昭和30年3月、中学校の卒業式で聞いた関原校長先生の言葉は今も忘れない。
戦後10年、工業化社会へのスタートを感じさせた、活気あふれるあの時代。
卒業生の大半がそのまま社会人へと進もうとしていた。
校長先生のはなむけの言葉は「随所に主たれ」であった、中学生には難しい言葉であったが、先生の言葉は丁寧で、優しいことばで(この意味は決して偉くなれとか、強くなれとか、人の上に立てと言うのではない、君たちはこの先様々な人生をたどるであろう、しかしどのような仕事に就こうと、家族の為、社会の為、国の為に働くという点では同じである、自分に与えられた任務を真面目に全うすることが大切であると言う意味です)と結ばれた。
あれからすでに34年、多くの仲間と共にすでに古稀を迎えた、又20名余りの仲間は(千の風)になって我われを見守っている。先生にならって、よき言葉を次に伝えねばと思う。
戦後10年、工業化社会へのスタートを感じさせた、活気あふれるあの時代。
卒業生の大半がそのまま社会人へと進もうとしていた。
校長先生のはなむけの言葉は「随所に主たれ」であった、中学生には難しい言葉であったが、先生の言葉は丁寧で、優しいことばで(この意味は決して偉くなれとか、強くなれとか、人の上に立てと言うのではない、君たちはこの先様々な人生をたどるであろう、しかしどのような仕事に就こうと、家族の為、社会の為、国の為に働くという点では同じである、自分に与えられた任務を真面目に全うすることが大切であると言う意味です)と結ばれた。
あれからすでに34年、多くの仲間と共にすでに古稀を迎えた、又20名余りの仲間は(千の風)になって我われを見守っている。先生にならって、よき言葉を次に伝えねばと思う。