『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

㈶佐伯郡地方振興財団60周年記念顕彰碑

2017年03月23日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり



国道488号線の旧吉和村と旧湯来町境付近で熊ケ杉林道に向かうとすぐにある㈶佐伯郡地方振興財団60周年記念顕彰碑で昭和57年(1982)に建立されている。

佐伯郡誌によると明治38年(1905)に水内村に郡財産林90町4段4畝歩を設けており熊ケ杉の山林がこれに相当するものとみられる。郡制の廃止に伴って大正11年(1922)に旧佐伯郡の町村によって佐伯郡地方振興財団は設立されたようであるが、現在は大竹・廿日市・江田島の3市で構成しているようである。

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可部線水内駅跡

2017年03月21日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


水内駅公園(水内駅跡)

ホーム上屋遺構

昨日紹介した津伏大元神社がある津伏地区の太田川対岸にある久日市地区にかつて湯来町唯一のJR可部線水内駅があった。昭和29年(1954)に開通しており駅員もいて貨物や荷物なども取扱っていたようで平成15年(2003)に廃止されたようである。
現在駅跡は水内駅公園として整備され、ホームや線路の一部、ホーム上屋などが残されておりかつて水内駅があったことを偲ぶことが出来る。

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津伏大元神社

2017年03月20日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり

津伏大元神社拝殿

                                            拝殿大棟の龍図

佐伯区湯来町の太田川沿いにある集落の津伏地区にある大元神社であるが由緒など定かでない。江戸期の地誌によると八幡宮の同殿に大元大歳二神ありとあるがどのような経緯で大元神社となったのかは明らかでない。
拝殿の屋根で青海波瓦が組み込まれた大棟の両側が漆喰塗としてあり龍が描かれている珍しい手法の大棟である。

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桜尾城時代の妙見社

2017年03月19日 | 「廿日市地区」ぶらり


桂公園の北麓にある妙見社で中世桜尾城時代の遺構とみられることを何度か紹介しているが、現在社殿の屋根が破損しているものとみられシートの覆いが長らくしてある。
社殿前には珍しい金属製円形柱に円形笠の芳名塔が建立されており、昭和7年(1932)に行われた妙見堂改築の寄附者名が刻されている。かつては多くの人達に信仰されていたようである。

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旧平良小学校体育館が ‼

2017年03月18日 | 「廿日市地区」ぶらり



旧平良小学校の唯一の遺構である昭和55年(1980)に建築された体育館(現在平良体育館)が老朽化のため廃止撤去となるようである。
此の場所には当ブログ主が小学生の時に木造講堂が建てられ、その後、昭和55年(1980)に体育館(屋内運動場)が建築され平成14年(2002)まで使用されていたものであるが平良小移転後は平良体育館として使用されていた。

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JR江津駅の跨線橋

2017年03月18日 | 旅行

 

 



江津駅の跨線橋は一部改修されているようであるが鋳造柱や階段梁の取り合わせなど洒落たデザインで山陰本線が開通した当時の面影が残されている。跨線橋登り口の両側の鋳造柱には正面に「
鐵道院」、側面に「明治45年 横河橋梁製」とあり一部の文字が埋没している。
山陰本線は短区間づつ開通しており江津駅の開通は大正9年(1920)12月に開通しているが、跨線橋の鋳造柱は横河橋梁製作所で明治45年(1912)に数か所の鋳造がされたものと思われる。このような鋳造柱がかつて廿日市駅にもあったことが資料にみられる。

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旧山陰道の土床坂・領界標柱

2017年03月17日 | 旅行

 
土床坂-石畳み道

 領界標柱

江津本町の街並みを進んで西の山の方に向かって行くと旧山陰道の土床坂(つっとこざか)と言われる石畳み道が約100m位残されている。
かつて土床坂の頂部の尾根筋が天領(石見銀山領)と浜田藩領の境界であったようであるが、現在道路となっておりその脇に「従是西濱田領」と刻した大きな領界標柱が残されている。

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江津本町(甍街道)ぶらり②

2017年03月16日 | 旅行


旧江津郵便局


旧江津町役場・江津市役所


 鼻ぐり石

明治前期に建てられたという旧江津郵便局は石州赤瓦が葺かれた家並みが続く街並みの中でひと際目立ったハイカラな建物であったものであろう。
山辺神社の鳥居をくぐった参道脇にある旧江津町役場は大正15年(1926)に建築されたようである。この建物も石州赤瓦が葺かれた家並みが続く街並みの中で目立ったものであろう。現在の市役所はJR江津駅裏付近に建てられており逆V字型の柱から大きく持ち出した梁でピロティ方式となっている変わった建物である。
本町の小さな川沿いの道端に荷物を運んできた牛馬を繋いでいたという鼻ぐり石が十数個みられ当時の繁栄ぶりが伺われる。

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江津本町(甍街道)ぶらり①

2017年03月15日 | 旅行

 

江津本町の街並み


横田家


藤田家

三江線で江津駅手前の江津本町で下車して江津本町(甍街道)の街並みを探訪した。江の川河口の江津湊は江の川の舟運と日本海での海運北前船の寄港地として河岸から街中に向けて多くの廻船問屋の蔵屋敷が軒を並べていたようである。
街並みの町屋は石州赤瓦が葺かれた家並みが続いており、町屋のうち廻船業を営んでいたという横田家と藤田家の屋根の煙り出し越屋根が特徴的である。
 

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川本町ぶらり②

2017年03月14日 | 旅行


弓ケ峰八幡宮・創天秤鞴記碑

 
 川本街並みの町屋

川本町役場近くにある弓ケ峰八幡宮へ参詣したら参道脇に安政4年(1857)に建立された「創天秤鞴記」碑があった。中国山地では古くからたたら製鉄が盛んで炉には勢いよく空気を送り込んで炉内の温度を高める装置が必要であり、江戸期の享保頃(1716-1736)に川本の老工清三郎によって天秤鞴(てんびんふいご)が考案されて生産効率は飛躍的に向上したようであり、清三郎の100年忌でこの碑が建立されたようである。
街並みを散策していると門構えのある古い町屋がみられたが由緒など触れられたものがなく詳細は不明である。川本の街並みでは唯一の古い町屋とみられるが現在無住のようにみられた。

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川本町ぶらり①

2017年03月13日 | 旅行

悠邑ふるさと会館・かわもとおとぎ館

アポロ宇宙船スカイラブ3号

アポロ宇宙船スカイラブ3号内部


石見川本駅で乗り換え待ち時間が1時間30分余りあったので街並みの高台にある巨大な施設である悠邑ふるさと会館、かわもとおとぎ館に向かった。この施設は当時邑智郡7町村の郡都施設をと建設されたようであるが現在は川本町の大きな負担になっている施設のようである。
この施設の駐車場の片隅になぜかアポロ宇宙船スカイラブ3号が展示されていた。看板表示によると昭和48年(1973)11月16日にこのスカイラブ3号が打ち上げられ、乗員3名が84日間滞在し翌年の2月8日に帰還したようである。スカイラブ3号の内部の装置類は取り外されているが複雑に入り組んだ配線や配管などが残されており高度な技術の塊の片鱗が窺われる。

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ぶらり三江線車窓から

2017年03月12日 | 旅行

三瓶山遠望

明神岩(厳島神社)遠望


三江線列車の車窓から一昨年7月に孫とお鉢巡りをした雪の三瓶山が遠望できた。左側最高峰の男三瓶、手前に子三瓶、その右側が孫三瓶、さらに右側が女三瓶で男三瓶の右側は981峰でありすべての峰が初めて一望できた。
かつて江の川は舟運が盛んであったようで国土地理院の地図によると中流域で港地名が2ケ所見られる。竹駅の対岸は港地名で江の川に景勝地明神岩があり川の往来、漁の安全を祈願して厳島神社が祀られているようである。

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ぶらり三江線

2017年03月11日 | 旅行

 三次駅→石見川本駅行き列車

石見川本駅→江津駅行き列車

神楽ラッピング列車 

一昨日、にわか乗り鉄、撮り鉄・・・  来年廃線となるという三江線に初めて乗った。JR廿日市駅~広島駅から芸備線で三次駅に着いて石見川本駅行きの三江線ディーゼル列車に乗った。
乗客のほとんどは廃線を惜しんで乗っているようでほぼ座席が埋まっており、石見川本駅で乗り換え待ち時間の1時間30分余りの後、江津駅行きの列車にはほぼ同じ人達の姿がみられた。江津駅からは神楽ラッピング列車で浜田駅に向かい高速バスで広島駅に帰った。

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記念植樹の分岐樹木

2017年03月11日 | 「廿日市地区」ぶらり


桂公園の北側に樫の種類とみられる大きく茂った樹木があり、これほどの多数の幹立ては初めて見た。山林境界でみられる多数の幹立ては芯を止めたものでありこの樹木はなぜこのように多数の幹立てになっているのであろうか。
この樹木は老人福祉法制定10周年記念で廿日市長生会が昭和48年(1973)4月に植樹したようであり、標石の上部が喰われ始めている。

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桂公園碑

2017年03月10日 | 「廿日市地区」ぶらり


この桂公園碑はかつて桜尾城跡最高所の本丸に建立されていたものであるが、城跡は昭和42年(1967)頃から埋立て用の土砂採取場となりその跡地は現在の桂公園として整備された。公園碑は公園の駐車場手前の道路脇に移設建立されていたが平成元年(1989)5月に現在地に移設された。
中世桜尾城主であった桂元澄の後裔である公爵桂太郎が大正元年(1912)に桜尾城跡を買収して廿日市町に寄付し、町会で永久に町の公園として維持する、公園内に開園記念碑を建設することなどが決議され、大正2年(1913)1月廿日市町によりこの桂公園碑が建立されたようである。

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