震災以降、この1年の活動記録を記しているのだが、もうすぐ1年を経つという時期に、明確に、しかしずっと分かっていたことを、改めて記すことになったので、ちょっと載せておきたいと思う。分かっていたけど、見ないで過ごしていたような、そんな事実でありんす。
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震災後、ほぼ1年を前にして、自分の職場での会議で挙がったこと。
「この震災のため、4月5月のボランティア活動ができなかったのは、仕方がないことだ。」
「震災ボランティアと、うちの障がい児ボランティアは違う。」
この2点を口にされたとき、本当にそうなのか?と思わざるを得なかった。2つの意見に対して反論を試みたが、現状を考えたとき、それを理解してもらうことが無理であることも十分承知していた。
ひとつは、1年間を通して、ボランティアを派遣する事業を行っている団体として、もし震災直後の3ヶ月にボランティアを動かすことが難しかったのだとしたら、じゃ、その後にそれを挽回するだけの活動をすることができなかったのか。あるいは、それを目指していたのかどうかという本質的な問いがある。
もうひとつは、確かに震災復興支援ボランティアに携わる人が圧倒的に多かったのは事実であるが、自分たちが抱えているボランティアの数が皆無であったわけでもない。事業を行うに当たってボランティア希望者の応募も少なからずあった。何よりも現在進行的に抱えているボランティアもいる。その彼ら彼女らとともに、震災支援をも視野に入れた事業を何回も組んだことを踏まえて思うことは、主催する自分たちの意思や、一緒にやっていく人たちへの働きかけ自体が貧相であること、そして畢竟震災を言い訳にしてるに過ぎないのではないか・・・という事実に尽きる。もちろん自分自身にも、それは言えるし、足りなかったことを毎日のように痛感している。
いろんな言い訳はできるだろう。でも、この「千年に一度の震災」という年に、どういう形でも活動できないのだとしたら、存在意義が問われるどころか、存在価値があるとは言えないのではないのか。確かに震災で活動できるボランティア数が足りなかったかもしれない。確かに「震災支援ボランティア」と「障がい児者の遊び相手のボランティア」を比した場合、今年に限っては優先順位は低かったかもしれない。でも、それを言い訳に、我々は甘んじ過ぎなかったのかどうかを問われると、実に脆弱な話だ。もし自分なら、こんなダメなところに業務を頼むことは無い。
・・・これが、おそらく結論だ。どんなに立派なことを言ってる団体だとしても、この程度でしかない。これが結論であって、その回答が出されたのは、おそらく間違いじゃない。突き付けられた最後通牒に反論の余地は無かった。
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でも、まだ戦いを止めるわけにはいかない。給料をもらってる以上、その額以上のパフォーマンスができなければ、そこを辞しなければならない。その自覚がない人たちが揃う事業体ではあるが、まだ自分のところは勝負ができている・・・と信じているので、戦いを止めるわけにはいかない。
・・・さて、明日も頑張りましょう。
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震災後、ほぼ1年を前にして、自分の職場での会議で挙がったこと。
「この震災のため、4月5月のボランティア活動ができなかったのは、仕方がないことだ。」
「震災ボランティアと、うちの障がい児ボランティアは違う。」
この2点を口にされたとき、本当にそうなのか?と思わざるを得なかった。2つの意見に対して反論を試みたが、現状を考えたとき、それを理解してもらうことが無理であることも十分承知していた。
ひとつは、1年間を通して、ボランティアを派遣する事業を行っている団体として、もし震災直後の3ヶ月にボランティアを動かすことが難しかったのだとしたら、じゃ、その後にそれを挽回するだけの活動をすることができなかったのか。あるいは、それを目指していたのかどうかという本質的な問いがある。
もうひとつは、確かに震災復興支援ボランティアに携わる人が圧倒的に多かったのは事実であるが、自分たちが抱えているボランティアの数が皆無であったわけでもない。事業を行うに当たってボランティア希望者の応募も少なからずあった。何よりも現在進行的に抱えているボランティアもいる。その彼ら彼女らとともに、震災支援をも視野に入れた事業を何回も組んだことを踏まえて思うことは、主催する自分たちの意思や、一緒にやっていく人たちへの働きかけ自体が貧相であること、そして畢竟震災を言い訳にしてるに過ぎないのではないか・・・という事実に尽きる。もちろん自分自身にも、それは言えるし、足りなかったことを毎日のように痛感している。
いろんな言い訳はできるだろう。でも、この「千年に一度の震災」という年に、どういう形でも活動できないのだとしたら、存在意義が問われるどころか、存在価値があるとは言えないのではないのか。確かに震災で活動できるボランティア数が足りなかったかもしれない。確かに「震災支援ボランティア」と「障がい児者の遊び相手のボランティア」を比した場合、今年に限っては優先順位は低かったかもしれない。でも、それを言い訳に、我々は甘んじ過ぎなかったのかどうかを問われると、実に脆弱な話だ。もし自分なら、こんなダメなところに業務を頼むことは無い。
・・・これが、おそらく結論だ。どんなに立派なことを言ってる団体だとしても、この程度でしかない。これが結論であって、その回答が出されたのは、おそらく間違いじゃない。突き付けられた最後通牒に反論の余地は無かった。
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でも、まだ戦いを止めるわけにはいかない。給料をもらってる以上、その額以上のパフォーマンスができなければ、そこを辞しなければならない。その自覚がない人たちが揃う事業体ではあるが、まだ自分のところは勝負ができている・・・と信じているので、戦いを止めるわけにはいかない。
・・・さて、明日も頑張りましょう。