社長の住まい流談義

69歳にしてブログを開設しました。
命の続くかぎり、世間と交わりたいと思い、続けたいとおもいます。
よろしく!

新年に思いを寄せて。

2011-12-26 14:23:18 | 東北大震災について
2011年もラストウイークを迎えました。
3月11日の東日本大震災以来、一日も欠かさずマスコミから流れる被災地の情報が、深く重く全ての国民の心に焼きつきました。
 数回にわたる現地入りの記憶、約2ヶ月間震災復旧工事に携わった、我社の職人さんたちや、要請に応えて復興工事に駆けつけてくれた、屋根屋さん、基礎工事屋さんたちの働きは、ささやかでも現地の皆様のお役に立つことができて感謝しています。
 被災地での復旧はいまだ著についたばかりですが、来年からの本格的な復興への動きに期待しています。
 自然災害に明け暮れた今年ですが、被災者も、又それを支えようとしている多くの国民も、一刻も早い復興に期待して、新年を迎えようとしています。
 我社でも来る新年こそ明るく希望のもてる一年であることを祈っています。
地域の皆様からの一年間のお引き立てに心から感謝申し上げ、ブログを閉じます。

気になる増税議論

2011-12-20 16:56:46 | 民主党政権について
 ただでさえ気ぜわしい年末に来て政治の世界では、消費税や所得税の増税を巡って賛否が分かれ混沌とした論議が展開されています。
 私達の住宅建築業界にとって消費税の増税は深刻な影響を与えます、今住宅を求めている年代層はその多くが若者世代です。
 国内消費を高めるためのエコカーポイント制度、省エネ住宅促進の住宅エコポイント制度などの支援策に重点を置いた政治の姿勢は一体いつまで継続できるのでしょうか、
公共のムダを廃し新しい成長政策による経済全体の底上げ政策は見当たりません。
 経済の先行きに期待が持てない社会では、若者の購買意欲は盛り上がりません。
次代を担う若者世代に「夢・と希望」を抱かせる明るい未来像を描く政治家の出現に期待しています。
 若者世代には今見せ掛けの商品や、一時の歓楽にはまる様々なサービスが氾濫していますが、世間全体が浪費社会となりつつある現状は、将来に夢を抱かせる未来像が描ききれない点にあるのではないでしょうか。
 政治家自身が身を削り、ムダと指摘されている官公庁の全てのシステムの再構築を実現した後の増税は、国民の支持を得られるのではないでしょうか。

後一週間で冬至です

2011-12-16 09:20:55 | 季節のあれこれ
 二日前の冬晴れに変り、ナマリ色の雲が低くたれこめて冬本番の空模様です。
窓に当り時折音を立てる銀杏の枝は、すっかり葉も落ち新芽のつぼみが目立ちます。
冬の激しい風雪に耐えて生き延びる木々の逞しさに、勇気づけられる日々です。
 二十二日は冬至で少しずつではありますが、昼間の時間が延び始めて明るい気分になります、例年の事ですが小雪の冬であることを祈っています。
 政治は消費税の増税をはじめとして、国民負担の増加を伴う制度の創設に躍起になっていますが、東北の被災地などの実情や、現下の地方経済の低迷状態を考えれば、とても、とてもそれどこの話ではありません、デフレ経済からの脱却こそが一般国民の期待するところではないでしょうか?。

新しい命への贈り物。

2011-12-13 13:32:22 | 家づくりのあれこれ
 去る11日見附市で、若いお客様のお身内だけの上棟祝いにお招きいただきました。
8月に誕生したばかりのかわいい女のお子さん「一花」ちゃん、若い御夫婦の親御さんご一家との和やかなお祝いの席は、ご新居の上棟とあわせて新しい命の誕生の喜びにあふれご両家にとっては最高のお席となりました。
 昔の上棟祝いは、関係者や親戚が大勢集まり盛大な宴席となり、一族の繁栄と絆を深める儀式のような雰囲気でしたが、近年はその風習がなくなりかけています。
 今誕生した「一花」ちゃんの未来は、一体どんな社会になるのだろうかと、かわいい寝顔を拝見しながら、現世代の我々の責任の重さを実感しています。
 経済が一人歩きして世界の情報が一瞬にして地球を駆け巡る現代社会の中で、私達が本当の幸せを実感できる場所は暖かい我が家と、そこに住む家族との太い絆です。
 ご両親と若いお二人が「一花」ちゃんに贈った最高の贈り物でした。
健やかに成長されることを祈っています。

 
 

震災被災地の実情を理解して下さい

2011-12-08 17:36:34 | 東北大震災について
 去る6日~7日と、能生商工会工業部の皆さんと東北被災地の視察に同行しました。
 陸前高田市、気仙沼市、石巻市などいずれも激震地の惨状は言葉で表現出来ない悲惨さでした、中でも石巻市の「大川小学校」の校庭に設置されている、被災児童の墓碑の前では、全員言葉もなくただただご冥福を祈るのみでした、七十数名の子供達が命を落とした避難所となった、大橋の袂の高台では、眼下に見える小学校の校舎が無残な姿で残り、当時の子供達の恐怖におののく姿を思い浮かべ、思わず涙を流しました。
 また半島の先に位置する雄勝町では、270名の死者のほか、公共機関の建物を含め約300戸余りの建物全てが流出し全滅の状態でした。
 しかし震災以来8ヶ月を経過した現在10軒余りの商店が仮設の店舗を旧役場前にオープンさせて、災害視察に訪れる人々にサービスしていました、住民の全てが避難して誰もいない地域でありながら、故郷に人々を引き止めたいと念願する、商工会青年部の諸君の熱意に感動させられ「エール」を送って参りました
 この惨状を一人でも多くの人々に知ってもらい、全ての国民が一日も早い復興に協力できる制度の確立を念願しています。