放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

東日本大震災~The Life Eater25~

2011年05月29日 02時05分18秒 | 東日本大震災
 雨はいよいよ本降りになってきた。
 ガタガタ言っている高速で、雨はキツい。

 いよいよ浦和インターが見えてきた。そのさきには迷宮のような首都高がトグロを巻いている。
 道路は極端に広くなって、その向こうに料金所がまるで港の水門のように口を広げて待ち構えている。
 このとき、僕の頭の中では、「パイレーツofカリビアン」のテーマ音楽が流れていた。
 (どんだけオオゲサなんだい?)
 
 このさきをどのように走ったものか、よくおぼえていない。
 あれよあれと環八に出て、武蔵新田の式場に着いたのは午前11時。
 しばらく待合室で待たされる。

 このとき、テレビを点けていて、こっち(東京)でも「公共広告機構」のCMが流れていることを知る。
 しかし、この出演者たちも、ここまでヘヴィローテーションで流れるとは思っていなかっただろう。
 たまたま撮っていたCMなんだろうけど、企業のCMが一斉自粛しちゃったもんだから、震災関連の番組の間をこの「公共広告機構」のCM群が占めた。いずれ首都圏は元通りに企業CMがテレビを賑やかにするだろう。東北は、もうちょっとかかるかもしれない。

 告別式が済んで、そのまま斎場(火葬場)へ向かう。
 静かな住宅地の奥に斎場があるのにはちょっとびっくり。
 霊柩車を誘導する係員がおっかなさそうだったのにもびっくり。
 そして、広い駐車場に霊柩車とマイクロバスが何台も並んでいるのにはもっとびっくりした。

 降りてみれば、なんと火葬の焼き窯がずらりと並んでいる。10ではきかないくらい。
 そこへつぎつぎと柩が据えられて、順番に窯に押し込まれてゆく。

 なんだかなぁ・・・。

 いかにも東京らしいというか・・・。
 地方都市の10倍以上の人口を抱えるからか、それとも関東人特有のせっかちさゆえなのか・・・。
 柩の前で別れを惜しむ時間はくれたものの、あとはつぎつぎと窯に入ってゆく。遺族はそのまま二階の待合室へ。待合室ったって、これまた豪華なカラオケルームみたいなのがずらりと並んでいる。戸口には「○○様」と書かれている(迷子になる心配だけは無用のようだ・・・)。
 
 雨の降るなか、二階の窓から桜が見えた。 
 満開の頃をややすぎたのだろうか、この雨で散りはじめるかもしれない。
 ―涙雨に散り桜、か-
 
 「○○様のご遺族の皆様、ご集骨の準備が整いました。」とか放送が入ったのでまたみんなゾロゾロと窯の前へ集合する。
 横をみれば、他所様でも「ご集骨」のようで、みんなハンカチとかを口に当てながらむき出しの白骨を眺めている。

 なんだかなぁ・・・。
 
 まぁしかし、これだけ大量に火葬することができるのであれば、被災地とかで犠牲者の火葬が追いつかず土葬にする、なんて悲劇もおこらないだろう。事実、犠牲者の火葬を東京に依頼した自治体もあったのである。

 「ご集骨」して骨壺におさまった叔父さんを式場に移してまた法要を営む。
 僕たちは直会の早い段階で退席することにした。また東北まで帰らなければならないから。

 帰り、第二京浜目黒口から高速に乗る。ほんと迷宮ですな。
 雨はあらかたおさまっていた。
 行きもそうだが帰りもロクに休息を摂らずに疾走する。

 一気に浦和を突破(笑)
 そのまま宇都宮付近まで道路状況ムシで突っ走った。

 ところが・・・。

 加須SA手前でお義父さんが具合が悪いと訴えた。
 SAで停めると、吐いてしまった。

 強行軍だったか・・・。それとも震災のストレスが祟ったか。
 これはゆっくり休み休み帰るのがいいのかな・・・。長旅だけど。

 ところがお義兄さんはそうは考えない。
 それからは前にもましてガンガン高速を攻めた。
 とにかく走る、抜かす、怒る(?)
 前方にトラックが入ると激しく罵倒する。
 カーブも下り坂も、とにかくアクセルしか踏まない。

 そうして、予定時間より40分も早く角田に着いてしまった。
 すごい・・・。
 
 お義兄さん曰く、
 「だって、のろのろ走っていたってしょうがねぇだろ。早くウチに着いたほうが休めるし。」

 このヒトも英雄・・・かな?


 どうも宮城県にいるだけだと、外の様子がさっぱりわからない。
 首都圏に出て、他所から見た被災地というものをかすかに体験できたような気がする。
 ガソリンも仙台とくらべて10円/ℓ安かったし・・・。

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