わたしの随筆  雪  地  風

心に浮かんだことを気ままに

国会デモから

2015年08月30日 | 随筆

 今日、国会10万人大行動へ行ってきた。議事堂周辺には多くの参加者が結集した。周辺、六ヵ所のステージでは野党議員、著名人などが次々と安倍政権の暴走、迷走ぶりを暴露し続けた。

 日比谷ステージでは菅元総理、福島瑞穂議員、香山リカ氏たちが安保関連法案の杜撰さと危険極まりないことを指摘し、安倍政権の独走を糾弾した。

 雨はしとしとと降り続けた。だが、結集した人々は、雨にも負けず、高らかにシュプレヒコールを繰り返した。

 

  コール! 戦争法案絶対反対!戦争法案今すぐ廃案!戦争反対!9条守れ!安倍政権今すぐ退陣!強行採決絶対反対!~

 

  中高年も若者も学生も労働者もパパもママも・・多くの人々が戦争を阻止し、平和を希求する声を怒りをもって上げつづけた

 八月の最後の貴重な日曜日に、こんなことまでさせる政権なんて・・。だが、民主主義、国民主権、立憲主義など大切なものを決して失ってはならない。それは多くの犠牲が払われたという歴史が示す通りなのである。声も上げず、また上げられずに・・。戦後の我々は間違っていることに対し、勇気をもって声を上げるし、断固上げ続けるのだ。 ・・・   権力の様々な攻撃から、平和な暮らしを守るために。

 

      8.30 国会10万人大行動より

                                   

                    日比谷ステージ           参加者            国会前               国会前

                                                                                                                                                                         2015.8.30  写

 

 

          * 主催者発表で12万人の市民が国会周辺に結集した。今日の大行動についての概要は、今朝のブログを参照のこと。


安保法案の阻止を

2015年08月30日 | 随筆

  安倍政権は違憲である安保関連法案を国民の反対をはねのけ強行採決しようと躍起である。その流れに呼応するかのように大阪では維新の党に変わる新党結成の動きがある。相変らずくるくると方針が変わり、離合集散するような政党や政権に国の未来を託せるはずもない。

 平和主義、人権の尊重、民主主義、立憲主義、法の下の平等・・。安倍政権を退陣に追い込み、戦争をしない未来を築き上げねばならない。今日は雨天であるが、国会10万人、全国100万人大行動に集結する我々の心は晴れやかだ。戦争のない未来に対し、間違いなく希望を確信するからである。

        

            <  私たちが戦争しない未来を創る! >

 

    戦争法案廃案!安倍政権退陣!

     8・30  国会10万人・全国100万人大行動

                 

                     *   8.30 (日)  14:00~16:00   国会議事堂周辺

        

                            

               


帰郷して (3)

2015年08月25日 | 随筆

 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて 異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて・・ 。この室生犀星の抒情詩については様々な解釈もあるようで。

 久し振りに故郷に帰り、いろんなことを思った。度々、帰省はしてきたが、高校を出てから住まいはずっと東京だった。この歳まで、東京の郊外に住んでいることがほとんどだった。やはり、東京と宮崎とでは気候、風土が随分と違う。言葉も食事も、その他いろんな習慣だって違う。でも、郷に入れば、郷に従え、その地に馴染んでいくしかない。あーあ、振り返れば長くなるから止めよう。

 今回ほど、とりわけ、ふるさとの自然は美しいなーと思った事はなかった。天候の影響で遅く宮崎に着いた日は雨だった。でも、その雨さえ 何だか風情があっていいなーと思ってしばらく眺めていた。夕刻、小雨に煙る大淀川を見ながら、川端康成が「たまゆら」をここで執筆したことをふと思い出した。彼はここから眺める大淀川や夕日の景色が好きだったという。

 何度も書いてきたが、宮崎の青空は綺麗だ。雲もいい。碧い海の色と真っ白な波。透き通った海水。日向という名の通り、日光はキラキラと輝いている。蒸し暑いというのではない。海風、山風、川風が吹き、静かに流れているのだろう。樹木や草木が太陽に向かって伸びている。生き生きと今を生きている。街もきれいだ。ふつうにある町並も何となく味わいがある。古い家屋だって好きになれそうだ。

 滞在中、故郷の味らしいものを口にすることができた。冷や汁、刺身、宮崎牛、ラーメン、ういろう、飫肥天(おびのてんぷら)、地鶏、うな丼、にらごり・・。どれも気候とマッチしていると思う。この地で食べると特に旨い。素朴な味。

 風光明媚な土地を巡りながら、産業や経済、文化面なども少し考えたりした。ふるさとは都会から随分離れている。だから美しいのか。今も交通の便がいいとは言えない。ネット社会になったから大丈夫といってもなぁー。そして自分はただ訪れているという呑気で気軽な立場。美しい、綺麗、素晴らしいなどと感嘆しているだけなのか。ただ放浪する旅人みたいなものか。地方の生業を考える。少なくなった海水浴客。1日300円という駐車料金の看板を海水浴場で見る。海の家の小さな店で、昔ながらにタイヤチュ-ブの浮き袋などを貸したりしている海水浴場も・・。

 羽田空港と宮崎空港との行き帰り。街や雲や飛行機などを眺めながら、嬉しいような、寂しいような。いろいろ考える度に、ちょっと複雑で不思議な気持ちになっていた・・。  日向宮崎よ !!  また。

 

        人工の街と自然な土地

                                   

            羽田空港で           お倉ヶ浜             お倉ヶ浜            青島辺り

                                      

            日南の海       宮崎ブーゲンビリア空港       空からの雲            羽田近く

                                                           

 

                                                                                 データ

                                                 撮影日  2015、8、18~21

                                                 カメラ   CANON EOS  kiss x3  

                                                       CANON  IXY 

                                                       FUJUIFILM  X-E1                                  

                                                   レンズ   canon zoom lens 18~55mm  f 3.5~5.6     

                                                          summicron-c  40mm  f 2

 

 

 

                                                        


南国に潮風が吹く (2)

2015年08月24日 | 随筆

 日向市から宮崎へと日向路を南下した翌日は、青島、日南海岸へ向った。整備された道路の中央や脇にはワシントンヤシやフェニクスなどの樹木が等間隔に並んでいる。青島辺りでは樹檳榔だったりする。そんな樹々の間には浜木綿(はまゆう)が白い花を咲かせ、カンナは赤や黄色の花を付けている。時折、ハイビスカスやブーゲンブリアの花も見える。南国の風景である。

 高台のホテルから数分歩いて青島へ行ってみた。途中、青島名物の<ういろう>を売る店が数軒あった。だが10時前だったのでどこも開店してなかった。昔からある松山商店はまだ続いているようだ。その店のは、歯ごたえがあり、美味しいのだ。

 かつての南風荘という名前は変わったが、参道入り口近くのその土産店に入ってみる。貝殻で作られた亀や蘇鉄の実での猿顔の土産があって昔を思い出した。貝殻をいっぱい繋いだ色の付いた首飾りも懐かしい。キャラクターの商品が殆んどで、こういった類の物を売っている店も少なくなってきた。でも、そんなレトロな物が何となく似合う青島参道である。店を出て先へと歩いて行くと、記念写真を撮るおじさんが木陰の椅子に坐っていた。デジカメになり、プリント高速仕上げになってる以外はさほど以前と変わらない感じ。昔、ここで訪問客を白黒写真で次々に撮り、撮ったその写真をずらっと並べていて帰りがけの買いたい客に売るという、そんな長閑な時代もあったなぁー。

 海水浴に来る人も以前と比べたら随分減っている。<海の家>だった木造の長い建物はビーチ・パラソルに変わり、海に向かう浜辺も短くなったようだ。空港拡張やダム建設が浸食に影響しているのだろうか。でも、遠くに見える一ッ葉浜や市街地、目の前の青島の風景は少しも変わらない。もちろん、青い空と海も。打ち寄せる白波も熱い砂浜も潮の香りも・・。

 青島からは車で堀切峠、日南へと下った。馬ヶ背や伊勢ヶ浜、お倉ヶ浜とはまた様子の違った海岸である。南国というイメージが更に強まった風情である。日光は強いが、それほど暑いとは感じない。海から吹く風の影響と、美しい自然環境とで気分もさっぱりしてくるからだろうか。海を見下ろしたかと思うと、今度は海の方が地面より高い位置にあるかのように錯覚してしまう所もある。

 海、浜辺、空、雲、道、昔風の家並み、鉄橋、港、漁船、運河、川、田畑、林、山々・・。それらがお互いに馴染んで一つの風土を創っている。また、漁港に水揚げされたばかりの鮮魚七種、盛り合わせの刺身定食は実に美味かった。おまけに安かった。前日、細島港での刺身定食もそんな感じで美味かった。やはり、産地直売はいい。網元含め、近場での流通の良さのお蔭と言えるだろう。

 

 青島の浜辺にも牧水の石碑が、青島を眺めるように立っていた。それには次のような歌が刻まれていた。

   

          檳榔樹の 古樹を想へ   その葉蔭   

                         海見て石に似る  男をも       

                                                     牧水  旅人書

  

 青島、日南海岸へ   

 

                                  

              空港付近             青島                 青島                青島海水浴場

                             

               白浜               堀切峠から            堀切峠                富土海水浴場

                             

                日南                日南                油津付近              名井津港

 

                                         撮影日   2015、8、20

                                         カメラ    CANON  EOS kiss x3

                                                                                             レンズ       canon zoom  lens   18~55mm  f 3.5~5.6

 

 

 

 


神々しい海  (1)

2015年08月23日 | 随筆

 先日、宮崎へ行った。遅れて着いた日は雨だった。大淀川河畔の街灯や西橘通りのネオンが夜の雨に霞んでいた。翌日からはずっと快晴だった。高速道で日向路を北へ向かった。山は青く、空には白い雲が浮かんでいた。ああ、宮崎だーと思うと心がすーっとしてきた。

 都市景観大賞を受賞したという日向市駅は現代的な駅舎だが落ち着いた雰囲気があった。素朴な若山牧水の像が立ち、次のような歌が書かれていた。

    ふるさとの 尾鈴のやまのかなしさよ 

                     秋もかすみの たなびきてをり      牧水

 日向岬の馬ヶ背へ行く。日陰で涼しい森の小道を10分ばかり歩くと不思議な感じのする切り立った岩場の上に出た。更に進んで行くと、青々とした太平洋が目の前に広がった。日向灘である。遠くの岩場や波頭を眺めながら、天孫降臨の神話を想像していた。海や山がいっそう神々しく見え始めた。

 次に、伊勢ヶ浜にある大御(おおみ)神社を訪ねる。日向のお伊勢さまと呼ばれ、天照大御神が祀られている。海の城だったという珍しい日知屋城跡が境内にあり、海辺の岩窟には龍神信仰の洞穴もある。この絶景の地には、さざれ石群の海岸が南へ向かってずっと続いているのである。

 伊勢ヶ浜からお倉ヶ浜へと向かう。自分が生まれた浜辺の家はもうなかった。丈の高い草がいっぱい生えていた。すぐ先の方へ出ると、広々とした空と海と浜とがつながって視界に入った。いっそう不思議な気持ちになった。 

 お倉ヶ浜から金ヶ浜へと下る。次に、奈良の大和へと神武天皇が舟出したという海辺の美々津へ行ってみることにした。目の前の灯台と小島の間を通って舟出されたのだという案内板が立っていた。神話の世界が現実のように思えた・・。

 

 

  日向

                     

             宮崎市内                馬ヶ背              馬ヶ背                馬ヶ背

          

                                     

            細島港入江                 馬ヶ背                大御神社              大御神社

          

                                      

             伊勢ヶ浜              お倉ヶ浜            美々津の舟出の地            美々津の町

                                           

                                                                                                           撮影日      2015、8、19 

                                                 カメラ     CANON   EOS kiss x3

                                                                                                                                 CANON    IXY

                                                          FUJIFILM  X-E1

                                                 レンズ

                                                         canon zoom lens  18~55mm

                                                         summicron-c  40mm   f 2

 

 

 

 


久し振りに

2015年08月17日 | 随筆

 久し振りに昨夜から雨が降り出し、今朝から雨脚も更に激しくなった。家の外は涼しいが、湿度が高いので室内はちょっと蒸し暑い。小雨になった折り、涼みがてら田んぼの方へ行く。山は霞み、稲穂や案山子が雨に濡れていた。古代蓮も花びらを散らし、蜂巣のようになってきた。蓮の見頃もそろそろ終わりだ。

 山や川、田んぼや森。土手や河川敷きの原っぱ。そんな所を散歩していると色々なものを目にする。だから、カメラをもって出かけることが多い。空や雲、田畑や小道、樹木や草花、鳥や魚や昆虫、小川や用水路、家並や電柱・電線・・。そんなものを写す。本当は人物も撮りたいのだが、こんな時代ということもあり、諦めて殆んど撮らない。

 空や雲などは安心して撮れるというか・・。そう、明日から故郷へ久し振りに帰るんだ。何度行っても飽きない良い所。青空と入道雲。青い海と白波と砂浜。フェニックスとカンナと夾竹桃。日なたと日陰とそよ風。青く霞んだ山々と大淀川。ういろうとラーメン。刺身、牛肉、やきとり、うなぎ、そーめん、野菜・・。いろいろと楽しみである。

 

                      ふるさとに 帰り来たりて先ず聞くは 

                              かの城山の 時告ぐる鐘

 

                    白鳥は 哀しからずや空の青   

                              海のあをにも 染まずただよふ           

  

                 幾山河 越えさり行かば

                                寂しさの 果てなむ国ぞ 今日も旅ゆく                                                        

                                                 若山牧水 (宮崎県出身の歌人) 歌集より         

      

         過ギ行ク夏

                                           

                  ① 8/13              ② 8/16             ③ 8/16

 

                            

          ④ 8/17             ⑤ 8/17              ⑥ 8/17            ⑦ 8/17

                                      

                                               データ

                                                   CAMERA    FUJIFILM  X-E1     

                                                   LENS                                                                                

                                                     ① Kiyohara kogaku  Vk70R (単玉レンズ)

                                                     ②、③  Elmar  5cm f 3.5

                                                     ④、⑤、⑥、⑦

                                                       Zoom-nikkor-c  43~86mm f 3.5

 


お盆の頃

2015年08月14日 | 随筆

 まだまだ暑いのだが、お盆のこの頃、朝夕などに秋の気配を感じる。時折吹く風に涼気が漂っていたりする。今朝、早く起きると辺りが霧にけぶっていて涼しかった。明日は終戦記念日の8月15日である。六日、広島の原爆の日のとうろう流し。また、長崎での精霊流し。先祖の霊をお迎えし、しばらく滞在してもらい、16日の早朝に名残惜しくもお送りする昔ながらの各地でのお盆のならわし。迎え火、送り火、盆提灯、ほおずきなどの盆花、盆菓子、蝋燭、線香、精霊流しなど、お盆の頃の様子が終戦記念日と重なる。

 今年は戦後70年。平和の大切さを再認識し、二度と戦争を起こさないよう様々に実践していかねばならないと思う。憲法違反とまで言われている杜撰な安保法案の政権による強行採決は許し難いものである。ほんの一部の少数権力者による横暴とご都合主義で、国民の意向は無視されたままである。誤魔化しばかりで、理解できるはずがない。また、立憲主義の危機とも言える状況である。責任の取れない、口ばかりの、とんでもない人間が総理に居座り続けたままである。五輪だって、これから先どうなることやら。

 田んぼの稲穂も風に揺れ始めた。案山子の上をたくさんの盆トンボがスイスイと飛んでいる。盆に付きものの美しい蓮の花が葉っぱの間から顔を覗かしている。見上げれば、空はいろいろと表情を変えている。平和で、のんびりとしたような白い雲が浮かんでいたりする。森の方から、ひぐらしのカナカナカナという鳴き声が聞こえてくる。ふと、どこか儚い気持ちになり、秋の訪れを感じてしまう。

 写真機のファインダーを覗いていたら、遠くに過ぎ去った懐かしい風景と現在がだぶって滲んだように見えてきた。過去への憧憬が強くなる八月半ばである。

 

     懐かしい風景

                         

            ①   8/11           ②  8/11           ③  8/13           ④    8/13

                          

            ⑤  8/13            ⑥  8/13           ⑦  8/13           ⑧  8/13 写

 

                                               データ   

                                                 ①、②    CANON  IXY

                                                 ③、④、⑤、⑥、⑦、⑧

                                                   FUJIFILM X-E1

                                                   Kiyohara kogaku VK70R (単玉1枚レンズ)


戦後70年とは

2015年08月10日 | 随筆

 蝉がミーンミーンと早朝から宵まで必死に鳴き続けている八月。被爆70年を迎えた広島、長崎での平和への誓いを思う。戦争の記憶が急速に失われつつあることへの危機感を示しつつも、若い世代へ希望を託す。被爆の思いを語り継ぐことで、二度と悲惨な戦争のない世界を実現しなければならないと。核兵器廃絶運動は、平和を願う多くの人々によって戦後ずっと積み上げられてきたものである。

 憲法を無視し、戦時中に時代を逆戻りさせるような安倍政権の暴挙に対しては、強い怒りを覚える共に、断固糾弾したいと思う。

 ここ数日、広島、長崎の被爆地はもちろん、沖縄から東京、あるいは全国各地での悲惨な戦災の様子をドキュメントとして目にしてきた。老若男女、何と多くの尊い生命が失われたことか・・。茫然自失となる。

 軍事力での支配。経済力での支配。価値感での支配。グローバル化してくると、米国のような他民族国家の方向へと言語もその他の文化も流れ易くなるだろう。挙句、根っこも浅くなってくるから、長い歴史国家だって、歴史遺産だって、市場主義の下でことごとく破壊尽される。世界ではその流れが今、暴力を背景に、引き起こっているのだとも言えそうだ。たとえ小さくっても、貧しくっても・・。隅の方でピカッと光り輝いている大切なものが見落とされ、消されていく世界・・。だからって、自分は国粋主義を唱えているのでは決してない。

 話を変えよう。ただ、自然の流れに目をやる。ただ、ずっと昔の文化や知恵に目を向けてみる。ただ、ちょっと以前の懐かしい暮らしを思い出してみる。温故知新というのだろうか・・。決して、焦ってはならない。自然は黙って人間を見つめている。

 戦後70年、原爆や原発被害、犠牲者や平和などを思い、写真を撮った暑い八月上旬。時には暗い気持ちになったり・・。だが、あんないい加減な安保法案で心を暗くされてたまるか!間違いなく、善良な市民は真実の平和を求め、ずっとずっとそれを守りつづけていくことだろう!!  < 国家主義より民主主義、 差別より人権、 戦争より平和> ただそれだけである。

 

    平和へと   ― 蓮華 ー

 

                       

          ① 8/6                    ② 8/9            ③ 8/10           ④ 8/9

 

                                       

          ⑤  8/9               ⑥ 8/10                      ⑦ 8/10                     ⑧ 8/10 写

 

 

                                      データ

                                         ①、⑧  CANON IXY   

                                         ②、③、④、⑤、⑥、⑦

                                               FUJIFILM X-E1  

                                               zoom-nikkor-c 43~86ミリ 3、5


原爆の日に

2015年08月06日 | 随筆

 今日は、広島の原爆投下から70年となる。広島、長崎の被爆者は勿論、沖縄地上戦、東京大空襲をはじめとする各地での戦没者の数は夥しい。また、それをはるかに超える中国、朝鮮、アジア、太平洋諸国での戦死者の多さに驚くばかりである。死に至らなかったにしても、負傷によりその後の生活が悲惨なものになったことを考えると戦争というものの理不尽さに愕然としてしまう。死、負傷、心身の後遺症、貧困、家族離散、未来への遮断、生活の崩壊・・。スポーツのように勝利したから万万歳というようなものでは決してない。勝っても負けても、人々は確実に多くの物を失うのである。絶望、憎悪、悪夢、懐疑、自暴自棄、差別、暴力、薬物依存、ギャンブル志向、自殺・・。挙げたらきりがない。戦争は狂気そのものなのだ。

 自分が小学1年生のある日、体重測定があった。「十八てん・・」と呼ばれたのを今でも覚えている。「てん・・」の後の数が0なのか5なのかまたは他の数なのか覚えていないが、「十八・・」という数は覚えている。その時、他の子の声が大きくなった。18キロ位の痩せっぽちだったんだ。自分が生まれた終戦の翌年だって食べる物が少なくて、とても困ったそうだ。子どもが可哀そうだったと、戦後の食糧不足のことを母は度々口にしていたのを思い出す。

 小さい頃、今日の夕飯がカレーライスだと察知すると、近所の友だちと遊んでいる時も嬉しくて嬉しくて仕方なかった。いつだって腹が減っていたから、ついカレーライス(麦ごはん)を目に浮かべてにこにこ顔になっていたんだろう。ハングリーだったんだ・・。栄養不足だったことが、今でも体に影響してるのかなーと思ったりして・・。

 負けるより勝った方がもっと不幸かも知れない。戦争の本当の苦しみ、残酷さを見逃すかも知れないから。戦争を繰り返すことになるかも。負けたって、どういう訳か、また戦争を繰り返しかねない言動をする輩が常に出てくるものだ。戦争を辞さないのも平和を守るためだと言ったり、敵憎しだったり、愛国のためだったりと・・。しかも、いろいろと賑やかな尾ひれが付いてくる。きらびやかな安保法制10法案もその一つである。次から次へと身勝手な法案が出て来た時こそ危険領域に入ったのである。そこは、歴史が示している通り。歴史は繰り返すというが、戦線に行かないバカ者政治家と軍部らによる暴走の成れの果ての悲惨な戦争。最後には、とうとう庶民が巻き込まれてしまうのだ。そんな戦争へ突き進んで行く流れを永井荷風や谷崎潤一郎などは戦前にしっかりと捉え、随筆などにこっそりと書いている。

 今の日本の状況では、外交努力こそ重要なのに、金と欲が絡んでいるから色々と狂ってきているのだ。そして、誤魔化しや屁理屈が次々と出てきて、結局は多くを失う羽目に陥っていく。

 油断大敵だとつくづく思う。戦後70年でも、100年でも、1000年でも地球上に戦争が起こっている限り、平和主義と人権尊重と民主主義を守り続けねばならない。現在のわが国の怪しい雲行きを見るにつけ、その決意は更に固くなるばかりである

 

 戦後70年を、新たな戦後のスタート地点として、反戦平和を守りぬこう。ドイツのように、外交上の責任ある戦後処理を果たせばならない。誤魔化してはならない。不条理で無責任な犠牲についての怒りは、その被災者や親族含め、決して消えるものではない。共に話し合い、考え合っていこう。   <  安らかに眠って下さい  過ちは    繰返しませぬから  > ヒロシマの誓いを新たに。

 

      雲、軍用機、蓮、人形・・・

                           

 

                                          

 

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                                                            FUJIFILM  X-E1

                                                            ズミクロン-c 40ミリ f 2

                                                            2015、8、5 写

                                                               * 人形の写真のみ 8.6 写

 

      * 米軍横田基地の軍用機は同じコースで何度も何度も訓練している。人形は戦後の昭和二十年代のものらしく、二十年近く前に骨董市で求めたものです。どこか、子どもの頃に見たちょと贅沢な、平和で微笑ましい人形に思えて・・。背の方はちょっとぼろぼろなのです。


夜道

2015年08月04日 | 随筆

 東京も五日連続、気温35度を超える暑さである。テレビのニュースなどを見ていると、何処も熱暑で大変である。熱中症には十分気を付けたいと思う。先日など、部屋でぱっと立ち上がったら目の前が真っ白になり、フラフラして少し驚いた。

 2週間位前に腰痛が起こり、また例のぎっくり腰が始まったなと思って腰痛体操をしているうちに痛みは左肩甲骨の方に移った。そのうち左腕まで痛くなった。いろいろ自分なりにリハビリ体操を続けるが痛みが少しも治まらない。湿布を貼っても殆んど効かない。挙句、喉まで腫れ出した。とうとう、エアコンや扇風機のため夏風邪をひいたのかと考えて風邪薬まで飲む始末。口内炎にもなっていて辛い物を食べると飛び上がる程、痛かった。

 ちょっと大変なことになってきたぞと、いろいろ本を広げて調べてみるうち気付いた。こりゃ、帯状疱疹じゃないのかと。左半身ばかりに痛みが出て、しかも、先日は左足にも赤い発疹が出たし・・。早速、医院に行くことにする。案の定、帯状疱疹とのことだった。痛かっただろうに、もっと早くに来られたら良かったのにと言われ、抗生物質などもらって帰った。

 1週間もあれば治るのではと勝手に思っているのだが、年も年なので、またこれからも、体力低下などで再発することもあるのだろう・・。

 以前、懇意にしていた医者であった人が、「医療では診断をどう下すかがとても重要なところで」というようなことをおっしゃったことがあった。診断書もそういう点をおさえて責任をもって出すのだとも。なるほど、これは何による症状なのか、まず原因が分かれば、治療の方向性も絞られてくる。診察の大切さを痛感したのである。

 そんなことで、この間、殆んど暑い日中は外に出る事が少なかった。でも、立秋も近づくこの頃、日が落ちてからは幾分涼しい時もあるから、夜道を散歩することもある。昼間と違って見えたりする。どこか昭和時代の感じもしないではない。それ程明るくない街灯がぼんやり灯っていたり、切り通しの夜道が映画の舞台に見えたり・・。赤ちょうちんの飲み屋や屋台の店があったら四十年前の町に戻ってしまいそう。駄菓子屋や赤電話の置いてあるたばこ屋、食堂、レコード店、本屋など個人の店が賑わって時代・・。昭和は遠くなりにけりか。今じゃ、安保法案だの法的安定性だの切れ目ない云々などと常識はずれで、綺麗事ばかり・・。政治でも普段の暮らしでも、庶民としての大切なものを失い始めてきて随分時も経つような・・。よく意味も分からない横文字の氾濫も、心に響くこともなくて。

 原っぱや夜道がかつてように静かに暮れて行く。

 

              日暮れ

                                                   

                    暮れて行く                 ねこじゃらし

                            

           夜道                    街灯                     切り通しの灯り

   

                                                          データ

                                                             カメラ   FUJIFILM  X-E1

                                                             レンズ   ズミクロン C 40ミリ  f 2

                                                             2015、8、3   写