優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

揺り戻し

2008年08月31日 | Weblog
 というわけじゃないのだが、某市の福祉施設を管理する管轄課から査察をしたとの報告が届いたことで、問題施設に対してこちらができることは「一段落」となるはずだった。・・・のだが、「問題」について、ずっと連絡を寄越し続けてるのが、某福祉サービス運営適正化委員会である。こちらも長期不在だったこと、この委員会の事務局長が出勤してる曜日は、自分が出張してる日と重なってることもあり、連絡が滞ってたのだが、県庁にいるときに連絡があったので、そのまま直接足を向けることにする。
 きっと、市の当該部署が施設に査察に行ったにも関わらず、何も引っ掛かってくるものが無かったまま、実質手ぶらで帰ってきたことに対して、大いに不満だったのだろう。どうにか打つ手はないのか・・・ということだった。
  「もし、虐待があったりしたのならば、何かこちらもしなければならない。
   もっときちんと対応しなければならない。」
 うーん・・・間違った処遇については、やはりきちんと正していくべきだとは、当然思う。でも、ベースは家庭の意思であるから、決して無理強いはしない。


 さて、全ての関係者が繰り返すこと・・・「難しいですねー」との言葉。 
 障がいのある人たちの就労は、難しい。本人だけではなく、サポートする側の職員だって、難しい。特に飲食物を提供する授産施設ならば、仕込みや販売やら、職員が相当の仕事量を重ねているのは、言うまでもない事実であることは、よく分かっている。知人の授産施設は、利用者に少しでも工賃を高く支払えるように、早朝出勤・残業・販路拡大のための飛び込み営業だけでなく、職員の賃金カットも強いられている。それでも「希望」のために福祉の現場に居る。自分も「賃金報酬は社会評価の現れだ」との持論を持っているが、金銭評価は何の価値もないことも十全に分かっている。「昔はそうだった」と、よく福祉作業所で語られる無報酬労働については、そりゃ昔みたいな無茶は有り得ないだろうが、それでも厳しい条件であることは変わらない。
 だが、それでもそれは「仕事」なのだ。仕事における優先事項は、いつも限られている。できることも限られているが、優先事項も限られている・・・だから、「やらねばならないこと」も、限られているのだ。
 「難しいですねー」・・・その通り、である。誰も踏み込めないし、踏み込んでみても歯応えなど無かったり相手にされなかったりするわけで、もうその段階で「難しい」とかってセリフを言う時期は終わってたのである。俎上にすら乗せてくれなかったところが、諦めた後に言われたって、今度はこっちが乗るのが「難しい」って状況なのだ。
 だから、同じ「難しい」でも、捉え方が随分違う。不正や問題行動を是正しようと思う正当な意思・・・当然間違っちゃいない。それと、痛んで乗り気じゃない家庭に対して、改めてそのことを直視しようと告げることの難しさを表現する「難しい」という感想。どちらも受けるにはタイミングがある。多くの相談機関は、一番支えてやらなきゃならなかった時に、ずっと様子見をしてたに過ぎない。確かにいろいろ言われたとしても、打つ手も無かっただろう。でも、自分のところに訴えが来る前から知ってた人たちは、今更言い出したって遅いだろうが・・・ってのもまた、事実でしょうが。

 「確たる証拠」みたいなのを突き付けて・・・という形を希望するならば、それを希望する者自身が苦労して手に入れない限り、そんなの拾って来た程度のネタに過ぎないし、そんなのあまり意味はない。
 手を汚さない人たちと一緒に仕事をするのは、いつも退屈なわけですよ。こっちは事実を掴むために、時間も経費も膨大に注ぎ込んでる。それでも返せるものなど、ほとんど無い。あるのは、「一緒に組んで行こう」っていう空気くらいなものだし、それを見せることによって「伝わればいいなー」と思う希望だけである。ほら、その段階で「見せる」相手は、いわゆる機関じゃない、「次に繋がってほしい、と自分が望む相手」なのだ。

 今回、市の福祉施設を管轄する部署の職員が調査に行ってるので、「きっとガードが固くなってる」でしょうと言われる。で、私に証拠を集めて揃えて欲しい・・・そーんな希望を出されたわけである。

 いっぱいありますよ、伊達にあちこち回ってたわけじゃない。この授産施設を辞めた1名(私が直接は関係していない1名)は、辞めるという意思表示をしてからの数日間、制服も貸してもらえず、職員から役立たず扱いされて過ごしたという。こちらで把握していない、サービス利用適正委員会へ苦情を言ってきた1名は、その後、どうなってるのか、やはり名前を名乗らなかったので音信が掴めないらしい。苦情だけが積み重なってきて、誰も打つ手が無い状況・・・・ 数名が辞めて、さらに施設間移動を希望する利用者がいるのだが、替わるべき「次の行き先」は、そうそう簡単には見つからない。
 相談を受けてた人たちは、これまでだって、たくさんいた。でも、結果的には何もして来なかった。そのことを棚に上げて、一体多くの福祉機関は、何をどうしようと言うのだ? こっちも大人だから、「そうですね、今後こんな思いをする人がいなくなるように、少しでも次に繋がれば・・ですよね」、と言う。でも、痛んだ人たちは、目の前にだっている。その人たちの傷痕しか見れないんじゃ、話にもならんじゃないか。

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 たまたま授産施設じゃないけど、小遣い程度になれば・・と、創作したり作業をしてる障害者更正施設を訪れる機会があったり、某施設を辞めた彼が移動した施設を訪ねたりして、やはりいろいろ思う。枠組みとしては、やはり「その人に合ったプログラム」を提供できるような、そんな体制が取れればいいのになー。そう思うし、それがやれているところは、いっぱいあるはずだ。
 なーんにもできていないのだが、力になれるような、何かができればなーと思うわけである。万人にとって役に立てなくとも、誰かにとって少しの力になれるような、何かができればなと。


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 余談ですが、今日は某TVでやってる「24時間テレビ」であります。今日も30代の電動車椅子に乗る方が、日直してる事務所に来る早々、「愛は地球を救わないってのになー。どうも生理的に受け付けないなー」と、まったく自分と同じことを口走って行きました。
 かつて「24時間テレビ」は、地球の貧困問題を正面から取り組んだり、生命の大切さを伝えるような新作アニメを放映してたものです。私が井戸掘をしたいと思うようになったのも、おそらくこの番組がアフリカで井戸掘活動をやってたのが発端だと思ってます。
 絶対に無理な提案ですが、かつて24時間テレビで放映してた番組を、選りすぐってプレイバックしてみたら如何でしょうか? きっと今の番組スタッフは辞表を書くか、もう少し真摯な番組を作ろうと思い改めてくれるはずです。内容の薄い24時間より、もっと真摯なメッセージを打てる番組を作ってもらいたいものです。
でも、さっき「もう、1億円、集まったんだってさ」とかって声が聞こえました。今年は使途不明金など出さずに、有効活用して欲しいものです。

継続協議

2008年08月28日 | Weblog
 しばらく外で仕事をしてたために、ちょっと外界と連絡が途絶えてたこともあって、最近になって音信が忙しなく繋がってるのですが、某市の福祉施設を管轄する課の担当者より連絡が入りました。とても丁寧なもので、ここ数ヶ月の間、関わってきた某授産施設に行って来て、ちょっと話をして来たという報告でした。
 ただ、こちらで相談を受けていた2名は施設を退所していたこともあり、幾つか確認をしたところ、施設側と元の利用者側で、天と地ほども話に食い違いがあって、市側の担当者は「どっちの話が本当なものか考えあぐねてしまう」・・ということを言われました。
 まぁ、そうでしょう。「死人に口無し」である。名前を出さない訴えは、ほとんど意味が無いということを、改めて証明されたようなものだった。市の担当者は、「こういうことは難しいものですが、それでも何らかの跡が見えればと思ったんですが・・」と言ってくれたのは、ちゃんとこちらの声を聞いてくれたということなのでしょう。重ねて「苦情が何件も入ってるということは伝えておきました」とも言ってもらえた。
 「そうですね、うちの関係者は辞めたので、もう何を言っても始まらないのですが、残った方々に少しでもプラスになってくれれば十分です。」
 そう言って、御礼を伝えた。担当者は、きっと随分頑張ってくれたのだと思う。次に打つ手は自分には無いが、ここまでの一手は、きっと次に繋がって行くと信じている。できれば次に何も起きなければ、それに如くはない。


 いろんな言い分はあるのだろうが、利用者の声は、どの角度で聞こえたものでも、全てが「真実」である。それを届けたことによる成果など、求めていない。ただ、軽く扱うか否かは、その声を聞いた人の判断に委ねられている。
 教科書に書かれているように、問題は解決しない。それだけのことである。でも、教科書に書かれているように、問題を注視して解決に向けて取り組んでいるかどうかは、これもまた各人に委ねられている。
 うまく行かなかったことが積み重なっても、それでも見えない成果は多々ある。地道にそこに向き合って行くだけである。



 今日、「生きてるのが嫌になって、道路に飛び出しました。でも、車が止まってしまいました。」・・と、キーボードで言葉を綴る彼のところへ、やっと足を運ぶことができました。
 コメントは、何もしない。ただ、足を向けて訪ねるだけである。訪ねて行き、「また来るから、次は・・」と言って来るだけである。無力なもので、何の解決策も示せないのだが、それでも行き続けることに意味があると信じている。解決するのは本人の問題であって、自分らにできることは、一緒にいることを示すだけである。力は貸せないけど、足しにしてもらえるよう、「ここ」であっても、「そこ」であっても、どうにでも稼動できれば何よりだと思う。意志の継ぎ方も、きっと無限にあるのだろうから。

「ここ」であろうが、「そこ」であろうが、

2008年08月27日 | Weblog
 願いも空しく、ペシャワール会の伊藤さんが遺体で発見されたこと、本当に痛ましく、何よりも無念である。ペシャワール会の活動を実情を知っている現地の人であれば、彼を狙ってのことではないと思われるし、意図的な殺害ではなく銃撃戦に巻き込まれたものとの声明も聞こえて来るが、結果としての事実こそが現実である。どういった形かであれ・・・「ここ」であろうが、「そこ」であろうが、伊藤さんの意志を継げるような活動を、種類の別はあれ、為せる我々でありたいものだ、そう思う。
 ペシャワール会の中村哲代表は、アフガニスタンでの「プロジェクトが止まることはない」と言い切っている。2002年の自分には辿り着くことができなかったアフガニスタンで、今も活動を続けている世界中の人々に、無力ではあるが自分もできることがあれば・・と、改めて考えるのだった。



「ここ」という場所

2008年08月26日 | Weblog
 ペシャワール会で活動しているスタッフが、アフガニスタンで拉致される事件が起きた。ペシャワール会のような、地域に根差す活動を続ける良識ある優良な団体が拉致対象に狙われるのは、本当に不本意である。こうした場面であっても、ボランティア活動者の「自己責任」と言われるのかもしれないが、ペシャワール会の実績を思うと、とても頷くことは難しい。
 時々、「ボランティア精神は素晴らしいが、ボランティアなら日本でもできる」などと言って、屈折した形で非難する意見を目にするが、彼らにとっての「ここ」という場所がその地である場合、その意見はあまり意味を成さない。そして、自己責任であることを踏まえて踏み出してる人を、踏み出さないところにいる人が非難することも、ほとんど意味を成さない。
 情報は錯綜してるが、伊藤さんの無事を願うばかりである。

雨の週末ですが

2008年08月25日 | Weblog
 オリンピックが終わろうとしてます。仕事の関係で、ほとんど見れなかったのですが、予想通り野球は惨敗でした。星野仙一を監督にした段階で野球はダメだったし、選手をチョイスした段階でも全然ダメだったし、試合をやってみたら・・・あの選手起用ではお話にもならないのは当然でしょう。ダルビッシュも岩瀬もGGも、ペナントレースまで五輪ショックを引きずらす、しっかり活躍して欲しいものです。
 しかし、一体どうして星野が監督だったのでしょう? 選手としても実績もなければ、監督としての実績も大してない・・日本一にはなってないし、阪神復活だって機が熟した感があったでしょう。日本野球界は国際経験もろくに積ませることなく準備を怠けてたのに、適当な「金しかいらない」みたいな世迷い事に舞い上がり(韓国の努力を見れば、どうやったって日本が勝てるわけがない・・・野球は5割を争う競技だから甘く見たのか?)、坊主にして勝てるような錯覚を醸し出させようとするマスコミのくだらない宣伝の下、当然の結果であるわけです。
 日本中がオリンピックについては、野球野球と騒いでたけど、でも本当に優勝するなんて、メダルが取れるなんて思ってた人は、どれくらいいたんだろうねー? オリンピックなんだから、アマチュアの祭典にしておけば良かったのに、プロなんて参戦させるから勘違いした、精一杯プレイをしない選手までオリンピックに参加しちゃうんだよね。挙句の果てに、監督は「日本は弱くない」などと今更言ってるわけで、あーあ・・・って感じでしかないんだよね。
 まぁ、陸上400mリレーで銅メダルを取ったことで、野球のことなんて吹っ飛んじゃったけどさー。


 オリンピックのことは、まぁ、いいとして、ひとつ良い話。
 先日、某企業の労働組合の社会貢献活動の一環として、うちのボランティア活動に参加したいと提案してくれた方がおりました。いわゆる募金とか協賛金ではなく、人的貢献という意味で、です。就職してからも、ずっと県外からボランティア活動に参加してくれている方からの提案で、そんな提案をされただけでも感無量です。我々は、いつもボランティア協力者の力を借りてるだけで、返せるものは僅かなのですが、こういった形で彼の中でボランティア活動が位置付けられているならば、我々の活動に価値があることの証明ですから、本当に嬉しい次第です。
 フィランソロフィー文化が、経済情勢の悪化と共に廃れていった中、労組としての提案であるとしても、それってスゴイことだよなーと思うのでした。世の中は、まだまだ良いものです。これから策を練って行こうと思うのです。


 そんな夜半、教育学部の方が突拍子もない「相談」を寄越す。笑っちゃいけないが、相当笑える相談である。
 「だから教育学とか勉強してる奴等は嫌いなんだよね」と言いつつ、まっとうな返事をしてやる。相談は、ちゃんと返すことに意味がある、それが当たってようが外れてようが、実は意味が無い(笑) しかし世の中は理不尽なんだよなーと思うのと、でもそーいうのが社会なんだよなーとか思うのが入り混じりながら、きっとあいつらも「息抜き」を兼ねて、ちょっと重い気分を打破しようと電話を寄越したのだろう。そう思うと、感情はあまり籠もってないかもしれないけど、「応援してるからな」と軽く言葉にしちゃうのだった・・・本当に応援してるかどうかは、言われた本人が一番分かってるでしょうからねー、どの場面でも。
 どうせ世の中は一筋縄じゃいかない人たちばかりなんだ、多少のことは大目に見るから思い通りにやってやろうぜ、ってな感じでいいんじゃない(笑)

じゃぁ、始めましょうか(笑)

2008年08月22日 | Weblog
 一昨夜から実質的に「遊びの時間」は終わりで、自分の生活においても、作業においても、完全に現場復帰です。当然です、ぼんやりして進むものなんか、何もないのだ。

 「何が悪いわけじゃないのだが、トータル的には全然ダメなこと」って、この世にはたくさんある。同じように、「決して良くはないけど、ダメってわけじゃないこと」と比べると、前者は多いよね。そしてそれを改善する術は、どうしてか見出しにくい。
 まぁ、地道にいろんなことをやり続けるしかないんだけどね、実際は。でも、なかなか思想を共有できることって、難しい。というか、それができることは有り難い種類のものなのだろうことを痛感している。「ありがとう」の語源が「有り難い」である故が、良く分かる。逆に「どうもイマイチだなー」と思ってた人たちが、案外健闘してたことを実感できたりする(笑)
 目指すものには、いつも中々届かないのだが、目指すものへ向かわないようなスタイルは、少なくとも自分には価値があるように思えない。楽しいだけで進んでいくことにも、それほど価値があるとは思えない。どうせ多くは演出上に仕込まれた類のものである。どうしたいかなどは、そのうち分かってくる。だからこそ、一段落したら、ガラガラポンで組み直しなのだ。選択権は、今度は双方にある。自分の主戦場に、飾りの兵隊を置く余裕があるんなら、喜んで死んでくれる兵隊をどこまでも走らせる・・方が、絶対に後悔しない。勿論そんな兵隊がゴロゴロ転がってるわけじゃないし、例えは悪いが、仮に転がってたって養えるだけの力量がこっちに無ければ、飢えさせてしまうだけだ。第一、養うことが目的じゃない。走ることが目的なのだ。付いて来れない人を相手にしてたら、はっきり言って何処へも行けはしない。取りやすいように変化球を投げてやるのは相手のためだが、直球を投げるのは・・それもできるだけ強い球を投げるのは、きっと自分のために、である。勝負しない人が、勝負してもらえるわけがない。
 さて、「組みたいと思わせる人」が見つからないのならば(笑)、とりあえず一人でも走ってみりゃ、いい。魂が揺さ振られるようなことが、そんなに毎日起こるわけじゃない。そのうち、ちゃんと嗅覚が反応する。


 1ヶ月近く、最前線を離れてたんで、不在にした分を取り戻さにゃぁ、ならない。あと数日したら、巻いたゼンマイが動き始める。何より、ここはゲリラ戦に挑む場である。まだひ弱な志願兵ではあるが、塹壕の中でスタンバイしている。できることは、いつも限りがあって微細であるが、ひ弱な戦力であっても十分に戦える証明をして行くだけのことである。
 制度に則らなくてもやれることはあるし、プロじゃないからこそ為し得ることもある。ひとつひとつ、ステップを踏んで踊り続ければ、少しくらいは突破口ができる。ほんの少し、夢とか希望とかを共有していくために力を寄せ集めて行けば、ちょっとは風向きを変えられるかもしれないんだからさ。

「ちゃん、ちゃん」で終わることに、価値など何一つ無い

2008年08月17日 | Weblog
 というわけで、「主戦場」への復帰である。不在中に仕込んでた分や、待ってもらってた分やらを、これから時間を掛けて回していかねばならない。まだ現場復帰はできないけれど、何処に居ても、何でも仕掛けられるのが「主戦場」の立つ位置である。
 どれくらいのことを目指すかは、まぁ、最初の設定の問題だから、実はあまり意味が無い。問題は、ダメだと分かったときに、どの程度の修正ができるか・・だ。修正が効くかどうか、ではなく、あくまで「どの程度の修正ができるかをイメージして、それを具現化するために、どれだけやれるか」、だ。

 目の前のことを、一つ片付けた・・・それは自分に課せられた課題だからね。次は、自分が望むべきものに、ちょっとだけ手を伸ばしてみたい。与えられた課題をクリアすることも大事だが、「ここをクリアしてみたい」と思うことを自分自身で設定して、それが自分ひとりの課題になろうが、「この指とまれ」で課題になろうが、手を伸ばしてみて、どれだけやれるかを確かめてみようと思う。
 世の中には、連携とか組織とかを使わずとも、まだまだやれることがたくさんあるのだ。いや、十分に連携であり組織を活用してるんだけど、動かそうとする意思があって、それに応じられる状況を醸成できれば、きっと、もっと面白いことができる。

 先日、「根拠とか理由とか、すっごく私は気になるんですけど、そういうのを言い始めたら面倒臭いじゃないですか。ぶつかっちゃうと気まずいし。できればそういうことが無いように、ぶつかって気まずくならないようにやってこうと思うんですよね。というか、そーいうこと、絶対に誰にも言わないようにしようって決めてたんですけど・・・」と、とある場面で言われる。
 近くにいた人たちは、少しだけ顔色を変えたけど、特にコメントする価値もない・・・って雰囲気を見せたんだけど、私は大人じゃないので平然と言い切る。
 「お前は面倒なことが嫌いだろうけど、俺は面倒なことが大好きなんだよ。というか、面倒なことしか好きじゃないし、面倒なことしかやらない。お前は、そーいうのって好きじゃないだろうけど、俺は面倒なことが大好きなんでさ。こーいうときだから、たまには面倒なことに踏み込んでみるといいよ。」

余談ですが

2008年08月08日 | Weblog
 猛暑だろうが猛繁忙期だろうが、トラブルは止まない。回転率よく回ってる最中に届いたのは、精神的な問題を抱えてる方の家族がショートしてしまい、どうしていいのか分からないので、どこか病院を教えてくれ・・ってこと。膨大な量の仕事と連絡の合間に、パニックした人と向き合うための現実的な対応を伝えるのと、「病院とか精神科を盲信しても解決はしない」という、相変わらずなコメントをする。
 だってそうだろう、いきなり「分かったから、まずは心療内科とか精神科へ行こう」って言われてご覧なさい。そう言い放たれたとしたら、その相手を自分は信用できるか? 自分が向き合うべき問題や課題を簡単に相手に手渡す人を、自分はどう評価するだろうね。
 「戦う敵を、他人に売ったりしない」・・ってなことを言ったのは、『花のあすか組』の九楽あすかでしたが、ホントそうだと思う。だからまずはしっかり向き合おう。どうせ相手には散々なくらいの言い分があって、こっちにはそれに対して十分過ぎるくらいの反論の余地がある。世の中はそういうものなのだ。そういうものだからこそ、相談のプロになんか任せちゃ、ならないのだ。
 ・・・でも、相談のプロだと思って、こっちに連絡来るんだよねー(笑) 物語の解析はやりますが、解決方法の提示はしませんけどね。

案内状@9月の「この指とまれ」です

2008年08月08日 | Weblog
 お世話様です、この時期の私は大きなイベントに掛かりっ切りになってると思われる方もおられるでしょうが、当然そんなわけはなく、日々様々な問題に直面してます(困)
 今年度に入ってから特に、いわゆる「私のところでやってる行事活動」に直に繋いでほしいという紹介が続くのと(そのために、今だと1ヶ月後にしか訪問はできませんが・・と伝えると、「それまで待ってもらいます」とはっきり言われるのは、それはそれで考え物なのだが・・・)、やはり直通で舞い込んで来る「諦めのような嘆き」が多くなってます。プロ同士の相談案件ならば、プロ同士の連携で右から左に引き渡すことで済むことも、私はあまり「プロっぽくない」ので、ついつい自分の力で受けちゃおうとするので、できる限りの尽力をしても、どうしても突破することができないのが現実です。でもまぁ、私は無力感に囚われることもなければ、
 さて、先の話ですが、今年のひとつの目標である、「小学5年生の障害のある女の子の野外活動参加を支援しよう」って活動があります。9月**日、**ヶ岳の中腹まで、普段車椅子を利用している児童を背負って登ろうってものです(何年かに1回くらい野外活動へのサポートを打診されますが、意外に学校が「無理ですよね」と暗に不参加を求めることが多いのだ)。
 実は先日、彼女の母親が一人で児童を背負って、実際に登って来ちゃいました(母は強し・・ですが、正直バケモノです)。やれることは証明してるのですが、体制である学校が、あまり良い顔をしません。というか、迷惑面をしてます。気持ちは分かるのですが、この学校の場合、単純に担任教師の力量が無いために拒否してるだけです。子どもの可能性を探そうともせず、「自分が苦労したくない」「来られると困る」と面と向かって親に言い捨てるようなダメ教師に、一矢報いたい・・・というか、そんな言われ方をされて落ち込んでる母親に、「ちゃんと味方がいるからな」ってことを伝えられれば、と思うわけです。
 まぁ、そんなこんなで春先から準備を続けて来た次第ですが、ようやく日程が固まり、9月に入ったら学校側と打ち合わせができる道筋が見えて来ました。もちろんこの段階で拒否される確率も高いのですが、それでもしっかりサポートできる体制を作ってこうと思ってます。なので、9月**日、実習真っ最中の方が多いのも承知だし、夏休みのど真ん中だったり、あるいは平日の通常勤務日であることは十分承知してますが、年休取って来れる社会人の方、夏休みを一日提供してくれる方、是非お手伝いください。まだ先のことなので何とも言えないと思いますが、うまく都合を付けていただければ幸いです。来る気がないと、中々日程を都合付けることは難しいし、あるいは忘れてしまうかもしれませんので、何度も連呼すると思います。
 いつも言うとおり、ボランティア活動は、社会的な活動であり、社会を良くするために繋がって行くべきものです。障害のある子を背負って山を登ったからって、別に世の中が良くなるわけじゃないのだが、少なくとも可能性を提示することができる。彼女と同じ学校に通い、同じ野外活動に参加する児童たちに、そんな共有体験を有するチャンスをプレゼントできればいいなーと思うわけです(そういう意味では、可能性を軽んじる某小学校への挑戦でもあります、はい)。一番難しい部分は、私と母親が担う予定ですので、男女問わず、手伝ってくれる方は、いつでも声を掛けてください。
 またしばらくは、大きなイベントに突入するため音信不通になりますが、暑さに参らず、しっかり過ごしてください。秋には、野外オリエンテーションをやりますので、首根っこを洗って待っててください。

野外活動プロジェクト2008@バカ教師には閉口するしかない

2008年08月06日 | 野外活動プロジェクト
 社会人が病休を取るとき、概ね2週間からスタートする。
外科的な治療ならまだしも、いわゆる精神的な病で仕事を休む場合、病休の2週間で、どれだけ快復するのだろうか? 
 2週間・・・半年の間、旅をしてた時期から社会復帰して以来、そんな数字を休むのは夢のまた夢である。何をするか・・・もう1回、屋久島へ行ってみようか。それとも日本アルプスを長い時間歩いてみようか。北海道を縦断することもできるくらいの日数である、2週間とは。
 でも、それが病の回復を目的にする場合、休みを「楽しみ」のために使って良いものだろうか? 

 じゃぁ、聞いてみよう・・・・2週間、安静にしてたって、快復することができるのか?
 快復する手段は、限られている。
 何かしらの達成感を得るために積み上げていくこと。
 やらなさそうな、できそうもない挑戦をすること。
 ・・・なるほど自分は精神科に関わる仕事は、怖くて手を出さないわけだ。

  * * * * * * * * * *

 午前中に電話が掛かってくる。今年の秋に向けて、小学校の野外活動に参加したいので手伝って欲しいと相談を受けている重複障害の女の子の母親からだ。子どもを背負って、一人で山を登ってしまうような、強い意志を持った母親である。
 2泊3日ある野外活動行事のうち、初日が登山で、2日目がおそらく野外活動でテント泊なのだろうか、細かいことは分からないが、担任の先生が、ろくに話し合いをしないのに、自分が大変だし、予定も狂ってしまうので、最終日は参加しないで欲しいと、相当の剣幕で言い出したらしい。
 ボランティアのサポートを付ければ良いのか? まだ2ヶ月も先だから、今の段階で誰を出すとは言えないけど、探してみるから言ってみれば?
 「最終日はもう参加しないと言ってるからいいんです、さっき電話寄越して、今返事しろとかって感じで言い捲られて、怖いって感じだったから、もう無理だなと。」
 あー、お母ちゃんが怖いって言うんだから、余程だったんだね。ほんと、無能な教師だよなー。
 「どうしてなんでしょうね、ダメならダメで構わないんだけど、自分ばかりが大事で、自分が大変だからとか、来年も障害のある子が一人増えるんだけど、『これじゃ、ここは養護学校になっちゃう』とか平気で言うし、もし来年もこんな人が担任だったらと思うと、本当にもう・・・ですよ。」
 うーん、考え方を変えましょう。もし、そんなバカ教師がいるんだから、まかり間違えば、初日に山登りをすることだって、ダメだと言いかねないでしょ。今のところ、お母ちゃんが頑張って登れた実績を残してるから、そこまでダメだとは言わないんだから、それだけでも「儲けもの」ですよ。
 「学校は、やっぱり外部の人を入れるのは乗り気じゃないみたいで、話し合いとか直前にならないとやらないみたいなんですよ。」
 じゃ、それまでこっちでも準備は続けておくけど、あまりいろいろ注文を付けないようにしましょう。実が取れればいいんですから、話し合いに私が入らなくたって構いません。無駄に揉めて拗れたりしたら、それこそダメになっちゃう。当日だけでも一緒にやれれば、お母ちゃんが少しでも楽になれるわけで、それが一番ですから。
 「どうしてなんですかね、ほんとに・・・・」

 自分にも分からない・・・人を育てるだけの力量が無い人物が、教育に携わっていることが許される、ということが。時々、ダメ教師に出会う。全部を否定する気はないが、夢と希望と可能性を与えられない、知識と技量を携えていない教師は、自ら職を辞するべきだと思う。でも、そーいった声は、本人には伝わらないのが世の常である。教員免許が更新制になろうが、ダメ教師が解雇されることは、そうそうないことなのだ。

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 思うのだが、社会が「支え合う共同体」であるのならば、我々はもっともっと、役に立たねばならない、と。どういう形かでも構わない、もう少しくらい社会の役に立てなければ、あまり「きちんと生きてる」とは言い難いように思えてならない。まぁ、自分なども非営利活動を職業にしてるから言ってられるのかもしれないけど、誰かが、誰かに、ほんの少しくらいの希望と可能性を見せられるだけのアクションができれば、もう少し夢のある人生を、お互いに望むことができるんじゃないのだろうか。
 病んでるのも、ちょっと飛んでって、幾ばくかでも人生の進み方が変わったりするんじゃないんだろうか・・・とか、ぼんやり思うのであった。

あと何倍、稼動すれば、イメージを具現化できるのだろうか

2008年08月01日 | Weblog
 そんなこんなで今日はバタバタとしながらも、問題処遇施設を辞めて新しい施設へ移った青年がいるところにちょっと立ち寄ったのだが、ちょうど廃油回収のために外へ出ているとのことであった。頑張ってるんだなーと思いつつ、帰り足に某市役所の、この福祉施設に対して指導管轄する部署へ立ち寄る。いきなり行ったら担当者が出張中だったので、青年が新しく移った施設に寄ってから再び訪れたのだった。
 相談を受けていた2名が退所したこともあり、これ以上深入りすることに対して、暗にストップが掛かってたので、自分に出来うる着地点である「役所の管轄課の担当者に直接案件を引渡しをする」ところまで、どうにか託せれば・・というところまでは行ければ、であった。
 担当者に、現段階でうちが相談を受けている2名の現在の状況と、以前から相談なり事実を知っていた同市の相談機関の対応の甘さについて、そして何度か伝えたにも関わらず役所サイドでは何もしてくれなかったことに対する家族の諦観が、実名で書類を出してくれと言われても、そこまで気持ちが動かないのだ・・・という声を届けてきた。

 ―― 課内で検討して、以前から挙がっていた虐待に関する情報を再度確認してから、改めてどのようにするか、対応を考えます。
 ・・まぁ、そんなところだ、きっと80点くらいの回答だろう。
 ―― 実名を出さないで調査をするとして、何が分かるか出てくるか・・・となった場合、難しいものがありますので、つまり実名を出したくないということは、この方たちは、特にどうにかするということは、しないということでしょうか。
 ・・そうじゃない、もう遅いってことだよ。
 
 名前が挙がった、こういった問題の相談を受ける組織では解決しようがない問題なのだろうが、やっぱりどこもここも力不足だよなー・・・よろしくお願いしますと言って、同じように「自分たちの出来うること」の「力不足さ」を考えながら8階から階段を降りて行く。階段を降りるのは、あっという間だ。この件から、降りるわけじゃないが(どういう対応をされているかは別にして、まだ2名、関係者が働いているし)、次のステップとして「やること」の趣は変わっていかねばならない。
 彼らが次の生活に馴染むまでの声掛けを続けること、やはり何らかの「楽しみ」を持って生活できるような、そうした機会を作っていくこと。
 何から何まで自分にできるわけじゃないし、負えることと向き合えることには限界があって、その限界を認識することも、きっと大事なことなのだろう。十分とは言えないまでも、不足してた家族を支える端くれにはなれた自負はあるが・・・でも、もっとやれたと思う。限界があるのを承知しつつ、全然足りないことを踏まえて何ができるかを、それでも問わなければならないのだろうなー。

  * * * * * * * * * *

 今日、引越しをする家族がいた。自分の担当家庭の方が、支援を必要としている家庭を数珠繋ぎに紹介してくれて繋がった家庭で、引っ越すまで何回かボランティアを出せたのだが、その方たちが引っ越すと同時に、また新しい支援を必要とする家庭が紹介された。すごいなー、曲がりなりにも支援してる家庭から、次の家庭を紹介してくれるということは、どういうレベルであれ、「ここは、しっかり支えてくれる」という評価そのものである。ボランティア活動でしかないうちの活動は、職業レベルでの活動(時間の確保・技術の質)は担保できないけど、ちゃんと社会的に意味のある活動ができている、ということであろう。でも、そんな満足してもらえる例なんて、ほんの一握りであって、全然足りない。
 もっと頑張れば、少しは不足分が埋まるのだろうか。あと何倍、稼動すれば、イメージを具現化できるのだろうか。