今日は、広島の原爆投下から70年となる。広島、長崎の被爆者は勿論、沖縄地上戦、東京大空襲をはじめとする各地での戦没者の数は夥しい。また、それをはるかに超える中国、朝鮮、アジア、太平洋諸国での戦死者の多さに驚くばかりである。死に至らなかったにしても、負傷によりその後の生活が悲惨なものになったことを考えると戦争というものの理不尽さに愕然としてしまう。死、負傷、心身の後遺症、貧困、家族離散、未来への遮断、生活の崩壊・・。スポーツのように勝利したから万万歳というようなものでは決してない。勝っても負けても、人々は確実に多くの物を失うのである。絶望、憎悪、悪夢、懐疑、自暴自棄、差別、暴力、薬物依存、ギャンブル志向、自殺・・。挙げたらきりがない。戦争は狂気そのものなのだ。
自分が小学1年生のある日、体重測定があった。「十八てん・・」と呼ばれたのを今でも覚えている。「てん・・」の後の数が0なのか5なのかまたは他の数なのか覚えていないが、「十八・・」という数は覚えている。その時、他の子の声が大きくなった。18キロ位の痩せっぽちだったんだ。自分が生まれた終戦の翌年だって食べる物が少なくて、とても困ったそうだ。子どもが可哀そうだったと、戦後の食糧不足のことを母は度々口にしていたのを思い出す。
小さい頃、今日の夕飯がカレーライスだと察知すると、近所の友だちと遊んでいる時も嬉しくて嬉しくて仕方なかった。いつだって腹が減っていたから、ついカレーライス(麦ごはん)を目に浮かべてにこにこ顔になっていたんだろう。ハングリーだったんだ・・。栄養不足だったことが、今でも体に影響してるのかなーと思ったりして・・。
負けるより勝った方がもっと不幸かも知れない。戦争の本当の苦しみ、残酷さを見逃すかも知れないから。戦争を繰り返すことになるかも。負けたって、どういう訳か、また戦争を繰り返しかねない言動をする輩が常に出てくるものだ。戦争を辞さないのも平和を守るためだと言ったり、敵憎しだったり、愛国のためだったりと・・。しかも、いろいろと賑やかな尾ひれが付いてくる。きらびやかな安保法制10法案もその一つである。次から次へと身勝手な法案が出て来た時こそ危険領域に入ったのである。そこは、歴史が示している通り。歴史は繰り返すというが、戦線に行かないバカ者政治家と軍部らによる暴走の成れの果ての悲惨な戦争。最後には、とうとう庶民が巻き込まれてしまうのだ。そんな戦争へ突き進んで行く流れを永井荷風や谷崎潤一郎などは戦前にしっかりと捉え、随筆などにこっそりと書いている。
今の日本の状況では、外交努力こそ重要なのに、金と欲が絡んでいるから色々と狂ってきているのだ。そして、誤魔化しや屁理屈が次々と出てきて、結局は多くを失う羽目に陥っていく。
油断大敵だとつくづく思う。戦後70年でも、100年でも、1000年でも地球上に戦争が起こっている限り、平和主義と人権尊重と民主主義を守り続けねばならない。現在のわが国の怪しい雲行きを見るにつけ、その決意は更に固くなるばかりである。
戦後70年を、新たな戦後のスタート地点として、反戦平和を守りぬこう。ドイツのように、外交上の責任ある戦後処理を果たせばならない。誤魔化してはならない。不条理で無責任な犠牲についての怒りは、その被災者や親族含め、決して消えるものではない。共に話し合い、考え合っていこう。 < 安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから > ヒロシマの誓いを新たに。
雲、軍用機、蓮、人形・・・
データ
FUJIFILM X-E1
ズミクロン-c 40ミリ f 2
2015、8、5 写
* 人形の写真のみ 8.6 写
* 米軍横田基地の軍用機は同じコースで何度も何度も訓練している。人形は戦後の昭和二十年代のものらしく、二十年近く前に骨董市で求めたものです。どこか、子どもの頃に見たちょと贅沢な、平和で微笑ましい人形に思えて・・。背の方はちょっとぼろぼろなのです。