読書・映画を通した想いの整理棚

読書をしたり映画を視たりした後、浮かんだ感想・批評を行なうブログ。ジャンルは多岐にわたる。

コンピューターと感情「映画ではHALの頭の中で何が起こっているのかわからない」

2006-08-03 08:49:29 | 科学書
 コンピューターに心や感情を持たせる研究の最前線で何が考えられているかのトピックを再び取り上げる。いつかも言及した『話す科学』アダム・ハート・デイヴィスが世界的な科学者にインタヴューした書に、MIT(マサチュウーセッツ工科大学)で、ロザリンド・ピカードという女性研究者が取り組んでいる対話があった。タイトルは「映画ではHALの頭の中で何が起こっているのかわからない」(ロザリンドVSアダム)である。

 「感情は、人間が理性的に考えるために必要なだけでなく、コンピューターがほんとうに知性的になり、ユーザーと自然な相互作用をおこなうためにも必要だ」というのが、ロザリンドの研究テーマだという。

 映画「2001年宇宙の旅」のコンピューターHALは、彼女ロザリンドの研究のスプリングボードを果たしている。
 * 映画の中でHALがもっとも感情的なキャラクターだった。
 * 登場人物の人間がむしろ皆無表情であった。
 * クルーがHALの部品をはずしていく場面でHALは「こわいようー!」と言う。
  それが人間よりもHALの方が感情豊かにみえる。
 * HALは困難な状況に直面した時、ただ単に発狂してしまい人間を殺し始めた。
 * 知性の面ではHALは巨人だった。でも感情面では少年だった。

 これらは映画制作時の人間の「感情」に対する限られた理解を示している。つまり「感情」は理性を失わせる原因としてしか捉えられていない、とロザリンドは考える。

 ロザリンドによれば、「感情」は次のようなものである。
1)感情は一見問題の多いものと考えられているが、実は違っていて、「お天気の背景として常に存在する、気温と気圧のようなもの。」
2)感情を無効にして知性に支配させたらきわめて理性的で大いに知的な結果が得られると思うかもしれないが、それは大失敗に終わる。
3)感情は、背景として存在している。限られた時間内でたくさんの複雑な予測できない情報を処理するために重要だ。
4)今の私たちは、知的で健康な人間の場合、感情は理性の働きに大きく貢献するものだと知っている。
5)「感情」は、一般的にはある種のニュートラルな状態にあるもので、調整したり、偏りを与えたりしている。
6)ふだん、きちんと機能していれば、その存在に気づきもしない。背景として存在するのだから。

 これらの認識は、彼女の脳科学的知見から結論づけられている。即ち言う。
 「感情の変化を制御する脳の部分が、なんらかの損傷によって分離されると、その人は、きわめて感情が欠けているように見えるだけでなく、知性も損なわれてしまう。とくに、合理的な判断をくだす能力と、社会的交流に携わる能力が損なわれる。」
 「前頭葉と、扁桃体など辺縁系(感情を司る脳の領野)との接続を切ると理性的に機能を果たすことはない。」(そういえば、ゲージという人の脳に鉄棒が刺さって以後性格が変わった人の実例!医学犯罪だったロボトミー手術の例もそうだった?!)

 感情と理性の関係性も実はようやくこの頃そう分かったのであれば、コンピューターに感情を持たせるのは、かなり困難な事業であることが予想できる。
 因みに彼女は言う。
「大部分の人は、自分がなにを感じているのかさえ正確にはわかっていない。」「コンピューターが私たちと同じような情緒を持つことが可能かどうかは、科学的にも疑わしい。」
 しかし、「情緒をもっているように見せることは、確実にできる。」「ユーザーから感じ取ったことを知的に反応させるため、人間の情緒に似たものを与える必要性が出てくる可能性はある」と考えている。

 コンピューター(やロボット)に、心・感情・気持ち・意識etc.という事柄に見・え・る・も・のを持たせるのは将来実現できても、本物のそれを持たせることはかなりの難問だということだ。