優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

じゃぁ、ちょっと違った視線から

2008年07月07日 | Weblog
 いい機会なので、ちょっと昨日のことについて、参加者の一人が書いた文章を紹介しますねー。

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『障害のある子たちの食事会に加わって』

 「なぁ、おまえ」と肩を叩いてくる。ずっと年下の高校生の男の子でも、僕は別に悪い気がしなかった。その声や雰囲気に、人間味や温かさを感じたからだ。
 僕は電動車いすの向きを変える。
 するとその子はニッコリしながら、「野球、行ったことあるか?」と聞いた。
 僕も思わずニコニコしながら、「うん、あるよ。最近は、二回ぐらい、観に行ったかなぁ……。野球、好きなの?」と聞くと、その子はうんと言い、
 「お話し、上手いねぇ」
 僕の言葉が不自由なのを彼なりにフォローしながら、好きな選手の名を次々挙げていった。僕は野球のことはチンプンカンプンだったが、
 「へぇ~、すごいなぁ」と言うと、その子はまたニコリと頷いた。知的障害のある子だった。

 もうひと昔以上も前になるだろうか、学生のボラさんとして、僕が出かけるときに何度か介助をしてくれていたことのあるYさんがいた。
 その彼から、障害のある子たちを集めて食事会でもしようと思うがどうかとの誘いがあり、昨日、送り迎えをしてもらって、近くの市民センターへ出掛けて来たのだ。集まったのは、作業所や施設にいる身体や知的に障害のある子と、それに学生のボラさんたちである。ざっくばらんに話しながら、楽しいひとときを過ごした。Yさんはいま、障害児の福祉の仕事に関わっていて、不自由な思いをしている子どもたちの笑顔が少しでも見たいと努力している。

 さっき野球の話しをしてくれた男の子は、盛んに「Kちゃん」と騒いでいる。どうやらその女の子のボラさんが好きなのらしい。
 そんなふうに、ぼくは集まった子たちを見回しながら、
 ──高校生かぁ。ぼくはもう四十一歳だぁ。二十年以上も前だよなぁ。あの年頃から僕も、少しは成長したんだろうか。なんだかな…。
 体や言葉の不自由さは、生まれたときから与えられたもの。そこから生じる辛さや悲しみとは、多分ずっと付き合っていかなければならない。それでも僕は生きてきたし、これからも命ある限り生きていく。

 冷たい風に弄られ、この子たちも、今は笑顔だけど、きっと誰も知らないところで、辛い思いをしているのではないか……。僕自身、子どもの頃にいた施設での日々と、その子たちの状況とを、どうしても重ねて想像してしまい、胸が詰まってくる。
 この子たちの、ひとときの笑顔を見守りながら、長い人生どうか負けないで欲しいと、心の中で僕は祈った。

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 余談として解説をしておくと、ここで挙げられている「Kちゃんを好きな男の子」は、別にKちゃんを好きなわけではない。本当はAさんがお気に入りなのだが、今日は仕事で来れなかったので、仕方なく名前を知っているKちゃんの名を連呼しているだけである。所詮、目に見えることは、情報の真実を語ってはいない。
 ちなみに遊びに来たボランティア5名のうち、学生は3名で、2名が社会人である。就職してからもボランティア活動を続ける殊勝な、社会問題に意識が高い青年たちかと思いきや、実際は「出来の悪い子ほど可愛い」としか言いようのない青年たちである。きっと社会人生活に疲れてるからボランティアに癒しを求めているか、社会人生活の厳しさに全然気付かずにボランティアに励んでる・・・のであろう(笑) でも、どっちも私にとっては宝物である。
 最後に「Yさん」と呼ばれている人物であるが、「不自由な思いをしている子どもたちの笑顔が少しでも見たい」などと、本当に思っているかどうかは、怪しい。まぁ、努力しているようには見えないこともないが、きっと何か違う目的があるんじゃないか・・・実績と積み上げることで権力を手に入れ、自分の思い通りの仕事をやれるチャンスを呼び込めるように(笑)