読書・映画を通した想いの整理棚

読書をしたり映画を視たりした後、浮かんだ感想・批評を行なうブログ。ジャンルは多岐にわたる。

神経医学者の『“わかる”とはどういうことか-認識の脳科学』

2006-11-25 23:38:03 | 科学書
 人間のものの分かり方、それを脳神経科学の内部から明らかにした書『“わかる”とはどういうことか-認識の脳科学-』著者山鳥重氏は脳神経科の臨床医である。記憶障害、失語症、認知障害、脳機能障害などを専門とする臨床医。人間が「あッわかった!」と思う時、脳の中で何が起こっているか、そのメカニズムが明らかにされている。

 「心像」(=心理表象)がキーワード(イメージが近い言葉であるが、視覚映像のニュアンスが強い。心像は触覚、聴覚、臭覚、味覚も含む。)
 
 「太陽が東から昇り、西へ沈むのは、地球が自転しているせいで、太陽が動いているせいではありません。しかし、われわれには太陽が昇り、太陽が沈むとしか見えません。」「地球の自転は事実で、太陽が動くのは心・像・です。」

 これが“アッ、わかる!”という時のキーワードの「心像」である。
 
 人間は、外界に起こっていることを絶えず知覚し続けている。初めて見たり聞いたりすることもあるし、前に見知っていたり、聞き知っていたりすることもある。
 前に見たり聞いたりして「すでに心に溜め込まれている心像」を「記憶心像」といい、「今・現在自分のまわりに起こっていることを知覚する」心像を「知覚心像」という。

 「知覚心像」と「記憶心像」が脳の内部で一致した時に、人間は「アッわかった!」となるのだそうである。

 例えば、「ネッカーの立方体」という図(下図)がある。立体図というものを見知って(箱などを体験的に見たりしたことがある)人には立体に見える。箱などを縦に見たり横に見たり斜め下からみたり斜め上から見たりいろいろ見知っている人には、この立体図が上から見えたり、下から見えたり、動く。その以前の“見知り”がないと立体に見えないのである。十分な“見知り”がある人には、違う角度からの立体も見える。本来2次元(平面のページ上)に表された12本の直線にすぎないのだから、立体という物を知らない人には、ただの重なり合った12本の線にしか見えない。以前、心の中に見知った箱型や立方体を「記憶心像」といい、今・現在ここで見ているネッカーの立方体(下図)を「知覚心像」という。

 ちょっと複雑なのは、「知覚心像」にしても、外界がそのまま鏡に映されるように知覚されるわけではなく、「いったん五感に分解して脳に取り込み、神経系で処理できる部分だけを組み立てなお」すという。線分でさえ、細かく千切られた線分として取り込み、組み立てなおすということを猫の知覚実験で証明した脳研究事例を他の書で読んだことがある。「組み立てなおされたもののうち、意識化されるものが知覚心像」であるという。

 1)物事がわかるためには、予め、いろいろな体験や知識吸収が行なわれて、記憶として脳内部に「心像」が形成されていなければならない。

 2)「記憶心像」が増えれば増えるほどわかる割合が高くなるのだから、今現在自分の周りに起こっていることの取り込み「知覚心像」形成も、繰り返し絶えず行なわれる必要がある。

 3)「記憶心像」形成にしても、「知覚心像」形成にしても、直接のものごとだけの「心像」だと入力されてもどんどん流れ去り、消えていく。その時に人間は、音声記号で「記憶心像」に名前を貼り付ける「ことば」を創造し発明し(創発)、不安定だった「記憶心像」を安定させた。

 4)「ことば」は、「記憶心像」と「知覚心像」をつなぐ重要な道具となった。

 以上が本書から私なりに掴んだ「分かる」仕組みである。

 「わかる」にもいろいろレベルがある。
「1.全体像が“わかる” 2.整理すると“わかる” 3.筋が通ると“わかる” 4.空間関係が“わかる” 5.仕組みが“わかる” 6.規則に合えば“わかる”」など。

 幾重にも応用問題的で大変ではあるが、誰かに何かを身につけさせたい立場にある指導者や教育者必見の書である。