わたしの随筆  雪  地  風

心に浮かんだことを気ままに

初のディズニーランド

2013年06月29日 | 随筆

  週末に、初めてディズニーランドに行った。1983年にオープンして、今年で30周年になるという。オープン後、一、二、年位経ってたのかは忘れたが、その時、訪ねたら、大混雑の上、駐車場もいっぱいなので、入るのを止めて、そのまま、その先の九十九里浜に家族で向かったという記憶がある。「潰れるのかどうかは分からないが、そのうち、みんな飽きてきて、空き始めるだろうから、その頃になったら行けるだろう・・」というようなことを漠然と考えていたのを覚えている。それから後も、どうも自分の好みからして、わざわざ無理に、行く気もしなくて、三十年近くが経ったという訳。

 

  で、この度、孫たちが行くらしいというので、天気の様子で、ちょっと顔を出そうかなと思った次第。雨も降ってないので、一人、電車に乗り、舞浜駅へ向かった。途中、1時間近く電車が不通になり、「やっぱり」と思ったが、孫のせいか、諦めず行くことにした。フー。駅が近くなるにつれ、車内は中国や韓国、あるいは他の国々の人々も多くなり、随分、国際色豊かになった。5500円のチケットを買って入場し、メールしたりして、孫たちの居場所を捜す。しばらくして、プーさんのコーナー辺りで会えた。ぶらぶらしながら、のんびり捜していたので、ここの、おおよその感じはつかめた。自分位の年令の者は少なく、二十歳前後の若者が一番多い。ベビーカーで来ている若い母親も多く、木陰には、沢山のベビーカーが所狭しと並んでいた。今は乳母車とは言わないようだし、赤ちゃんを抱くのも、背中でなく、前に窮屈そうに抱いてる母親が多い・・。そんなことも思いながら。

 

  今迄にも何回か来てて、並び方にも馴れているようなので、待ち時間も短く、いろんな所を廻ることができた。船に乗ったり、ピノキオの暗いトンネルを抜けたり、アトラクションを楽しんだり、いろんな演奏を聞いたり、賑やかなパレードを見たり、ピザやコーラ、コーヒーを飲食したり、土産を買ったりと・・。ちょっとは疲れたかな。

 

  3Dアニメは面白かった。ドナルドや人魚姫が、付けたメガネの先から突然、飛びだ出してきて、水を二度程、顔にかけられた。上映が終わった後、前の座席の背もたれの部分を見ると、吹き出し口に水滴が付いていたから、あの時、かけた水の正体が分かった。あと、突風とか香りもどこから吹きつけていたのだろうといろいろ推測するのだが・・。いろいろと仕掛けのありそうなディズニーランドだから。

  

   三十年もの長い間、多くの客を集めてきた背景には、東京ディズニーリゾートという会社の並々ならぬ企業努力があるのだろう。その辺については全く無知だが、まあ、一度だけは行ってみようかなという思いが叶った?という訳である。ディズニー・シーはここよりは、ちょっと大人向きらしい。ビールなどの酒類もあって、ゆったりと過ごせるようだ。またそこへ、一度は行ってみようかなと思っている。年に何百回とディズニーランドを訪れる者もいるという。たいした持久力のある人だなー。癖になるのかな?確かに、子どもたちには、明るい夢をちょっと与えそうな所ではある。自分が、真っ暗な映画館で、ダンボやドナルドダックを目を輝かして見ていた、子どもの頃を思い出してもいた。どちらも、平和な時である・・。

 

 

  * スマートフォンを使い、どこのアトラクションが、どれだけの待ち時間かの情報を得たり、さまざまにアクセスできるのも今の時代を表しているようだ。

                                                                                   

                                                                  ー  化石のような人から

 


カタカナ言葉

2013年06月27日 | 随筆

 NHKの放送番組で外国語を使い過ぎるのはやめるべきだと、先日、訴えを名古屋地裁にした71才の男性がいる。「そうだよなあー。」とすぐ思った。外国語の乱用で、内容が理解できず、精神的苦痛を受けたというもの。その前に、NHKに対して質問状を提出したのに回答がなく、やむなく訴訟に踏み切ったという。

 

  イノベーション、レバレッジ、インセンティブ、スキーム、トレードオフ、コンプライアンス、コンセルジュ、デリバティブ、デシャビュー・・・。TV放送や新聞にも時々出てきて、よく理解できないカタカナ言葉がある。最近のアベノミクスというのも、漠然とした、エコノミクスもじりのいい加減な流行り言葉なんだろうが、よくは理解できない。グローバル化(地球規模?)も一因してるのだろうが、捉えどころがなく、いつでも、何とでも、後で言い逃れもできそうというのが、現代の特徴なのかも知れない。楽というか、適当に流すというか、格好をつけるというか、使える英語普及のためというか・・、まあ、とにかくNHKに限らず、メディアに、外国語がポンと出てきて、??と思うこともよくある。困ったものだ。

 

  「日本語を大切にする会」世話人という、この男性の思いが何となく理解できる。最近のNHKなんか、民放と殆んど変りがしない。トップのニュース等で、毎日のように株の乱高下を報道したり、グループ歌手たちの再結成とか、はやりの作家の本を突然報道したりと、真意を理解しかねることも度々だ。また、選挙や原発、TPP、五輪、世論アンケート報道など、これでは、国民の方向づけも容易になるだろうなという政治絡みの報道にも危惧することがよくある。根こそぎ、考えが持って行かれそうで・・。危ない、危ない。報道記者の力も落ちてきてるのだろうか。真実報道、ペンの力も、とうと地に落ちたか。

 

   広範囲の視聴者がいることを忘れては困る。できるだけ、あらゆる世代が理解しやすい言葉選びの努力が大切だろう。とりわけ、NHKは視聴料を徴収しているのだし、公共放送の主旨を忘れては絶対困る。政権が経済一本槍、いや、三ツ矢じゃなかった、三本の矢だからと、やれ株だ、為替だ、円安だと大騒ぎして、その報道にのめり込んで欲しくない。それにのめり込んだら、それこそ、炭酸ソーダのように、喉元過ぎて、パチパチと泡となって、はじけけてしまいそうだ。大騒ぎの後の面倒な後始末は、いつも、人のよい庶民が負うもののようだし。

 

  細かいことは注文しないが、近頃確かに、不用意な外国語の使い過ぎがメディアでも多いということ。その言葉の意味をいろいろ推測しているうちに、報道の主旨がかえって掴みにくくなることも考えられる。ここで、カタカナ言葉の使用過多の弊害も、少しは、考えてみてはどうだろうか。豊かで、素晴しい日本語のためにも。

   


自然いっぱいに

2013年06月24日 | 随筆

  土、日と長野松本へ行った。台風も去り、梅雨の合間の好い日和だった。美ヶ原高原の方を見上げれば、夏のような真っ白い雲が、青空をバックにもくもくと上がっていた。本当に空気が澄んでるなあと思った。農産物直売所でトマト、オクラ、大豆、金時豆などを買う。久し振りに市内にある浅間温泉に泊まる。昔程は賑やかではないが、温泉も良質で、温泉街の雰囲気はまだ残っている。まわりの山や桂の木々の緑が美しかった。

 

  宿の食事はどれも旨かったが、やはり、野菜類が一番、味わい深いなーと思った。高原野菜だから、レタス、キュウリ、ミズナ、新玉ねぎ、トマトなど、しゃきしゃきとして、新鮮な歯触りだった。

   翌日、まつもと市民芸術館でバレエ発表会を初めて見た。四階バルコニー席まである大きな建物(1800席)で、ここでは、オーケストラや歌舞伎などの公演も時々催されるようだ。そこの三分の二位の席に観客がいた。バレエを学ぶ大人たちから子どもまでの五十人位の生徒たちと、十人近くのゲスト出演のプロたちが一緒にバレエを演じた。第二部の全2幕の「くるみ割り人形」の舞台は、見ものだった。おちびさんから大人までが、可愛らしく、また楽しく、優雅にバレエを披露した。衣装、舞台装置、照明、音響などの効果もあって、とっぷり舞踊にはまっていた。言葉が無い分、身ぶり、手ぶりの身体表現が面白かった。高度な瞬発力やスピード、柔軟性や持久力のある身体能力が要求されるものだなーと感心しながら、3時間の公演に見入っていた。

 

   松本市は、芸術などにも関わりの深いところがあるようだ。サイトウ記念フェスティバルでは、小沢征爾・指揮によるクラシック音楽が演奏されたりする。また、市内には市立美術館を初めとするさまざまな美術館などがある。毎年行われる、市内の児童・生徒たちによるブラスバンドや鼓笛隊などのパレードも随分賑やかだし、最近では、<まつもと街なか大道芸>も盛大に開催されている。

 

  ネットだITだ・・とバーチャルだったり、便利になり過ぎたような時代、山や川、谷や野原、虫やカエルや魚や小鳥、青空や雲や雨、花火や縁日や祭り、プールや海水浴やハイキング、絵描きや音楽や踊りや曲芸、額に汗をいっぱいかき、ハーハー息を切らし、目を輝かして、走り回って、ころんで、起き上がって、夢を追っかけて、笑って、泣いて、疲れて、でーんと寝転んで、天井の節穴なんかを見ながら、そのまま寝入って・・・。そんな自然いっぱいに、子どもたちも、大人たちも生きて行けたらいい。それは素晴らしい。お金がなくったって、みんな、昔は、身近でそんな風に生きてたのに・・。一度きりの人生を、生き生きと、<生きている>ということ。

 

   墨絵のように、霧に覆われた早朝のアルプスの山々を見ながら、そんな、とりとめのないことを考えながら東京へと車で向かった。


梅雨空の下

2013年06月20日 | 随筆

 時々、パラパラと雨が降ったりする梅雨空の下、やっと梅を漬け終わる。プーンと酸っぱい梅と紫蘇の香りが辺りに漂う。梅と紫蘇と雨で、部屋も少し湿っぽい。空気も重いようで、やっぱり梅雨の季節だなーと思う。五月には、ラッキョウも漬けたが、その頃は入梅前だったから、当然、今と趣も違ってた。ちょっと暖かい時分だったから、刻んだ唐辛しを仕上げに瓶に入れる時など、甘酸っぱい酢の香りがしていた。

  今の時代は、それ程、季節に限定されずに、作物でもなんでも手に入りやすい。旬というのは、勿論あるだろうが、昔とは随分違ってきた。生活している、身の回りから季節感が急速に薄れてきているように感じる。住まいだって、昔とは変わり、超高層ビルなんかに居住して、日常を送る人々も都心には沢山いる。テレビとかで、そんな住まいの様子を見てると、、家具にしても、随分、豪華そうで、どこの国のことやらと、すぐには分からない。イスからテーブル、カーテン、キッチン、バス、ルームライト、エアコン、ワン公・・、そんな暮らしを不思議に思う。

 

  随分、収入があるんだろうなー。何で稼いでいるのかなと、別のことを、勝手気ままに勘ぐったりする位で、住みたいなーとは思わない。否、住めっこないのは、当然だし、居心地からして、何となく窮屈そうな感じで、長居できないだろうと思う。疲れそう。それより、普通に、畳の上にごろんと横になって、ぼやっとして、団扇ででもあおいで、ゆっくり過ごしてた方がなんぼかいいだろうと、思いを巡らす。ひがみ根性からでは決してなく、あまのじゃくからか、いや、貧乏根性からか、いつもそんな風に考えてしまう。

 

  話が横道に逸れそう。つまり、世の中、金さえあれば、何でも直ぐそろい、また季節感も薄まってきた感じということ。グローバル化もあってか、どこの国の生活やら、とよく違いが分からなくなってきてるということ。言葉も食事も習慣も仕事も住まいも服装も・・。文化も混ざる。企業も労働も旅行も似通う・・。でも、突然、狂ったような事件が起きる。現代特有の病も進行する。目に余る、ひどい格差への怒りが暴動となる。積もり積もった抑圧や独裁からの解放に目覚める。職をよこせ。せめて、生きるだけの賃金を渡せ。何億と稼ぐ連中には、自分らに都合よいカラクリだってあるんだろう・・。憲法第25条を忘れたらだめだ。

 

 

  良いこと、困ったこと、駄目なこと・・。さまざまに思いを巡らす。ただ、自分に合った生活を、ふつうに送ろうと思う。でも、こんなに移り変わりの激しい時代の中では、その自分は、当然、古臭いものになるのだろう。それも仕方ない。まあ、疲れない範囲で、新しいものにも、適当に関わり、せめて気持ちの上だけは、季節感を大切にしながら、少しでも、生き生きと余生を過ごしていけたらと思う。

  

  雨が上がってきたようで、窓から見える丘陵も霧に、ぼんやりと霞んでいる。

  

  *  憲法第25条 [ 生存権、国の生存権保障義務 ]  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 

     

 

 


梅干し作り

2013年06月17日 | 随筆

  梅雨の合間に、今年も梅干し作りをしている。毎年、この時期を迎えると、いつもの八百屋を訪ねて、何箱もまとめて梅を買ってくる。馴染みになってるので、主人が、いろいろと今年の南高梅の出来高とかを教えてくれる。今年は、早い出荷となった上に、少し豊作のようで、価格も昨年より安いようだ。

  小さなへたの部分を取り除き、黄色くなったその大粒の梅を水で洗い、布で丁寧に拭く。いくつもの大ビンに、梅を正確に計って入れる。普通、塩の割合は2割と言われているようだが、減塩などを考慮して、一割三分位にしている。余り、少なくすると梅酢の味加減が変わるし、カビなんかも心配だ。十日もすれば、梅のエキスも出始めて、塩の混ざった、澄んだ梅酢の状態になってくる。

  その後は、いよいよ梅酢と赤紫蘇を使って、梅を漬け込んでいく。もちろん、最初に赤紫蘇をしっかりと塩もみし、出てきた最初の濃厚な紫色した<あく>を捨てる。その後に、梅酢と赤紫蘇をしっかり混ぜる。何十キロと大量に作るので、市販されている塩漬け済みの紫蘇を足したりして利用すると漬け込むのが楽になる。その時は、最初の塩加減も変わってくることになる。

 

  いつも、この時期になると、梅のことをいろいろと思う。二、三月頃に、観梅に行ったこと。五月頃、梅の葉蔭に小さな梅の実を覗かせていたこと。水無月に入ってからは、梅の実も目立ちはじめ、黄色く色づいたものも見える。シトシトと雨の降り続ける中、早いものは、木の下にいっぱい梅を落とし、梅の香りが辺りに漂う。畑の中に、濃い赤紫色した紫蘇の葉が雨に濡れていたりもする。しっとりとしていて、いい風景だと思う。

 

  ほかほかの、玄米入りの白い御飯の上に、真っ赤な梅干しをのせ、朝食を頂く。そばに納豆があるのもいい。温かい呉汁と鯵の開きの焼き魚。暑い日には、刻んだ青紫蘇と新生姜がのった冷や奴があると、涼しげでいい。   

   雨が降る。日が射す。白い雲が流れる。青空が見える。山が輝く。川が流れる。また、雨が降り、日が昇る。そんな自然のめぐりとよく合った日本の食に、欠かせないようにも思う梅干し。そんなことを思う、梅ジィの梅干し作りのこと。

 

  * 梅干しは、字の通り、梅雨が明けたところで、三日三晩、土用干しするのが本当だろうが、自分は、梅酢に漬かったままの真っ赤な梅が好きだ。漬け込んで、半年位経った頃からが旨いと思う。それ位経てば、それ程、しょっぱくもない、大粒で、薄皮の柔らかい梅干し(梅漬け)の出来上がりという訳。勿論、干すこともある。太陽の光を浴び、変化もするのだから。とにかく、どちらも食欲が増し、旨い。

 

 


2013年06月15日 | 随筆

   昨夜、田んぼの中を通ってホタルを見に行った。八時頃だったので、途中の田んぼ辺りは、もう随分暗かった。でも、歩いていると、何故か、昔、昔に戻ったような感じがしていた。田の臭いがし、足元近くの用水路を流れる水がチョロチョロ、ドボドボという音をたて、辺りはすべてカエルの鳴き声で占められていた。ゲロゲロ、グエーグエーという、どこか懐かしい声が賑やかに闇の中にこだましていた。遠くに目をやると、青白い空をバックに灰色っぽい丘陵がぼんやりと見え、手前にぽつん 、ぽつんと家の明かりが燈っていた。

 

  鎮守の森を歩いた。遠くに小さな懐中電灯らしいものがちらちらとする。真っ暗な森を更に奥へと進んで行くと、幅1、5メートル位の草の生い茂る用水路の近くに出た。遠くの草蔭らしい所に、小さくピカーッと弱い光が点滅している。暗過ぎて、どれ位の距離なのかはっきりしないので、人の照らす小さな懐中電灯なのか、それともホタルなのかよく分からない。進んでいくと、あちこちの草蔭で光が弱く点滅してるのだ。七、八個の光を見つけると、そのうち何個かが青っぽいような光を灯して、ゆっくり流れて行く。やっと、二、三メートル先をホタルがゆっくり光を出して飛んでいるのだと分かる。辺りを見渡すと、暗闇に四、五人の人影が見える。懐中電灯を手にした人もいる。ほっとした気分になって、用水路に架かる小さな橋の上で、ホタルの光をずっと静かに見つめていた。

 

  傍に来たお爺さんが「今夜が一番いい」と小声で言った。世話をしているという、そのお爺さんは次のようなことを教えてくれた。雨が止んだ後の日の、蒸し暑いような夜八時頃にホタルがよく飛ぶ。蝉みたいに命が短い。カワニナを採ってきて放し、そのカワニナの餌として、ジャガイモやキャベツの葉をあげてりしている。そのカワニナを、ホタルの幼虫が食べて、やっと成虫になるのだと。

 

  そう言えば、昼間、散歩している時、この近くの目立たない看板にこんなことが書いてあった。今日、ゲンジボタル22匹、ヘイケボダル27匹。ゲンジの方の餌はカワニナ、ヘイケの方は主にタニシ。ゲンジの方が大きい。幼虫は六回脱皮した後、さなぎになる。成虫は餌を食べず、夜露をすするだけ。三~四日で死んでいく短い命。幼虫の時もほんの少しだけは発光部が光っている。等、説明書きがあったのを思い出した。  

 

  ホタルを見た、真っ暗な森を抜け、川原の土手に出た。そこからは、ほんの少しだけ明るかった。「陰翳礼讃」。谷崎潤一郎が昭和初期に出した、その本の中で、すでに語っている。ただ明るくするばかりでは、趣も何もない。暗がりがあったりしてこそ、身の回りも、より風情があったりするものであるというようなことを、<厠>を例にしながら書いていたのを思い出していた。静かで、趣深い螢の様子が見れ、また田んぼのカエルの合唱を聞き、どこか自然がいっぱいだった昔を思い出すようで、暖かい気持ちになりながら家路へついた。

 

  カエルの歌、ホタルの光。螢雪時代・・などと取り留めのないことを懐かしく思い出した、梅雨の合間の儚いような、不思議な宵だった。

 


1968年と今

2013年06月13日 | 随筆

 台風通過の影響もあってか、このところ雨天の日が続く。まわりの空気もしっとりして、しかも、少し寒い感じなので長袖のトレナーを羽織ることにした。まあ、こんな天気も、どこか静かでいいのかな。読書にも向いているし。そういうことで、1日に発売されたばかりの廣済堂新書の「早稲田1968~団塊の世代に生まれて」(三田誠広著)を読んでみた。77年、「僕って何」で芥川賞を受賞した作家の68年当時の学生時代の思い出話。ぱーっと読み終わったが、確かに当時、そんな感じで自分も過ごしていたなーと思うことが多かった。勿論、自分は2歳年長だし、早大生でもなく、また経済的にもきつかったから、若干、違うなという点もある。ただ、飛び抜けて、若者が多かった時代の様相がよく表れていた。

 

 ちょっと、本の中の68年から70年代前半の語彙などを列記してみる。 1968年、受験勉強、遅れての入学、歌声喫茶、討論会、ストライキ、東大・日大闘争、全共闘、ゴーゴー喫茶、アパート、同棲時代、マルクス主義、デモ、羽田闘争、新宿騒乱、安田講堂、バリケード占拠、ビートルズ、よしだたくろう、よど号ハイジャック、引っ越し、高倉健、三里塚闘争、大阪万博、浅間山荘事件、榛名山リンチ事件、企業爆破事件、パレスチナ・ハイジャック事件、内ゲバ、学生運動の崩壊、留年、卒業と就職、再び1968・・

 

 帯に、「 村上春樹も立松和平も学生だった  団塊世代が忘れられないあの時代、あの季節 」と書かれている。彼らも、ほぼ同期の学生たちなんだろう。確かに、当時は、やることなすこと、活発な時代で、ヤングパワーとか、スチューデントパワーとかゲバルトとか、そんな言葉がメディアを賑わしてもいた。朝日ジャーナル、平凡パンチなどの雑誌もあった。そんな時代から半世紀が経とうとしてる。世の中が変わるのは当然だ。失敗もいっぱいしてきが、今でも、そんなに間違ったことではなかったと考えることも実に多い。ベトナム戦争だって、ひどいものだった。いっぱい、矛盾を内にかかえながら(水俣病、四日市ぜんそく等の公害なども)、日本は経済成長へと突き進んでいた。原発だってその一つ。また、戦後処理がきちんとなされていたとは到底今でも思えない。だから、戦後66年経った今でも、時々、その矛盾がマグマのようになって火を噴き始める。近隣諸国のさまざまな被害。人権無視、強制連行、領土問題・・。今、また憲法改正という紛れもない負の動き。

 

  自虐史観だからとか、戦後レジームからの脱却とか、戦前への復古などと飛躍し過ぎた、怪しい作為的論理が目白押しだ。それは、歴史をきちんと押さえきれていないからだ。ムードと幻想で戦後を一気に否定してしまう。平和ボケとか、弱腰とも言ってくる・・。

   今の危機的状況があるからこそ、いっそう、憲法を権力の手で捻じ曲げられないよう、守っていかねばならないと強く思う。憲法が根付くまで、せめて百年は持たせたいという意見に賛成だ。戦争を反省つづけることで、正しく、しっかりと未来に向き合う。まだまだ、地球上に餓死や虐殺や貧困や拷問や搾取や民族紛争や侵略やテロやイカサマが恐ろしいほど存続している現状なのだから。わが国だって、まだまだ憲法の理念の実現をしえていない。だからこそ、軍備という、天に唾する手段では決してなく、世界の国々の平和構築へ向け、その先頭に立って、重要な役割を果たしていかねばならないのだ。自由、平等、法の支配、民主主義のメッセージは先に挙げた、地球上の諸問題解決の根幹になるものだろう。日本国憲法の目指すものをきちんと身につけ、自信をもって、前へと進んで行くべきである。一時も後退などしている暇など、グローバル的にもありえない。理想や目標実現に向け、崇高な理念のもと、努力しつづけねばならない。

  朝から降りつづけている雨脚も、一段と強くなってきたようだが。

 

 

 

 

   


恵みの雨

2013年06月10日 | 随筆

  梅雨に入ったというのに真夏のような日々が続いてる。すぐ近くの農家のおじさんに会ったら、「 困っちゃうよ。砂漠だよー。」と嘆いていた。畑にはカボチャなんかがどうにか育ってはいるが、確かに、多くの畑地は乾ききって、さらさらした白っぽい土になっている。雨を待っての種まきを思案中のようだ。

 

  庭の茂った木々の剪定をする。アジサイは雨が少しも降らないのに、ちゃんと花を咲かせている。暦の上ではしっかり梅雨入りしてることだし、その季節を知ってるのだろう。時知り顔のアジサイは薄青や赤っぽい花をけな気に咲かせ、ちょっとでも雨が降ってくれたらなーという感じで、蜜柑の木陰で暑そうに、ほんの少しだけ風に揺れている。

 

 やっとのこと伐採や剪定を終え、昼食。空が暗くなり、雨がぽつりぽつりと降り始めた。洗たく物などを仕舞う。ポトポトという音をたてて雨が降る。乾いた地面は降り注ぐ雨で、黒く変化し、木々は生き返ったように雨に濡れている。辺りの大気がひんやりとして、空が少し明るくなった。

 

   昨日、歩いた田んぼも殆んど田植えを終えていた。畦道のすぐ横の用水路をすいすいと水が流れ、田の苗は、少し曲がりながらもほぼ一直線に遠くへと延びている。どの田も水をいっぱいに湛え、日に輝いている。田を通り、森をぬけ、川原に出ると、いくらか涼しくなった。多摩川の流れが少しは影響してるのかな。川向うの丘陵の木々は深緑に生い茂り、空を見上げれば、夏のような雲が浮かんでいた。

 

  世の中も随分、いろんな面で便利になってきて、驚くことが多い。政治も経済も文化も、昔と変わってきたなーと善し悪しは別として痛感する。正直に言えば、便利なんだが、首を傾げたくなることが多い。現代の全般的で抽象的な評価だが、全てがどこか速すぎる。だから、<今でしょ!>なのか。しかも、大衆操作されているようにも感じる。肝心要の所が捉え難い。いや、抜け落ちてる。速さのなかでペテンにかけられているようで、いんちきみたいで、せこいなとも思ったりもする。政治家、マス・メディアからしてそうなんだから。真実より、利益や多数が万能といった趣だし。自分で把握できる力量の範囲外で多くが流れていく。個人や小さな団体を越えたところで物事が勝手に動く。でも、それについて行かないと困りそう。ついて行けば流されそう。流されて、競争に破れて・・。いやいや、競争するような年令でもなし、こちらは、ただ、坦坦と生きて行くだけ。なるほど、オレオレ詐欺が時代に合うはずだ。どこかそれと、共通項の多い時代だ。しかも挙句、憲法改悪されたら、個人の尊厳は更に狭まれ、義務ばかりが増えそうだ。それでも、とりわけ若者たちは、新しい時代に向かって突き進み、真理を見極め、強く生きていかねばならない。しかも、新しい物事へ正しく対処する英知と勇気をもって、粘り強くかかわっていくことがきわめて重要になるだろう。権力に巧くだまされてはならない。あれだけの原発事故を起こし、収拾もついていないのに、被害者を忘れたような諸政策に強い疑問を抱くばかりである。尖閣問題をこじらせ、外患に国民を向かわせる魂胆だったのかということさえ勘ぐってしまう。

 

   うちわ 。 蚊取り線香。 すいか。 アジサイ。 風鈴。 子どもの声。 雨。 金魚鉢。 えんぴつ。 柱時計。 古い書籍。 フィルム写真。よしず・・。 時代に取り残されたような日々の暮らしの中で、時代が見え隠れする。さっきの雨が嘘のように上がってしまった。水の月、水無月六月が、もう半ばを迎えようとしている。ピヨ ピヨと鳥が元気そうに、亦、さえずり始めた。

 


欺瞞の提案

2013年06月06日 | 随筆

   今夜から、久しぶりに雨になりそうで、旱天の慈雨、という人々も多いだろう。さて、政治のことだが、また、これからゴチャゴチャとなるんだろうかとうんざりした気分なのだ。というのは、あの<お騒がせ者>の橋下維新代表たちが、オスプレイ訓練を大阪でも受け入れたい考えを、政権へ提案したのだ。大阪の八尾空港のある市長は住宅密集地でもあり、反対を表明しているのだが。

 

  沖縄は日本の0.6パーセントの土地にしかあたらないという。その地に、国内の米軍基地の74パーセントが集中しており、普天間基地をはじめ、多大な負担を県民に与えている現状である。

 

  尖閣をはじめとした領土問題などで、基地はいっそう、複雑な様相を呈している。あの、石原発言に始まる暴挙が外交を目茶目茶にしたのは周知のことだ。そして、身勝手な二つの頭の共同代表たちが、未だもって、好き勝手に暴言を吐いて、世の中を騒がしてるのもご承知の通り。今回の提案も、最近の不評からの挽回を狙い、また選挙を意識した姑息なものだろう。本当に沖縄の負担を憂慮し、熟考したものでもなかろう。いつもの、思いつきで、パッパ  パッパと喋り、また翻すにきまってる。沖縄、大阪、国の後々のことなどを真剣に考え続けた末のことでもない。ただ政争の具にされただけ。しかも、少しも、心など通ってはいない。危険な飛行軍事訓練などにも皆目、無知で、いつもの、きれいごとの丸投げだ。

 

   今回の提案も、一切、信頼の置けるようなものではないはずだ。付け焼刃だろう。安倍政権は政権で、これを上手に、国防軍につなげていくことだろう。これを機に、沖縄県も県外もいっそう基地化していくのだろうか。ただ、基地問題は、沖縄だけでなくみんなで、日米地位協定を見直しながら、反戦運動として、基地縮小、撤去、廃絶へ向け、じっくりと考え、行動し、大衆的に進めていかなければならないことだろう。権力というものは、どの国であれ、常に、ナショナリズム的に、国民・人民を欺き、危険な状況へと無責任に突っ走るものだ。軍備競争ではなく、平和裡に、しっかりと解決に向け、進んでいかねばならない。また今、改憲とか大日本帝国憲法復活が声高に語られるような状況では、尚更、きちんと問題を見つめ、対処していかねばならないだろう。歴史問題についても然り。真実は真実として把握し、そうでないものがあれば、堂々と主張すべきである。未解決のことは、こつこつと、焦らず、真の解決へ向けて努力を惜しまないことだ。

 

   橋下代表の今回の提案発言と安倍政権のその提案歓迎に、またまた、繰り返される、泥縄式の無責任極まる、偽善的な下心を見ない訳にはいかないのである。

 


空に舞う飛行機

2013年06月03日 | 随筆

  梅雨入りはしたものの、好天の日がつづいてる水無月初旬。青空高く、すじ雲が流れ、田んぼには田植えされたばかりの早苗が、水の中でひらひらと風に揺れている。きっと、これから二十日も経たないうちに、しっかりと根付いて、青々とした稲に育っていることだろう。また、その頃が一番、梅雨らしい時期と言えるのだろう。空梅雨では、やはり困る。雨の止んだ宵の頃、用水路ベリの草むらに、今年も源氏ボタルが舞うのかな。その後には、カエルが賑やかに鳴く季節もやってくる。日本らしい風情が田園辺りを覆っていく。

 

  夏のような、白い雲が流れる中を、白いセスナ機がブーン、ブーンという懐かしい音をたてながら、何度も何度も円を描きながら舞っている。飛行訓練なのか、または何かの取材なんだろうか。見上げていると、何だか眠くなってくるようだ。

 

   五十数年前にタイム・スリップだ。郷里の家の前の二軒の自転車屋については、ずっと以前に書いたことがある。それぞれの自転車屋に自分と同い年の仲良しの友達がいた。でも、みんなそれぞれ去っていった。自分も、その後、郷里を離れて行ったのだが。で、その自転車屋の跡地に紙店(文房具店)ができた。その頃は、すでに、すぐそばの大きな池は埋めたてられていた。紙店の主人は、引っ越してきてから間もなく、近くの家に習い事で来ていた人と結婚した。嫁入り衣装や家具などが、わが家の隣の屋敷にいっぱい運ばれてきて、不思議そうに見入った思い出がある。晴れの衣装を身に着け、綺麗に化粧したお嫁さんが、白い角隠し姿で、丸い椅子に静かに座っていた。辺りで、「きれいねー」という小さな声が度々してた。全てが厳かで、白い出立ちなんだなーという思いで、縁側からずっとその様子を見てた。

 

  主人は、飛行機の整備士も以前していたようで、機械いじりが好きだった。当時では、まだ珍しい自家用の自動車も運転した。紙店の仕事用に買ったもので、三輪自動車だった。あの、映画・「三丁目の夕日」に出てくるミゼットではなく、どちらかというば、フェリーニの映画・「道」に出てくるザンパノの運転する、あの小型のごつごつした三輪トラックに似ていた。ハンドルが、オートバイのハンドルみたいで、しかも自動車なのだ。主人が助手席に自分を乗せて、前屈みになって運転してくれたことがある。うれしくて、うれしくて、窓から見える世界が輝いた。横を見ると、景色が流れていった。幼稚園も保育園も行かなかった自分には、そんな経験が嬉しくて、ずっと後まで、そのことは脳裏に残った。

 

   またある時、主人は、新しく手に入れたオートバイに乗せてくれたことがあった。後ろに乗るようにと言った。バタバタとバイクは大きな音をたてていた。ちょっと乗るのが怖い感じもしたが、勢いで主人のすぐ後ろのシ-トへ跨った。両手でシートの前の支えの皮紐を握りしめた。バイクは橘通りを南へ疾走した。バタバタバタという轟音と顔に強く当たる風、グッ グッと左右に揺れたり、スイスイと前へ進んで行くのが不思議だった。次第に恐怖は薄れていき、強い風が気持ち良かった。当時の事だから、まだヘルメットも何も装着しなかった。スリルのある楽しさというのだろうか。これもずっと忘れられない思い出となった。

 

  主人は勤勉な人で、しっかり紙屋業(文房具屋)を続け、働いた。酒、煙草、遊宴などとは無縁だった。実直に働くことだけが唯一の生き甲斐という感じだった。店も次第に大きくなり、主人のつてで、親戚の人も何人か働きに来る程だった。節約家の主人の思い出はいろいろある。身なりを構うことより、きちんと実益を上げていくことに重きを置いていた。それが、営業では大切なことなのだろう。ひょうきんな話も時々してくれた。頭のいい人だった。こつこつと働き、大きな店を作り上げた、その主人も、昨年この世を去り、もういない・・・。

 

  小さな飛行機が飛んでたりすると、昔、整備士だったいう、その面白い紙店(文房具屋)の主人を、時々思い出したりするのだ。先日も、所沢航空発祥記念館で、昔の小さな飛行機を見てる時、少年の頃、どこか憧れの気持ちで飛行機を見上げていたことや、紙屋の主人のことなどが脳裏をよぎった。またなぜか、青空と白い雲を背景に小さな飛行機がブーンという音を立てて飛んでたりすると、何となくぴったり合ってる光景だなーと思う。でも、どこか寂しそうで、どこか夢の世界のようでもある。そんな少年の頃の思い出は、いつまでも心の中に焼きついて離れない。知覧の特攻平和会館の飛行機も飛行服も、空と白い雲の果てに、眩しくも、どこか哀しく、瞼に浮かぶ。いつまでも。