なぜ中学受験するのか? おおたとしまさ (著)
改めて中学受験の意義について問い直した本で中学受験で中高一貫校に入ることでの人生の選択がどのようにそのあとの人生を変える可能性があるのかについての気づきを与えてくれる内容です。どちらかというと中学受験は「2月の勝者」でも描かれるようにそこにはいる過程というほうがFocusを当てられることが多いので新たな気付きを与えてくれる内容かもしれません。結論からってしまうと「毒にも良薬にもなる」というのがその内容ですがやり方を間違えなければ特に「非認知能力を延ばす場所」、「生きる指針を得る場所」としてのメリットは享受できるのでは?というのは筆者のメッセージ。
そもそもをいうと日本の中学、高校で3年づつ運団されてその間に受験があるスタイルは世界にも例が見られずこの死守期に当たる時期は基本的に中高一貫のような年数で1つの学校に通うのが世界的標準とのこと。多感な時期での受験を避けるという意味が中高一貫校にはあり。むしろこの受験に変に時間を潰すのでなく6年間を通じて哲学する余裕を持ちながら大学受験に準備するという逆説的な「ゆとり教育」としての意義が示されています。
自身の選んだ学校に通うというのは学習内容を選ぶというよりは「朱に交われば赤くなる」環境を選んでその学校で得られる異端な私学としての「らしさ=ハビトゥス」を身に着ける場所と思って良さそうです。この環境で刷り込まれる非認知能力は人間としてのベースを形作るものになると言えそうです。
中学受験の問題はやや特殊なものもあるわけですが重要なのは自身のれエルに沿った学習法だとか勉強の仕方をいかに身に着けて努力と結果の相関(時には相関しないこと含め)を感じることなのかと思います。なので上記のような目標も考えて目先の点数や損得勘定に左右されてはいけないものなのだと指摘されています。つまりはテクニックを刷り込んで偏差値を追い求めるのでなく人間としての成長が得られるか?という観点での取り組みが試されているのだと思います。特に中学受験では親のかかわりが大きくなってしまうのでなおさら。まさに親と子供の冒険だとも言えるのかもしれませんし、親子ともども人間としての成長が求められるのかと思います。
自身を振り返ると中学受験を体験したので実施しなかったことのことはあまりよくはわかりません。東京から高知の学校へ行くことになりましたが自身の経験からはこの中高一貫校に行かなければ自身はここまで成長は出来なかったのではと思っているので非常に感謝はしています。で自分の子供に対しても悩みはあったのですが挑戦をしていきます。でもやっぱり人生は一度しかないのでどっちが良いかなんていうのは難しいのというのが実際のところなのだとは思います。出会う先の環境が自身にとって合うかどうか運なところもあり…ともあれ上記のように成長する機会と捉えて進めていきたいと思います。