ホテルをゆっくり出てバスに乗り、万代橋の先の西大畑で降りた。新潟カトリック教会を見てから、<どっぺり坂>という変った名の坂に出る。かつて坂の上に旧制高校の学生寮があり、そこの学生たちがこの坂を下り、古町などに行って、余り遊び過ぎると落第(だぶる)するというようなことに因んでそんな名が付いたという。ドイツ語のドッベルン(二重にするという意味)からきたらしい。階段が59段なのも、60点が及第点だったからとか。
その坂を上がり、會津八一記念館の建つ、あいづ通りを四、五百メートル進むと松林に出た。全ての松の木立が、今歩いて来た方向に斜めになって茂っている。冬、日本海から吹きつける厳しい列風のためなんだろう。目の前に日本海が見える。急ぎ足で海岸へ出た。青っぽい島が海の彼方に左右に大きく広がって見える。佐渡ヶ島である。ずっと前に、金鉱や能でも名高いその島を訪ねた時のことを思い出しながら、ゆっくり眺めていた。
松林の中をまた戻って、古い木造建築の砂丘館に行き、綺麗な庭園を見る。旧日銀支店長役宅だけあって立派である。そのちょっと先には旧市長公舎があって、今はそこが<安吾 風の館>なのである。ここも立派な屋敷で、坂口安吾の愛用品などが写真などとともに展示してある。見学者は一人だったのだが、受付の人も親切で、ゆっくりと見ることができた。きれいな和風の廊下に下がった風鈴が風に揺れて、チリン チリンと静かな音をたてていた。廊下の前は実に美しい庭が続いている。飾ってある、林忠彦などが写したいろいろな写真を眺めていたら、あのアラーキー(荒木経惟)の顔写真と文章が突然出てきた。第6回安吾賞を受賞した感想を、いろいろと面白、可笑しく語っていた。安吾という無頼派作家と、あの独特な現代写真家である荒木経惟。どこか共通するところがあるのだろう・・。
安吾が、遊びながら、なぐり書きで紙切れに二つ、こんな短文を書いていたのでメモをした。
私の通った道 いつも冴えていた光 その道であの人と 語りあいたいと思って 老いてしまった 安吾
北風が吹く 風が吹く 高い松の木も鳴る 雪もふきすさぶ みんな元気でいようよ 安吾
80点とかその紙切れに書いたのは、夫人の三千代さん。詩文みたいな即興の遊びをしたのだという。一緒になって八年後、奥さんと幼子を残し、急逝した。享年48才である。上の短文も、生まれ故郷のこの地を懐かしみ、即興で書いたのだろう。無頼派作家は太宰、織田作、田中英光にしろ皆んな短命だ。
會津八一もこんな歌を詠んでいる。
降り立てば 夏なお浅き 潮風の 裾吹き返す 故郷の浜
砂丘館も、風の館も見学無料である。立派な所なのにと考えながら、地獄極楽小路と白壁通りを抜け、バス停へと向かう。この奇妙な小路の名は江戸時代から続く老舗料亭(極楽に譬えて)と旧新潟刑務所(地獄に譬えて)という随分隔たった間にある小路だからそのように名付いたのだという。今も一部残る赤レンガと料亭の黒板塀に挟まれた小路である。刑務所跡は現在、西大畑公園になっている。
疲れてもきたし、今日はもう帰京する日なので、足早に新潟駅へと向かった。ずっと晴天続きの四日間の旅行で、少々くたびれてきたこともあり、新幹線に乗り、長岡を過ぎる頃にはうとうとと寝ついてしまった。
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