読書・映画を通した想いの整理棚

読書をしたり映画を視たりした後、浮かんだ感想・批評を行なうブログ。ジャンルは多岐にわたる。

私も経験した『医学は科学ではない』米山公啓著

2006-05-02 10:44:29 | 科学書
 「病院では治せないんですよ!」というのが、肉親が心の病気で罹ったときの病院のことばだった。
 「もう10日間~2週間は、居てもらわないと!」というのが、急な発熱で入院し、もうすっかり熱が下がって退院したがった母に対して言われた、空き室を沢山かかえている病院側のことばだった。病院に居ながら母は「こんな所にいたら本当に病気になっちゃうよ!」というのが真実を衝いているようで重かった。
 「経済的なこと、家族が長い間は面倒見切れないといったことがあれば、それによって治療方針が違ってくるんですが・・(このまま死なせた方がいい、の意)」重篤な病に倒れた弟の主治医が言ったことばだった。
 「帰宅した時の方が、たんぱく質摂取量の検査で数値が上がってるんですよ!(だから早く家に連れて帰りなさい、の意)」病院でものを食べられなくなった義母を早く退院させたがった病院が、一時帰宅させて、味噌汁2口とみずを飲んだだけの状態で病院に戻った時に言われたことばである。
 私は、いずれも納得できず、抗弁した。

 米山公啓氏は『医学は科学でない』で、昨今推奨される、EBM(実証にもとづく医療)が欧米で5割、日本ではもっと低く、つまり、EBMにもとづかない医療が行なわれているのが普通だと述べている。
 そして「多くの医学研究が」「いわゆる研究のための研究であって、臨床で役立つようなデータを作り出せることは非常に少ない」としている。
 研究評価を見るのに、米医療政策研究局の評価システムにグレード・ゼロ(一番高い)から、グレード7まであって、日本の臨床研究データは「その多くが、グレード3以下」だそうで、欧米の文献が、グレード・ゼロからグレード2までのものが多いのと比べるとはっきり質が落ちると述べている。

 生身の人間を相手にして治療をしつつ、臨床例を蓄積していかなければならない医学が、ものだけを対象にする他の科学と異なるのはやむをえない。しかし、そういう事実をくぐりぬけて、病気治療に専念する必要があるのが医学であるはずだ、と思っていた。

 しかし、「新しい医療機器を買ったから」せっせと使わないと「採算が取れない」という理由でMRI活用のために「MRIありき」で「脳ドッグ」が始まった。氏も指摘する本末転倒が起こっている。
 一方、相変わらずの「学閥と権威主義のなか」で、「自由な発想が押さえ込まれ、新しい挑戦が拒まれている」という。薬なども薬剤会社と繋がっている権威のいうまま、使われていることがあるというから、怖い。
 つまり、医学界・病院側の都合による医療という現状が数え切れないほどある。

 結局、「医学が不確実であることを理解している医者こそ、患者が求める医者」と米山氏は結論づける。
 患者の方はとっくに西洋医学の限界を知って、別の方に向かっている。つまりサプリメント志向、プラシーボ効果(心理的な効果で治ってしまうこと)もいいではないか、という方向である。
 氏によれば医学は「絶対の真理である、だから絶対に治る」というのではなく、「こうした方がいい」くらいの弱い指導力である、と、捉える方が医者にも患者にもよいらしい。医者も患者もそういう共同幻想を持つ方が、双方に納得しうる平穏がもたらされるようだ。
 医学界がまず「自分らは、医の権威だ」という態度を改めるのが先である。患者はその権威の前に頭を垂れているのが現状だから・・。