ぽかぽかとした陽気に誘われて、川向うの郷土博物館へ行く。およそ170年前に建てられたという茅葺き屋根の農家に入ってみる。囲炉裏端で係のおじさんが一対一でいろいろと説明してくれた。「この家が建った頃は、ちょうどエジソンが生まれた頃になるみたい。建ってから五年後位にペリーがやってくるような江戸時代のこと」、「この行灯の灯りが1ワットらしいから、夜は随分と暗いところで生活していた。蛍光灯の小さい補助灯が5ワット位だから・・」
風呂場を見ると、丸竹を渡した床の上に盥(たらい)が置かれていた。そこで行水をしていたという。行水で使った水は隙間のある丸竹の床下の甕に落ち、畑などで再利用されたそうだ。何から何まで、つつましい生活だったようで、現代生活との格段の差を思う・・。
時々、子どもたちが社会科見学に来るそうだが、やはり、科学館や未来館なんかの方が興味があるようなことを話してくれた。煤けていて、どこか骨董臭いし、昔の物だから仕方ないのだろう・・。お礼を言って、いろんな時代の雛人形が展示してある本館の方へと廻った。
説明してくれたおじさんと、こんな話もした。「大変な暮らしだったが、でもそんな中からも立派な人たちがたくさん出たんだよねー」とか、「そこの縁側でいろんな世間話もしてたんだろうねー」とか、「きっと、お互い様みたいに助け合ってたんだろう・・」などなど。
家に帰って、ニュースを見る。川崎の中1殺害事件関連。関与したらしい少年に弁護士がついた云々。聴取、捜査段階からもう、関与者への保護、弁護となるのか・・。先回り?事件後、時間がかかり過ぎたから?でも、やはり順番が違うのではないのか。政治にしろ、いろんなことで腑に落ちないことが多くなってきた。これも時代の流れなのだろうか・・。自分が頑固になってきたから? どちらもか・・。 寂しいことである。
立派な茅葺き農家と大正時代の内裏びな
( 2015、2、27 写 )