『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

妙見山鷲頭寺-降松神社中宮・上宮

2017年02月21日 | 廿日市関連


降松神社下宮(若宮)から鷲頭山に登って行くと17丁の里程碑が建立されているところに大きな随神門がある。随神門から少し登ると石鳥居があり石段を登ると標高約200m位のところであろうか20丁碑がある中宮に至る。
中宮には手水舎、拝殿、幣殿、本殿などがあり山上なのに多くの伽藍が維持されている。かつて領主の庇護があったものとみられる毛利家家紋のある鬼瓦が境内脇にあった。中宮裏手から少し進むとと石鳥居があり標高243mの鷲頭山山頂に至ると上宮本殿が鎮座している。(桜尾城と妙見社

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妙見山鷲頭寺-降松神社下宮(若宮)

2017年02月20日 | 廿日市関連


桂公園北麓にある妙見社は桜尾城時代に山口の大内氏が代々氏神として崇敬していた妙見社を勧請したものとみられ、下松市の大内氏ゆかりの妙見信仰の発祥の社寺を探訪した。
かつて鷲頭山の山麓から山頂にかけて下宮(若宮)、中宮、上宮や宮司坊(閼伽井坊)など七坊の別当があったようである。大内氏の庇護を受けていた妙見山鷲頭寺は大内氏滅亡後も徳山毛利家の崇敬を受けていたが、明治期に神仏分離が行われて妙見山鷲頭寺は降松神社と妙見宮鷲頭寺となって、鷲頭山麓には降松神社下宮(若宮)が鎮座している。(桜尾城と妙見社

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笠戸島深浦の厳島明神

2017年02月19日 | 廿日市関連


下松市笠戸島西端の深浦漁村集落にある厳島明神は海中に石鳥居が建立されており、その先の山裾(上画像左手前側にあるが鳥居の先は高い防波堤があるため絵にならず)に石造小祠の厳島明神が祀られている。
由緒などについては定かでないが毎年旧暦6月17日は十七夜(管弦祭)が行われており、数隻の漁船に提灯を灯して厳島明神に参詣して港内を一巡する行事が続いているようである。(管弦祭画像は「防州見聞録」より拝借)

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水車の残骸

2017年02月18日 | 「廿日市地区」ぶらり


川末地区でみられたかつての水車が朽ちて画像のようになっていた。
昭和57年(1982)頃、当時可動はしていなかったが下画像のようであった。
資料によると旧宮内村では明治44年(1911)ころ水車場が8ケ所と僧都が9ケ所あったようで、また旧平良村では大正15年(1926)ころ水車が10数ケ所あり精米や製粉に使用されていたようである。当ブログ主が子供の頃は水車や僧都で精米や製粉に使用していたのを記憶しているが電気事情が良くなってからは効率の悪い水車は使用されなくなった。

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高圧線鉄塔で架線張替え工事中

2017年02月17日 | 「廿日市地区」ぶらり


宮園・四季ケ丘団地上の折敷畑山・横道山中腹を横切っている高圧線の鉄塔上で架線の張替え工事が行われている。

鉄塔間隔が広く高所でどのようにして張り替えるのかと思っていたが作業をしている人の話によると既設の高圧線を利用して張り替えるので新設のように難しくはないようだが高所であり大変な作業のようである。

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凸石のある高ゲシ

2017年02月16日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区にある民家宅地の高いゲシ(石垣)に所々飛び出た石がみられた。以前明石地区にあったので所有者に聞いてみたがなぜ飛び出しているのか分からないとのことであった。
高いゲシに生えた雑草などを取り除く時に歩み板などを掛けるために所々に石を飛び出して石積みをしたのではなかろうか。

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まみか谷の烏帽子岩か!

2017年02月15日 | 「廿日市地区」ぶらり


江戸期の地誌に原村の名勝としてまみか谷の烏帽子岩が記載されているので、川末地区の人に尋ねてみたが場所不明であった。
絵図と同じ谷の林道を遡っていると急斜面の杉林のなかに巨岩があったのでこれがまみか谷の烏帽子岩とみられる。谷から見て烏帽子状に見えるのであろうが杉の木が林立して全貌が不明なので滑りそうな急斜面を攀じ登って側面から眺めてみると画像のようであった。

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安芸のひとつ火跡碑

2017年02月14日 | 「廿日市地区」ぶらり


原川末地区の最奥部の民家後方の杉林の中に建立されている安芸のひとつ火跡碑で、古老が伝えていた安芸のひとつ火伝説をもとに昭和62年(1987)4月に原老人クラブ連合会によって建立されている。
江戸期の地誌に潮見垰、大嶽垰ミヨノ火「右闇夜ニ者必火見ヘ、依而海上通船此火を目印ニ船ヲ寄候故ミヨノ火と申来リ」とあり、江戸期からの潮見垰、大嶽垰ミヨノ火伝説が忘れられて安芸のひとつ火伝説となって「廿日市の民話伝説」(昭和53年廿日市町教委発行)に収録され杉林の中に建立となったようである。

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田んぼの地下通水路

2017年02月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


原地区の田んぼは傾斜地に築造されており高ゲシ(高石垣)が多く湧水が出るところに地下通水路が設けられている。明治10年
(1877)の原村景況書には「田底ニ水通水門有、故ニ穴アク事多シ」とある。
この地下通水路のことを廿日市町史通史編(下)の民俗稿にはタンポ(原地区)とあるが原地区で呼称されていたものかは定かでない。

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里山ぶらり-石州古道

2017年02月12日 | 登山


平良地区と宮内地区境の尾根筋に残る旧石州道の名残りの山道で、かつて丹戸山越(沢の尾峠)から長尾、折敷畑山中腹の横道を経て黒折地区に通じていた江戸期津和野街道が整備される以前の古道である。
折敷畑合戦で「毛利元就、隆元は本道筋より攀じ登り・・」とあり、毛利元就、隆元は本道筋と目されるこの石州古道から折敷畑山に攻め寄せたのであろうか。戦記物に記されているものであり真偽のほどは定かではないが・・・

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里山ぶらり-巻き付かれた杉木

2017年02月11日 | 登山


長い間山の手入れがされていないものとみられ大きな杉の木に太い藤カズラが巻き付いており、大蛇に巻き付かれているようである。
カズラに巻き付かれると木の生長が阻害されるのでやっかいであるが、この杉の木は螺旋状の凹みがあるおもしろい木になっているのではなかろうか。

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里山ぶらり-貝塚の山境

2017年02月10日 | 登山


現在の山境はコンクリート杭やプラスチック杭で表示するが昔は腐らない貝殻をまとめて埋めており、また腐らない陶磁器片やガラス瓶を埋めているところをみたこともある。知らないと一瞬貝塚ではないかと間違いそうである。
山歩きでよくみられる山境は下画像のように樹木の芯を切って沢山の幹にしているもので尾根筋などでみられる。

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里山ぶらり-木を喰った木

2017年02月09日 | 登山


竹藪化した山にあった大きな木(樹木名不明)が小さな樫の木を喰っているのがあったが向こう側の細い樫の木はどのようにして育ったのであろうか。
竹も喰い始めたが枯れてしまったようである。

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里山ぶらり-キノコ

2017年02月08日 | 登山


竹藪化した山にあった腐りかけの切り株にオレンジ色の鮮やかなクソナバがあった。

当ブログ主が知っている食用キノコ以外はクソナバと呼んでいるがこのキノコにも名前があるのであろうが・・

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行き止まりの小路の先は

2017年02月07日 | 「廿日市地区」ぶらり


田舎育ちの当ブログ主は迷路のような街の小路を歩くのが好きである。先日来紹介している福佐
売神社前の小路を進んでいると広電宮島線で行き止まりとなっている道があり、線路脇と向こう側のJR山陽本線脇に通行禁止の表示板が設置されていた。
国土地理院の古い航空写真をみるとここはかつて里道が通っており、線路地内の踏み跡などから現在でもここを通行する人がいるようである。

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