『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

人吉市探訪-武家屋敷

2016年07月26日 | 旅行


武家屋敷は生憎の定休日で外から見るだけで、武家屋敷の入口門は人吉城唯一の現存遺構が移築されている堀合門のようである。先日紹介した人吉城の犬走り石垣画像左側のかつて堀合門があった場所には復原された門が建てられている。
茅葺の武家屋敷は藩主の狩りの際休憩所として球磨郡一丸に建てられていた御仮屋を明治期に移築されたもののようである。

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人吉市探訪-大村横穴群

2016年07月25日 | 旅行


人吉駅裏にある大村横穴群で上画像左側の先にも横穴群がみられるが、何れも崩落の危険があるため近づくことができないのと夏草が茂っているために部分的な探訪しかできない。
看板表示によるとこの横穴群は古墳時代後期に造られた墓のようで、一部の横穴入口周囲には動物、武器、武具、幾何学文様などの装飾がみられるようで中画像でかすかにこれらの一部を確認することができる。

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人吉市探訪-石水寺の石造物

2016年07月24日 | 旅行


人吉市の西境付近にある石水寺の前を流れる馬氷川に架かるアーチ型の石橋(眼鏡橋)で江戸期の嘉永7年(1854)に架橋されたようである。川向の山門(現在修理中)から石橋を渡ると道路が横切っており、続いた参道石段下と上に見たことのないような第二、第三の門がある。
第二門は4本の石柱の上に木造の小屋が架けられ屋根は厚板が葺いてあるもので、第三門は大きな板状の石を丸く刳り貫いた何れも珍しいものである。

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人吉市探訪-人吉城の石垣

2016年07月23日 | 旅行


中世から近世にかけての相良氏居城である人吉城で球磨川と胸川の合流点沿いには多門櫓、角櫓、長塀などが復原されている。(上画像)
城跡各所で石垣はみられるが御館跡の武者返しの石垣が特徴的で、天端の石がはね出しているもので幕末期に築造されたようである。(中画像)このようなはね出しの石積みは以前訪れた北海道函館市の五稜郭(下左画像)や長野県佐久市の龍岡城(下右画像)など幕末期に築城された西洋式城郭にみられた。

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人吉市探訪-葉たばこ畑

2016年07月22日 | 旅行


人吉市のあちらこちらをレンタル電動自転車で探訪中に郊外で葉たばこを栽培している畑を当ブログ主は初めて見た。
ネットで見ると球磨地方(熊本県南東部)は有数の葉たばこの産地のようで煙草神社なるものがあるそうである。以前紹介した昔の葉たばこ乾燥小屋のようなものは見当たらなかった。

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人吉市探訪-岩屋熊野座神社

2016年07月21日 | 旅行


人吉市街地を外れた南東部にある岩屋熊野座神社で拝殿と3棟並んだ本殿の覆屋は茅葺であり、覆屋にはプラスチックの透明板で本殿を風雨から守るようにしてある。何れも国の重文に指定されているようである。
参道入口に建立されている石造鳥居は厳島神社の鳥居によく似た両部鳥居形式の鳥居で球磨地方(熊本県南東部)では唯一のもので元禄14年(1701)に寄進され国の重文に指定されているようである。

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人吉市探訪-青井阿蘇神社

2016年07月20日 | 旅行


昨日の朝、徘徊初めに再び青井阿蘇神社を参詣した。楼門、拝殿、幣殿が茅葺屋根であることは昨日紹介したが、人吉・球磨地方には茅葺の社寺が多くみられるようである。
この社殿群をみると彫刻や彩色など豪華な装飾が取り入れられており人吉・球磨地方独特の伝統的な社寺建築であろうか。

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人吉市探訪--青井阿蘇神社

2016年07月19日 | 旅行

昨日、小倉に帰る娘、孫達の車に便乗して足を延ばして人吉市に向かい徘徊を始めた。先ず国宝である茅葺きの楼門、拝殿、幣殿などの青井阿蘇神社を何年ぶりであろうか探訪した。

ホテルから慣れないタブレットから送信しています。

 

 

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宮内小学校体育館の耐震補強

2016年07月18日 | 「廿日市地区」ぶらり


宮内小学校横を通っていたら体育館屋根の軒部分に見たことがないような構築物が設けられていた。この体育館は昭和52年(1977)に建築されたようで、屋根面の水平剛性が足りないために平成27年(2015)に耐震工事が行われたようである。
既設建物への工事であり屋根面内部に設けるのが難しいので外部に水平のトラスを設けたためこのような異様な構築物となったようである。

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不見山観音堂

2016年07月17日 | 「廿日市地区」ぶらり


宮内的場地区にある
廃光代寺観音堂で中世の光代寺は禅寺で厳島社末社天王社の別当職を務めていた。本尊は十一面千手観音像で極楽寺の本尊と同じ木で行基菩薩の作と伝えられている。
戦国時代末ごろ光代寺の住持は廿日市鋳物師山田次右衛門の弟の林斎で、江戸期になって林斎は還俗し宮内村の庄屋に据え置かれ代々世襲し観音堂守をも務めていた。

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地御前町並みの町屋

2016年07月16日 | 「廿日市地区」ぶらり


地御前の町並みにある厨子二階の町屋で外装は町屋独特の装置が残されている。2階部分の軒裏や垂木、柱など外部に露出する木部は漆喰で塗込め、窓の格子も塗り込めた虫籠窓としてあり、軒下の両妻に袖壁が設けられている。
1階部分は平格子と出窓のような出格子が設けられ、出入り口には大戸がありこれにはくぐり戸・障子が設けられている。犬走の部分には軒下を通りから区切る駒寄せが設けられている。

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福田社

2016年07月15日 | 「吉和地区」ぶらり


石原地区の教龍寺前にある小祠の福田社であるが何が祀られているのか定かでない。祠の蟇又には福田と刻されており、耕地地名図には石原福田がみられる。
江戸期の地誌には小祠として佛田明神とありいつの時代かに福田社と称されるようになったものとみられる。福田社には木造の狛犬、神像(画像-吉和村誌)、神鏡などが残されているようである。

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教龍寺の梵鐘

2016年07月14日 | 「吉和地区」ぶらり


吉和石原地区にある教龍寺の梵鐘は刻銘によると寛政11年(1799)に広島城下の妙慶院の梵鐘として芸備両国鋳物師筆頭植木直昌によって鋳造されたようである。戦時供出されていた梵鐘が戦後の混乱期に当寺へ移ったようである。
江戸初期、広島城主福島正則が大坂より広島への船での帰路播磨灘で薬師如来と梵鐘を引き上げ福島氏菩提寺の妙慶院に収めたようである。宝暦8年(1758)に大火に遭って砕けたこの梵鐘を使用して新たに鋳造した梵鐘が現在教龍寺に懸けられている梵鐘である。

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JR山陽本線・田屋架道橋

2016年07月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


地御前神社南側から田屋地区に向かう道路上に架かるJR山陽本線の田屋架道橋で、下り線側の石積みは山陽鉄道の建設で明治30年(1897)頃に築造されたもののようである。
石積みの石材は長方形に加工してあり表面は割肌であるがコーナー部分のみ加工がしてあり隅の垂直線が揃っている。

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たぬきのポンタ御用だ!

2016年07月12日 | 「廿日市地区」ぶらり


やりっぱなし農業の見本のような当ブログ主の菜園や周辺の菜園などを掘り返され被害を被っていたので隣接地で檻を仕掛けられた。その檻の中にタヌキ?ハクビシン?アライグマ?当ブログ主には判別出来ないが何か捕獲された。

周辺には山や竹藪がありタヌキ?ハクビシン?アライグマ?が数多くいるようでまだ被害は収まっていない。防護網を食いちぎって穴を開けるので厄介だ。

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