わたしの随筆  雪  地  風

心に浮かんだことを気ままに

高原の秋

2013年09月30日 | 随筆

  金、土曜日と車で長野へ行った。秋晴れで、とりわけ青い空が美しかった。一日目は、長野の何処へ行くかは、その時の気分次第だったから、八つの頭の出た、八ヶ岳を目にすると、そちら方面へ進むことにした。諏訪南ICで中央高速を下り、右手に八ヶ岳を見ながら蓼科へ向かった。辺り一面、黄色く目に映ってるのは収穫間近の稲穂。とても美しいので、車を止める。窓を開けると、ひんやりとした風が入ってきた。ずっと続く道の先には緑色した松林がはっきりと見えている。山の方に目をやると、くっきりとした白い雲が少しだけ浮いていて、あとは何処までも青空が続いている。

 

  ビーナスラインを走ると、やがて蓼科湖、白樺湖へ出た。どちらの湖にもそれほど観光客は来ていない。アカシアの葉は綺麗に黄葉してるが、白樺の方はもう少しといったところ。蕎麦を食べてから、車山、霧ヶ峰高原へ回ることにした。この辺りは冬季にはスキー場になる。白樺湖付近には初心者に向いたスキー場がいくつかあり、自分も滑り初めの頃、友達や家族とかで何回か訪れたことがある。温泉もあるし、近場の方でもあるから、手軽でいい。

  

  霧ヶ峰高原から眺める。どこまでも、ススキの野原がつづく。白い尻尾のようなススキの穂が輝く。空気はちょっとひんやりした感じ。空気がうまいとも思う。空気が澄んで、すっきりとしているからだろう。息をしているのが自覚でき、実に気持ち良い。遠くに富士、手前左側に八ヶ岳、中央に北岳・甲斐駒ケ岳などの南アルプス、右側に木曽駒ケ岳などの中央アルプスが美しく見える。下界は見えない。車に乗って諏訪湖の方へゆっくり下って行く頃、映画の情景をだぶらせていた。木下恵介監督の「カルメン故郷へ帰る」と小津安監督の「父ありき」。「カルメン・・」の方は、のどかな信州の学校も舞台になっている。空や山、高原・・。自然そのものは、昔とそれほど変わってはいないだろう。人はどうなのだろうか・・。

 

  IPCCの報告によると、今世紀末に最大予測で4.8度の平均気温上昇という。温暖化で海面は上昇し、低地は水没。太平洋諸島などは、もう今、現実に困り果てている。異常気象が人々を襲う。農水産業をはじめとした被害も、今のままだと甚大なものになるという。人間の文明を自ら失ってはならない。この環境破壊は、殆んどが人間の活動の影響によるものだそうだ。資源枯渇、二酸化炭素による悪い温室効果、放射能汚染、大気汚染、水位変化、異常気象・・。どこか身の回り全体に、もの静かな趣漂う秋の候、本当に人に大切な自然環境とは何なのかを考えてみることも大事だろう。人間にはどんな環境にも馴染んで生きていく力がある一方、度を越すとガラガラと音をたてて瓦解するような弱点もある。自然からの倍返し、百倍返しではないが、そんな悲惨な状態にこれ以上陥らないよう、経済活動含めて、よくよく考えて、慎重にやっていくことが大事だろう。

 

  一日目は、その後、諏訪大社などを回った。二日目は、秋空の下、松本で保育園児の運動会を眺めていた。子どもたちの目が眩しく輝いていた。 

 

 

 

  * IPPC・・・国連の気象変動に関する政府間パネル。きれいな空気の高原を車で走るのだって二酸化炭素を排出している。申し訳ない。多くのことで、気付かないうちに環境破壊に関わっている。可能なところで、できるだけそうならないように留意しようと思う。

 

 

   

 

 


秋涼し

2013年09月26日 | 随筆

  庭の古い如意輪観音石像そばの曼殊沙華と水引の赤い花が秋風に揺れている。厚く灰色に覆った雲の間のあちこちで、青い空がのぞいている。台風も、列島と離れた東海上を北へと進んでいるようで一安心だ。今日は朝から、気持ち良い風が吹いている。また、気温も二十数度で過ごしやすい。窓の外のナラの葉も時々吹く秋風にザワザワと音をたて、揺れている。やはり秋である。豊作に感謝する秋祭りが始まり、神無月、霜月と紅葉前線も進んでいく。そして、冬支度となる。今年の12月以降はラニーニャ現象に似た大気の流れになる可能性が高いため、今度は高温の夏とは逆に、全国的に低温の冬の傾向が鮮明になるという。偏西風の関係で、北からの寒気が入ってくるので降雪量も多めになるという予報を昨日、気象庁が出した。

 

  熱暑の夏もきついが、同じように、寒すぎる冬も大変だ。そう考えると、今の季節が一番過ごしやすいのだろう。それこそ、今でしょだ。秋だ。食欲の秋。スポーツの秋。芸術の秋。読書の秋。思索の秋・・。秋高く馬肥ゆ。秋澄み、秋風吹き、秋涼し。気持ち良い季節である。

 

  先日、車の窓から小学校の運動会の光景を目にした。多くの観客が賑やかそうに校庭を囲んでいた。学校のすぐ外の桜の木の下に氷売りの出店があった。寅さんではないが、いいなあーと思った。そういうところ、それが学校なんだと思う。君が代だ、国旗だ、全国学力調査だ、指導力だ、職務命令だ、何だかんだ・・と上から目線の強制。いろんな地域、いろんな境遇、さまざまな個性などがあり、複雑化した格差・階層・競争・能力社会で、どうして一つの尺度で物事を推し量れるというのだ。そんなことを勝手に、声高に叫んでいる者こそ、本当に立派かどうか実に怪しいものだ。今の教育への様々な政策は、よく調べてみると、どうも不可解な箇所が多く、信じ難い気がしてならない。多くが、子どもの実態とか、その微妙な背景も十分把握できているとは思えない。権力とか政治力とか経済力や統制力なんかが絡んでたりもする。それより、子どもたちは、元気いっぱい、ビリもトップも、みんな一緒に頑張ってる。子どもの笑顔は純粋で素晴らしいのだから・・・。大人の選別、差別する眼差しは不必要である。

 

   * 地方教育行政の執行機関を教委から自治体の首長に移行させる案が中教審分科会から出た。橋下大阪市長らは教委廃止を訴えている。軍国主義に走った戦時中の反省から、政治的中立を保つ目的で現行の教委制度になったのだが、それほど現代は中立性に於いても安心できる時代になったとでもいうのだろうか。めちゃくちゃに逆行していると確信するのだが。

 


鉄道、宇宙、核の未来

2013年09月23日 | 随筆

  JR北海道の鉄道事故・トラブルが絶えない。北海道へ何回も行き、その都度利用させてもらった。四、五月の特急列車事故の報道を聞き、確かにそういうところがあるなーと思い、ブログに書いてみようかとその時、考えもした。しかし、素人の感想を書いてもなーと考え、止めておいた。でも、トラブルが続くので、乗客の感想として簡単に書いておく。3年位前に函館線特急を利用して函館・札幌を往復したことがある。その時、荒っぽい走りで、随分、また飛ばすなーという強い印象をもった。しかも、何となく不安な気持ちにさえなったのだ。旅が好きなので、よく各地の鉄道を利用する。そこここで乗車した特急の時とどこか違う乗り心地なのだ。ちょっと乱暴というか、あるいは、こんな路線や電車ではスピードオーバーじゃないのかなーという思いを強くもたされるというか・・。とにかく、他のJRや私鉄では感じられないものがその時、漂ったのを思い出す。今回、やっぱりなーという感想を持つのも、きっと企業体質に大きな問題をかかえているのだろう。それが利用者にも響いているのではなかろうか。乗客の命・安全に関わることなので、事故の背景を徹底的に調査し、抜本的に改善してもらいたいものである。

 

   鉄道と言えば、リニア中央新幹線のことも考える。品川ー名古屋間でノンストップだと40分、4駅停車で72分だという。現在の東海道新幹線<のぞみ>は、最速で90分である。リニアは時速500キロ、<のぞみ>は時速300キロ近く。リニアは約1.7倍の速さで走るが、286キロ行程の86パーセントがトンネルだという。それでは、やはり急を要する人たちが主に利用することになるのかな?でも、人はちょっとでも早く物事を進めていこうとする習性みたいなところがあるようだしなー。鈍行、急行。特急、超特急・・と。スピーディに対処して、ちょっと、そこで浮いた時間も大切なのかも知れないが、四、五十分そこいらでは、テレビを見たり、ぶらぶらしてたり、うとうとしてたらすぐ消える時間。<そんなに急いで、何処へ行く>ではないが、あまり時間にとらわれ過ぎるのも、現代特有の問題点なのかもね。企業はみんなそういう世界なのかな。また、お金、時間、物にリッチな人が勝者の時代なのか。貧乏暇なし?とにかく安全輸送を第一に考えるべきだろう。

 

   ボイジャー1号が太陽圏外へ出たと言う。36年前の1977年にNASAから打ち上げられ、187億キロの彼方を今も時速6万キロで飛んでいて、2020年迄はプロジェクトを行い、その後は電波が一方的に送られてくるだけだという。また、太陽系外の写真を送ってくる余力はないらしい。しかし、凄いことである。

 

   一方、原発から出る高レベルの核廃棄物の処理は大変だ。それに触れると数秒で死亡するという。それを容器に入れて地下300メートル以下に埋め、再度引き上げれるようにもしておくという窮余の策。容器が数万年ももつはずがないし、将来、もっと安全な処理方法が考え出されたらと、後々の世代に無責任にバトンを渡す魂胆のようだ。未来の世代には厄介極まりない、とても危険な大量ゴミが残されるものだ・・。オリンピックが開催される7年後、耐用年数を過ぎた原発が十数基になるという。最終処分核廃棄物も増大するばかり。放射能汚染水ダダ漏れ、軍備費、財政再建、インフラ改修、雇用対策、震災対策・・多くの課題が目白押しだ。ひとつひとつに、工夫し、先を見据えながら、しっかりと対処していかねばならない。無駄を省き、無理をなくし、ムラなく未来へ向けて進まねばならない。その過程で、我々も、きっと今よりもっと良いことを知っていくに違いない。歴史を繰り返している暇などない。また、今ある課題を未来世代へ放り投げてはならない。未来へと希望と責任をもって困難な道も進んでいくだけである。それは、必ず明日が今日よりもっと明るくなるためなのである。字の如く。

 

  * 彼岸の今日、今は亡き先達たちは現代をどう見ておられるのだろう。昔と同じような誤ちは繰り返さないようにということだろうか・・。時代にはその時代なりの重要課題があったはず。少しでも、以前よりもっと良くなろうと願っただろう。先日の特集記事、「ジェノサイドと現代」のインタビュー記事から、その一部を。 ・・・・ 憎悪がある限り戦争が起き、相手を殺してしまう。私は国際法や人権を学び、憎悪をやめ、やめさせることを知った。憎悪が政治家たちに影響を及ぼす状況を作ってはいけない。いつでも、どこでも条件ができるとジェノサイド(大量虐殺)はいとも簡単に起こりえるのだ。社会の不寛容、憎悪が状況をはびこらせてしまうのだ。それは政治的、経済的、民族的な不寛容の力だったり。そういう状況を作らないこと、憎悪のサイクルを断つことの始まり部分を作ることを、われわれの世代はしなければならないことなのだ。 原爆投下の是非と、自分に世界で何ができるかを私に尋ねてきた日本の若い人たちがいる。あの子たちこそ希望なのです。           トーマス元国際司法裁判所判事(アウシュビッツ生還者)より

 

 

 

 

    

 

   

 

 

 


十五夜

2013年09月19日 | 随筆

  各地に無残な爪痕を残して台風は北へと去っていった。打って変わって、今度は台風一過の言葉通り、晴天の日が続く。天高く、すじ雲が流れ、大気は澄んでいる。自然の力強さに驚くと共に、人の営みの儚さを感じざるをえない。しかし、被災地で、一日でも早い復旧に向け、急ピッチで作業が始まっているのを見るにつけ、人々の逞しさに感じ入る。東日本大震災被害、原発放射能被害、竜巻被害、台風浸水被害・・列島は今なお、天災・人災被害が続いている。

 

  「完全にブロックされている」、「私が保証する。状況はコントロールされている。」というオリンピック招致での首相発言。<おもてなし>の言葉が<表無し>、つまり<裏有り>に思えた。国家安全保障戦略でも専門家だけ集めて、勝手に集団的自衛権行使を画策している。これもまた、国民ぬき。大切な知る権利も秘密保護法で誤魔化されてしまう。福島第一の汚染水問題だって、油断したら、いきなり機密漏洩法でしょっぴかれたりして。それじゃ、戦時中の嘘の戦況報告や弾圧と同じだ。強権政治が復活して、権力に都合よい情報とか、根拠とか、認識ばかり意図的に流布され、本当に問題のあるところは御座なりになってしまう。今の原発問題にしろ、国家安全保障問題にしろ、そんないい加減なもんだ。自民党が憲法解釈を変え、9条を骨抜きにしたり、民主党が9条を変えるというのも、つじつま合わせの、欺瞞に満ち溢れた、国民不在の陳腐で傲慢な党の悪あがきなのである。やたら諮問機関や専門家会議、審議会とかを利用し、煙に巻きつつ、国民不在、憲法無視へと調子よく猛進している。

   

    現在、福島県だけで29万人の避難者がいる。しかも、震災での直接死者数より、避難後の関連死者数の方が上回ろうとしている現状である。長引く避難所生活が福島の人々を困窮の果てに追い込んでいるのだ。果てし無い除染作業、漁業停止、失業、目途の立たない帰還などの問題が極度の心身疲労を引き起こさせているという。今なお、このように多くの被災者が悲しみ、嘆き、苦しんでいるのだ。政府は外づらを上手に繕うより、今こそ、重要問題に全力で、かつ真剣に取り組まねばならない。

 

  それでも自然は黙って、時の流れと共に季節を顕著に表す。稲穂は黄金色に実り、時折吹く秋風に、ススキが揺れる。土手の彼岸花も開いてきた。空を見上げると、何処までもずっと青く澄んでいる。足元をスイスイと塩辛とんぼがじゃれるように飛び、目の前を秋茜が気持ちよさそうに飛び交っている。やはり、秋である。そして、今日は中秋の名月、十五夜。観月、月見。きっと美しい満月が出ることだろう。五穀豊穣に感謝し、ススキ、里芋などを供えよう。上新粉、小豆もあったし、簡単に団子でも作ってみようか。祈りたいような、そんな秋。  ・・・。

 

 

 

 

 

 


大型台風

2013年09月16日 | 随筆

  大型の台風18号で各地に大雨特別警報が出た。「これまでに経験したことのないような大雨」という報道を今回も聞いた。川の氾濫で浸水している京都の嵐山や伏見区辺りの様子がテレビ画面に映し出されていた。台風は今後、東北の方へ進んでいくという予報だ。

 

   昨日も大雨で、道路に溜まった雨水の中を心配しながら車を走らせた。土砂降りが続くと、幹線道路であっても直ぐに低い箇所などは冠水するので、エンストしないか気になった。そんな様子で、都区内の方も豪雨のため渋滞するところが多かった。都市も自然災害には弱いところがいくつもある。普段の状態では、効率よくスピーディに進むのだが、限度を越えた災害が起きると、極端に都市の弱さが露呈する。3.11の東日本大震災では、交通が遮断し、計画節電にもなった。電気、水、ガソリンから日用品と、あらゆる面で困りきったのを思い出す。原発事故での放射能汚染なども、不明なことばかりで、結局自分たちで身を守っていくしかないのだとつくづく思ったものである。今でも、そうだと思っている。いや、以前よりいっそう、正しい情報を得ることが重要だと思っている。<喉元過ぎれば熱さを忘れる>では愚か過ぎる・・。

 

   地球の温暖化が、災害を引き起こす自然現象のパワーを更に大きくしている。ゲリラ豪雨、竜巻、旱魃、大型台風、豪雪、厳寒、酷暑・・。川が溢れ、屋根が飛び、田畑が枯れ、交通が遮断され、熱暑に倒れ、余りの寒さに凍てつく。新興国などの大気汚染も強まり、マスクでも防ぎようがない。電磁波が過剰に飛び交い、地球上の環境破壊は進み、絶滅危惧種の指定が増えていくばかり。しかも、核開発、原発、公害等は減っていく様子でもない・・。経済発展という命題に頑なに結びついた、資本という幸福追求の論理。多くのリスクを背負った資本主義。微妙な趣を大切にしたわが国の色彩や美意識感覚も、カラフルで、また刺激的なものへと変わり、どこか荒っぽくなった自然現象と似通ってきたのだろうか。色彩ばかりでなく、音も形も香りも味も肌ざわりもどこか鮮明過ぎて、派手で、作為的になってきた感じ。素晴らしかったはずのモノクロ画像やアナログなものが、古(いにしえ)の古びた、ゆるい、珍奇なものになり、受け入れやすくてわかりやすい、はっきりしてて、実は荒削りのものが闊歩する時代になってきたのだろう・・。そして中身の方はどうなのかなあー。   何故か、寂しい気がしてきた。

 

  関東も、少しずつ雨も弱まってきたように思う。でも、地盤が弱まってることもあり、土砂崩れなどの被害にも今後、要注意である。また、福知山をはじめとして近畿地方での浸水被害が多いようだ。突風被害の出ている地方もある。一難去ってまた一難、そんな言葉を胸にしまいながら、年々、荒っぽくなってきた災害にも、油断せず対処していきたいものである。

 

 

 

  

 


オリンピック

2013年09月11日 | 随筆

  黄金色の稲穂が頭を垂れ、稲刈りを待ってるような、そんな時期になってきた。湿度は低いし、気温も27度位なので、随分過ごしやすい。厳しかった夏も、どうにか過ぎ去って行くのかなあという思いである。ところで、7年後の東京五輪開催が決まり、新聞、テレビ等では、それに関連するような報道が多くなってきた。1964年開催の時は、高校3年生の頃で、実況放送されてる映りの悪いテレビを時々チラチラ見ていたのを思い出す。聖火だ、選手団などと国中がオリンピック・ムード一色といった感じだった。自分はそれ程、関心は持ってはいなかったのだが。

 

  そんな思いもあってか、以前から、あまり五輪東京招致には賛成しきれなかった。でも、少子高齢化とか震災復興とかの現状などを見ていると、今度はどうも反対する気にならなかった。他の理由として、あの石原都政が終わったこともある。決まったら決まったで、良い方向にとらえられないのかと思うことにした。以前、サッカーワールドカップが日本でも開催された。あの頃も、それほどサッカーに興味がなかったのに、ワイワイまわりで騒がれ、やれベッカムだ、カーンだと聞くうちに、いつの間にかテレビ試合中継に見入っていた。スポーツ観戦なんて、そんなラフところが多いのだろう。

 

   <これから日本一丸となって、五輪へ向けて進んで行こう>という時代でもなかろう。一億玉砕じゃあるまいし。投資、雇用、観光、建築関係等への経済波及効果間違いなしなどというのも露骨過ぎるだろう。いろいろな問題が、何かと言えばオリンピックにすぐ関連付けられて考えられたり、隠れ蓑にされては困る。個人の思想、良心、表現の自由は侵されてはならない。さまざまな思い、考え、境遇の人々がいるのである。五輪、五輪と猪突猛進の如く、お国を上げてやって行く時代ではない。自由で希望のもてる未来へ向け、開かれた、落ち着いた歩み方であって欲しい。金、銀、銅メダルが金貨、銀貨、銅貨の貨幣みたいに目が眩んで成り変わり、経済発展だけをやたら目標にしたりするのではなく、また、日本民族の誇りとか国威発揚という方向につながらないように考えたいものである。これからの時代はそうではない。震災・原発被害をかかえる社会に、どう真剣に向き合い、また混迷する世界の情勢の中で、正しい役割をどう果たせるかが問われることだろう。さまざまな問題に真摯に取り組んでいく中で、新しい時代のオリンピックの意義も見え、切り拓かれいくのではないだろうか。

 

 

   * 五輪開催の過程で、日本のかかえる前近代的な体質や、考え直すべき問題点もたくさん出てくることだろう。そういうことを一つずつ検討し、変革しながら、未来のより良い社会構築へ向けた機会にもすべきである。五輪への人それぞれの関わり方が無関心含め、自由で開放されているほど素晴らしいものになるだろう。また、原発被害からの完全復興と脱原発・再生エネルギー政策へ早期に舵を切っていくことが重要であることには変わりない。

 

 

 


東京開催へ

2013年09月08日 | 随筆

  先程、2020年オリンピツクの開催地が東京に決まった。これを機に、いっそう世界平和を目指すと共に、原発・震災被害からの復興に邁進できたらいい。世界は日本の責任ある今後を見つめてもいる。子どものたちの、明日への希望を広げるためにも、良い機会にしたいものである。


季節感

2013年09月07日 | 随筆

  今日、7日は24節気の白露だという。この頃からようやく秋気も加わり始める。散歩道で見かける半夏生(ハンゲショウ)の葉は、また緑色に変わってきた。この多年草の植物は面白いもので、夏季、緑色の葉が次第に白色に変わっていき、穂状の花もつける。その花がシソの種をつけたような感じに変化する頃、今度は白い葉から薄緑色の葉にまた戻っていく。今、ちょうどそんな頃合いなのである。今日、白露(24節気、9月7日頃)の日は半夏生(72候、7月1日頃)の日から2か月余も経過した日だ。季節は秋へと日に日に変わっていく。

   

   この夏は、天候も様々だった。酷暑、集中豪雨、日照り、旱魃、雷雨、竜巻、台風・・と被害も多かった。地球温暖化の影響が強いという。これからは、古来から使われてきた季節を表す24節気などの時期の様子も随分、様変わりしてくるのだろうか。帰化植物・動物、いや、食べ物から衣服、住まい、言語、あらゆる身の回りのものが急速に変わってきた。日々の暮らしが変わる。生き方が変わる。価値観が変わる。便利な反面、いろんなことが複雑になってしまった。物事には裏表があると2次元的に仮定しただけでも、表側の都合のよいことの裏側に、都合のわるいことをいつも合わせ持っていることがあるようだ。急激な経済発展の裏側に、同時に急激な環境破壊というリスクを負ってるのもそういうことだろう。都会になるほど、季節感も薄れていく。でも、地下の食品売り場に栗おこわの入った折箱を見て、ふと秋を思ったりもする・・。

 

   ああ、感じのいい、古い家があるなーと思いながら、ある所を車でゆっくり走っている。時が経ち、そこらを通ると、どうも以前と様子が違うようだ。その時、かってそこが、どのようになってたか、どうしても思い出せないことがある。道路や町並みが、以前より現代的に整備されたのかも知れないが・・。もう、以前に戻れない。年を取り始めて一層、以前どうだったか、いろんなことで思い出せないことが多い。いつの間にか現代のものに置き換わっている。いいこともあるから変わることも多いのだろうが、「 あーあ 」と首を傾げるこの頃だ。本もTV番組も食べ物も、あらゆるものが満ち溢れるほどあるが、昔のあの時の、飛びつきたいような喜びが少なくなったのはなぜだ。歳とか時代とか、いろんなことも影響しているのだろうが・・。変わらされてる?作らされてる?買わされてる?  踊らされてる? そして、 慣らされてる???

 

   夏から秋へ、装いをいっそう変えるため、木々も亦、秋支度を始めている。遠くから蝉と虫の鳴き声も盛んに聞こえる夕暮れである。

 

 

    * 売れる本。売れる商品。人気のあるタレント。流行る考え。当選しやすい政党。挙句、過半数で憲法改正にチャレンジとか。数は力なんだろうが、それが正しいとか、良いとか見極めるのは実に難しい。当たり良い雰囲気も要注意だし、オレオレ詐欺に通じるような、渡って行くにも簡単なようで又、どこか怪しい、本当に難しい時代のようだ。

 

 


風が吹く

2013年09月03日 | 随筆

  窓の外に、真っ白な雲が空高く上がっている。青い空と白い雲のバランスがすっきりしていて清々しい。遠くの山々も見渡せるような良い天気である。時々、窓から吹いてくる風は涼しく、爽やかで、ちょっとした秋の気配も感じられる。まだまだ残暑の日はあるだろうが、今年は特に、秋の訪れが待ち遠しい。

  青い空と白い雲を見ていたら、宮崎駿監督のアニメ映画作品、「風立ちぬ」を思い出した。今度、ベネチア国際映画祭でその作品が金獅子賞が受賞できるといい。美しい自然、飛行機や人物たちがどこか懐かしく、不思議な感動を与えてくれる良い作品だ。

  

   監督引退という。今の時代の中で夢を描くことの難しさなどがあってのことだろうか。監督の年令なりにゆったりと、わがままに、監督なりの考えで、これからも作品を作っていってもらいたいと思うのだが・・。夢が描けない時代こそ、どうにかしなければいけないだろう。

 

  森の方から、つくつくぼうしの鳴き声が聞こえ、どこか夏が過ぎて行く感じのする、長月、三日の気持ち良い昼下がりである。

  

 

 


都合よい歴史

2013年09月02日 | 随筆

   高校での日本史教科書採択で、神奈川県教委、都教委が、実教出版、「高校日本史A」、「高校日本史B」の使用は適切でないとした。大阪、埼玉は条件付きで認めるという。どういうことか、簡単に説明すると、国旗・国歌をめぐって、「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という表記が誤解を与えるからというもの。文科省検定を通った教科書を排除するという行為は、教委の権限としても認められておらず、教育課程の編成権侵害と検定制度の主旨を著しくゆがめたものであり、教育法規上からも断じて許されるものではない。こういう事態が起きるのも、昨今の権力の右傾化や政治的な不当介入・圧力の兆候の一つである。現場の校長・教員は困り切っているという。

 

   シリアの化学兵器使用を巡り、欧米・日本などの国々が身勝手な発言を連日繰り返している。大量破壊兵器や化学兵器使用は犯罪に決まっている。否、全ての武力は犯罪を帯びたものだ。しかし、国の力によって、その行為が都合よく正義に置き換えられたりする。先日、米国のオリバー・ストーン監督が来日し、自らのベトナム従軍経験を重ねながら、原爆投下の不当性を語っていた。また一方では、当時の日本軍がアジアで起こした残酷な仕打ちにも言及していた。戦争というものは、人は不完全であるがゆえに、被害者にも加害者にもさせるものだと。愚かさの過去の記憶をつなぐ努力を失った時、都合のよい歴史だけが記憶され、暗部は封じられると。今の政権や時代の様相は、それを紛れも無く、はっきりと示している。打ち拉がれた被害者は、生きている限り、決してその不当な行為を忘れるはずもない。また加害者側が、もみ消そうと躍起になることは歴史が示している通りである。

 

  植民地支配は今も続いている。中東、アジア、中南米はどうか。途上国の思惑を超えて、超大国が勝手に土足でその国に踏み入る。自分らの都合で、洋上からトマホークを数日間だけ、軍事行動として打ち込むなどと。攻撃にさらされる側の人々の悲しみなど理解することもない。民族差別である。自分らが同じようなことをされたら逆上するくせに。その無責任な、上から目線の醜い行為は、一体何なのだ。どこに、正当な権利があるというのだろうか。それは、化学兵器使用に劣らず犯罪である。イラク、アフガン、中東・パレスチナでどれだけの人命が失われてきたというのだ・・。列強による植民地時代の歴史があったように、現在も間違いなく不正義で血塗られている。あの、熱き時代、1967年に没したチェ・ゲバラの思想は、世界の被抑圧人民への平等主義に貫かれていた。今も、当時と変わらず、世界は不平等であり、大国という国に、都合よく搾取されつづけ、塗り替えられていく・・。

 

  そんなことを考えた後、久し振りに立川の街に出てみた。デパートなど、様々な大型店には物が溢れ、人も溢れている。見回すと、目が回るようだ。カラフルで、小さな物から、初めて目にするような商品までいろいろだ。雑貨、衣服、本、食べ物・・が溢れかえる。人混みを避け、買う訳でもないが、馬券売り場・ウインズに行ってみる。沢山の中高年の男たちが大型スクリーンを必死に見つめている。また、引き返して、騒音と光に支配されたような、若者がたむろするゲームセンターの中を抜け、ビックカメラ店に入る。制服を着た数十人という若い男女の店員たちとたくさんの客たちで混み合い、長いテーブルをはさんで、契約の書類など、食い入るようにして作成している。辺りを見渡すと、自分には、ちっとも関係ないようなデジタル情報機器が目白押し。キラキラ、ピカピカ、ピッピッ、シュッシュッ。脳天に抜けそうな甲高いセールストーク。驚く程のハイテク・情報時代なんだろうか。どうでもいいけど、光も色も、音も形も馴染めそうにない。頑固というのではなく・・。

 

  カメラコーナーには、フィルムカメラは余り置いてない。さらに、奥に進んで行くと、モノクロ印画紙なんかが少しだけ棚に並んでいた。値段も随分高価になっいていて、暗室セーフティライト、現像液、現像タンク、ピンセット(トング)、現像バットなんかが懐かしく思えた。人混みを抜け、書店に入り、写真集を見た。森山大道の70年代のモノクロ写真が、ちょっと数日前の落ち着いた写真のように見えた。今、立っている立川の街が、何だか遠い別世界のように、味気なく、淋しく感じられてならなかった。熱い時代は去り、また時代は変わった・・。

 

 

   * よく<自虐史観>という言葉を耳にする。しっかりと歴史上の事実を把握しようとするとする時、その言葉を浴びせるということは、 背景に歴史歪曲を意図したものを感じざるを得ない。戦争の惨禍を再び繰り返さず、平和を希求・維持するためには、苦しいことだが、正しい歴史認識こそ、どの国家の思惑をも越えて、避けては通れないものなのである。これからの行動に責任をもつためにも。しかも、力で真実を変えることはできない。