読書・映画を通した想いの整理棚

読書をしたり映画を視たりした後、浮かんだ感想・批評を行なうブログ。ジャンルは多岐にわたる。

心が壊れたらこの著者に診てもらいたいと思う書『脳と人間』

2006-10-27 10:57:01 | 科学書
 計見一雄氏、もし自分の心が壊れたらこの人に診察を頼みたいと思う人だ。その著『脳と人間-大人のための精神病理学-』は、私にそういう感想を抱かしめた書である。精神科救急医療という分野の開拓者で、現在も臨床の最前線にいる人だそうだ。本書は、未知の事柄がたくさんある精神医療の現場のいろいろな事例を通して、脳科学という近年爆発的に研究が進んでいる分野への深い提言の意味がこめられた書である。

 「本物の臨床精神科医はどんな具合に仕事をし、どんな風に考えているのか」が具体的な例を以て著されている貴重な書である。

 「一人の人が精神病の状態にまで追いつめられるということが、どんな様相であるか」(個人病理)を、「舵の切りようでは国家が転覆しかねまじき論説」横行の中「まさかと言っているうちに、再び社会全体が狂ってしまっては困る」集団病理との兼ね合いをさぐりながら著作されている胆が据わった書である。

 当初「精神分裂病」と名づけられ、現在は「統合失調症」と名称変更になった病理を、「実は身近にあり得る不幸であり」誰もが「見てみぬふりというわけにもいかない」ということを訴えている、目から鱗の書である。

 「生き物である人間の肉体が運動や知覚の機能を通じて環境と相互に関係して作ってきた生態系、そういう進化を経てきた脳、その不具合で生じる病理現象というような見方が21世紀の精神医学には求められている」として、氏は、名称変更が単に、知情意が統合を失うから「統合失調症」と変えるというだけでは不足だとして、「精神分裂症」(英語を邦訳するとこれ以外にないそうだ)を使い続けている。

 「脳の働きに異常が生じてその結果起きて」くる「精神分裂病」では、「おかしな現象がいろいろ起きる。」脳の「働きの異常という意味は、普通“かく働くべきであるのに、そう働かない”」ということである。

 「人間が、くたびれを通り越してあと一歩というところに差しかかると脳が相当おかしなことを始めることがある。」脳による間に合わせのやっつけ仕事だとは氏の主張。
 「ピンチになった時、脳はなぜ間に合わせのやっつけ仕事をやらかすのか。」「警告信号かもしれない。--どういう?」「・・・大分クレージーになっていますよ」「限界!限界!限界!」

 こういう文体で具体像が描かれ、身に迫る危機が著され、読むものに切迫感を与える。そして最後まで読まずにはいられないのだ。

 上述した脳の間に合わせの仕事は、脳にとっては当たり前の働き、ともかくそのヒトに危機意識をもつように知らせてくれているもののようだ。

 すると異常なのは何か。状況である。
「疲労困憊しているのに何かしなくてはならない羽目に陥ったこと。」
「そういう羽目になる、身の程知らずの軽はずみの無分別。」
「生体がギリギリのところまで来ているのに、まだやめないで頑張る責任感と敢闘精神。」
 これらが異常なのである、と氏はいう。

 かくして、状況(社会・環境)と人間精神・心との関係の中で、捉えようとする。この氏の考えの下で治療を受けて治った患者が多数いるのは、氏の人間精神把握が人間生物の実態に近く迫っているからに違いない。器質の問題であるとか、遺伝の問題であるとか単純に考え、知情意の関連を表面的にしか捉えない医者には、まず「どうしようもない」ということが最初に来るから治す意気込みも違ってくるはずだ。

 「現実」を受け入れる力、「現実検討能力」というらしい。
 例えば「ヒトは空を飛べないという事実を受け入れる能力のこと。」「子どもなら机の上から飛んでみて足を痛めて納得するぐらいの実験をしても許されるが、大人がすればハテナ?になる。」こういうことなら、身近にいっぱい事例がありそうで怖いくらいだ。

 この「現実を受け入れる能力」を失って、「妄想の世界」に入り込んでしまったヒトを「現実の世界」に戻す人が精神科医、大変明快である。その時、重要なのがことばやりとりの上手下手、それが名医かどうかの決め手なのだそうだ。精神病理の現場でのことばの重要性の位置づけは、目から鱗であった。ヤブ医者は、おかしなことを言ってしまう患者に、すぐ「それはあなたの妄想です」と切り出してしまうのだそうだ。「本当のことだ」と患者の切り返し、後は不毛な論争になるという。

 「妄想の世界」から「現実の世界」へ呼び返す仕事、その大変さが多様に示される。いままでこの世界を知らなかったので、実に貴重なことを知ったという読後の感想を持った。

 状況によっては、人間、誰でも心(脳?)が壊れないとは限らない。それも身に染みて感じさせられた。昨今、心の病が増えていると言われるのは状況なるものの悪化の反映であるのかもしれない。
 だから再度言う。その時は、計見先生のところに駆け込みたい。


1 コメント

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興味深いです^^ (はるこ)
2006-10-29 18:50:21
ハイパーさんこんにちは。脳・心のお話興味深いです。妄想から現実に引き戻すお医者さんの技術、

この本読んでみたいです。