってます。支援の一翼を担うためにエントリーシートを書くこと、活動を行うためのパスポートを手に入れることが主目的ではなく、「何ができるか、何をしていくか」こそが、これからも我々が問われる課題なのでしょうから。

今年の芋煮会行事

2011年10月11日 | Weblog
 裏番組では、クリネックススタジアムにて楽天イーグルスの山崎武司選手の退団で大騒ぎでしたが・・・渡辺直人といい、山崎といい、野村元監督といい、そういえば田尾初代監督といい・・・どうしてこのチームは辞めさせるときに揉めるんでしょうか。山崎が四番を打つようなチームは、おそらくパシフィックリーグを制することができないのは事実だが、それにしても毎回酷過ぎる結末である。 
  
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 まだ宮城では、公共施設が修繕中であったり、震災支援の拠点になってるため、活動できるスペースが足りない。うまく場所を見つけるために、まだまだ苦労してる次第です。とりあえず、今日は秋の芋煮会。すっきり晴天だったんで、屋外でやれればいいんだけど、移動や時間の面を考えて、屋内で実施してます。
 芋煮にしても、料理イベントは材料をケチると、何となく収まりが悪い。バリエーションが少なくとも、たくさん食べ物があって、お土産に持ち帰れるくらいだと良いなー(でも、この日は完食終了でした)

Mt.Takao にて

2011年10月08日 | Weblog
 白馬から戻って1週間も経たないうちに、またひょいと。
 9月19日に関東を訪ねた際、数年前に宮城県で障がい児者支援のボランティア活動に携わっていた方々と会うことになった。集まったのは、千葉県の作業療法士、横浜市の小学校教諭、今は埼玉県に住むMSW(病院ソーシャルワーカー)、それと関東へ帰省している学生である。
 東日本大震災が起きて半年を経た時期でもあり、些細ではあるものの、自分が目にした震災後の東北の実態や、関東各地の震災直後の様子などを、互いの近況とともに話の俎上に乗せながら、であった。

 宮城の話もだが、関東の様子もまた、相当なものである。4月に千葉、5月に埼玉、つい先週にも東京の元学生たちが当時の状況を伝えに来たりしたが、まさに各地様々なことが起こっている。
 千葉・横浜で勤務していた2人は、ともに震災直後は混乱したものの、帰宅難民になることなく、当日のうちに自宅に帰ることができたとのこと。横浜の小学校では、屋上のプールの水が震災によって階下へ漏れ、階下にある音楽室の楽器を著しく損傷させていた。千葉では、浦安をはじめ様々な場所で、想定外の地盤液状化により、今も移動に支障が見られるそうだ。
 予想を超える地震・津波による災害が起きたにも関わらず、震災後半年・・・これを長いと思うか短いと思うかは別にして、震災から半年を経た段階で、すっかり震災に対する警戒や準備が薄れていることを、話をする中で改めて気付くのだった。食料品や生活物資、ガソリン不足など、東日本沿岸部を震源とする大地震ですらこれだけの混乱が起きているのだから、都心を震源とする直下型震災が起こったならば、一体どうなるんだろうか? 震災における準備の重要性を再確認する。しかし、中々気持ちは忘れそうになり、流されてしまうものだ。

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 それにしても高尾山というのは、実に良くできている。まさに「自然と歴史的建築のアミューズメントパーク」という感じである。
 小銭を洗うと蓄財ができる水場、天狗像と同じポーズで一緒に写真を撮るステージ、回す・潜るといった気の効いた小アトラクションを楽しめる大道具、ケーブルカーやリフトといった大アトラクションの乗り物、サル園をはじめとする動物と親しめるスペース、環境や自然を学習するビジターセンター、自然と共に社寺仏閣による「祈り」という癒し的要素も十二分に加味されている。山頂には、ビアマウントを頂く飲食店の豊富さも、目を引きく。連なる蕎麦屋、ソフトクリーム屋、天狗焼き、だんご・・・やるじゃないか、高尾山!である。

       

       

 「ミシュランでメジャーになり過ぎて、却って足が遠のいてましたが、高尾山、思った以上に楽しめますね。」
 千葉から足を運んでくれたK.T氏が真面目な顔で言うほどだ。彼のまじめさは、高尾山口駅で待ち合わせをしたものの、私が駐車場探しに手間取っていたら、「待ってたんですが、もしかして先に行ってしまいましたか? 高尾山をなめて、かなり軽装で来てしまいましたので・・・」とか言うほどだ。確かに、フル登山装備で山を歩いている人もいる高尾山の中で・・・いや、高尾山に登る程度に、フル登山装備な方が怪しく思われるので、彼の姿の方が真っ当だ。白馬岳を強行突破してきた自分としては、「高尾山とて、なめるなよ」と言いたいところだが、まぁ、観光なので、サンダル履きじゃないのなら、特に文句を言ったりしない。
 この日は同行した車椅子利用の方と共に、高尾山登山コース3号路を登り、好天の山頂を踏むことになった・・・しかしミシュランでも高評価の高尾山、昼時の山頂は恐ろしいほどの人混み。しかも山頂はピクニック状態で、みんなが敷物しいて昼飯食べてたり、山ガールがフル登山装備で昼寝してたりする。山頂は、富士山が見えるところが売りなのだが、この日は好天ながら霞んで見えない。

       

       

 社寺という歴史的建築物でもあるため、車椅子を利用する方々にとって容易ではないものの、この高尾山3号路は、電動車椅子利用者も登っている映像がメディアで流れており、意外に車椅子の方々にも楽しまれている。自分も昨年春に来た際は、一人で車椅子を押し上げたのだが、今回は複数の手があったため、いやー、楽なこった、「人数の力」を思い知ることとなった次第である。
 ・・・でも、数名で車椅子を押して上げたのも大変だと思ってる若者どもは、以前に一人で上げたと言っても、あまり信じていない。まったく、こんな娯楽に他者の力を借りるなんて、中々容易なことじゃないんだから、普段はできる限り最少のメンバーで回転してるんだよ。もしくは諦めるか、さ。