わたしの随筆  雪  地  風

心に浮かんだことを気ままに

空と雲と飛行機 (2)

2014年08月25日 | 随筆

 残暑はあるが、少しずつ夏が過ぎ去っていく。土砂災害に見舞われた広島では、今も懸命な救助・捜索活動が続けられている。最近の集中豪雨等の想像を超えた猛威、荒っぽさに驚くと共に、これからの自然災害に対する備えや対策・取り組みなどを漠然と考えたりする。現在、土砂災害危険個所だけでも、全国に52万5307箇所もあるという。そういうことを知るにつけ、今、一応平穏には暮らしてはいるが、いつ突然、自然災害に遭わないとも限らない。そんな大変な時代なのだなーと思ったりする。「かつて今迄にないような・・・」、「数百年に一度の・・」、「記録的な・・云々」などという言葉を度々耳にするこの頃、様々に思う・・。

 今日も亦、田んぼの畦道を歩く。草の生えたその畦道を、シオカラトンボが数匹、スイスイと飛び交う。脇の小さな用水路では1匹の黒い羽を付けた羽黒トンボがひらひらと飛んでいる。先へと歩いて行くと、ちょっと大きなトンボ。いや、トンボではなくギンヤンマ。胸部と腹部の境界部分が水色(オス、 メスは黄緑色)に光る箇所がある。その箇所は三角形のようにも見える。子どもの頃、よく池などで、「ヤンボ けーし けし」と声を出しながら、糸で縛った囮を使ってヤンマ捕りしたことをふと思い出す。畦道では、バッタや小鳥などと様々な生き物と出会う・・。

 

 森の中へ入ると蝉の鳴き声。アブラゼミ、ツクツクボウシ、ミンミンゼミなどの蝉しぐれ。涼しい風が、ほんの少し吹いている。先日訪ねたばかりの、信州松本の自然の美しかったことを思い出したりする・・。空、雲、山、川、丘、森、林、田、畑、野原・・。わが国の自然は何処も美しい。澄んだ水が山地や平野を滔々と流れ、大きく綺麗な海へと注ぐ・・。そんな希有な国。

  

 いつまでも大切にしたい美しい自然が、今そこにある。  自然と人との折り合いを様々に思うこの頃である。

                       ( 城山公園から  2014、8、22 写 )

              手前、梓川         遠くに塔の建つ美ケ原                  

  


空と雲と飛行機 (1)

2014年08月24日 | 随筆

 昨日まで二日間、長野の松本へ行ってきた。盆も過ぎ、高速道も空いていた。八ヶ岳辺りから急に美しい青空と白い雲が目立ち始めた。宮崎駿監督のアニメ映画、「風立ちぬ」の画面をつい思い出したりもした。折角だから、八ヶ岳アウットレットに寄り、また小淵沢ICに戻り、富士見、諏訪、松本へと車を進めた。この辺りは景色が美しい。

 気温も東京より低くなり、空気が爽やかである。信州の空と山々が青く澄んで見える。雲も白く輝いているようだ。都市特有の車や工場からの排気ガスや、過密住宅でのエアコン熱の影響が殆んどないため、このような美しい自然環境になるのだろう。

 長野の小学校は、二十日から二学期が始まったそうだ。涼しいので夏休みが短くなる分、冬休みなどは長いのだろう。二日の間、つい空を見上げることが多くなっていたように思う。青い空、白い雲、青い山並。気持ち良さそうに大空を飛ぶセスナ機やヘリを時折、見上げる。

 松本近くの山形村へ野菜や果物を買いに出かける。ミョウガ、万願寺とうがらし、パプリカ、キュウリ、モモ、プラム、梨、スイカ、メロン、りんごなどを購入。どれも新鮮でとても安い。ここ、<ファーマーズガーデン・やまがた>という名の産地直売場には土曜ということもあって多くの買い物客で賑わっていた。近くの松本空港付近の公園には、アスレチックなどがあり、子どもたちが元気よく遊んでいる。飛行場ではヘリで救助訓練をしている。そのうち、スーッと黄色くて綺麗な定期便の飛行機が静かに着陸してきた。

 アルプス公園近くの城山公園に行く。画家のいわさきちひろはこの城山の地をこよなく愛していた。眼下に流れる奈良井川のほとりに母方の岩崎家があったそうである。展望台の入口に、少女の描かれた石の椅子が置かれ、石碑が建っている。その石碑には、< 世界中の こどもみんなに 平和としあわせを     いわさき・ちひろ > と画家自身の文字で小さく書かれている。

 

 青い空と白い雲の中を舞う飛行機。飛行機が澄んで、美しく見える光景は、どこか平和である。そして、遠くの山も田畑も全てが、自然で穏やかに見えている。

       ( 城山公園で  2014、8、22 写 )                                                             

 

                                                         

     ( 空港付近の公園で  2014、8、23 写 )

 

 


夏の空

2014年08月18日 | 随筆

 今日、日中は気温が33度近く迄上がり、暑い日となる。プールに行くのだろう、炎天下、雨乞街道という名の小さな坂を2台の自転車が下っていく。小学3、4年生位の女子だろうか、キャーと歓声を上げて疾走している。一人は体に黄色い浮輪を付け、器用に自転車に乗っている。そのまま先へと歩いていくと、やはりプールへ行くのだろう、今度は自転車の親子連れに出会う。上半身裸のお父さんが、小さな子どもを後の補助椅子に乗せて走っている。補助椅子の後には青い浮輪がぶら下がって揺れている。その後から、自転車に乗った、小学生らしい女の子が、必死に二人を追いかけている。

 案山子の立ち始めた田をぬけ、森へ出る。すぐ近くに多摩川があることや、樹木が茂り、小川が流れていることもあって、やはり此処は涼しい。だから、できるだけゆっくりと歩く。見上げると、森の木々の間から、青い空と白い雲がちらちらと見える。土手に出る頃、また眩しくなってきた。キャッチボールをする人たち。グランドゴルフをする人たち。歓声を上げてプールで泳ぐ人たちがいる。元気の良い、暑い夏はもうしばらく続くようだ。

 空が暗くなり始めた。雷鳴を遠くに聞き、夕立が来るのかなぁーと時々、空を見上げる。でも、いつの間にか黒い雲も何処かへと流れ去ったようである。蝉の鳴き声は、朝から止む事なくずっとずっと続いている。蝉の声が、次第に宵の虫の声へと変わる頃、暑さも少しやわらぎ、秋の気配もしはじめる。その頃、ふと耳にするツクツクボウシの蝉の声は、夏も次第に暮れゆくようで、何だか淋しい余韻を辺りに漂わせるのだが。筑紫恋し、おおしいつくつく、つくつく法師と・・。 夏は過ぎゆく。

  

               ( 夏の空  2014、8、18 写 )


蝉が鳴く

2014年08月16日 | 随筆

 昨日は69回目の終戦の日だった。新聞やテレビニュースを見る中で、いつもの年とは違って不安な気持ちなっていたのも、安倍政権の進める積極的平和主義なるものが腑に落ちないことも大きく影響している。首相の口からペラペラと発せられる、理念のない多くの言葉が、いつも上滑りしているのは、あまり人格者でないからだろうとさえ思ってしまうのだ。

 昨日の新聞から。  元零戦パイロット(98才)は、英軍戦闘機を空中戦で撃ち落とした時のことを次のように語る。 ・・炎上し、落ちてゆく機体の操縦席に、悲痛なパイロットの表情を瞬間的に見た。「助けてくれ」と訴えかけているようだった。自分が手にかけた人間の最期を、初めて見た。・・撃たなければ、自分が殺される。それが戦争。・・だがその後、「あの人にも家族がいたのかもしれない」と思うようになった。・・その方は、戦争中、19機を撃ち落としたという。複雑な思いで現在も苦しみ続け、今の時代は一番危険だとも語っておられる。

 また、今日の朝刊の記事から要約。  元陸軍初(しょ)年兵(88才)は、中国・山東省で捕虜たちを、20人ほどの仲間と命令に従って殺した。広場での銃剣による、「突け!」という号令での無残な様子はここでは省く。   ・・口ごたえは一切許されない。・・理由も告げられず、連帯責任で初年兵全員が殴られる。常にビクつき、服従する。「善悪も何も、考える余裕がなくなる。体験者しか分からないが、それが軍隊」 「実際の戦争には、黒い部分がたくさんあるのです」  この方も、「あんな時代が、二度と来ませんように」と目を閉じ、静かに語っておられる。

 この若かった二人の方も、ずっと後々まで、消えることのない深い心的外傷を負いもしただろう・・。

 上の命令に従うこととは?号令に従うこととは? 一番底辺の部分から、上からの命令だからと、それはどんどん上までつながっていく。でも、詳しい理由は一切告げられることもない。命令一下、至上命令。つまり、絶対に服従すべき命令なのだ。その構造では、重大な過ちだって無視されるだろう。挙句、トップたちが最終責任を問われると、責任不在の有様になるのは歴史が示している。結局、底辺部分が一番犠牲を強いられて、幕引きが始まるのだ。前戦兵士の戦死を初め、戦災による庶民の累々たる屍に見るように。広島、長崎の被爆を初め、東京大空襲も地方の空襲だってそう。もっと言えば、原発による被曝だって、国や電力業界トップへの責任追求をしなかったら、いつの間にか、はぐらかされそう。逆に風評被害だと、国民、庶民側へと責任転嫁し、根本的な責任や原因調査・追求も様変りしてしまう始末。もともと責任感も無いのだから。利益や利権、専門性や名誉や秘匿などが絡み合いながら・・。

 トップにいて指示する者が、一度だけでも、先に語った二人のような任務に立って、命令に従い苦しんでみろと言いたい。どうせ、「できる!」という返答だろう。ずっと、ずっと継続してやってみろと言いたい。「俺は、底辺の人間ではない。もっともっと上部の重要な任務遂行という仕事がある!」と怒るだろう。ならば、その上部を支えているのが底辺なのだ。底辺こそ重要なのだから、この持ち場を離れず継続してやってみろと再度言い返したい。そんな強権的で、不当な上部なんて必要としない。とりわけ軍部なんか。犠牲に対して時代遅れで、無知過ぎるのである。歴史から何も学んではいないからである。ただ、美化することでは長けているようだ。正義だとか犠牲精神だとか、国家のためだとか様々である。今日も街宣車が威勢のいい曲を流し、がなり立てて走っていた。「民主党、共産党、公明党どもは・・」と。しかも現政権は、小賢しく、表面上の都合のいい策を弄するだけで、国民のための政治ではなくなってきた。問題を解決する真の外交能力も無いまま、政権維持のため、他国をとやかく言うだけである。まさに、週刊誌記事みたいな政治に成り下がった。

 堂々巡りでは知恵がない。戦後は69年でも、100年でも続くかも知れない。それは、この世界から戦争や武力による威嚇が永久に放棄され、崇高な理想と目的が達成される迄なのだから。世界に誇れる、素晴らしい日本国憲法の理念を広げよう。

 

 盆が過ぎ、精霊が帰られるという十六日の今日も、一日中、蝉が訴えるように、鳴き続けていた。日が暮れてさえも・・。

                            

          アブラゼミ                    案山子・・           ( 2014、8、16 写 )

 

 


盆の頃

2014年08月14日 | 随筆

 このところ、少し暑さが和らいでいるので過ごしやすい。甲子園野球のテレビ放送で、校歌斉唱などが流れたりするのを聴くにつけ、ああ、夏休みなんだーと懐かしく思ったりする。また昨日、12日の日航ジャンボ機墜落追悼の日も盆近くでもあり、あの悲惨な航空機事故の報道を鮮明に思い出す。そして今日は盆入りである。夕刻、玄関口で先祖をお迎えするため、迎え火を焚く盂蘭盆会。父や母が生きていた頃、墓参した折りにも、墓前近くで迎え火を焚いていたのを思い出す。本当は家へ迎えるのだから、ちょっと変な気もするが、先祖を少しでも近くへお迎えしたい心がそういうことにつながっているのだろう。先祖の魂が彼岸から此岸へ来られるのだから、身近な所だったら何処へでも来て下さいという心境である。

 お迎えし、しばらく滞在された後、16日早朝、お送りするための、送り火を焚く。京都の16日の五山送り火は名高い。また、送り火を点しての精霊流しや灯籠流しの風習は各地にある。広島の灯籠流しは原爆の日、8月6日の夜に行われる。

 お盆の間、祭壇、仏壇に様々な物をお供えし、先祖に滞在してもらう。供え物はお菓子、果物、白玉団子、そ-めん、酒、ビール、肉、魚、煮物・・。故人が好きだった物ならまあ何でもいいようである。精進料理だけだとか、余りとらわれず、厳格過ぎない民間の神仏の風習がうれしい。子どもの頃、袴姿のお爺さんなどが、酒の臭いをさせながら、ニコニコと、集まった人たちで話していた情景を思い出す。戦争の話や思い出話でもしてたのだろうか。でも、厳粛なようでまたどこかみんなうれしそうな表情をしていた。昔々、お盆に精霊を迎え、慰めるために音頭に合わせて踊ったのが盆踊りの始まりという。

 盆が過ぎると、海にクラゲが出始めると言われ、本当にそうであった。先日、強羅温泉で話した小樽出身の仲居さんも、盆とクラゲにまつわる同じことを喋ったので、北海道も九州も変らないんだねと合点したものだ。兎に角、休みの都合もあるし、盆過ぎでクラゲが出ようと、海水浴に皆んなでワイワイと出かけたものだ。海水浴と言えば、七十年代は年間1億人以上が楽しんでいたのに、近年は年に1千万人を割り込み、年々低下しているという。娯楽の多様化が影響しているのだと・・。

 近代海水浴の発祥は英国のブライトンだ。約2500年前に死海沿岸で海水につかる自然療法がローマ帝国を経て、ヨーロッパ各国に広まっていったが、それはあくまで上流階級の医療行為。ブライトンのもその範疇。明治当初の日本の海水浴も「うみみずのゆあみ」と呼ばれた。今のような海水浴になったのは、明治20年以降で、水泳奨励という軍国的風潮の高まりから。明治末期になると、鉄道会社や新聞社などがタイアップする形で、房総や湘南などに、海水浴場や海の家が建設され始め、次第に娯楽としての海水浴が定着し、広まっていった。現在は全国に千を超える海水浴場があるそうだ。

 娯楽の多様化というが、やはり健康やリラックスを考えると、海水浴は自然とも触れ合えて、とても良い夏のレジャーだと思う。海水浴をするとその冬は風邪をひきにくいとも言われていた。もちろん、安全面は一番に考慮しなければならないのだろうが。また、多忙とか、日焼けなど美容関係でちょっとなどと言われるような現代であれば、もう何も言えなくなるのだが・・。 

 盆の頃の楽しい思い出がいろいろと目に浮かぶこの頃。そして当然、故人をも思う・・。

 盆帰りで道路も渋滞というニュースが流れている。 ゆっくり、明日は盆団子でも作ってみよう。

  

                                            

                         (   盆の頃、古代蓮    2014、8、12 写  )     * 左の写真は日中シンクロ撮影

          

             さつきまつ 花たちばなの 香をかげば 

                       昔の人の 袖の香ぞする          ー  よみ人知らず ー

 

 


嵐去る

2014年08月11日 | 随筆

 昨日は昼前から台風の影響で次第に風雨が強まった。それでも、近くの雑木林ではミンミン、ジージーと蝉の鳴き声がしきりであった。木の幹の風下側に必死にへばりつき、休みなく鳴いている。羽化したばかりの蝉にとっても、地上のこんな世界はびっくりだろう。

 台風11号は広範囲に被害を及ぼした。特に豪雨による洪水などの被害が四国や中国、近畿地方に多かったようである。また、盆休みなどと重なり、交通機関にも混乱が生じた。そして、被災地での懸命な復旧作業が今も続いている。

 雨や風の影響で気温も25度位となり、この間の熱暑が嘘のように思えた。だが、台風一過の今日は、朝から晴天となり、次第に気温も上昇し始め、温度計も33度位を指した。30度を超えるとやはり暑い。七、八度気温が違うと、随分と感じ方も変るものである。

 最近の天気予報もピッタリ合ったりすると、凄いなぁと思うことがよくある。昨日なんか、午前9時頃から雨で、18時頃には止むような予報であり、その通りだったので感心した。この前のニュースで、以前より15倍ほど正確になり、1キロメートル位の間隔で地域の詳しい天気予報がネットで配信できると伝えていた。スパコンなど駆使して気象衛星や地上レーダーなどからのデーターを分析し、予測するのだろう。時々は、はずれることもあるだろうが、以前と比べ随分進歩したものである。 

 我々の災害への対策は、まだまだ立ち遅れているようだ。科学の進歩に追いつくことも大変だ。でも、その科学的な方向を目指すことは大事だろう。自然災害だけでなく、結局、人間に起因するだろう、様々な紛争や戦争、飢餓、飢饉、虐待、差別・・。それらの解決へ向け、一歩でも、科学の進歩に負けないよう、全ての人々が、安全、平和裡に、恐怖や欠乏から免れる理想の生活、生き方へと近づきたいものである。全ての人民は老若男女を問わず、平等である。当然、命の尊さ、重さも同じである。

 嵐は去り、また青空が見え始めた。野原に盆トンボも飛び始めた。もうすぐ盆入りである。13日夜、初めて迎え火を焚くところもあるだろう。様々な思いを胸に・・。

   

                                

      嵐の日  ( 2014、8、10 写 )                             嵐去る  ( 2014、8、11 写 )


涼しい日に

2014年08月09日 | 随筆

 台風11号の影響で、気温も二十五、六度と普段よりずっと過ごしやすい。雨がパラパラと降ったり止んだりの一日である。雨の合間に散歩する。稲も穂を付け始めて大きくなってきた。今日は農産物直売所でナス、トマト、ゴーヤー(にがごり、にがうり)などを購入する。また、レジの近くに宮崎産の早場米が出ていたので早速買ってみる。いつもこの時期に出荷されるのだが、やはりコシヒカリの新米だけあって旨い。しかも安い。今日の夕飯で、ゴーヤー、梅干し、海苔などと共に美味しく頂こう。

 散歩途中にある稲もコシヒカリである。市内の小学生たちが田植えから稲刈り迄、体験学習で耕作している田もたくさんある。そういう体験は米飯にもつながり、良い事だと思う。散歩が終わる頃、またポツポツと雨が降り始めた。今、台風は九州の東を四国方面へと進んでいる。涼しくて良いのだが、災害だけは起きないで欲しいとつくづく思う。二、三日後には、また暑い日がやってくるような予報が出ている。お盆の頃、また暑い夏の日々なのだろう。 

 立秋に入ったせいか、日の入りも少し早くなってきた。夕刻、今もカナカナカナと鳴いているヒグラシの声を聴くと、涼しそうで、また何だか秋の気配も感じて寂しそうでもある。でも、まだまだ暑い日は続く。迎え火、墓参り、送り火・・いろいろと先祖と触れ合う盆も近い。 

        稲田            森の木      

                                                      ( 2014、8、9 写 )                 

 

 


避暑

2014年08月07日 | 随筆

 昨日から今日にかけて箱根へ出かけてきた。中央高速と東富士五湖道路で十時前には御殿場に着いた。午前ということもあり、東京より気温は低かった。御殿場アウトレットで買い物をした後、箱根へと向かう。強羅、小涌谷、芦ノ湖、仙石原などを廻る。箱根ロープウェイ近くの早雲山辺りの空は、その名の如く、雲がとても早く流れていた。台風の影響もあるのだろうか。いや、地形的に立ち上がる雲が早く流れやすいのだろうと勝手に想像した。芦ノ湖はじめ、何処も涼しい。

 宿は強羅温泉の古い旅館で、昭和23年創業とか言っていた。和室に入ると、緑色のダイヤル式の電話があったりして、何だか七十年代頃の旅館を思い出していた。フロントの案内人から仲居さん、番頭さんまで何となく昭和の雰囲気。部屋から、廊下、階段、風呂と造りが懐かしい感じ。食事もバイキングでないから寛げる。節目、節目でそれなりに改装はしているが、大筋は昔風の味わい深い、良い旅館。仲居さんも実に親切で、色々と箱根のことなどを気さくに話してくれた。料金も安い方なので大満足で宿を後にする。

 今日は、仙石原にあるポーラ美術館に行ってみる。モディリアーニやルノアール、モネ、ピカソ、ゴッホ、ゴーギャンをはじめとする名高い西欧画家や藤田嗣治、黒田清輝などの作品が多数展示されている。この美術館は絵画、彫刻、工芸と9500点にも及ぶ立派な作品を収蔵している。当館を囲む<森の散歩道>は、ヒメシャラやブナなどが生い茂り、ゆっくり三、四十分も歩いていると、美術鑑賞で味わった豊かな気分を更に深めてくれるようである。作品、建物、環境と実に素晴らしい。涼しいし、来て良かった。 

 箱根から御殿場近くまで下るにつれ、少しずつ暑くなってきた。暑そうな空が御殿場を覆っている。でも、東京に比べれば、まだいい。同じ道を亦、東京へと戻り、圏央道を降りると、相変らず熱暑の世界のままだったのだから。暦では今日、立秋に入ったのだが・・。二日間のちょっと贅沢な避暑をバネに、残暑の日々を乗り越えていこう。

                              

   大湧谷辺り   と    仙石原 ( 2014、8、6 写 )         御殿場近く   と   東富士五湖道路 ( 2014、8、7 写 )


猛暑

2014年08月05日 | 随筆

 朝から良い天気だが、気温は次第に上がり始める。午後には扇風機だけでは、読み物だってできそうにない。障子を閉め切り、冷房を強くした部屋へ避難。猛暑で熱中症にでもなったら大変だ。

 涼しい部屋で本を読んでいるうちにうとうと。目覚めて部屋を出ると、サウナに飛び込んだみたい。気温差が十三、四度で、温度計を見ると、37、5度を指している。麦茶をゴクゴクと飲み、急いでまた涼しい部屋へと退散。

 今日、館林では最高気温が39.5度になったとか。やはり温暖化による異常気象だろう。気温が上がれば、ゲリラ豪雨にも繋がりやすくなる。それだけ大気が多く水分を含むことができるからとか。とにかく、一年を通して、以前のような過ごし方ばかりでは、最近は心配である。しかも、年令のことも考慮せねばならない。無理しすぎないように、酷暑の日を送りたいと思う。

              ( 暑過ぎる日  2014、8、5 写 )

 

 

 


夏休み

2014年08月03日 | 随筆

 暑い日が続く。早朝は少しは涼しいが、直ぐに日射しも強くなり、ぐんぐんと暑くなる。空には入道雲が立ち上がり、プールも賑やかだ。小さな子どもたちは、わくわくしながら、浮き輪を手にして、水着姿でプール門を潜る。

 二時間ばかり子どもたちは泳いだらしく、帰りには髪を濡らし、ちょっとくたびれた様子で、田んぼ近くの水路で遊んでる。キャッ キャッと元気良い声を上げ、楽しい水遊びのひと時だったのだろう。スイカやトウモロコシなどを食べたら、そのまま昼寝。宵になったら、近くの雑木林で虫捕り。懐中電灯の先、クヌギの木にカナブンが何匹か見える。その下にコクワガタを見つける。それは捕獲できたが、もっと大きなクワガタは飛んでいってしまった。その後、メスのカブトムシが運よく捕れた。

 涼しいうちに、夏休みの宿題の勉強。夏のドリルとかお絵かき。眺めていて、「 ああ、そうだったなぁー 」と、昔の夏休みを思い出す。子どもにとっての夏休みは、春休みや冬休みとはちょっと違う。最長だと44日間になるのかな。小学生の時とか幼児期が、一番伸び伸びと過ごせるだろう。成長と共に、また夏休みの過ごし方も変わっていく。

 大変なところもあるが、やはり暑い夏の方が、夏休みにぴったりだ。ギラギラと太陽が照りつけ、焼けた子どもたちの顔が輝いて見える。子どもたちは遊びの天才である。夢中になると、疲れも知らないようだ。やれる時にいろんなことをやればいい。

            朝の勉強           夏空    ( 2014、8、3 写 )  

 

 


夕涼み

2014年08月01日 | 随筆

  葉月、八月になった。連日暑い日が続く。まだまだ暑い夕方なのだが、散歩する。クヌギの林で、一年生位の男の子三人が網で虫捕りに夢中。元気そうな表情で、黒カナブンを捕ってるのだと言う。田んぼの稲も随分と成長し、風に揺れている。五十羽以上いた合鴨も、稲の間を泳ぎにくくなったようで最近見かけなくなった。

 白鷺も時々田んぼに来て餌を捕っていたが、見ないなぁと思っていたら、河原の方で最近は見かけるようになった。近くのカワウを気にしながら、ぽつんと川辺に立ってたりする。

 夜になり、2時間以上もゴロゴロと雷が鳴り続いている。九州の方では台風12号が活発のようだ。大暑もあと一週間も続けば立秋となる。熱気がまとわりつくような天気かと思えば、急に雲行きが変わり始め、雷雨になったりするこの季節。余り無理をせず、夕涼みなど楽しみながら、熱中症、夏バテには気を付けたいものである。

                                 

     寺と田                     面白い道                   白鷺とカワウ                 ( 2014、8、1 写 )