読書・映画を通した想いの整理棚

読書をしたり映画を視たりした後、浮かんだ感想・批評を行なうブログ。ジャンルは多岐にわたる。

記憶する価値があるものと忘れるものと『記憶と情動の脳科学』

2006-08-31 22:26:53 | 科学書
 記憶力はあればあるほどよいというものではない、と教えてくれる書『記憶と情動の脳科学』(ジェームス・L・マッガウ著)企業が記憶力をよくするサプリメントとかの産業化を競っているらしいが、この本を読むとやめた方がよいと分かる。人間忘れるから助かっている面が多々あるという。「右脳開発」「脳活性化」だのと売らんかなの仕掛けが行き過ぎ、特に小さな子を持つ母親への不安を掻き立てるのは子どもにも悪影響があり、困りものだ。

 この書で、一番驚いたのは、中世の時代、まだ過去の記録を書き残す習慣がなかったときの次の歴史的事例だ。
「重要な出来事(例えば土地の譲渡や、有力な家計の間の重要な結婚式や交渉など)」の記録を残すために、「7歳ぐらいの子供を選び、慎重に事実経過を観察するように指示し、そして川の中に投げ込んだ」というのだ。
 そうすると「出来事の記憶は子供に印象付けられ、その子の一生涯にわたり保たれると考えられていた」のだそうだ。

 今なら虐待になる所だが、記憶の研究からは、「川に投げ込まれるというショッキングな出来事で情動をかきたてられ、情動が記憶を強めた」という点が興味深い視点として扱われている。脳研究が今ほど科学的に行なわれていなかった時期に「7歳ぐらいの子どもが一番記憶力がある。」「強い情動があれば、記憶に留められる」ということを、その時代の人々が経験的に知っていたということも驚異である。

 この書は「情動が記憶を強める」実験や事例を多く取り扱っている。強く衝撃的な出来事は、一回の経験しかなくても人間は長く覚えている。不幸な場合として災害や戦争でひどい目に遭い、長くPTSD(心的外傷後ストレス障害)がもたらされた事例がある。

 しかし、一般的には、ささいなことは選択的に忘れるような仕組みが人間の脳には備わっているらしい。細部の全てを記憶するとしたら、人間は「考えられなくなり」「一般化ができない」というから恐しい。思い込みによる「間違った一般化」も困るが、事実の濃淡のある把握による「一般化」は、世界観を形成する上で重要である。しかし、「事実の濃淡」といっても、各人の強い情動を伴った記憶が濃くなり、他は薄くなるとしたら、客観的な真実などというものはなくなり、人により相対化されそうだ。
 
 「記憶の人フネス」のフネスは、分類ができず細部の詳細だけが延々と記憶されるばかりだったというから、記憶のゴミの山にいたようなものだという。サヴァン症候群の人々の強い記憶は、代償として何かしらの脳障害が一方に存在する、といったことがあって健常な日常生活をおくれないという人もあるらしい。第一、全部覚えるているということは、思い出すのにも起こったことと同じだけの時間がかかるということでもあり、まとめられず、ほとんど何も覚えていないのと同じくらい不便なようだ。

 記憶は情動に基づくものばかりではなく、習慣(反復繰り返し)によるもの、ロジックによる知覚作用のそれもある。学校が組織されるのは、これらがあるからだ。

 結局、バランスよく「記憶する価値がある事柄」が覚えていられればいうことなしということになる。「記憶する価値がある事柄」とは何か、は社会が決めることもあれば、個人が決めることもある。脳が自然により分けることもあるようだ。