わたしの随筆  雪  地  風

心に浮かんだことを気ままに

紅葉狩り (3)

2014年11月28日 | 随筆

 身勝手な解散をしておきながら、争点は経済政策だの何だのと煙に巻く政権与党。有権者は今迄の政治状況をしっかりと捉え、抱えている課題を良い方向へと推し進めていけるのか否かを判断して投票するのである。大金を使っての実に無駄な解散総選挙なのだが、投票に行かないと更に誤魔化されてしまうことになる。癪だが、一票を投じるしかない。

 この2年間で約20万人の正規雇用者が減り、約120万人の非正規雇用者が新たに増えている。安倍政権下、円安・株高などで1億円以上の金融資産を持っている富裕層が初めて100万世帯を超える一方、無資産世帯が3割と高止まりしている。つまり、格差拡大が進んでいるのである。また、17か月連続で消費者物価指数は上がり、7か月連続で消費支出は落ち込んでいる。庶民の生活は苦しくなるばかり。ダメノミクスと経済面で揶揄されたりするが、この政権の長所は一体どこにあるのだろう。どう国民の目を誤魔化せるか、いや、騙せるかと、綺麗事を調子良く喋るだけである。国民は失望し、心は疾うに離れている。なのに今度は、メディアに対し、選挙報道について介入文書を自民党が送る始末。NHKの次は民間メディアの支配なのか。これも秘密保護法強行と根は同じように見える、憲法無視の国家統制主義だ。

 

 また、気分を変えよう。今日はちょっと曇って寒いが、昨日は良い天気で暖かだった。だから、近くの玉川上水沿いの小道を少し歩いた。ケヤキ、コナラ、クヌギ、カエデ、サクラなどが紅葉している雑木林は、見上げると光にちらちらと美しく輝いている。足下の落ち葉は前日が小雨だったこともあって、しっとりとしている。ここの紅葉も今が見頃である。ずっと先まで小道は続いているが、足が痛いので行けない。此処を何度も走っていたのは、もうずっと以前のこととなってしまった。でも、また足が治って、元気になったら今度はもっといっぱい歩こう。

  

 冬枯れになる前の紅葉の季節。雨に濡れた紅葉も美しい。森や林の中では、いっそう辺りがし-んとした佇まいに見えてくる。全ての音が、消去されてしまったようだ。そして、まわりの空気は冷たい。足下の落ち葉は濡れ、枝に付いた葉は雨滴を受けて澄んでいる。山も里も町も本当に美しい。‘桃源郷に遊ぶ‘というのは大袈裟かも知れないが、こんな季節、ゆっくりと森や林の中を歩くのは気持ち良い。晴れても、曇っても、小雨が降っても・・。

 

                                                                

 

                                                  

                                                     玉川上水の雑木林で                                                                                                      

                                                                ( 2014、11、27 写 )

  


紅葉狩り (2)

2014年11月24日 | 随筆

 好天に恵まれたこの連休中、紅葉を見ようと多摩地域を訪れた人々を多く目にした。最近は海外からの観光客も多いようだ。黄色や赤色に美しく染まった木々を見上げながら、ケイタイみたいな機器で手を伸ばし神妙に写したりしている。訪れてくる人々の様子も数年前とちょっと違ってきたようだ。

 昨日の昼頃は、いつもの土手を散歩する。祝日ということもあって、歩いている人たちも普段よりは多い。石垣みたいな所に絡みついた蔓草なども、面白い感じに紅葉している。その先へと歩いて行くと、ツルウメモドキの実がいい具合に色付いていたりする。午後は、五日市方面へ行ってみる。広徳寺を訪れたのは本当に久し振り。侘び、寂といった趣のある山門を抜けると大きなイチョウが二本立っている。その先に鐘楼、本堂という配置の禅宗伽藍である。14世紀に建長寺に請うて開山したのだと案内板に書かれていた。後、北条氏によって再建されたりしたようだ。

 境内の隅に、こんな俳句が掲示されていた。    

      うらを見せ  表を見せて  散る紅葉         良寛 

                                                

 ずっと以前訪れた時も、広徳寺は、辺り一面銀杏で黄色く染まった中に静かに佇んでいた。そして近くの池には赤腹、あのイモリ(井守)がいっぱい泳いでいたのを思い出す。昔と少しも変わらず、美しくて味わい深い伽藍・境内である。

 明日から天候が崩れるようであるが、もうしばらくは西多摩の地域でも紅葉狩りが楽しめそうだ。

           

               

                    多摩川近く    

                                                                                                                                                                                                                         

                                   五日市、広徳寺で                          

                                                                 ( 2014、11、23 写 )

                                  

                                                                


紅葉狩り (1)

2014年11月23日 | 随筆

 昨夜遅く、長野県北部で地震が発生した。TBSの速報で、ほんの少しだけ情報を得た。NHKに切り替えても同じかそれ以下。近頃はNHKの放送に信頼がもてないでいる。解散といえば、またいつもの如く、安倍首相の会見生放送をだらだらと流すばかり。うんざりである!しかも大切なニュースの時間に。あたかも自民党の宣伝、広報放送局のようにである。そんなNHKだったら、勝手に国民から随分と高い受信料を取るんじゃないと強く言いたい。否、完全民営化するか閉局する方がずっと筋が通っている。

 

 安倍政権になってから、NHKの中立報道というものは崩壊したに等しい。かつての公共放送の大切な精神を見失ってしまった。今朝もテレビ朝日は、白馬村の被害の様子を詳しくずっと報道していた。家屋の倒壊、地割れなどの被害の大きさに驚くと共に、国はこんな多忙な年末に意味のない解散をしている場合かと腹立たしくなった。何が今、軽減税率とかアベノミクスを問うとか言ってるんだと。そんな政権政党のご都合主義や、選挙向けの先々の綺麗事に付き合ってる暇なんて庶民にはないのだと。国民の多くは、大変な思いで、今を精一杯生きているのだ。

 

 気分を変えよう。昨日の午後はちょっと、御岳や奥多摩の川井辺りに紅葉を見に行った。紅葉狩りにはちょうど良い時期のようだ。錦秋の候、山里はしーんと静かに佇んでいるように見える。すぐそこ迄やって来た、木枯らしという冬の訪れを感じるように。

 

                        

                            奥多摩町、川井辺り             

                                                       

      

     奥多摩方面(御岳橋から)                                 ( 2014、11、22 写 )

                                   

 

  * 冬を間近にした、長野北部被災地の人々が気の毒である。そして、あの東日本大震災以来つづく様々な災害を思う。被災からの復興と政治がきちんとかみあっているとは到底思えない。原発も沖縄基地も暮らしも外交も全てが上滑りである。国民はギャンブル的な愚政に、いつまでも欺かれたままではいないだろう。

 


暮秋

2014年11月17日 | 随筆

 沖縄の民意をないがしろにする安倍政権にノーを突き付け、翁長雄志氏を県知事に押し上げた人々。「沖縄に寄り添う」と再三言ってきた政権なら、辺野古移設計画は白紙に戻すしかない。

 消費税増税の先送りにつき、国民に信を問うためという名目で解散するのは間違いである。増税判断をどのようにするかについては既に決まっていたはずだ。解散して広く国民に是非を問うということは、秘密保護法とか集団的自衛権行使についてなら当然納得できるのだが、その重大な時には一切無視して秘密裡に決めてしまった。アベノミクス破綻等による支持率下落の安倍政権の狡知な次の手は、ここで増税先送りを国民の暮らしのためにやるのだと誤魔化すことである。信を問うというが、我慢にも程がある。もう政権に対しては不信感しかもてないだろう。

 日本の借金残高はすでにⅠ千兆円を超えた。金融緩和を繰り返す今年度は試算すると、なんと1分間に6千万円のペースで債務が膨らんでいる計算になるのだそうだ。この恐ろしいような<国の借金時計>の速さは、子や孫の世代に膨大な借金返済の負担を負わせるということになる。少子化で若い世代人口が減少していくというのに!政府の「2020年度までの基礎的財政収支の黒字化」という目標はまさに絵に描いた餅だろう。また外遊から安倍首相が帰ってきた。詭弁を弄することに精を出すのではなく、もっと庶民の暮らしに真剣に向き合い、努力し、昨日より今日、今日より明日へと希望がもてるように地道な政治をしなければならない。自分も夕食等の買い物に行ったりする中で、つくづく物価の値上がりを感じる毎日である。多くの国民は日々、物価高で苦しみ、耐え忍んでいるのである!!

   

 足のリハビリのため、土手の方へゆっくり散歩する。午後二時頃にはもう午前中のような日射しは無くなった。やはり季節は秋の暮れ、暮秋なのだ。ちょっと雲が出てくると何だか寒い感じが辺りに漂ってくる。足も痛いけれど、でも頑張って歩こう。明日も遠くへ学びに行かねばならないし。

 夕方、昨日買った中古ドーナツ盤レコードを聴く。‘52年頃?の映画音楽・「禁じられた遊び」、‘61年の仲宗根美樹・「川は流れる」、‘75年の河島英吾・A面「酒と泪と男と女」、B面「てんびんばかり」の3枚。1枚50円で計税込み162円。いい曲や歌は、古くても、やはりいいものはいい。

  

   ♪ 病葉を 今日も浮かべて 街の谷 川は流れる  ささやかな 望み破れて 哀しみに 染まる瞳に 黄昏の 水のまぶしさ・・♪

                                                                    ( 川は流れる )より

   ♪ 誤魔化さないで  そんな言葉では  僕は満足出来ないのです  天秤計りは重たい方に傾くに 決まっているじゃないかい   どちらももう一方より重たいくせに   どちらへも傾かないなんておかしいよ ♪ <繰り返し>

                                                                    ( てんびんばかり )より

    寮生の頃、飽きることなく沖縄歌手・仲宗根美樹を聴き、また復帰前の沖縄にパスポートを持ち、荒波に揺られて行ったことも。台風直撃の日だった・・。それから、あの河島英吾の寂しそうな独特の声。居酒屋で流れていた時代もあった・・。

        

                         

                         秋          の          暮          れ

                                                                  ( 2014、11、 17 写 )

 


紅葉の頃

2014年11月14日 | 随筆

  国民とかけ離れたところで延命解散へと一方的に突き進む政権。しかも海外から無責任で身勝手な指令。経済政策破綻等により、結局増税引き伸ばしに追い詰められたというのに、自ら招いたその状況を逆手にとって国民のための解散だと。本当に呆れるばかり。定数削減や一票の格差解消なども放り投げたままで、いつもの欺瞞的な綺麗事。総選挙費用は何百億とかかり、しかも高額な政党交付金は、怪しい政治資金に成り変ったと疑われての辞任騒ぎはもう過去のこと?もっと国民のためにこそ貴重な税を使ってもらいたいものだ。口先なんてどうでもいい。

 美しい国とか道徳とか、ぺらぺらともっともらしく説くが、一体どんな面して言ってるんだと思ってしまう。政党や政治家のための一本槍のご都合主義政治で、国民は常にみくびられたまま。秘密保護法も集団的自衛権も武器輸出も金融緩和も・・すべてが国民不在の中で勝手に決まっていくという暴挙と愚政。戦後最低の滅茶苦茶な政権だ。しかも大切な憲法ないがしろの政権。

 

 馬鹿過ぎる政治から、すっきり気持ちを切り替えよう!週末の昨日今日と気持ち良い天気となった。昨日は午後、日高、飯能、名栗、青梅と車で巡る。やはり川沿いの木々はよく紅葉していたが、やはり一番の見頃はもう少しといった感じ。でも、山里に入るほど晩秋らしい佇まいを見せていた。柿の木にはちょっと黒ずんで橙色した柿の実がいくつも下がっている。樹木に覆われた深緑の山肌はところどころ赤や黄色を含んで、とても澄んで見える。しかも辺りの空気はひんやりとしている。

 今日、近くの宗禅寺という寺のはずれに二本、<十月桜>を見つける。春の桜と違って、ひっそりとした感じの薄いピンク色の小さな花を咲かせていた。この十月桜は秋から冬にかけて花を咲かせる冬桜の一種。遠くからだと、一見大きな梅の木かと見間違うが、立派な桜である。

 

 冬を真近にして、空も大気も山も川も木々も草花も今という時を素直に表しているのだろう。美しい晩秋の時候はもう少し続くようだ。

  

                             

                    多摩川、沢井近辺                            十月桜

                                  ( 2014、11、13 写 )              ( 2014、11、14 写 )

 


時雨

2014年11月12日 | 随筆

 昨日は晩秋の時雨降る一日だった。今日も昨日ほどではないが、やはり寒そうな空をした一日である。こんな日々を秋冷の候というのだろう。昨日は気温も上がらないので、ちょっと炬燵をだしてみた。雨上がりの夕刻、川原の方を散歩をしたりしたら何だかぬくぬくと過ごしてみたくなった訳。そして、その前にインフルエンザの予防接種に行き、「風邪は万病のもと」、「年寄りの冷水」というようなことを漠然と思ったこともあって・・。

 しつこい右足の膝痛がどうにか治まったと思った矢先、今度は捻挫していた左足首に激痛が走りだしたのは八日前の出来事。今は歩ける程に回復してほっとしている。青白く腫れ上がった足首が急に激痛に襲われたのは堀部安兵衛の高田馬場。這這の体でバスに乗り(普段は徒歩)、どうにか高田馬場駅へ。そこから家までの長かったこと。やっとのこと近所まで帰って来たら、会う人会う人、「あらー どうしたの~」、「大丈夫~?」、「大変そう・・」。あ い た た た!そりゃ、もう痛くて、歩けなくて大変なんだよ~と呟きながら、どうにか家に辿り着いた。帰宅迄の間、鉄柱や柵の棒を外せば松葉杖にならないかなどと妄想ばかりしていた。棒は急には見つからないものである。帰宅してスキーのストックを松葉杖代わりに使ったら、ツルン ツルンと床の上を滑って役立たず。這う方がずっと楽だった。今もその日のことを思い出すと、ぞっとして不信の目で自分の左足首をじっと見つめてしまうのだ。

 病気やケガに対応するのにも難しい年令になってしまった。そして、年令と共に、若い時よりずっと痛さも増す感じがする。健康の有難味をつくづく思う。それなりに健康な時、やりたいことをやり、やれることをやり、やらなければならないことをやる。それで十分。用心は大切だが、いろいろ心配しても始まらない。<生きていること>で十分幸せだ。

 

 曇っていた時雨っぽい寒空が、夕陽で輝き始めた。明日、晴れてきたら何処か紅葉でも見に行こう。落ち葉となる前に・・。

 

                         

                               時        雨    の    後 

                                                                 (  2014、11、11 写 )


晩秋の日に

2014年11月10日 | 随筆

 朝、西の空に月が出ているような晩秋の秋晴れとなった。久し振りの日射しなので、辺りが清々しい大気に包まれているように思えた。インフルエンザの予防接種をしようとクリニックに行ってみたが混んでいたので明日に変更する。

 昨日は、アラーキー(荒木経惟)の書展も終了したので作品を受け取りに亦、西荻に行った。帰りに、ごちゃごちゃした居酒屋通りの懐かしい飲み屋で飲食する。そして今日は、こんな暇な機会でないと書の額装もしないだろうと考え、クリニックからリサイクル店に廻り、不使用の手頃な額を見つける。

 いろいろ工夫してどうにか額に作品を丁寧に入れた。先日、西荻の関係者に聞くと、注文額装だと2万円かかる言われ、そんなに費用は掛けられないと思った。今回、自分で少々工作などしたから台紙等、文房具代含めて1500円位で済んだ。それで十分だ。

 アラーキーは先日、三日ばかり入院し、その後退院したそうだ。いろいろ大変なようだが、いつまでも元気でいて欲しい。写真、書を見てもつくづく自然体だなぁと思う。巧く写そうと思いもしないのだろう・・。凄いなー。いつか、本か何かで、「 もうー 困っちゃうよなー いつだって 巧く撮れちゃうんだから・・」というような冗談を飛ばしていたが、それは本当だ!羨ましい限りだ。

 書も巧く書こうなんて思わないのだろう・・。素直にやってのけるのだろうか・・。写真も書も絵もその他、全てが今という生き様、かかわりの中での自然なことなんだろうか・・。涙を溜めたような文字を見つめていると寂しくもなった。凄い写真家、たいした人間だ。

 

                                            

             秋晴れの朝                                 額装して

                                                            ( 2014、11、10 写 )

     

   * 額は木製で56センチ四方の大きさだが軽い。マットは似合わない感じがしたので外す。アラーキーは三十代から書もやっていたそうだ。 

 


立冬も過ぎた

2014年11月09日 | 随筆

 紅葉を見に上州まで行こうと思っていたが、足を痛めたので諦めた。近場なら大丈夫だろうと考え、桧原村を訪ねてみた。紅葉狩りにはちょっと早過ぎたようだが、秋川渓谷辺りは少し色づき始めていた。後十日ばかり経った頃が見頃になるのかな。

 早いもので、季節はもう立冬を過ぎた。朝夕ぐっと冷え込み始め、釣瓶落としのように日暮れも日に日に早まってくる。やがて、美しく装っていた晩秋の山々が寂しく見える頃、暖かさも恋しくなってくる。昔だったら、落ち葉を掻き集め、焚き火をしてさつまいもを焼いたりもした。霜が降りたりと寒くなるほど、ほかほかとした焼き芋は旨かった。

 なるべく、寒さに耐えれる体を維持したいものである。しかし、無理は禁物だ。そのうち炬燵、ストーブなどと冬支度となってくる。そんな時候も近いようだ。

 

                               

                秋川渓谷・桧原                秋川渓谷・五日市の瀬音の湯付近

                                                                     (2014、11、8 写 )


経済効果の裏側

2014年11月05日 | 随筆

 時代が進むと共に、技術や情報面など様々な点で便利になってきたと思う。だが、昔(大雑把なのだが)よりもっと世知辛いというか、暮らしにくいというか、そんな漠然とした思いを近頃抱くことが多い。アベノミクスの<三本の矢>というのも庶民側に向けて放たれる毒矢に思える。繰り返される金融緩和による株高、円安などは普通の暮らしには何の希望も見えはしない。いや、暮らし向きが日々細っていくばかりだ。

 よく、経済効果というようなことが言われる。でも、それは一部の大企業、資本家、富裕、投資家層の視点から鼓舞されていることが多い。法人税減税、消費税増税など税制でも、結局何処にしわ寄せが来るかといえば、多くの庶民層の財布の方にである。まさに国税が酷税になってきた。

 カジノ誘致などが国会で論議されるような、呆れた時代である。これも経済効果とか。賭博は多くの勝ち組、負け組がそこにいる。その勝ち組、負け組の背後には、彼らに搾取された多くの多くの人々がいるだろう。経済効果(金、金・・)のためなら何でもいいというのは間違いである。もっと言えば、金のためなら人を殺すのも仕方ないとなる。武器開発、武器輸出、武器使用・消費・供給となって多くの人々が強権政治、軍需産業下で死に傷ついていく。

 先日、米国の大統領選に関するニュースを見ていると支持の多いという議員がこんなことを言っていた。「銃を使用する権利を守り通した・・云々」。それが権利という言葉で語られる。人を撃つ権利というのは生存権を奪うものであって権利ではないだろう。それを権利というなら、道義は全てガラガラと音をたてて崩れていく。だから、あの国はびっくりする程いつまでも戦争の絶えない、超格差社会の国なのか。今の安倍政権の下でも常識が麻痺し、非常識なことが次から次と成立している。オレオレ詐欺だって、老後の不安などで細々と生活している老人の貯金のままより、それを奪った若者たちが、どんどん消費する方がずっとわが国の経済効果に繋がるという世も末のような論、にはなっていないのがせめてもの消えかかった残り灯のようなものである。それは極端な話だが、つまり道義を見失った経済効果などというものは国民を不幸にするということ。その行き着く所が格差、貧困と戦争である。

 

 そんなに金に縛られなくても、幸せに生きられる。もちろん金は大切なものだが、幸せに生きることはそれよりもっと大切である。貧しくても幸せになれる。金があっても幸せにならないこともたくさんある。強欲は不幸を呼ぶことが多い。そりゃ、金があると助かることも多い。だが、昔より格段に物質的には豊かにはなったが、現在の方が昔の人よりいろんな面で幸せになってきたとは決して言い切れない。

 

  素朴、熱意、仕事、笑い、助け合い、愛情、友情、苦労、ゆとり、団欒、健康、夢、希望、遊び、趣味・・。ずっと昔からの慎ましい暮らし、そんなことを大切にしたい。いつだって世知辛い世の中なんだろうが、余りに実績や利潤追求だけに埋没してしまうと、お金以上の人としての大切なものを次々に失ってしまうことになりそうな世の中に思えてきてならないのだが・・。


ススキ

2014年11月03日 | 随筆

 今日、文化の日もどうにか好天に恵まれた。昨日、一昨日は市の45回目という文化祭と産業祭へ行ってみた。秋のこの二つの祭りは、ひと月ばかり間隔を置いて別々に催されていたのだが、近年、同時に開催されるようになった。そのためか、以前より訪れる人々も随分多くなったようだ。

 文化祭で、西馬音内(にしもない)盆踊りをたまたま見た。楽しむ会という団体が踊っていたのだが、色鮮やかな踊り衣装に編み笠という姿に何となく惹きつけられた。ちょっと怪しげな浴衣姿の頭巾は彦三(ひこさ)頭巾といい、亡者を表しているとか。阿波踊り、郡上踊りと共に日本三大盆踊りの一つだそうで、700年の長い歴史を持つ、秋田県羽後町で踊られるもの。踊りの唄を聴いていると、あの黒澤映画<七人の侍>の最後の場面を思い出した。侍が、「やはり負けいくさだったな」と呟いた後、ぱっと晴れ渡った田植え風景に変り、何もなかったように明るい唄が流れる。丸く盛られた土のてっぺんでぱたぱたと旗が揺れる。そして農民は土と一緒に強く生きる。そう、あの考えされられる場面で流れていた唄にそっくりなのだ。いや、映画こそ似ているのだろう・・。

 ♪ きたかさっさー   どっこいな   あー  それそれ ♪  ほうさく  ひゃくしょう  おおあたり ♪  そんな感じで、豊作を祈るように素朴な唄が笛、三味線、鼓の音に合わせて長閑に会場に流れていた。易しいようで難しい踊りだそうで、上達するのにも随分年期がかかるそうだ。

 

 祝日の今日は多摩川の土手を歩き、揺れるススキに招かれて河原に下りる。ススキが陽に輝き、風に靡いている。東風に揺れたり、西風に揺れたりと気持ちよげ。ススキの尾もこの前よりいっそう大きくなって真っ白である。

 

                                        

              西馬音内盆踊り                                 ススキ

          ( 2014、11、2 写 )                                              ( 2014、11、3 写 )