わたしの随筆  雪  地  風

心に浮かんだことを気ままに

昔の観光地

2012年10月29日 | 随筆
 今日も雲一つない快晴の秋の空でとても気持ち良い。日中の日射しを大切にしないと、夕刻の五時頃にはもう随分と暗くなってくる。これからの時期は、秋の日のつるべ落としといわれるように日暮れも早くなり、あっという間に快適な日中も変化していく。また、天高く馬肥える秋の如くで、新米、新豆などの収穫にも相俟ってつい食欲も増しそうだ。それで、知らぬ間に体重オーバーになってたりするので要注意だ。



  秋の旅は楽しい。でも行く予定は自分には今のところない。京都、奈良をはじめ、紅葉の景勝地は国中いっぱいだ。これからが、まさに錦秋の候だ。昔はよく箱根、伊豆などへ行った。熱海なんかは年中、客でいっぱいの観光地だった。< 熱海の海岸散歩する・・> 金色夜叉のあの、貫一お宮の像や松のある海辺も観光客がたくさん歩いていた。小津安映画「東京物語」で、あの老夫婦が海辺で着ていたような浴衣の上に丹前を着流している人々。縞の茶色っぽい布地や紺色の旅館誂えの物だ。下駄のカラ コロという音を響かして酔い心地で歩いてた。時々、土産店に入ったり、射的やスマートボールなんかやったりして。通りは賑やかで、どこからか温泉の香りが流れてくる。温泉饅頭が入った蒸籠から湯気が上がってる・・。そんな情景はもう余り見られないようだ。いろんな観光地も最近は、随分様変わりした。ちょっと残念だが。



 交通・道路網の発達、宿泊施設の変化、大型店舗、レジャー、人々の好み・・いろんなものが良くも悪くも大きく変化した。海外含め、速く、遠くへと移動が広まった。ホテル内ではお土産から遊戯までいろんなものが兼ね備えられた。街中へ出なくても、館内ですべてまかなえる。でも、客は賑やかな街中には出たいもののはずなのだが。客が出てくれないと街はすたれる。引きこもりだって、いつまでも室内で過ごしていける時代。便利な時代になってくると、身近でそれなりにやっていける。お金さえあれば、ネット注文を使って、家から出なくても生きていける。幸せな生き方かどうかは人それぞれだろうが。こういう時代は個人の店が消えるはずだ・・。



 そういう時代の変化が、町の様子を大きく変えてしまった。日常とちょっと違った風情を味わいたくて、旅行で訪れる土地が、どこも同じようになったらつまらない。ただでさえ、あっという間に着いてしまう上に、テレビも町並みもコンビニもストアーも広告も言葉も服装も、ほとんど変わらない感じでは味気ない。「旅情」は洋画の話?こういうことが均質化するグローバル時代の短所なんだろうか。面白味がなさ過ぎる。ビジネスの旅だったら、便利だろうからそれでもいいだろうが、そうでない旅では話が違う。そんなことを考えながら先に書いた、昔の観光地なんかの情景を懐かしみつつ思い出している。 




 カラ コロ カラ コロと石畳みに下駄の音をならし、雨の宵には番傘をさし、温泉の湯煙りが流れ、旅館の窓からドンチャン騒ぎが聞こえてくる。遠くにぼんやりと城が見える。それはもう遠い話。しかも昨今、会社組織などが大きく変わって行く中で、大型ホテルも変化してる。個人志向と多様化だろう。しかし、ぶらぶらと旅をしてると良い街にもばったり出会えそうにも思う。 昔のような面白い時代の観光地には出会えそうにはないが、でもきっとどこかに、まだそんな風情の漂う町があるに違いない。そう信じよう・・。湯の町エレジー。



 これから紅葉は深まり、そして落葉して行く。尾崎紅葉の「金色夜叉」は泉鏡花や徳田秋声を驚かしただろう。紅葉門下に入った二人は、師を追い、越えようと努力したのだろう。なんと秋に似合う彼らの文筆名だろう。しかも我楽多文庫、自然主義、幻想文学だったりと作品も実に豊かだ。「金色夜叉」もいつの時代にも通じる新しさだ。






   < カメラの思い出 >  NO、4    

   フジカ、コニカ、ヤシカなどのカメラ名はドイツのライカが、ペンタックス、レオタックスなどの名はコンタックスが、ニコン、キャノン、トプコンなどの名はツァイス・イコンが影響したんだろう。キャノンは<観音>からとも聞く。ミノルタは創業者の田島氏から命名と言われたりもするが、以前の千代田光学の名を合わせ考えるに、詳細は知らぬが、<実る田>、つまり田んぼに関係してても不思議ではない。とにかく、写真業界は一生けん命、ドイツに追いつこうとしたことには、カメラ名やレンズ名がドイツのものに似ていることからして間違いない。そして、追いつき、乗り越えていった。自分はカメラをニコンFEからFE2に一時期変えた。ストロボ が250分の1に変わり、また高速シャッターが切れるからだった。でも、それほどストロボも高速シャッターも自分は使わなかった。どうしても、人工光撮影のものは写真画像が不自然だった。以前は、暗いとフラッシュバルブ(閃光電球)をよく焚いたものだ。一枚の写真に一本の電球を消費した。ピカッと光って、もうおしまい・・。暗闇が一瞬のうちに白昼のようになってまた暗闇になった。不思議な気持ちにちょっとなった。ポンとかジャというアルミ箔の焼ける音がして、電球は黒っぽい乳白色に変わった。触るとちょっと熱かった。随分と閃光電球も使ったものだ。で、そのFE2のカメラの方はFEより故障しやすかったので、あまり使わなかった。絞りやシャッター速度、フィルムの感光度の関係なども、大体勘がついていたので、ネガフィルムでは、露出計内臓されてなくても大丈夫だった。だから、ニコンF(ブラック)を中古で買い、モノクロやカラーネガでの写真をとった。ポジフィルムの時だけは。セコニック露出計で計測して正確に写した。ハッセルも時々、露出計を使った。50年代には、ハッセルで、プラナー150ミリとゾナー250ミリレンズも使用した。望遠でのブレ回避には、どうしても三脚が必要だった。この時期は今で言う、クラシックカメラを普通に苦にもせず使用していたのだ。ニッコール35~70ミリズームレンズは買ったが、使い勝手が悪すぎるので手放し、単焦点のレンズを何本も交換して写した。この頃で出た、ユニークなオリンパスXAというバリアータイプのコンパクトカメラは写りも良く、随分使用し、二台ほど買った。ズイゴー35ミリf2、8のレンズシャッターで、大袈裟ではないのでスナップに向いたとてもいいカメラだった。 
 
 
 








  

これからの日本の風景?

2012年10月22日 | 随筆
  雲一つないような秋晴れの日がつづく。気温も20度前後で気持ち良い。近くの畑のコスモスも白やピンクの花を咲かせつづけている。庭の柿は今年も不作のようだが、少しだけ葉蔭に黄色い実をのぞかせている。落ち葉が大変なので、毎年剪定するのだが、それが実りに影響してるのだろう。秋の空を背景に、夕日のような色の実をつけた柿の木の風景は実に日本的だ。



  山里の斜面の畑の隅にいっぱい実をつけた大きな柿の木を見る。柿の木の下を曲がった小道が通ってる。そこを、もんぺをはいたおばあさんが歩いてる。頭に白い布をかぶり、しょいこを背負ってる。遠くの方に半鐘をつるした火の見櫓が見える。そんな昔風の日本的な情景に秩父や奥多摩などの山間の村などで出くわすことがまだまだある。そういう時、なぜかほっとした気持ちになる。のんびりした気持ちが辺りに漂う感じだ。




  都会。賑やかで楽しいところもある。人混みも時には面白い。でも、最近は、年のせいか長くいると疲れてきそうで、店でコーヒーを飲むか、そこから早く脱出しようかなーと思ったりする。街も店内も以前よりずっと綺麗になってきたとは思う。店も品物も色とりどりで賑やかだ。チエーン店などもいっぱい。でも、どこの街も風景が似てる。世界の店も共通してきてるのだろうか?そう考えると今の日本的な風景は、いつも目にしてるところの、先に書いたような、ちょっと疲れそうな街の風景なんかになるのだろうか。シャッター通りとか、郊外のコンビニなんかがあったりするような、どこにでもある町の風景もそうなんだろうか。そんな風景が、後々の日本の原風景なんだとかいうふうに変っていくとしたら、ちょっと寂しい感じもするのだが。でも、もう自分たちの世代には関係ないか・・。




  やっぱり、郊外には、自然がいっぱい残って、そんなに気取ってもなくて、のんびりしてて、のどかで、お互いあいさつもふつうにして、日が昇り、また暮れていくのがいい。カラスが鳴くから、帰 ろ ー ♪ なんて、ゆっくり生きていけるような、そんな時間の流れの世界・・。どんなに、時代が効率化され、そしてスピード化されても、人は過剰なスピードには乗ろうとしない習性もまた一方では持ち合わせているだろう。そんなには適応できないという限界と拒否本能。




  ちょっとだけ急ぎ  そして ゆっくり ゆっくり  そのいいバランスを保ちながら生きて行けたらいいなーと思う、そんな秋の急がない一日だ。きっと今日も、秋の夕焼け空になるのだろう。





 

  < カメラの思い出 > N0、3

   6x6判のゼンザブロニカS2というカメラは、人物撮影でよく使ったが、本当は、自分はスウェーデン製の6x6版のハッセルブラッドが欲しかった。でも、きわめて高価だった。その創業者のハッセルブラッド氏からのカメラ名は、日本のゼンザブロニカにも影響した。吉野善三郎という創業者名がやはりカメラ名になったのだ。このカメラはニッコールレンズも用意した。ハッセルはツァイスの様々なレンズ群を備えていた。いつか使用したいと思いつづけた。若い時、ドイツの免税店でハッセル500CMを見つけた。旅に出たばかりで、費用も心配なのでボディだけ購入した。ブロニカはアルジェリアのオランで手放した。もう手持ちのブロニーフィルムもなくなったので。あとは、ペンタックスSVとローライSL35の二台で撮影した。重いリュックの底にハッセルのボディがずっと入ったままだった。旅の終わりに、やはり同じ免税店でハッセル用のプラナー80ミリを購入して帰路についた。四十数日のこの旅の時、SVカメラに砂が入り、調子を狂わした。SL35の方はその後下取りに出して、発売直後のニコンFEというシャッター優先のカメラを購入した。このカメラにニッコール135ミリf2、8の中望遠レンズや、広角28ミリレンズを付けて、人物やスナップをばんばん撮り始めた。ブラックボディの塗料が落ち、金色の地肌が出るまで10年近く使った。ニコンFのように丈夫で、実に使い勝手のよい、優れ物のカメラだった。ハッセルも盛んに使った。ハッセルを手にしたこの二度目のアラブの旅は昭和51年の夏のことだった。






2012年10月22日 | 随筆
  ここ数日、雲一つないような秋晴れの日が続く。気温も20度前後で気持ち良い。近くの畑の白やピンクのコスモスが綺麗に咲きつづけている。庭の柿は今年も不作のようだが、やっと黄色くなってきたようだ。落ち葉が大変なので毎年剪定してるのが影響してるのだろう。秋の空を背景にオレンジ色した柿がなってる風景は、実に日本的だ。のんびりした田舎の情景を思う。山里の斜面の畑の隅なんかによく大きな柿の木を見つけた。下に曲がった細い道がつづく。昔は、そこをもんぺを履いたおばさんが歩いてたり。白い布を頭にかぶり、しょいこを背負って。そんな風景は

秋の気分は

2012年10月18日 | 随筆
 秋である10、11月の気温は春の4、5月の気温にとても似通ってるらしい。ということは、今は五月中旬位の気温なのかな。でも、気持ちの上では随分違う。これから冬に向かって少しずつ気温が下がっていく時期と、夏へと暖かくなっていく時期とでは気分が違うのは当然だろう。例えてはおかしいのかも知れないが、経済成長時代のように景気がどんどんよくなっていく時代と逆に落ち込んでいくような時代の気分をちょっと比らべたらどうかなとも思う。あるいは、人生での若い時代と老いていく時代を比較したらとも思うが変かなー。とにかく、季節で移り様がどこか違うのだから、気分にもそれが大きく作用するだろうということ。



春から夏に向かう時期の気分。秋から冬に向かう時期の気分。夏がとても好きだという人。また冬がとても好きという人。後者の、<とても>という人は寒い地方の人でも少ないように思うのだが。つまり、これから迎える季節が楽しみであれば、気分もどこか浮いてきそうで、一方、それほどでもなければ、日々、坦坦と生業を続けながら生きて行くだろうということ。でも、秋はそれほど気分は高揚はしないだろうが、どこか落ち着いてはいる。まあ単純に、季節を人が輝くような若い時期と黄昏時のような老いの時期とに置き換え、将来への気分に例えて比べてみると、どうなんだろうかということ・・。いやそうではなく、やはり経済成長へと向かう時代の気分と経済停滞の時代への気分に例えて比べた方が一番いいのだろう。



 秋という季節。<秋思>という言葉がある。それは秋に感ずる寂しい思いとか、自分が年とったことを深く感ずるようなことを意味する言葉だ。愁嘆という嘆きも秋に多く生まれるのだろうか。そんな、ちょっと淋しい感じも漂う、雨模様の秋の一日だ。しかし、冬は冬でも、また味わい深い日々が来るのだ。クリスマスも正月も吹雪もスキーもいろいろあるぞ。まだまだ、これからやってくる冬の寒さなんかにも負けてはいられないぞ。 が ん ば ろ う ー 。







< カメラの思い出 > NO、2

 当時(四十年代後半)、ニコンSPとかニコンFという評判のカメラがあり、欲しかったが高価過ぎて買えなかった。壊れたペンタックスSVの代わりに、ローライSL35という西ドイツの35ミリ1眼レフカメラを新品で買った。プラナー50ミリF1.5レンズ(カール・ツアィス)が付いていた。どこかSVに似た感じで、使いやすくて価格もそれほど高くはなかった。シンプルなブラックボディで、やわらかい感じの写真が撮れた。人物向きで、良いカメラだった。またその頃、しばらくローライ35というコンパクトカメラも買って使った。左巻き上げの、個性的な軽いカメラだった。テッサーレンズのが欲しかったが、高価だったので、トリオターレンズ付きのカメラにした。街角でスナップするのには手軽であった。煙草箱位の軽小さなカメラだった。ローライは6x6二眼レフが著名だが、高すぎたし、パッとは写しづらい。それなら、安目の二眼ミノルタオートコード(後年、中古で購入、使用した)で十分だと思った。しかもレンズは良いロッコール75ミリだし。この時期は面白いカメラで人や街、風景などいろいろ撮った。白黒プリントは自分でフィルム現像(タンクで)した後、富士の引き伸ばし機で焼いていた。

  * 引き伸ばし機ではライカのフォコマートは高価過ぎたし、ラッキー引き伸ばし機でなく富士の引き伸ばし機を購入した。引き伸ばし用の二本のニコンレンズを用意して、押し入れとか、急ごしらえの暗室でよく焼いたものだ。
  









 

眩しい時代

2012年10月15日 | 随筆
 爽やかで、また随分肌寒い感じもする秋晴れの日がつづく。でも、猛暑の夏に比べれば実に過ごしやすい。自然は時折り、災害をもたらすが、それも自然現象だろう。人は、自然界の中に生活の場を築く。ある時は自然と上手く調和を保ち、またある時は自然を一方的に抑え込み、自分たちに都合のいいように作りかえもする。そこで、人は多くの恩恵を自然から受けながら、日々生きていく。その調整とかが巧くいってるうちはいいのだが、その調和がいろんな要因で崩れはじめたりすると大変だ。その時、自然界の中で多くの人造物等がバランスを失い始め、大きな被害が出たりする。そのため、災害を少しでも、小さくする手立てが当然必要となってくる。そういう被害の経験が、災害への事前対策となって、様々な予防策、自衛策となっていく。



 一方、自然災害とは別に、社会の中での災害というか、あるいは社会問題というのか、そういうことをちょっと考えてみる。自然災害も人災も社会問題もその時代、時代の特性をもっているだろう。近頃、頻繁に殺人などの暗いニュースを耳にする。それも、老若男女を問わず、あらゆる社会層で起きているように思う。しかも、あのニュースのことかなと思っていたら、また全然別の事件だったりする。しかも、その凄惨な事件が随分複雑かなと思ってると、逆にきわめて短絡的なものだったりする。そんな小さなことが原因で起きたということは、逆にその根は深いとも言えそうだ。どうも、近頃の社会事象を見ていると、ちょっと前の時代と大きく変化してきているように思われるて仕方ないのだが。




 町の味わいのある商店が消える。面白くて良い古書店が消える。いい歌が消える。良いカメラが消える。いい番組が消える。頑固おやじが消える。骨のある政治家が消える。大切な労働運動の灯が消える。楽しい遊びが消える。笑いも消える。故郷も思い出も小川も田んぼも原っぱも青空も消える。素朴さも親睦も心さえも消える。過去も未来も現在さえも消える・・。現実にそのまま消えるとは思わないのだが、でも本当に消えるとしたらと思いを巡らす。それは、決していいことではないはずだ。効率や便利さ、利潤や市場経済面などからは、仕方ないことかもしれないが、どうも自分たちの首をそのまま絞めていってるように思う。今の時代の方がストレートで、無機質、無個性で、こだわりがなく、現代的で、かっこいいと言われるのかもしれないが、インスタントコーヒーみたいに均質で、味わいが無さ過ぎる。どんなに素晴らしいハイテク社会といったって、それじゃ、つまらない時代だ。




  古い白黒の写真を見てたら、画面の中でみんな生きていた。貧しそうでも、心から笑っている。竹馬に乗って笑ってる。下駄を履いた少女がおんぶしてる。髭をはやした爺さんが、子どもを見てる。中折れ帽をかぶったおじさんが、鞄をもって、胸をはって歩いてる。遠くにボタ山が見える。汽車が鉄橋を走ってる。小さな家の煙突から煙が流れてる。崩れそうな板塀の脇の白いのコスモスの花が風に揺れてる。白い雲がぽっかり浮かんでいる・・。決して失ってはならないもの。ずっとずっと、人々が生きながら携えてきたもの、持ち続けてきたもの。それは、華やかなものではないかも知れないが、でも、それを無くしてしまったら、余りに世の中は、つまらなさ過ぎるだろう。そんな大切なもの。どこにでもあったはずの、キラリと輝く平凡だが貴重なものが写っている。




  そういう大切なものを、少しでも残せたらと思う。そういったものの奥底に流れているのは、今の時代の中でもあるのだろう。でも、こんな多忙な時代の中では埃をかぶったままで気づきにくいのだろうか。そして、もうどうしようもなく困った時、人はそこへ、やはり還っていくのだろう。遠き時代、眩しく見える時代、昔恋しき時代、戻って欲しい良き時代、何処へ去って行ったのかと懐かしむ時代、憧れの時代・・。でも、それはもう美しい幻影なのかも知れないが・・。



  
  現実を社会科学の上からも、きちんと把握する共に、夢をもつことを忘れず、少しでも生きやすい、いい社会がみんなで創れたらと切に思う。老若男女、誰もが意義のある苦労に対しては、生き生きと向かて行けるはずだ。この混沌とした時代の向うに、きっと素晴らしい未来の時代が築けるんだとすれば、決して諦めることなく、困難を乗り越え、勇気をもって進んでいけるだろう。そして誰もが、努力することを惜しまないだろう。今こそ、そういう理想の社会を目指さねばならない。




 
  ほとんど雲の見えない、青い秋空が広がっている、神無月中旬の静かな一日だ。そんな日に、どの子どもたちも歓声を上げながら、何処までも元気に走っていく情景が浮かんでくるようだ。






< カメラの思い出 >  NO、1

  昭和40年代 ・・・ 35ミリ 1眼レフ  ・ペトリ ペトリ50ミリレンズ   ・ペンタックスSV タクマー28ミリレンズ    6X6 1眼レフ ・ゼンザブロニカS2 ニッコール75ミリ  どれも中古カメラで、新宿などで購入。フィルムはネオパンSS(富士)、コニパン(小西六)などの35ミリとかブロニーサイズのモノクロフィルムを多く使用。主に、人物、スナップ、風景などを水俣、都内、都下、奥多摩などで撮る。タクマーのねじ込み式レンズはボディと共によく使用し、便利だった。8年近く常用し、どちらも砂が入ったりでガタガタになる。ブロニカは人物で主に使用。ボディは重く、巻き上げのガチッという独特の音とバシャッというシャッター音が凄かった。ペトリは廉価で普通に使った。どれも懐かしいカメラだ。3台ともクローム金属ボディだった。




 





立派な研究

2012年10月11日 | 随筆
 秋らしい日和がつづき、気温も適温で過ごしやすい。でも、もうしばらくすると朝夕は肌寒くなってきそうだ。今日も、町中はひっそりとした感じで静かである。文化の秋といえば、先日の山中伸弥教授のノーベル賞受賞を思う。テレビや新聞で大まかな経緯だけは少々分かった。ノーベル賞授与は、とにかく今後の再生医療実現等にも大きく道を拓くという、iPS細胞作成の画期的な研究の業績に対してのことらしい。


 
 今後、とても大切になってくる人工細胞のiPS細胞。ちゃんとした名前は、<人工多能性幹細胞>といい、今後、難病の仕組みや解明ばかりか、新薬開発や再生医療の実現にもとても役立っていくという。わが国だけでなく世界中で、これに関連する研究、開発がますます進んでいくことだろう。いろんな意味で、本当に喜ばしいことである。





 もう一つ、凄いことなんだろうなーと思ったことがある。それは、数学の世界での研究論文のこと。これもやはり、京都大の教授がやられたようだ。自分は全然、数学なんてお門違いも甚だしいんだが、以前、その証明の大変さをちょっと聞いたことがあったので、たまたま新聞記事を読んでて、気にとまったのだ。それは、こういうことだ。




 世界の数学者を悩ませてきた未解決の難問「 ABC予想 」を証明したという記事。その論文も500ページにおよび、正しいか確かめるにも専門家でも数年かかるというもの。望月新一教授(数理解析研、43歳)が「宇宙タイヒミュラー理論」という英語論文を8月末に研究室HPに載せてから直ぐに、世界の数学者たちの間が騒然となったいう。この証明が正しいとなると、350年かかったフェルマー予想が直接解けるほか、多くの未解決問題の理解が進むらしい。教授には、アイデアは以前からあり、その500ページにわたる論文は08年から書き始め、このほど数学誌に投稿したようだ。やはり、日本の数学者もその証明確認には6、7年はかかっても不思議ではないという。望月教授は名門プリンストン大を19歳で卒業した経歴も持つ数学者らしい。


   
  数学には、他にも100万ドルの懸賞のかかったミレニアム問題が7問あるそうだ。「 ABC予想 」はそれに入っていないのだが、そういう多くの難問題の根幹にかかわる存在だともいう。



  ノーベル医学生理学賞と数学難問の証明の二つのことを書いた。どちらも、ここに至るまでにも長い長い努力と苦悩があっただろう。でも、こんな閉塞的な時代にこそ大切で、どこかほっとする、明るいニュースだとつくづく思う。科学の心と探究心の素晴らしさを感じる。そして、そういう研究は、とても重要なことなんだと思う。つまりそれは、損得などで、成果ばかりをすぐに求めたりするのではなく、これから先をきちんと見据えていく、貴重で地道な研究・仕事だと思うからだ。こういうスピード時代だからこそ、じっくりと腰を据え、こつこつ努力し、いつか花開かせていくことも、大切だよと教えてくれたように思った次第だ。



  秋日和に散歩したり、また、すぐに研究者に刺激されて、立派な本でも読んでみたいなーと単純に思ったりするこの頃だ。学びの秋でもあるのだし、いろんなことをしてみよう。久しぶりに、気持ち良いニュースに触れたのを契機にね。

 
  
  * <ABC予想>には、自然数や素因数が出てくる。数学に詳しい人はネット参照を。また、望月教授は40歳以下対象のフィールズ賞に間に合うように、敢えて途中論文を発表するようなこともしない研究者のようだ。賞など眼中にはないのだろう。

風情のある秋へと

2012年10月06日 | 随筆
 スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋、芸術の秋、実りの秋・・。いろんな意味で、秋は人々に多くのことを語りかける。雪解け、桜、若葉、青葉、紅葉、落葉、降雪と季節は循環しながらも、目まぐるしく変化していく。少しずつ、葉が紅葉し、木枯らしと共に落葉が始まる時期になると、なんだか寂しい気持ちにもなる。つるべ井戸のように日も暮れていく。そういう晩秋までの過ごしやすい、良い時期がこれからしばらく続くようだ。



 秋というと、やはり、思うのは京都近辺のこと。洛中、洛外、奈良、近江と紅葉の見所がいっぱい。紅葉で一番いい時期は勤労感謝の日あたりで、その時期はどこの宿も満室だ。だから、そこを上手にずらして行くのもいい。下鴨神社、糺の森で開かれている古書市に何度も行ったことがある。京都市内外のたくさんの古書店が白いテントを広げているので、何時間も時を忘れて古書を物色するのはほんとに楽しい。そこで、軽飲食もできるので便利だ。ここを描いたという尾形光琳の紅梅白梅図を思い出しながら、御手洗川の辺りで、ゆっくりと過ごせる。近くには、かって谷崎潤一郎が住んだ立派な屋敷(たしか、水の流れる意味の難しい漢字のーせんかん亭ーとか呼んだはず)がある。いろんないい所ばかりに住んだ作家だなー。




 京都駅近くの東寺へ21日に行くと、骨董好きには、市でしばらく楽しく過ごせる。弘法大師(空海)は、どんな感想を骨董にもつのだろう。そんなの、当然無視かな。バカもん!俗物!とさえも言われそうにない。念仏しろかな?ここ東寺は真言宗の総本山だけあって、五重の塔、金堂などの立派な建造物や仏像などがいっぱいある。かって羅城門をはさんであったという西寺と合わせて、平安京の二大官寺であったいう。考えてみれば、国宝でいっぱいの寺での骨董市も不思議。でもなぜか骨董市は、どこでも名高い寺社で開かれていることが多いのだ。境内いっぱいに広げられた骨董を懐かしみながら見て回るのも楽しいものだ。骨董ともいえないような物が出ていると、余計面白く思ったりする。秋空の下、ぶらぶらしながら、東寺の骨董市へ二、三度行ったことがある。



 
 骨董市は他のいろんな寺社でも開かれている。京都国立博物館すぐ近くの豊国神社でも、出店は少ないがやっている。15日?だったか忘れたが定期でやってる。秀吉を祀る、唐門の美しい神社の境内でだ。




 京都は好きなので、多い時には年に何回も行くことがよくあった。随分前から、毎年毎年訪れても、ちっとも飽きがこない。何十回行ったことだろう。寺も神社も仏像も森も庭も池も川も橋も山も町並も店も食べ物も人情も、墓地さえも・・何度行っても趣があり、また新鮮なところの多い都だ。どこまでも興味は尽きない。文学の世界でも、京都は事欠かない。古典から現代文学までも。実に奥の深い京都だ。古風でまた今風で。四条河原町や寺町、錦市場、新京極なども愉快だ。



 京都に限らず、秋は日本のどこだって趣深い。上野の森の芸術、神田、早稲田通りの古書店街、新宿御苑、井の頭公園、銀座、新宿、渋谷、秋川、奥多摩・・。東京だって、都会も郊外も、どこも、そこなりの秋の風情がある。そんなところで、散策の途中、昔風の喫茶店に入って飲むイノダコーヒー風の珈琲はぐっと喉奥に来て、実に旨い。そんな時は、アナログの写真機でその街や公園をゆっくりと撮りたいと思う。そんな、どこか、心だけはリッチに気分になれそうな秋たけなわへの序章の時期が今だろうか。

限られた権利の中で

2012年10月05日 | 随筆
 朝から、からりとした秋晴れで、いい日和だ。気温も25度位だから過ごしやすい。あの夏の猛暑で体もちょっと疲れ果ててしまったのか、風邪をひいたりしたが、どうにか今は回復してほっとしたところだ。しばらくは、適度な運動と休養と栄養とで夏の疲れを上手にとって、いずれ訪れる寒い冬へなるべく薄着で対処していきたいものだ。規則正しく生活していれば、体も自然に、晩秋、初冬という季節の変化にも慣れてくるだろう。



 秋という季節もいい。紅葉は素晴らしいし。毎年、いろんな所をぶらぶら歩き回ったが、今年は何処に行こうかなと思ってるところだ。暇で、機会があったら、元気なうちに、好きなことができたら幸せだ。この間、政治や世相、メディアのことなどを考え込んだりして随分憤慨もした。でも、ちょっと考えてみた。そのことを簡単に書いてみる。


 
 残念なことだが、政治向きのことなど憤慨しても、しょうがないなとも思う。決して、敗北主義でそう思ってるのではない。実際には、あまり変えられないんだなーとつくづく思うからだ。情報にしたって、テレビやラジオ、新聞、雑誌、本、ネット、話題、人伝、噂・・から得る位で、ほんとのところ、詳細な点はわからない。政治にしたって、市民には国会や自治体の議員を選ぶだけの選挙権があるだけだ。それは、やっと勝ち取った普通選挙権という大切な権利ではあるが、ハイ、それでおしまいかよという気持ちになってしまう。あとはもう、国や自治体の行政面で、坦坦となされていき、議員が意見を言ったり、法や条例を作ったりする位で、我々は遠くで見守る程度。もちろん、公聴会や評価委員会などでチェックなどは、少々できるだろうが、しれている。問題点をかかえていても、勝手に流れていき、遠いものになってしまう。ベテラン政治記者たちには、政治家と裏で密につながっている輩もいるようだが。




 おかしいと思っても、庶民に何ができるのだろう。回りに不平を言う。新聞の声欄に投稿。ネット発信。不買運動。関係機関へ抗議。デモ・ストライキ。談判、膝詰め。世が世なら、荒っぽい決断。でも、今の時代では無理だ。それは、本当に、生きるか死ぬか、一か八か、最後の最後での、自分自身の腹を括った決断だろう。そういうことを考えると、いくら経済発展したって、政治などの手法、制度、機構等は古い時代のまんまなんだ。思想信条の自由と言われるが、実はそれだって、なかなか縛りもありそうだ。理想と現実の乖離。独自の考えを維持することだって、大変なことがいっぱいだろう・・。先進国ほど逆に、いろんな縛りとか配慮で、難しことが多いのかも知れない。



 そういう実態を踏まえて、世の中をじっくり見続けよう。いろんな団体も組織も、今では実に様変わりした。労組も変化した。個人もそうかもしれない。国も地方も町も地域も学校も店も変わった。でも、そこの内実が変わっていないので、現代特有の混乱や理解できないミスマッチというか、不条理な事態か頻繁に起きるんだろう。制度疲弊もあるだろう。それも、時々は意図的に。政治では、昔も今もいつだって、議員がいろんな団体や組織とも深く裏で関わりながら、流れていったりするものだ。



  選挙権だけは一応行使できるが、立法権や行政権という決定過程に関われない市民は、未だに民主主義の確立を信じてはいない。その通りなのだ。いつの時代にか、市民が直接、行政権に関われる制度ができた時、民主主義も深まり、今よりずっと不当な決定と思われるようなことも減っていくことだろう。




  今、市民に可能なこととか、不可能なこととかは、多くが制度に関係していると思う。デモだって、目標の実現には限界ばかりだ。それは、市民への実に限られた参政権ということも影響している。参政権といったって、選挙権、国民投票権、国民審査権位だし。そういう現状を否定的に押さえつつも、焦らずに見ていけば、気持ちだけは楽になれる。そして、いま生きている場で、精一杯やっていくことが最も大切なことだ。夢をもちながらも、現実の中で、したたかに、自分らしく生きていくことが大切な時代ともいえそうだ。そう、先人の長い長い苦難な闘いに学び、憲法理念の実現に向け、弛まず、一歩一歩進んで行こう。



 

     今日は、秋の夕日がきれいに見えるだろうか。ほんとに、気持ちの良い一日だ。



   
  



 


    







 

野分のあと

2012年10月01日 | 随筆
 台風17号が夜中に北へ過ぎ去った。秋の野分はたくさんの雨を降らせ、また枝葉を折り、散らせて行った。庭の如意輪観音の傍の彼岸花がやっと立ってるという感じだ。でも、どこか趣の漂う神無月の朔日だ。神が出雲大社にこの月集まり、他の国にいないので神無月とか、雷(神鳴り)の無い月だからとか、新穀での酒をかもす醸成月(かみなしつき)の意からだとか様々だ。でも、どこか神とは関係ありそうだ。秋祭りなんかを考えると、神聖な感じのする季節で、神在月(出雲の国での10月のかみありづきという異称)といえるのかなー。



 庭を掃き、季節はずれの冷や汁を食べ、静かな朝を過ごす。そう言えば、今日は、都民の日である。かっては、学校も祝日で休日になったり、ちょっとした行事があったりした。一年の楽しみの一日でもあった。今では、通学がほとんどらしい。時代も変わったんだなーとつくづく思う。昔より今は、物も豊富になり、いろんな面で便利にはなってきたんだろうが、幸せという面では、どうなのだろうか。漠然とした問いかけだから、深い意味もないんだが、昨今の世の中の出来事や考え方を見ていると、いろんな点で疑問をもってしまう。



 原因はどこにあるのだろう。時代における変化だといえばそれまでで、もうリタイヤーの身であれば、どうでもいいのかも知れない。でも生きてるんだから、自分は、身にふりかかる火の粉は払う。 原因はグローバル化のため? 心身が軟弱になったから。 甘えや力不足のため。 少子化のため。 核家族、個人家族のため。 格差のため。 将来不安。 幼児化。 草食化。 過保護。 孤立化。 希望喪失。 貧困化。 教育崩壊。 政治不信。 刹那主義。 情報過多。 マンネリ化。 固執化。 大衆化。 情報操作。 メディアの横暴。 道徳欠如。 個人主義。 ナショナリズム。 愛国主義(卑屈な、狭い考えの)。 無教養。 無文化。 歴史改竄。 反動化。 ファシズム。 差別・・そういうことのためにおかしいの?



 いろんなことが、いつの時代にも渦巻く。完璧な時代なんてないだろう。今より少しでも、良い方向へ変化すればなーとは思う。失ってはじめて知る大切なもの。残していては、やはり困るもの。慎重に是非を検討してから処置すべきこと。地方がやることと国がやることとの独自の任務の違いという、しっかりした認識。なんでも地方優先とか国優先とかいうものでもなし。領土、領海問題も起こるべくして起きたと思う。政権の横暴振りは、国民不在だし、地方重視といったって、もっぱら先人の知恵否定の、自治住民不在という勝手な首長専決オンパレードという有様だ。それを、だまって見過ごしてしまう人々への罰か。メディアも政治家も、強き者へはひと言だって、苦言も言えない勇気なさ、情けなさ。何を言っても、それじゃー、信頼されないだろうし、もう信じもしない。



 この間、いろんなことに不平がでてきて困ったものだ。そろそろ学びの秋だ。悲憤慷慨してたって何にもならない。こんな時は、静かに、千年前の、昔々の物語の世界へ入っていくのもいい。そこでは、もっと真剣に、いろんな生きざまが繰り広げられている。夢や希望や愛や悲しみや命や冒険や死や出家や祈りなどが。もっともっと苦しい時代の中で、必死に・・。ブログも、落ち着いた気持ちになった時に、また書こう。




 
 台風一過で、青空が見え、明るい陽が射し、爽やかな秋の一日になってきそうだ。今日は、東京都民のめでたい平和な日でもあるのだから。






  * 都民の日は、昭和27年に、「 都民こぞって一日の慰楽をともにするように・・」と制定された祝日だ。都立のほとんどの施設がこの日は無料となる。最近は、授業時数確保という理由などで、学校も休日になるところが減ってきたようだが。