わたしの随筆  雪  地  風

心に浮かんだことを気ままに

地獄極楽小路

2014年06月28日 | 随筆

 ホテルをゆっくり出てバスに乗り、万代橋の先の西大畑で降りた。新潟カトリック教会を見てから、<どっぺり坂>という変った名の坂に出る。かつて坂の上に旧制高校の学生寮があり、そこの学生たちがこの坂を下り、古町などに行って、余り遊び過ぎると落第(だぶる)するというようなことに因んでそんな名が付いたという。ドイツ語のドッベルン(二重にするという意味)からきたらしい。階段が59段なのも、60点が及第点だったからとか。

 その坂を上がり、會津八一記念館の建つ、あいづ通りを四、五百メートル進むと松林に出た。全ての松の木立が、今歩いて来た方向に斜めになって茂っている。冬、日本海から吹きつける厳しい列風のためなんだろう。目の前に日本海が見える。急ぎ足で海岸へ出た。青っぽい島が海の彼方に左右に大きく広がって見える。佐渡ヶ島である。ずっと前に、金鉱や能でも名高いその島を訪ねた時のことを思い出しながら、ゆっくり眺めていた。

 松林の中をまた戻って、古い木造建築の砂丘館に行き、綺麗な庭園を見る。旧日銀支店長役宅だけあって立派である。そのちょっと先には旧市長公舎があって、今はそこが<安吾 風の館>なのである。ここも立派な屋敷で、坂口安吾の愛用品などが写真などとともに展示してある。見学者は一人だったのだが、受付の人も親切で、ゆっくりと見ることができた。きれいな和風の廊下に下がった風鈴が風に揺れて、チリン チリンと静かな音をたてていた。廊下の前は実に美しい庭が続いている。飾ってある、林忠彦などが写したいろいろな写真を眺めていたら、あのアラーキー(荒木経惟)の顔写真と文章が突然出てきた。第6回安吾賞を受賞した感想を、いろいろと面白、可笑しく語っていた。安吾という無頼派作家と、あの独特な現代写真家である荒木経惟。どこか共通するところがあるのだろう・・。

 安吾が、遊びながら、なぐり書きで紙切れに二つ、こんな短文を書いていたのでメモをした。

    私の通った道 いつも冴えていた光 その道であの人と 語りあいたいと思って 老いてしまった     安吾

    北風が吹く 風が吹く 高い松の木も鳴る 雪もふきすさぶ みんな元気でいようよ       安吾 

 80点とかその紙切れに書いたのは、夫人の三千代さん。詩文みたいな即興の遊びをしたのだという。一緒になって八年後、奥さんと幼子を残し、急逝した。享年48才である。上の短文も、生まれ故郷のこの地を懐かしみ、即興で書いたのだろう。無頼派作家は太宰、織田作、田中英光にしろ皆んな短命だ。

  會津八一もこんな歌を詠んでいる。 

     降り立てば  夏なお浅き  潮風の  裾吹き返す  故郷の浜    

 砂丘館も、風の館も見学無料である。立派な所なのにと考えながら、地獄極楽小路と白壁通りを抜け、バス停へと向かう。この奇妙な小路の名は江戸時代から続く老舗料亭(極楽に譬えて)と旧新潟刑務所(地獄に譬えて)という随分隔たった間にある小路だからそのように名付いたのだという。今も一部残る赤レンガと料亭の黒板塀に挟まれた小路である。刑務所跡は現在、西大畑公園になっている。

  疲れてもきたし、今日はもう帰京する日なので、足早に新潟駅へと向かった。ずっと晴天続きの四日間の旅行で、少々くたびれてきたこともあり、新幹線に乗り、長岡を過ぎる頃にはうとうとと寝ついてしまった。

                 (  寒河江  2014、6、25 写 ) 

                ( 羽黒山五重塔  2014、6、27 写 )

           (  安吾 風の館  2014、6、28 写 )

 

 

  

 

    


羽黒山へ

2014年06月27日 | 随筆

   鶴岡駅前からバスに乗り、羽黒山の登り口、随神門まで行く。 出羽三山で一番低い、四百メートルちょっとのその山頂近くまで、石段が2446段も続くというので、一の坂手前にあるの国宝の五重塔をまず見ることにする。樹齢千年以上という老杉も混じる杉木立の中に、何か不思議な雰囲気で、厳かにその塔は建っている。平将門の創建と伝えられ、現在の塔は、600年前に再建されたものといわれる、見学した後、石段をまた門まで引き返す。山伏の修験道の一部でもあるこの急な石段は、ちょっときつい。無理しないことにして、バスで山頂に向かう。途中、シーズンオフのスキーゲレンデの辺りから、残雪を頂く標高二千メートル近くの美しい月山が見える。その右手に湯殿山。茅葺屋根の神秘的な出羽三山神社を参拝し、歴史博物館を見学。仏像や荒行で知られる山岳信仰のことをほんの少しだけ理解する。境内で山伏姿の白装束の男性を何人か見る。
  都市のハイテクとか、情報社会とか、そんな生活などをいろいろ思うと、不思議な気持ちにもなった。また、そこからバスに五十分位乗って駅に向かった。やはり、山形でも、交通の面では不便である。バスでも電車でもすぐに二時間待ちとなったりする。それだけ人が少ないとも言える。だから、旅行でも、ぱっぱと動けない。数年前に最上川下りをしたが、その時、客は自分一人で船頭さんと、ゆっくり話しながら下った。自慢の唄も上手く唄ったりしてくれた。そんな、のんびりした旅のことを思うと、芭蕉が大石田から新庄に出て、そこから、舟で最上川を下り、あの名高い句を詠み、羽黒山、月山、湯殿山そして鶴岡に向かった江戸時代とそんなに変わらないのかなぁ・・。
   ゆっくりと過ごし、ゆっくりと生活して行くことが実に難しくなった超スピード時代。そんな時代は疲れるなぁ。でも、そうすることしかできないのかなぁ・・。駅に戻り、リュックを持ち、羽越線上り特急で新潟へ。やはり、最近は鈍行で長い距離を行くのはきつく感じだしたなぁ。今日は新潟泊である。

         涼しさや ほの三日月の 羽黒山       

                                       芭蕉

  芭蕉、曽良もきっと、 よくござったのぅー、などと出羽の人々から暖かい声をかけられたのだろう。年配の人たちの山形弁は本当に独特のもので、ふあーっとした気持ちになってくるのも素晴らしい。
                                                           (ケイタイより)


芭蕉ゆかりの尾花沢

2014年06月26日 | 随筆

  新庄駅から大石田駅にまた戻る。そこから、<はながさバス>という社名の小型バスで尾花沢へ向かう。芭蕉・清風歴史資料館を見るためである。芭蕉は(奥の細道)で尿前の関をやっとの思いで越え、ここ、紅花問屋の豪商、鈴木清風の所をちょうど今頃の時期に訪ねた。そして10泊もしている。紅花が咲き始める頃である。(紅花半夏・・)   尾花沢は雪深い土地で、花笠音頭の発祥の地。紅花はあまりできなかったようだが、最上川の水運を利用し、京、江戸への紅花の取り引きで財を築き上げた。最上紅花栽培は山寺から天童にかけての一帯が盛んだったという。
 この辺りはまた蕎麦が旨い。最上川の中流船着き場で栄えた大石田は、今では大石田蕎麦街道として、手作り蕎麦に力を入れている。(板そば)という、板の箱に入った、盛り蕎麦は歯ごたえがあり、旨かった。800円也
 新幹線や在来線に乗りながら、また新庄、余目(あまるめ)を通り、鶴岡にやってきた。明日、山岳信仰の霊場、羽黒山に参拝しようと思ってるので、今日は午後、早目に宿を決め、部屋でごろっとなって休んだり、ぶらぶらと城下町を歩いたりと、ゆったりした一日である。

     行末は 誰が肌ふれむ 紅の花   

                                                          ー  芭蕉  ー

                                                                                                この句は、口紅や着物の布の紅染めなどとして、主に女性が使用することとなる紅花を、この地で詠んだものである。           (ケイタイから)


寒河江から新庄へ

2014年06月25日 | 随筆

 山形駅で新幹線を降り、左沢(あてらざわ)線に乗り換えて寒河江へと向かう。山形は、青い空と白い雲と深緑の山々と緑の田んぼといった景色がずっと続いていた。朝早く起きて、サッカー(前半だけ)を見てたし、天気は良いしで、そんな長閑な景色を眺めていると眠くなった。
東京駅でも、日本が大差で負けたせいか、どこか元気がない雰囲気が漂っていた感じだったなあ・・。まあ、少し、実力以上に期待し、騒ぎ過ぎたんだろう。
 寒河江(さがえ)に着く頃、遠くに雪を斑に被った月山が見えてきた。平らな感じのする美しい霊峰である。町中には沢山の蕎麦屋がある。皿谷食堂という名の蕎麦屋で温かい鴨蕎麦を食べる。田舎風で実に旨い。値段は700円。さくらんぼは日本一らしいが、蕎麦も美味しいのがこの地で収穫されるからだろう。最上川と寒河江川が流れ、ずっとずっと何処までも広く、のんびりした、美しい土地である。
 また山形駅まで戻り、発掘中の霞城公園(山形城跡)をぶらぶらする。その後、奥羽本線普通列車で新庄へ向かう。高校生たちの下校時と重なったようで大混雑。一時間半に一本位しか電車がないので乗り遅れたら大変だ。でも、生徒たちは毎日のことのようで、慣れたものだ。ほとんど皆んな、スマートフォンに熱中。きっと、一度、画面を開くと、あらゆるメディアの情報が洪水のように溢れ、それが勝手に目に飛込んできて虜にしてまうのかなぁ・・。そうだ、自分だって、今、そんなことに近いことをしているじゃないのかなぁ・・。
  
 天童を過ぎる頃から混雑が少し柔いだ。でも、随分みんな遠くから登校してるのだなあと感心する。 偉い!皆んな、頑張れ! とにかく、そんな訳で、どうにか夕方には新庄に着き、夕焼けのきれいな此処に一泊することになった。
 試しに、少しだけ駅で買ったさくらんぼも旨かった。                  

                                                              ( ケイタイから)


あじさい山

2014年06月23日 | 随筆

 今日は沖縄戦から69年、沖縄慰霊の日。昭和20年、沖縄県民四人に一人、20万人を超える人々の命が無惨にも失われたという。この悲劇を二度と繰り返してはならない。今、憲法解釈で集団的自衛権行使容認を進めようとする内閣のやり方に対して、65%の人々が不適切だと考え、また論議も不十分であると考える人々は78%を占めている。(21、22日の朝日新聞社による全国世論調査より) 戦後ずっと守り続けてきた、平和の尊さ、大切さを今こそしっかりとかみしめ、悲惨な戦争へと再び踏み出さんとする権力の、欺瞞的で危うい芽を取り払わねばならない。亦、いつもの如く、安倍総理は億面もなく、当地に足を運べるものだとつくづく思う。

 昨日の午後は、朝から降っていた雨も上がったので、五日市へアジサイを見に行った。駅からずっと北の、深沢地区にある<南沢あじさい山>という所。狭い道を進んで、行き止まりの所である。数年前にも訪れたことがあるが、以前よりもっとアジサイが増えていた。両側にアジサイのいっぱい咲く小道を登って行くと、右側に、きっと、南沢さんの畑なんだろう、アナベルや水色のアジサイ、ガクアジサイなどが所狭しと咲いている所がある。そこから南沢林道を更に登る。振り返ると、茅葺き屋根の家屋、杉林、美しい竹林も見える。杉木立の続く、林道脇の沢には、驚くばかりの数のアジサイが咲き乱れている。

 歩きながら、黒澤映画、「七人の侍」の森の中の映像を思い出したりしていた。アジサイが余りに多く咲き乱れていると、何だか不思議な気持ちになった。ほんの少しだけ咲いたアジサイの味わいとはまた少し違う。七百メートル程にずっと、約八千株のアジサイが咲いているという、しっとりとした林道。一つ一つの花が小さく見えるが、傍で見れば白や水色の普通の大きさのアジサイなのである。多過ぎるので、花々を群れとして見てしまうからだろうか。

 

  金比羅山への近道だというこの南沢林道をまた引き返し、低い空を仰ぐと、灰色をした梅雨空の雲が山々を覆い、ひんやりとした、気持ち良い空気が辺りに漂っていた。

 

                                       ( 2014、6、22 写 )

 

  * 明後日から大人の休日倶楽部の割引チケットを使って、東北へ旅に出かけようと思っている。何処へ行くかは決めていない。ひとり旅で、四日間のフリーパスチケットの利用だから、その時の風まかせ。体調や天候、気分次第で行き先も変わる。時々、苦しい時もあるが、それは承知の上。山形辺りから何処かへ廻ろう。

 


ホタルの光

2014年06月19日 | 随筆

 積極的平和主義?とか、近隣諸国へ対話のドアは開いてる?とか、限定的な集団自衛権行使容認の閣議決定を外遊までに?とか、賭博・カジノとか・・様々に、安倍首相は常識を逸する発言を繰り返している。言ってる事と、やってる事がちぐはぐだ。国民主権ということも無視し、総理という地位、職権を乱用し、憲法違反など、何処吹く風といった有様である。これじゃー、国内外の人々に信頼されるはずがない。新聞にも、<あべこべ言葉>で、真実を覆い隠すようなやり方が多過ぎると書かれていた。本当に、犯罪的な国のトップを持ち続け、あたかも、歴史を逆行させて行くかのようで危うい限りだ。

 夕方、いつもの鎮守の森を散歩する。用水路近くの看板に、<源氏ボタル 30頭>と書かれている。先日の夜、ちょっと見に行った時は32頭と書かれていて、用水の小川に五、六匹のホタルがゆっくりと飛んでいた。夕涼みも兼ねて、数人の人達が、「きれい きれい」と小声を上げながら見つめている。夕闇の中、青白い感じのいくつかの小さい光が近づいたり、離れたりしている。草むらの中でも、光が点いたり消えてりしている。そんな螢の命も三、四日という、短いものだ。

 ホタルの飛ぶ時期も次第に終わっていく。家から15分位の所なのだが、夜ということもあって、なかなか行けない。でも、今年も螢の光が見れてよかったと思う。他の地域にも、ホタルの見れる所が数か所あるが、見物客が多かったりする。ホタルは少ないが、のんびり見れるので、此処は良い所だと思っている。

     < 山の手前に見えるのが鎮守の森>

    <ホタルの養殖地看板とホタルの飛ぶ用水路>      ( 2014.6.19 写 ) 

 


紫陽花

2014年06月18日 | 随筆

 今日は曇天だから、庭のアジサイもまた元気を取り戻した。暑いと、花もグッタリしてくる。暫くは梅雨空が続くだろうから、アジサイの花もまだ見頃である。赤っぽいアジサイ、青色のガクアジサイ、白いアジサイ・・、挿し木などで根付いたアジサイが、色々と咲いている。名前が分からないアジサイの方は、緑色の堅い蕾をつけたまま。そのうち咲いたら調べよう。

 白いアジサイは、北米産で、<アナベル>という名。仏の画家、ベルナール・ビュッフェの夫人の名が同じアナベルで、度々、彼の絵のモデルになっていたので覚えた。白いガクアジサイは<隅田川>という名。隅田川のパッと広がった花火のように見えるからだろう。もうしばらくは、アジサイの花も楽しめる。雨とよく似合う花、紫陽花である。

   ガクアジサイ

   アナベル                額紫陽花、隅田川

                  ( 2014、6、18 写 )

 


未来の世界

2014年06月16日 | 随筆

 13日、金曜日の突然の雷雨の後、このところ数日、良い天気がずっと続いている。梅雨の合間なのだろうが、気温も日中、三十度近く迄上がり、真夏のようである。それ迄、ずっと雨が降らず、農家の人達が干ばつを心配しているところへ、次は、度を過ぎた大雨で作物が腐りだした所もあったようだ。目まぐるしい、このような気象の変化である。温暖化の影響が大きいのだろうが、とにかく気候の変動が激しく、極端から極端に、荒っぽい様相を呈する。それがまた、農水産物の収穫や漁獲量にも大きく影響している。

 昨日は、サッカーW杯を見ながら、世界の様々な国々のレベルや習慣の違いなんかを何となく感じた。時代の流れが、世界の協和や平和構築へと舵を切ったかと思えば、それは幻想で、先進資本国の既得権確保や権益拡大、民族や国家の自立、独立へ向けた行動や思想や感情などが複雑に入り込み、先進国、新興国、途上国、植民地など、入り乱れて虐殺、紛争、戦争が絶えることがない現状。ウクライナ、シリア、イラク、中東、アフリカ、アジア、ウイグル・・などの犠牲者、難民が増すばかりである。折しも、安倍右派政権は名ばかりの諸野党(目先の党利・党略ばかり)と一体となり、国民を置き去りにし、平和憲法を捻じ曲げ、捨て去ろうとしているのである。政治も杜撰で、荒っぽくなり、実につまらない茶番劇を見せられているようだ。愚拙な政治で原発事故以上の人災に遭わせられたら、正直たまったものではない。

 しかし、もめごと、紛争、戦争が今直ぐには終わらないにしても、世界の善良な労働者・市民が何億、何十億人といることを信じ、少しずつ、それでも世界は一つの方向へと進もうとしていることを確信したい。その世界は、多くの犠牲の上に築き上げられていることを決して忘れてはならない。これからの平和な世界は、国々や民族同士の狭い損得や利害を超え、自由で利発な未来の子どもたちによって構築され、切り拓かれるて行くのだと信じたい!

 

 ひと時、空を覆っていた怪しげな薄雲も消え、また強い日射しが戻ってきたようだ。そんな梅雨の合間の六月半ばである。

   ( 2014、6、13 写 )


時代は変るのだが

2014年06月13日 | 随筆

 朝早くから燦燦と日が射し、紫陽花などの草花も生き生きとしているように見える。 青空にすっきりと立ち上がっていた入道雲の前に、いつの間にか別の雲が沸き起こり、そのうち黒い雲が覆ってきた。天空にゴロゴロと雷鳴が轟くや、パタパタと強い雨が急に木々の枝葉を打ち始めた。近所の家々では、布団や洗濯物をあわてて取り込む音が聞こえる。小一時間もしないうちに、また陽が射し始めた。だが、今度は今迄と様子が違って、明るい日射しの中、雨がパラパラと弱く降っている。そんな天気を狐の嫁入りというのだろう。そのうち、雨も止み、空に白い雲がまた流れ始めた。時折、遠くの方でゴロゴロと雷の音が聞こえている。目まぐるしく変わる天気である。

 先のブログに、‘時代も変ったなぁ’というようなことを書いた。テレビなどで、原発稼働や集団的自衛権行使などの反対集会に結集している人達を見ると、殆んど中高年の人々が中心なんだなぁーといつも思う。現役でバリバリと働く世代は集会などに参加する時間も無いのだろう。否、そんな問題意識や気持ちなど、もともとないのだろうか。中高年の部類に入る自分も最近、余り集会に行かなくなったなぁーと反省気味に思ったりもするのだが・・。

 先日、ある大学のキャンパスを歩いていたら、学生がハンドマイクを手に、「安倍政権による集団的自衛権行使反対!」などという訴えをしていた。近くのメンバーからビラを受け取り、目を通してみると、きちんとしたことが書かれている。何だか急に、明るい気持ちになった。今、働く者の四割が非正規の労働者だという。労働者たちは、低賃金、不払い残業、首切り、様々な労基法違反、厚生部門無し、ちょっと間違えばブラック企業並みの厳しい環境下でこぎ使われているのだ。それでも、‘平和だの、安全をしっかり守るだの、美しい日本’などという美辞麗句が谺する。

 労働者を守るべき労働組合自体も、運動も、思想も、団結も、連帯もどこへ行ってしまったのだろう。個人が尊ばれるのは良い事だが、バラバラに分断され、経営者の意のままにされては困る。法人税切り下げ、消費税アップ、円安物価値上げ攻勢、インフレ誘導、市場自由経済主義の名の下の格差拡大、労働者の権利剥奪・・と様々な攻撃が権力と資本、一体となってなされているのである。

 以前は、社宅、企業によるいろんな厚生、終身雇用、年功序列など、手厚い保障が確保されていたものだ。そりゃ、問題点もあったろうが、でも、今よりずっと労働者のことを大切にはしてくれた点もいっぱいある。今なんて、何でも、恰好つけの、表面的な、見たくればかり。内実は嘘臭くさくて、実に怪しいものだ。そんな表層的な流れが、今のような時代を作っちゃったという訳だろう。もう、しばらくもすれば、中高年の集会参加者もぐんと減っていくことだろう。誰だって、歳にはかなわないのだから・・。皮肉なことだが、きっと、その先には輝かし歴史が花開くことだろう。そして、その徒花は、いったい、誰のために咲くというのだろう。そして、誰のための、新しい世界が拓かれるというのだろう。心の片隅で、昔のような平和な時代を懐かしみ、祈っている・・。

 そんな事を徒然に考えていたら、また急に、バタバタと強い雨粒が辺りを叩き始めた。本当に今日は、さまざまな様相を見せる不思議な天候の日である。

 

        ( 2014.6.13 写 )


時代も変ったもんだ

2014年06月09日 | 随筆

 しとしとと長く降り続いた雨が止み、月曜日は朝から次第に良い天気になったのたが、午後には亦、ぐずついた天気に変っていった。一昨日、大雨の7日(土)、調布市のスタジアムに、アイドルグループ「AKB48」のファン約七万人が集まったそうだ。厳戒態勢の中、「選抜総選挙」というその会場では、雨かっぱを着た大勢のファンが雨ニモ負ケズ、声援を送り、開票イベントが行われたという。あーあ、大の大人が。時代も変ったもんだなぁ・・。

 中規模の書店に岩波の月刊誌「世界」を久し振りに買いに行ったら、「その本はお客様の御注文になります。」と言われる。数日間も待ちたくないので、別の小さめの書店に廻ったら、数冊置いてあり、ほっとする。あーあ、かつては「世界」、「思想」、「思想の科学」などという若干、堅めの雑誌もたくさん並んでいたもんだがなぁ・・。

 その雑誌「世界」の中で、古賀誠元自民党幹事長が次のようなことを語っている。『解釈変更によって集団的自衛権を認めることは、解釈によって9条を改憲することにほかなりません』 、『戦争をしない、他国の戦争に参加することもしないという日本の選択は、戦争に参加することよりも、ある意味で困難で、そして崇高な決断であったと思います』 、『集団的自衛権は行使できないという歴代政権の見解の重みを、ここは本当に、お願いだから、真剣に考えてほしい』 、『徴兵制ということが必ず議論として出てくるであろうと思います』 、『・・・「血を流す」ことを恐れないような議論は、決して正しい議論ではありません』 、『戦争ということに、もっと臆病であってほしいと思います』 、『中国にしても韓国にしても、首脳会議すら円滑に行えない現在の状況を外交努力によって解決していくことが必要です』・・云々。

 日本の歴史認識を、まるで自分の家系や家訓から勝手に解釈、塗り替え、書きかえるような安倍首相の短絡的な考え、独断が見え隠れする。いったい、首相はどんな社会学や歴史の学問を今迄学んできたというのだろう。NHK国営会見放送?などで、常にぺらぺらと誤魔化しながら喋っているが、分かり易く言えば、やりたい事は次のようなことなのである。

  ・ 日本と深い関係にある国を守るため、日本が攻められていなくても自衛隊が戦争をする集団的自衛権を使いたい。

  ・ 憲法9条が禁ずるこの権利を兎に角、使えるようにする。(15日の記者会見表明)

  ・ その権利を使うかどうかは内閣が決めること。

  ・ 自分の国を守る時だけと戦後一貫して言ってきた日本だが、一内閣の判断で憲法の読み方を変えさえすれば、これからはいつでも、どこでも戦争できる道を開くこと。

 そのために、限定的と強調したり、巧言令色、いろいろと通すための策を練るのは政治家として当然のこと。集団的自衛権行使のためにこそ今迄苦労して、特定秘密法とか、NHK人事とか、その他様々に、手を打ってきたのであって・・。

  あーあ、時代は変わった。それが戦後生まれの最初の、しかも二度首相になったとか様々に、歴史に名を残したいらしい目立たがり屋の現総理のまぁ考えることなんだろうが。だが、どこかのイベントのように簡単に決められたら、今の世代だけででなく、後々の世代はもっと大変になるだろうなぁ・・。いったい、だれのための政治なんだろう?

  

 紫陽花も少しずつ色づいている、そんな梅雨の季節に。

      (  アジサイ  2014.6.9 写 )

 

 

 

 

 

 


大雨

2014年06月07日 | 随筆

 昨夜から激しい雨が降り続いた。多摩川の増水注意報の長いサイレンが雨音と一緒になって鳴り響いていた。午後からは大雨が少しずつ収まってきた。激しい雨のため、田植えを延期した所が多いようで、水をいっぱい張った田に、藁に巻かれた苗の束があちこちにたくさん浮いていた。そんな中を合鴨が気持ち良さそうに泳いだりしている。

 田を通り、森を抜け土手に出る。雨で少年野球も中止になったのだろう。川向こうの山も雨上がりの様子を見せている。増水した川に沿って玉川上水取り入れ口へ。羽村の堰の堰止め用の木材は増水のために取り払われて流され、激流はそのまま東京湾へと流れていく。一か所だけは取り払われてなかった。

 激しい大雨であったが、被害が殆んどなくて一安心。昨日、年配のおじさんがこんな話をした。< 農家の子だったから、小さい頃から雨の日も稲作を手伝わされたものだ。手作業だったから、そりゃ、大変だったー。田作りから収穫まで、八十八回、やらなきゃならない農作業があるんだ。だから、米という字は八 十 八と書くんだね・・。>  そんなことをいろいろと話してくれた。

 最近は随分、稲作も機械化されてきたが、やはり、収穫までいつも目を離せないことでは昔も今も同じようだ。今年も被害がなく、いろんな農作物が豊作であることを祈りたいものである。

   雨上がりの少年野球場

  増水した羽村の堰            ( 2014.6.7 写 )

 


入梅

2014年06月05日 | 随筆

 関東も今日から梅雨入りした。空はどんよりと曇り、パラパラと小雨が降るかと思えば、また暫く止んだりの繰り返し。道沿いのいろんなアジサイの花の色も少しずつ濃くなってきた。雨粒が花や葉っぱに当たって気持ちよさそうだ。今年も池の大賀ハスが芽吹き始めている。

 森の樹々も空に向かって伸びている。梅雨の時期、水分や養分を沢山取り込み、光合成しながらグングンと伸びていく。しばらくすると、夕闇に螢も飛び始める。小川の縁の草蔭の幽かな光の点滅。

 近くの森も生きている。それ程、手を付けられずにいるから、自然のままで良い。太陽、月、星、雨、風、川、土、草木、虫、魚、鳥、小動物・・などが明かりと闇の中で活動し続けている。そんな自然環境の大切さをつくづく思う、涼しい梅雨入りの日。

 

       ( 2014.6.5 写 )

 

 

 

 

 

 


松本で

2014年06月01日 | 随筆

 季節は水無月、六月を迎えた。昨日から松本へ出かけてきた。朝早く着き、午前中、小学校の運動会を見た。暑い日だったから、競技する児童も見学者もヘトヘトといった感じ。時代も変り、運動会も以前と変ってきているのかなぁと思いながら木陰から眺めていた。

 半日の運動会だったから、三時からはバレエスクールの発表会を見に行った。松本市民芸術館大ホールでの、バレエコンサートとコッペリア(第3幕)の2時間半ばかり上演だった。五十人近くの練習生がプロを交えて普段のレッスンの成果を披露した。子どもから大人まで交えた舞台は、リズミカルで、高度な演技や可愛らしさなどが織りまざり、生き生きとしたものだった。効果的な舞台背景、音響、照明などが感動をいっそう高めてくれた。

 今日は、松本から南の方に車を走らせた。途中、<ファーマーズ・ガーデンうちだ>に寄り、高原野菜などを求めた。レタス、キャベツ、アスパラガス、トマト、ノビル、山東菜、ズッキーニ、わらび、蕗など。道路脇から見る信州の景色は、実にのんびりしていて、空気も清々しい。車は塩尻ICへと下り、ラッシュを避け、八王子ICへ2時間位で昼過ぎには着く。信州の木々の様子を見ると、東京より十日から2週間位の時期の違いを感じる。

 

 

   ( 2014.6.1写 )  二回クリックして、画面を倒して少し暗めにして見る