宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(一)「意識(対象意識)」1「感覚」(その4):「今」も「ここ」も「普遍のなかにある個別者」だ!「単なるこのもの」という感覚は「私念」にすぎない!

2024-05-04 12:23:17 | Weblog
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(一)「意識(対象意識)」1「感覚」(その4)(97-98頁)
(15)-6 「感覚」は、「『感覚』を《主客を切りはなさない感覚作用そのもの》として見れば、『このもの』があるんだ」とがんばる!
★ さて「客体的」にも「主体的」にも「このもの」はない。それでもやはり「感覚」は「このもの」があるとどこまでもがんばる。(97頁)
☆「感覚」は次のように言いはる。「主体と客体とを切りはなして考えるから、お前のような議論(※『客体的』にも『主体的』にも『このもの』はない)は成り立つが、しかし、おれが、今この時計を見ているところのその感覚を、《主客を切りはなさない感覚作用そのもの》として見れば、『このもの』があるんだ!」(97頁)

★だがそうなってくると、「このもの」はもう「言葉」では現わせない。「このもの」は、あるにはあるが、しかし「指示」しかできない。(97頁)
☆ところが、はたして「指示」できるかどうか?やって見よう。再び「時間」と「空間」に分けて、「今」と「ここ」について議論しよう。
☆時計を見る。「今」は30秒だと思っていると、もう31秒だ。31秒を「今」と思うと、「今」はもう32秒、33秒・・・・・となる。30秒も「今」なら、31秒も「今」であり、32秒も33秒も「今」だ。「今」はそれらに通ずる「今」だ。(97-98頁)
☆したがって「今」も「個別」ではない、「単なる個別」ではない。30秒が「今」であっても、それ(「今」)は「普遍のなかにある個別者」であって、「単なる個別者」はない。(98頁)

★「ここ」についてはどうか?例えば「ここ」は机である。この机のなかをまた分けて、「ここ」と指すところは「ここ」!「ここ」!とたくさんある。(98頁)
☆この「ここ」というのは、多くの「ここ」のうちの「ここ」であって、他の「ここ」と切りはなされた「ここ」はない。(98頁)

《要約》「このもの」は「言葉」では現わせない。「このもの」は、あるにはあり、「指示」だけはできる。このように「感覚」は「このもの」があるとどこまでもがんばる。(97頁)
・ところが「このもの」について「指示」さえできない。「今」も「ここ」も「指示」できない。(97-98頁)

★「純然たる個別者」はないのに、「感覚」は「単なるこのもの」をつかんだつもりでいるが、じつはそんなものはない。(98頁)
☆自分だけが、そう考えているにすぎない。「感覚」は、「このもの」をつかんだつもりでいるだけで、「私念Meinung」にすぎない。(98頁)

★かくて「普遍者における個別者しかない」のであって「単なる個別者」はない。(98頁)

《参考》ヘーゲル『精神現象学』の目次は次のようになっている。(36-38頁)(53-54頁)(333-336頁)
(A)意識:Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」Meinung、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)自己意識:Ⅳ自己確信の真理性
(C)(AA)理性:Ⅴ理性の確信と真理、
(BB)精神:Ⅵ精神(A「真実なる精神、人倫」、B「自己疎外的精神、教養」、C「自己確信的精神、道徳性」)、(CC)宗教:Ⅶ宗教、
(DD)絶対知:Ⅷ絶対知
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